馬のSさん。

2002年10月8日
元職場は多分珍しいと思うが、
お母さん役員の組織とお父さん役員の組織がある。
その役員数もお父さん役員の方が多いし、
活動量も多い。

なにかあれば、打ち上げと称して
飲み会も多くあるので
お母さん方よりもお父さん方との方が
より近しい関係であった。

発表会ではお父さん達も劇の出し物をするので
(毎週1日、近くなったら毎日のように
 夜7時から9時過ぎまで練習する。
 私たちは交代で鍵当番でおつき合いする。
 地元劇団員の脚本、演出付きの超大作で
 衣装、メークも本格的。)
それの打ち上げ飲み会後からは
だいたい”役名”で呼ばれる事が多くなる。
(もちろん、飲み会の席での事だが)

んで、タイトルの”馬のSさん”
Sさんはシンデレラのかぼちゃの馬車を
引く馬の前足になったので
それ以後、”馬のSさん”と呼ばれている。

Sさんは世良正則似のいわゆる”遊んでますよパパ”
を絵に描いたような方で、
仕事もイベント関係なので顔も広い。

初めてお会いした時から
「ん?怪しい人だ・・」と一目置くような感じ。
ま、Sさんの子どもの担任を持っていなかったので
役員会や飲み会以外では話す機会もなかったが、
どの先生も「Sさん、軽いっすよね〜?」
と似たような印象だったようだ。

ある夏休みに私は友達と飲みに行った。
カウンターに座って話しながら飲んでいると、
カウンターの前がガラス張りになっていて
鏡化しているのだが、どうも誰かの視線を感じて
そこへ目をやると、同じカウンターの反対側に
”馬のSさん”が女の人と飲んでいた。

・・・マジかい。ヤバイところに遭遇しちゃったよ・・・

私が悪い事をしている訳でもないが、
ただニタニタ笑ってこっちを見ている馬のSさんが
不気味だった。
(普通、ヤバイ関係だったら「先生内緒にしてよ」
 って言うんじゃないか?
 もし、なんともないのなら、挨拶してくるだろうし。)
 そんなことを思いつつも、馬のSさんがエスカルゴを食べていたのを私は見逃さなかった。

とりあえず、私はSさんの子どもの担任に
Sさんに飲み屋であったこと、
Sさんが女連れだったことを話した。

夏休み明け。
Sさんの子どもの担任のM先生が私のところへ
駆け込んできた。
「この太先生っっっ!これ、これみてくださいよ!」
差し出したそれは”夏休み帳”だった。

「これっ!この日。読んでみてくださいよ」

日記タイプの夏休み帳なので、
何日に何をした。。というような事が書いてあるのだが、M先生の指さしたその日には
「今日は東京のおばあちゃんちへママと行きました」
と書いてある。
「これがどしたの?」と私が言うとM先生は

「だ〜から〜っ!この日。この太先生がSさんに逢った日なんですよー」

「えーー!ってことは妻が居ない間にってことっ!?」

私たちは当時20代前半。
うら若き乙女である。かなりの衝撃を覚えつつ、
2人で「このことは内密にしよう」と手と手を握りしめたのであった。

それから後の役員会の飲み会で
私とM先生はSさんを少し警戒するように
遠巻きに見ていました。

するとSさんが
「この前、先生ど〜して声かけてくれなかったのよ〜」
と寄って来たので、
「私にもエスカルゴ、頂けるのかと思いましたよ」
と軽いジャブを与えてみた。
するとSさんは
「あっははは〜。オンナだと思ってるべ?
 違うからっ。」
と聞いてもないことをペラペラと話し出した。

あ〜・・やっぱり軽い・・・。

しかも、後日、
S宅のお母さんから呼び止められた私。
「先生、エスカルゴ、私もちゃんと食べましたから〜」

はぁ〜?

こりゃ私の予想ですがね。
この手の男(もう父兄でもなんでもないので)は
「いっや〜俺、○▼と飲んでてよ〜(この辺。多分、奥さんも納得するようなオンナの名前でも言ったんでしょう)この太先生に見られてよ〜。
先生どうやら、俺が不倫でもしてるんじゃないかと
思ったんだぁ。(俺ってモテるからとでも言いた気)
それで〜エスカルゴ食べてたら、『私にはおごってくれないの?』みたいに後で言うんだよ〜♪
はっは〜参ったよ〜(俺みたいなモテる旦那持って
お前もうれしいだろ〜?)」
みたいな感じで。

いや。。。お母様もそんな感じです。
「モテる主人が自慢です」
「オンナの1人や2人居ても男の甲斐性だわ。
 私が1番の座に座っているんだから」
みたいな事、お母様と飲み会ご一緒したとき、
はっきりおっしゃっておりました。
嗚呼。似たもの夫婦ここに有り。

と、長くなって来た。
Sさんから今日、電話が来たので
その話をしたかったのだが、
その前にSさんについてを話さないと
今日の私との会話が成り立たないんだもの・・・。

日記さぼっていたので、久々の長文に疲れたので
続きは明日にでも・・・。
お昼の12時からは
私は”いいとも”を見ている。
(着けているといった方が正解)
仕事を辞めてからの定番だ。
おかげでだいたい、次のテレフォンショッキングが
誰なのか、検討も付くようになった。(余談)
※当たらなかった時は非常に悔しい思いまでしている。

最近、よく来る勧誘電話の決まり文句が
「奥様?!あの”みのもんたの思いっきりテレビ”
、発掘あるある大辞典で紹介された・・」
なのであるが、
私は見た事ないので、まったく食いつきことが
出来ない。

言われてみれば、
母は「みのがね〜、いいっていうの」
と良くいい、
やれ椎茸だ、やれ納豆だ、キノコだ、
ココアだと、
みの信者(いや、決してみのさんが言ってる訳じゃない。みのさんの”番組”でやってるんだが、
「奥さ〜ん」と言われると自分に対してだと勘違いしているのであろう)
になっているようであった。

テレアポの方って、
そうした母みたいなみの信者を狙っているのかも
しれないけれど、
私のように”いいとも信者”もいる訳だし、
時々、「いいのか?そんなにはっきり番組名名指しして?」
と思ったりもする。

そんな”いいとも信者”の私には、
「●▼に×■を合わせて食べるとよりおいしくなりますよ」
だとか、
「明日、ここに●▼を見に来てくれるカナ?」
と言ってくれれば
「いいともっ!」と答えるかもしれないっすよ。

・・・・んなわきゃないっ!(コージー富田で?)

複雑。

2002年10月3日
皇太子様のところへ愛子様が
お生まれになり、
ダーちん様のところへこの太様が
お生まれになった。

折しも誕生月も一緒なので、
とにかく、その辺のオバサン連中からの声かけには
”枕詞”のように
”愛子様”が付く。

「あら?愛子様と同じくらいかしら?」
「愛子様は髪フサフサなのに、この太ちゃんは
 少な目ね」
「愛子様は”バイバイ”が出来るけど、この太ちゃんは?」
「愛子様と同じおもちゃがあるのね?」

という調子だ。
昨晩のように特別番組で”愛子様の成長記録モノ”
が放映されると、
また、母を含め、その辺のオバサンの
”愛子様とこの太様の成長度合いの比較”
が始まる。

そりゃ、愛子様が小学校へお上がりになれば、
「あ〜この太ちゃんもだわね?」
と思い出してもらえるだろう。
(近親者からのお祝いが忘れ去られる事もないだろう)

ありがたい事もあるが、
複雑な心境でもあるのだ。

これは一生なのか?

と、今日、母が来て
「この太ちゃん、”バイバイ”はこうよっ!?」
としつこく、この太の手を振り続けていたのを見て
複雑な心境の私である。

いいのっ!!この太が車の中から
道行く人に手振ってたら、選挙カーだと
思われるでしょっっ!!!

台風は去ったらしい。
今は晴天。

ダーちんは仕事上、こういう災害の場合は
すぐ招集がかかり、
被害地で対応に当たる。

今回も今朝早く、職場から呼び出し命令が
かかり、出掛けて行った。
多分、どこかの山の中で
台風の爪痕の処理に追われているのだろう。

こういう時、本当に不安になる。
ダーちんがその作業中に、2次災害に遭わないか
ということもそうだし、
その間、私はこの家とこの太を守らなくてはならない
訳である。

仕事で、防犯管理者になるべく、
消防署主催の講習会に出席した時、
ちょうど、阪神・淡路大震災から1年後くらいだった。

消防署の方が講義をするのだが、
その時、なんの話からか、
阪神・淡路大震災の話になった。
すると、その50をとうに過ぎた消防署員の方が
涙を流しながら、
自分たちがしてきたこと、出来なかったことを
話すのだ。
同じ目に遭っているであろう家族を置いて
違う家族を救ったり、
間に合わなかった無念さなど、
とぎれとぎれに話してくれた。

”それがその仕事に就いた宿命”
と言えばそれまでかもしれないけれど、
たしかに私の中で、
その涙ながらの話で認識したなにかがあったように
思う。

ちょっとマジメなキュンな今日の私です。
2泊3日の旅も今日で終わり。
今日は今回の旅の一番の目的でもある
この太の病院だ。

初めて行く病院に加えて、
医大の付属病院なので、患者も白衣も多い。
加えて、駐車場も長蛇の列なので
私とこの太だけ降りて、先に受け付けなど
済ます事にした。

紹介状持参だった事と、
事前に知り合いの看護婦さんが
話を通しておいてくれたせいか、
思ったより待つことなく
診察室へ入れた。

私は少し緊張していた。
だって、この先生にこの太の命を預けてよいものか?
という選択なんだから。
第1印象から、しっかり見て、
信頼度チェックしなくてはっ!!
と思っていたし。

見た目は若そうな先生だったので、
第1印象は「え?こんな若い先生で大丈夫なの?」
と思った。
色々、聞かれて
「では、耳の写真撮りますから」
とポラロイドカメラを構える。

この太は最近、カメラを向けられると
そっちを見るようになっていた。
なので、案の定カメラ目線。
撮りたいのは、耳なのになかなか撮れない。
私も興味を他の方に持っていくようにしようと
するが、
この太抱えて耳をベストショットに
見せるように押さえたりしているので
なかなかうまく行かない。

それでも、よい感じになった時に
”先生!!今です!ホレ、今撮って!”
という私の心の叫びも届かず、
先生はモタモタ。
あげくに「あ・・フイルム切れた」
って・・・。
大丈夫か!?
なんだか、信頼度ダウン中なんですけど。

ダーちんもまだ駐車出来ないのか、
来ないしでだんだん不安になって来たところへ、

「どうだい?」

と中年の先生登場。
「写真がうまく撮れなくて・・・」
という信頼度ダウンな先生が言うと
指を軽く鳴らしながらこの太の目の前にやると
この太はそっちに興味を示し、
その間に撮影。

そう。この先生こそが
我が家のブラックジャックになるであろう
E先生だったのだ。
そして、今までの彼はきっとインターンだったんだろう。

そこから、先生は今まで私が話した事のカルテを
見ながら、
親切、丁寧に話してくれた。
ちょうど、ダーちんも来たので
そこからどういう手術になるのか、
最終的にどんな耳の状態になるのか・・
というような事を絵を描いて話してくれた。

正直、私は説明を聞きながら
血の気が引きました。
今までの想像より、はるかに現実味を帯びた
我が子の手術説明を受けて・・・・。
これはテレビの中のよそサマの話じゃなく、
実際に私たちが受けている衝撃、
心の痛みなんだ。

私たちが遠くから来ていることも理解してくれて、
随分、いろんな面で配慮してくれました。
全身麻酔なので、
風邪を引いたら手術はキャンセル(延期)。
その場合も、再診して次回の予定を決めたりする
みたいだけど、
先生に直に電話して次回の日程決めよう。
とか、言って貰えたりして。

正直、もし
「俺様のような名医に診てもらえて良かっただろう」
みたいな先生だったら、
ここでお願いするのは辞めて他探そうと思っていた。
でも、私とダーちんはこの先生にお願いしよう。
という気持ちになって話を聞けた。

手術日も決め、入院するのに必要な説明を受けて
帰って来た。
なんだか、少しホッとした。

こうして、我が家の旅は終わった。
ダーちんは火曜から出張で帰って来た翌日から
この旅に出掛けていた為、
「ホテル住まいにも飽き飽きだ」
と言い出していた。
私もさすがに自分で食事の支度をしなくてよいのは
嬉しいが、バイキング料理も飽きていた。

この太はこの旅の間に満9ヶ月になり、
明日からは3回食にする予定。
平常生活に戻るとするか!
今日は、買い物と友人宅、恩師宅へ
お邪魔する予定になっている。

午前中、ゆっくりと食事をとり、
ホテルを後にして、
目的のデパートへ。

田舎じゃ滅多にお目にかかれない
赤ちゃん商品満載のそのお店で
私はカルチャーショックになりながら、
次から次へと買い物かごへ
入れていた。
高い、安いの感覚も忘れ、
「見たことない」
というポイントだけで
舞い上がっていた私をレジ前で
青ざめさせた。

今回の支払いはボーナス払いの予定だった。
(まだ9月なのに・・汗)
しかし、レジ前には
”クレジットカードは使えません”
となっている。
はい?現金は宿泊費用と食事代くらいしか
持参していない私。

あと、なんだい?
郵便局や銀行のキャッシュカードで決算って?
デイビットカード決算って?

よくよく見ていると
銀行のカードを渡して、
いいとものテレフォンショッキングで
直に電話を掛ける時に隠すようなツイタテで
お客の手元を隠して
「暗証番号をお願いします」
などと言っている。

はっは〜ん。なるほど。
チラっと聞いた事があるぞ。
都会じゃ通帳の中の現金でも
こうやって買い物(支払い)が出来るって。

しかしながら、私たちは
郵便局や銀行のキャッシュカードは持ってるサ。
メインの通帳にはこれから先、
次の給料日までの食費やら光熱費やら、
もう娯楽には使えない金額しか入ってないし、
他の銀行カードだって、
支払い分がキッカリしか入ってないんだ。
今ここで、その残高からこの品物代を引かれたら
明日からの生活が成り立たないよ。
12月に引いてくれなきゃヤダーーー!

そこから私は冷静になり、
カゴから1つずつ、不必要なモノを
削除することにした。
そして、結局、ドラッグストアーより
安売りしていたお尻ふき(100枚入り12袋入り)の段ボール入り、オムツ、フォローアップミルク2缶、麦茶、ほうじ茶のお徳用サイズのモノ、
といういわゆる実用的なモノのみ、
購入する事にした。
しかも、手持ちの現金で・・(汗)

駐車場に入れてあった車の中には
旅の荷物でいっぱいなのに、
段ボールモノを筆頭にかさばるモノばかりを
買ってダーちんに文句を言われた。
しかも、駐車場は遠いわで、
大変な目に遭った。
(たしか、レジで「お持ち帰りですか?」
 と聞かれたがアレはなんだったんだろう?
 宅配システムでもあったのか?)

しかし、田舎者(&貧乏人)には
頭の痛いシステムだった。
でも、無駄な買い物しないで済んで
良かったのかもしれない・・・。
行って来ました。1年ぶりに
SMAPコンサートへ。

子連れ・・予想はしてたけど大変だった。(汗)
でも、この太は
オープニングから1時間、
アンコール2回中、爆睡していた。
一番、黄色い歓声が多く、
あの大音響の中、パッタリ寝ていたこの太を
私は、久しぶりに
「まさか死んだのではないか?(大音響で心臓発作で)」
と思って、何度も胸に耳をつけて確認しました。
(新生児の頃、ピクリとも動かず寝ているこの太が
 死んでいるのではないかと不安で息を確かめてい
 た頃以来・・・)

去年は妊婦のチカラなのか、
アリーナの一番前から3番目という
スンバラシイ席をゲットした私だが、
今年は最初っから親子席。
初めて座ったけど、
”真性な親子”ばかりではないんだね。
あきらかにオバサン4人連れとか、
お姉さん2人組とか。
(ダフ屋からか、オークションからか、
 はたまたいけなくなった友人からのチケを
 もらった人だろうね)

親子席はスタンディングしてない決まりになってる
んだけど、
そうした”エセ親子”は最初っから
スタンディングしてました。
気持ちはわかるけど、親になってあの席を
利用する気持ちもわかった。
ちょっと複雑だったけど、
後ろのおカアサンみたく
「座ってくださいよぅ」
「立たないでぇーー!」
などは言わず、約束を守って楽しみました。
いいんだ、どうせ近づいたって夫や彼や不倫相手に
なってくれる訳でもないし。(当たり前)
彼らのパフォーマンスがテレビじゃなく
生で楽しめりゃ、それで
明日からの生活もしばらくハートなだけサ。

それでも、アンコールでクレーンに乗って
来た時はやっぱり「触りてーーーーー!」
と思ったけどね。(汗)

結局、私のエゴで私の都合で
この太を連れていかざるを得なかった事を
反省しつつ、
なんとか今年もいけて良かったと
満足しました。
ありがとう、この太。

だんだん、場違いな歳になって行く母を
どうか、今度はあなたが
「スマップ見に行きたいから
 お母さんつき合って」
と言ってください。
「んもう、しかたないわね〜っ!?」
なんて言いながら、母はシジュウになっても
つき合います。
でも、「お友達と行く」
ようになったら、寂しいわ・・・。

いよいよ明日出発。

2002年9月27日
という訳で?
昨日は寝不足で頭痛もひどいところに
昼頃、母が急に来て
「あそこが汚い」「ここが散らかってる」
「この太ちゃんはよくこんな汚い家で生きてるね」
とうるさく言われ、
「あ・・・私のマシンガントークはこの遺伝子なのか」
とボーっと思いながら、ダーちんが居ない昼間を
のんびりすごそうと昨日までの顎筋を休めようと
思っていた私を雑巾片手に指示しまくる母に
1日を奪われてしまって、やはり夜には
グッタリと疲れていたのだった。

明日から札幌へ行って来ます。
第1の目的は2つ、ある。
実はこの太の病院行きを絡めたのは、
SMAPのコンサに行くためでもあるのだ。

妊娠8ヶ月の去年も、行ってしまった。
生後9ヶ月の今年も、行ってしまう。
が、唯一の私の「ハジケ」られるイベントなのだ。
この太もきっと、好きサ・・(ふ・・

月曜には予定通り、大病院へこの太を
連れて受診する。

初めての長旅&忙しいスケジュールなので
この太に風邪だけは引かせちゃなるまい。。

しっかし、どれほどの荷物になるんでしょうか?
子連れの旅行って荷物多いよね。
それに加えて、私は荷物作りが下手で有名だ。
1泊の出張でいつも先生方から
「この太さん、海外っすか?」
「この太さん、今日3泊じゃないっすよね?」
と言われるほどだ。
さぁ。今日は荷物作りするぞ。
果たしてどうなるか。

では、みなさま、行って参ります。

しゃべりすぎ週間。

2002年9月26日
私はこんなにおしゃべりだったのか?
いや、元来”しゃべる”事は得意で
仕事だって無口じゃやれないことをしてきた。
でも、仕事を辞めるとしゃべることは減り、
更に面倒にもなってきている。
必要最低限のレベルが下がったんだろう。

この太が産まれてからは
この太との日中の会話は宇宙語だし、
こっちも一方的だし、寝ていれば話しかける事も
ないし。

そんな私がとにかく、火曜からしゃべりっぱなしなのだ。

実はこの太の例の耳の治療が本格的になり、
今月末に大きな病院へかかることになった。
そこで管外から出ての治療だという話から、
乳幼児医療費助成の件で、お役所さんに電話を
掛けて確認したところから始まった。

そこからナゼか、こっちのかかりつけの医者の
”紹介状”がいるんではないか?
という話になって、次は保健婦さんとしゃべる。
そうすると、医者には派閥?などがあり、
紹介出来る病院と出来ない病院があるんじゃないか?
と言う話になり、とりあえず、「調べてみます」
と言うコトで電話を切る。

ここで私は失敗を犯してしまった。
そのまま、保健婦さんの連絡を待てば良かったのだが、
「そういえば・・Tさんの甥っこさんも似たように
 大病院へ行って手術したって言ってたな・・」
と思い出したのである。
「紹介状持参だったのか、病院は指定されたのかだけでも、
わかれば聞いてみよう・・」
と思った私はTさんに電話した。

Tさんは残念ながらおしゃべり、世間話大好きな
奥様だった。
そこから肝心な甥っこさんの話は序章にしか過ぎず、
離乳食の話、仲良し3人組の成長っぷりについて、
歯について、旦那について、服について、
フォローアップミルクについて・・etc、
盛りだくさんの話をしてくるし、聞いて来るのだ。
軽く1時間過ぎた。

そして、Sさんからメールが途中で入っていたのに
気づいた。
「今から、ちょっとお邪魔していいですか?」
ってサ。
私はなんとか隙を見て「忙しい時間帯に長々とごめんなさい」
とTさんへ終焉を告げ、電話を切った。

そして、朝から子機を握りしめ、この太をあやしながら、私はボサボサだった。
どうせ、お互い、昼に旦那が帰って来るから、
長居はないと思い、
Sさんに「良いよ〜」とメールを返し、
髪を洗って、掃除機を担ぐ。

掃除機終盤でSさんがやってきた。
上がるよう薦めたが、やはり旦那の食事の用意が
あるので、用件のみで玄関、外で立ち話。
でも、10分はように使った。

さて、旦那の昼飯でも作るか・・と思ったが
なんだかのどが渇いてしゃ〜ない。
(そりゃそうだ。朝8時半から10時半まで
 ほとんどノンストップでしゃべりっぱなしなんだから)
ウーロン茶を立ちながら飲み、次の家事へ
進もうとすると、ダーちんから電話。
昼1時にならないと帰れないとの事。

やった・・これで遅れが取り戻せると思った私に
また携帯のメールが鳴った。
後輩の先生からだ。
「今、近くまで来てるので寄っていいっすか?」
だった。
もち、断る理由もなく、OKを出す。

とりあえず、この太がグズグズ始めたので
抱っこして寝かせてみるとパタンと寝てくれた。

すると、また電話が鳴り、後輩S。
「いいんすか!?ホントに寄って」
って確認の電話。
この太、起こされてそこから抱っこしたり、
遊んだりしながら、食事の準備。

そうこうしていると後輩S来訪。
どうやら、ドライブして来たらしいのだが、
途中で29キロオーバーで青切符を切られたらしく
凹んでいるとのこと。
だから、浮上したいので私とマシンガントークを
繰り広げたいって言うのサ。ふ・・・・。

今の幼児教育について、一緒に働いてた頃のおもしろ話、
これからについて、彼女のコイバナetc
晩飯を挟んで、8時半までしゃべりまくった。

その間も、保健婦さんからや保険屋の勧誘やら
とにかく、来客、電話の多い1日だったのだ。

結局、ダーちんとこの太の病院の話も細切れだったが、
もう、しゃべりたくない。
でも、もう一踏ん張り、札幌の大病院を紹介してくれた友達にも、保健婦さんの言ったコトを
確認した方が良いのでは・・ってことになり、
電話するが風呂。
指定された時間が10時で、しゃべり終わったのが
11時だった。

私は統計14時間半もしゃべっていた。(疲)
風呂から出た私はダーちんに
「ね?私の口、裂けてない?粉吹いてない?」
とだけ確認すると
「アンタまだ余力あるんだね」
と言われた後は返す言葉もなく、爆睡した。

で、途中で入った保健婦さんの電話で
やはり、スムーズに円滑に行くためには
紹介状持参じゃないか・・という事になり、
水曜日に病院へ行くことにした。

昨日、ダーちんはまた出張で
朝一緒に送って行きがてら、病院へ行った。
それが、超混んでいて終わったら12時半だった。
この太も私もすっかり疲れて帰宅。
2時頃、やっとご飯を食べて
これでホッとできると思いきや、
また、電話。

最近、結婚妊娠した友達夫婦が
お祝い返しを持って来ると言う。
まーじかよ〜。

とにかく、この太の夜の離乳食の用意を始めると
来た。
妊娠7ヶ月の友達は、今、出産準備品に対しての
疑問がいっぱいだ。
借りれるモノや、アレは必要か?など、
質疑応答が続く。

晩ご飯は済ませて来たらしいので
助かったが・・・。

8時頃、ダーちんの仕事関係の人が来たりしたのも
きっとこの一連の余波だろう。

途中、ダーちんから
「今、小樽のシカマ寿司の前。関根勤のマネージャーの」
とメールが来たが、ミーハーの私も
そんなのにいちいちかまってる場合じゃない。
”文字”でしゃべるのすら、イヤになってんだから。

8時半頃、友達夫婦は帰って行ったが、
それからこの太をお風呂に入れて、
この太を寝かせて、
この太の離乳食のうどんに醤油を足して
暖めずにすすったのが11時だった・・・(涙)

あまりのしゃべり過ぎと、疲れとガードマンダーちんが居ないために、
私は逆に寝付けず。
夜中の2時に家の前にワゴン車が停まり、
ボンボンがけたたましく泣くので
怖くて、窓から市原悦子をして覗いていた。
20分くらい停まっていたワゴンから
隣の家の若造が降りて来た。ほっ・・・。
車の中でお名残おしゅう〜してたのかよ。
なら、うちの前じゃなく自分んちの前でやってよ。
こっちはビビりなんだから・・・。

結局、ウトウトしただけで今朝になった。
今日はまだ一言もしゃべってないが(この太と以外)
今日の日記はしゃべり過ぎだ・・・・。

今週、父が還暦を迎える。
妹夫婦と相談して、
来月の頭、温泉で1泊してお祝いするように
なんとか手配出来たので
「こんなもんで良いだろう」
くらいにかまえていた。
(週末で、しかも秋の観光シーズンで
 この辺の温泉も高いわ、部屋空いてないわで
 結構無理行って入れてもらって、それでも
 痛い出費なのだ)

昨日、実家に顔を出したら
テーブルの上に巻いた紙。
紙というか、横断幕?
広げて見ると
「●▼×さん、還暦おめでとう!
 H14.9.20 職場勇士一同」
と書いてある。
ゆうに2メートルはありそうな横断幕に、
その横に品の良いシャツも置いてあった。

父は”クチだけ番長”ではあるが、
年下の面倒を見るのが大好きな人だ。
飲みに連れて行ったり、仕事面でも若干顔がきいたので、
人事面で動いてあげたり、相談に乗ってあげたり。
私の後輩が父の下で働いているのだが、
いつも、「この太さんのお父さんには良くしてもらってる。今年度で定年だけど、かなり盛大に
送るつもりだからね!!お世話になったよ、ホント」
とお世辞も入ってはいるだろうけど、
いつもそう言ってもらえるので、
単純に娘としてはうれしい限りである。
ただ、母は若い頃から、そんな父を
「外面ばっかり良くて。交際費だって馬鹿にならない」
って言って怒っていたけど。
これって、少し社会に出てみないとわかんない事かも
しれない、と思う。

ただ、命令だけしていればいい上司なんて
下のモノだって付いて来ないと思うし。
私自身、管理職になった時、
本当に苦労したし、実感したもの。
”気に入られたい”だけと言われたらそうかも
しれないけど、
それだけじゃない、人間対人間が作る職場だからね。
仕事中の一線は大事にしながらも、
後輩達の精神的な部分とか
(若い先生は彼氏とすったもんだしただけで
 色々、顔に出たり、仕事手につかなかったりしたもんです。私もしかり・・)
ケアするのも、察知するのも、必要だと思ったし。

そんな訳で父は
私達を育てる為に働きながら、
少々の人望を得ていたということを
私は定年前にして改めて知るコトとなったのです。

どうも、父には
「なんだかさんの送別会だ」
というお誘いだったんだそうで。
「会場へ着いたらビックリよ!!」
とすっごく喜んでいました。
「ちゃんちゃんこも着せられて、
 プレゼントでもらったこのシャツを
 火曜の出勤の時、着て来いと言うのよ〜!」
とその顔もうれしそうでした。

そこで、母は
「お父さんに茶は似合わない。いつも紺系なんだから、爺さんくさいっしょ」
とか言うから、可愛くない。

普段、母が紺以外を買って来ると
父は着ないらしいから言ったんだろうけど。
このプレゼントに父は
「ちょっと地味かな〜?」
と言いつつも、その気持ちがうれしいんであろう、
まんざらでもない様子。

私もだから、
「そろそろこういう色でも落ち着いた感じに見えると
思うよ!!」
とフォローしてあげた。
着て行く気マンマンになったようだ。

で、ヒト通り今回の抜き打ち還暦祝い話を
終えて、
ダーちんと2人、
「ヤバかったね。他人様でさえ、あそこまで
 祝ってもらったのに、うちらったら
 温泉いっぱいだ、高いだ、で一瞬”その辺で飯食って終わり”にでもしようってよぎったじゃん?!
白状な娘と婿達だ!!って思われるところだったよね!!」
と・・・・。

ま、祝う心の大きさは値段でも形でもないと思うが、
こうやって長い間私たちのために働いてくれた父が
イヤな顔せず、仕事へ通っていたのは、
中にはムカつく同僚もいただろうけど、
父を理解してくれる方たちにもその倍くらい恵まれて
過ごしてくれたんだと思うと、
感謝でいっぱいです。

私たちもめいっぱい父の還暦を祝うべく、
妹たちと再打ち合わせしました。
何度か日記に登場している
旦那同士が同級生&同僚で
子どもも同時期に第1子が産まれているS家、T家。
ひと月に何度か行き来をしている
いわゆる私の”ママ友”さん宅である。

今日はT家からお声がかかり
お昼からお邪魔してきた。

職場の同僚でもあるので
どうしても冠婚葬祭やらで
やれ、お祝いだ、お見舞いだ、香典だ、
と送り合わなければならない間柄である。

お互いに同時期に子どもを産んだのだが、
やっはり形式上、なんだか回っているようだが
お祝いを上げあった。

子ども達がそろそろ落ち着いた頃、
妊婦以来、久しぶりに集合した時、
「これから、入学も進学も一緒なんだから、
 お互いサマって事で3家だけは無しにしよう」
と話し合ったのだった。

それはそれで良しなんだけど、
前々から、お互いの家を行き来し合うのに、
それはそれは豪勢な手みやげ持参なのが、
私は少し、気にかかっていた。
我が家に来て貰うことが多かったせいもあって、
いつもケーキ屋でわざわざ買って来てくれたり、
恐縮モノだったので、
帰りにはみんなに余った分を分け合って持っていって
もらったりしていた。

だいたい、不意に来た客じゃあるまいし、
こっちから「遊びに来ない?」と
誘っておいて、お茶もない、お菓子もないって
事はそうそうないと思う。
迎える側だって、ある程度用意している訳である。

毎週1回程度、気軽に遊びに来て〜
という間柄なのに、あまり気を遣い合うようでは
これからもしんどいつき合いになるようで
私は苦手だった。
(ある程度の礼儀と常識さえわきまえていればよしだと)

それで、前々回我が家に集まった時に
私は提案した。
「これからはこういう手みやげは無しにしよ?
 家にあるお菓子なんかを持ち寄る程度にしない?」
と言ってみたのである。

ちょうど、旦那達公務員の減給が決まった時で
(今年度分が12月ボーナスで20万円近く引かれるんだぞぉ〜・涙。公務員だって苦労してんのよ・・)
お互い、同年代、給料も入った歳での号俸がちょっと
違うくらいでほぼ同じ。
「ケーキ代我慢しましょう」なんてみんなで話したりして。(涙)

で、前回S家にお呼ばれした時は
私は家にあったウーロン茶のペットボトルと
鮭の切り身を大量にダーちんの実家からもらったので
おすそ分けに持っていった。
T家ママも”カル●ス”がいっぱいあったから〜と
持って来たのである。

んで。今日だ。
私は久しぶりにお菓子作りに燃える週間
(時々、自分は食べない癖に作りたい病が来る)
に突入していた事もあり、
パウンドケーキを焼いていたので
それを持っていこ!!なんて思っていた。

すると、S家ママからメールが来た。
「今日何持って行きます?鯛焼きでも両家からって
買って行きますけど」
と。

え・・・・。
なんかちょっとがっくり来た。
私が手みやげ廃止を提案したんだよ?
その私に手みやげを持っていこうと誘うのか?
そして、前回、お宅へ伺った時、
「え?マジでなんも持って来なかったの?」
とでも思ったんかい?
ここでまた、前例作ると次回から
また逆戻りじゃないの?
とね・・・。

でも、ここが私の弱いところ。
「一応、家にあるもん持っていこ〜と思ってたんだけど、
鯛焼きもいいですよね〜!お願いします」
だって。
もぉ〜バカバカ!!>私

結局T家ママも恐縮しちゃってね。
(そうよね。T家ママは私の提案に乗って
 前回は”カル●ス”にしてくれたんだもんね)

・・・・私、セコイです?
それとも、無粋な提案でした?・・・・

久しぶりにブチっ!

2002年9月13日
今週一週間、
鼻につく事がチビチビあった。
ちりも積もれば山となり、
最後に火種を投げつけられたら
もう爆発するしかあるまい。

久しぶりにダーちんにキレた。

一端、就寝したが怒り冷めやらぬ余り、
ムクっと起き出した。

パジャマの上からジャージ上下を着(情・面倒臭がり屋)
車のキーと財布だけ持って家を出た。
(携帯はわざと置いて来た)

1人で車に乗るなんていつぶりだろう。
1人できままにドライブが大好きだった私だが
この太を妊娠してからは
近所の郵便局へ行く、とかその程度しか
1人でドライブなんてしない。
今は必ず、この太が一緒だし、
ドライブなんてあてのない走り(笑)なんて
しばらくしてない。

とりあえず、田舎の一本道をボーっと
5分くらい走った。
頭の中では、腹の立った事があふれ出て来る。

ふと、「これからどうしよう」
と思った。
携帯もないので、しばらく遊んでくれそうな友達にも連絡出来ない。
まして、私はパジャマ・オン・ジャージ・・・。
風呂上がり後で髪も半乾きで、一端寝たので
ボサボサだし。
”人様には逢えない・・・”
悲しいかな、そう決定した。

身内のところへ・・と思えど、
実家に行ったところで、根ほり葉ほりうるさく
聞かれ、最終的には”お母さんだってそうだよ”
みたいに話をすり替えられて自分の苦労話になるのは
たくさんだ。
いつも、そうだけど、今は特にそんなもん
聞きたい心境じゃない。
妹夫婦は明日仕事が速いからもう寝ているだろうし。

・・・私はあの家を出るとどこも行くところがないんだ・・・

と思った。

ま、帰らないつもりではなかったけど、
小一時間くらいは1人で居たかった。

しかたないので、次の自販まで行ってUターンしようと決めた。
この辺は自販も電話ボックスも何十キロも離れたところにしか
ないのが幸いだ。
最初の自販まで15キロくらいはある。

ラジオもCDもかけず、
ただブォーーーンと4駆の軽なので
重い音だけが響く中で
いつもはこんな田舎道、70キロ以上で
走るのだが、40キロくらいで
ゆっくりぼんやり走った。

自販でコーラを買った。
(身体に悪そうなイメージ満タンっしょ!)
140円なので、200円入れたら
なぜかお釣りが70円出て来た。

ラッキーなのか?私。
まだ、イケるのか?

なんか、笑った。
やっと、笑えた。

また、同じ道をUターンして、
もと来た道をコーラを飲みながら走った。
少し、スカっとした。(ベタ・・汗)

予定通り、小一時間くらい走って帰って来て
大きくなったらこの太の部屋になる部屋で寝た。

朝、この太の声がかすかに聞こえて目が覚めた。
久しぶりにゆっくり寝たような気がする。

ダーちんとはクチをきいてないが、
出勤する時はいつも通り、この太を連れて
「行ってらっしゃい」と見送った。

昨日の事については、
ダーちんは触れないだろう。
そんなことはわかっている。
だけど、ナニカは察したとは思う。
しかたないので、それでいい・・とすることにした。

はーーーーーーーっっ!!!!
大声で叫びてーーーーーー!!
・・・心境です。
”自然から頂戴しろ”

黒板五郎もこう言ってた。

北の国に住む私も例外ではなく、
自然から頂戴するモノが多々ございます。

この地方に住んでいると、
例えば、ママ友でも、ご近所でも
親戚だったり、実家だったりが”農家”さんの率は
高い訳です。

なので、収穫時期になると
”出荷”出来ないようなモノ・・
かと言って食べれないモノではないんですよ。
形がちょっと悪いとか、傷が少し付いたとか、
その程度でもハネられてしまう”ピンハネ”された
農作物が親戚、知人に分けられる訳です。

今の時期なら、イモやトウキビ(とうもろこしなんて呼んだ事ないですよ)
でしょうか。

実家から「トウキビあるから来い」と言われ、
ダーちんが仕事上つき合いのある農家さんから
トウキビをもらってくる。
夜になると、♪ピンポーン♪とママ友が
「たくさんゆでたから〜」とトウキビが宅配され、
遊びに伺った家で「ゆでたてよ、食べて」と
トウキビが出される。

これがありがたい事に1日のうちに一斉に訪れるのである。

お食事中の方、ごめんなさい。
しばらく、ウ●コはトウキビ混じり続きです。(汗)

せっせと食えど、無くならず、
1粒1粒ほぐしては冷凍という作業。
お陰で冷凍コーンなど買った試しはありません。

指はふやけるし、頂いたら即ゆでないと
賞味も切れてしまうので、大鍋のない我が家では
小鍋でフル回転。
塩ふいてます。

こんなこと言ったらバチが当たるのを覚悟で
申しますが、
・・・・・・飽きた・・・・・

こういう時期?

2002年9月10日
1週間ほど前から
この太の生活サイクルが少し変わって来た。
今までは、午前、午後と1時間から多くて2時間半くらい”昼寝”をしていたのだが、
最近は30分したらいいところに加えて
下手すると午前中は一睡もしない、とか
午後は一睡もしないとか、
そういう事まであるのだ。

そんなのうちじゃ当たり前よー!

というママもいるが、
その子その子のペースやスタイルがあると
思うので、
うちはずっとそうだったので、
少々戸惑っている。

ハイハイ、伝い歩きが活発になって来た今、
”寝ててくれている時間”は
私にとって貴重だった。
午前中は、洗濯やダーちんの昼ご飯の用意、
午後からは至福の休養(汗)と
夕方の離乳食作り、夕飯作り。

私の都合・・と言えば、
元も子もないが、
助かっていたのでちょっと最近は大変です。

”よく、大きくなるに連れて段々寝なくなるよ”

と聞いた事があるけれど、
そういう時期なのかな?

でも、寝たいのに寝れずにグズグズしている
時間も増えたようです。

なんでかなーー?

___________________________________________

■みかやん。さん■
 面接から楽しく読ませてもらっていました。
 ”休みの日”の後、あやうく見失いそうになった
 ので(汗)思い切ってリンクさせて頂きました。
 どうぞ、よろしくです。

ムショウに・・・

2002年9月5日
私はお菓子、おやつ類の間食は
ほとんどしない。
別に”ダイエット”のために・・・
とかではなくて、
特に必要と感じないからだと思うし、
甘いモノが苦手だと言うコトもある。
(和モノはまぁまぁ出されたりすれば
 食べるけど、ケーキ、チョコ、アイスは
 新製品を1つまみ程度で満足)

しょっぱいお菓子なら、
気が向けば食べるが、自分から封を開けることは
まずない。

そんな私でも、ムショウに
”ポテトチップス”だけは
急に食べたくなる。
それも1袋を1人占めで。

今日がその日だった。
うまかった。

しかし、久しぶりにポテチの袋を開けて
ビックリした。
随分、空気の量が増えたのね?

不運続き・・・

2002年9月2日
昨日、車検に出した我が家のファーストカー。
(セカンドカーは義父の元)
スタンドのワンデー車検で安く済まそうと
したのが、不運の始まりか。

タダで貸してくれるという代車が
帰宅途中にライトを点けると
グッグッグと今にも停まりそうな感じ。

小雨も降って来たのでワイパーを動かすが、
心なしか元気がない。

どうやらバッテリーが上がっていそうな感じ。

なんとか家にたどり着いたのだが、
今朝、ダーちんが出勤に使おうとすると
うんともすんとも言わず。

結局、雨の中、スクーターで行ったダーちん。
(うらむなら、義父と代車をうらむべし)

これじゃ〜車検が仕上がっても、
取りに行く訳にも行かず、
しかたなくスタンドへ電話を入れる。

充電器っていうの?
あの赤と黒のつなぐヤツ・・
アレがないか?と聞かれたが我が家にはない。
ので、スタンドの方が
遠路はるばる我が家にやって来てくれることになった。
(ま、それはお宅がポンコツ車を貸したせいだ、しょうがあるまい)

で、充電してくれ
「3時間くらいエンジン掛けっぱなしにしておいてくださいね」
と言われ、
おまけに1時間の4時間、掛けっぱなしにしてやった。

一端切ってまた掛けてみようとしたが、
かからん。
4時間はなんだったんだ。

そうこうしていると
約束などあったのか、なかったのかわからない
義父が義母を乗せて車を返しに来た。
置いてあった義父の車(キーは自分で持って行ってたので、
我が家でいじることは出来ず)
に充電器があるとのことだったので、
繋いでもらう。

とりあえず、町内を走って見るも
ライトを点けたり、消したりしていたら、
やっぱりバッテリーが上がってしまい、
あわや、路上で停止・・というところを
惰性で我が家の敷地内まで入れる。

こんな代車じゃ、使えねぇ〜よ。

しかも、ワンデー車検なのに、
部品取り寄せだかで
明日の仕上がりになってしまって
ツーデー車検になってしまうという連絡。

またまた、スタンドへ電話して、
「もうこの代車はいらぬ。
 引き取ってください」
と伝える。
あいにく、代車の代車(?)はないそうで
結局、無事戻って来た我が家のセカンドカーで
取りに行くことにして、
このポンコツ代車はど〜にでもして、
引き取ってもらうことにした。
(途中で停まっても私は知らん)

さて、昼に来た義両親。
この太を連れて近くのパークゴルフ場へ行くという。
「1時にはミルクなのでそれまでに帰って来てください」
と告げるも、戻って来たのは2時過ぎ。
腹減り過ぎたのか、
この太は大粒の涙を付け、指をチュ〜チュ〜
吸って私に飛びついてきた。
(かわいそうに、ごめんよ。カアサンが行かせたのが悪かったんだよね・涙)

それから、義父、義母ともゴロ寝。
夕方になり、ナゼか義母を置いて、
再度パークゴルフに行く義父。
(連れて行け〜〜〜〜!!)
義母、やっぱり昼寝。熟睡。少々イビキ。

今、たった今帰って行った・・・涙。

代車はポンコツだわ、
義両親に気疲れするわ、
んもう!踏んだり蹴ったりの週明けだ。

照れるぅ〜〜〜!

2002年9月1日
買い物にスーパーに出掛けた。
以前勤めていた園の近くのスーパー。

私は休日に父母や園児に会うのが
とてもイヤだったので
(休日にまで”先生の顔”するのがイヤだから)
勤めていた時は滅多に行かなかったスーパーだったが、
辞めて何年も経つので、
最近は気にせず行っている。

食料品を買う前に
少し服など見ようかとエレベーターで
上がると、
すぐそこは喫煙&休憩コーナーで
ベンチが4つある。

そこに高校生のカップルが寄り添っている。

「い〜わねぇ〜・・(青春ってかっ?!)」
などと思いつつ、そのカップルの顔を
チラっと見る。

・・・・

もう1度見る。

向こうも見る。

もう1度確かめるように見る。

向こう、笑う。

私もにやける。

「・・・セイコ(仮名)?・・・コウヘイ(仮名)?」

「センセー?」

いやん。幼稚園だった子じゃん。
コウヘイは年中の私のクラスだった子よぉ。

「へーー。そーなんだ。ふ〜ん。そっか」

と私はなんとも意味不明の言葉を言い、
二人はコーラのペットボトルをいじりながら、
ニタニタしている。

「なんでセンセーいるのさ」

セイコは照れて何度もそう言う。

「なんでって買い物だもん」

「じゃ。ごゆっくり」
と私も意味不明なことを言ってその場を後にした。

「へ〜。あのコウヘイが、セイコとねぇ〜・・・」

私は感慨深く4歳の頃のコウヘイとセイコを
思い出していた。

セイコは違うクラスだったけど、
弟が2人居たので、卒園した後もちょくちょく
幼稚園へ来ていた。
面倒見のよい子で活発。
結構アケスケな性格なので、
小学校5年の頃、弟を迎えに来た時の会話は
「先生〜私もう生理来たさぁ〜!」
だった。(笑)

一方、コウヘイはキカナイ癖に泣き虫だった。
喧嘩するけど、弱いからすぐ泣かされて、
怒られて、でも、スリスリしてくる甘えん坊で。

幼稚園で飼っていたヘビの”ペガサス”が
大好きで、よく触っていた。
「逃げるから出したらダメだよ」
って言っても、いつも出して遊んで
「センセイーペガサスどっか行っちゃった!」
って助け求めて来たりした。
(ヘビ嫌いの先生の机から出て来て怒られてた・笑)

ある暑い日、コウヘイがまたペガサスを出して遊んだ後、
ペガサスが行方不明になった。

子ども達が口々に
「コウヘイのせいだ」
と言い出したので、コウヘイは泣きながら
ペガサスを探し出した。
でも、見つからない。
給食の時間になって、
「コウヘイ、もういいよ。コウヘイのせいじゃないよ。ペガサス散歩に行きたかっただけなんだよ」
と私はなだめてみたが、
コウヘイは「探す」と言いはり、
給食を食べようとしない。

「ペガサスもお昼だからどっかで餌探してお昼食べてるって。
コウヘイも給食食べてからもう1回探そう?」

何度目かの呼びかけにやっと探すのを止め、
遅めの給食を食べ始めた私のクラスに、
食べ終えて散歩へ出掛けようとした年長組の子どもが駆け込んできた。

「ペガサスいたよー!!!!
 散歩行こうとしたら、アスファルトのところで
 死んでた!!」

コウヘイ始め、クラス全員の子がいそいで
外へ出ると、年長さんの子の手の中で
干からびて”L”字型に硬直して死んでいるペガサスが居た。(哀)

コウヘイは泣いていた。
「僕のせいだー」って。

ペガサスが大好きで大好きで
その表現方法が”約束だったケースから出さない”
を破ってまでも触れ合う事だっただけ。
野生のヘビだったペガサスを飼い慣らした事によって
ペガサスの野生としての生き方を忘れさせ、
結果、逃げた後、草などがある方向ではなく
アスファルトの方へと歩むペガサスにしたのは
私たちの責任でもある。

「ペガサスは仲間のところへ帰りたかったんだよ。
 幼稚園は楽しいけど、やっぱりおうちがいいんだよ。コウヘイもそうでしょ?」

コウヘイは泣きながら、うなずいた。

園庭に”ペガサスの墓”が作られ、
コウヘイはしばらく日に何度か
ペガサスにお参りしていた。

多分、コウヘイが初めて”死”に直面した出来事だったろうと思う。

・・・・んなことを思いながら

「あのコウヘイがねぇ〜・・セイコとねぇ〜・・」
と私は怪しく思い出し笑いしながら
振り返って2人をもう1度見た。
やっぱり、ペットリくっついたまま、
楽しそうに話している2人がいた。

”青春楽しめよっ!”(少し柳沢シンゴ入り〜の、オバさん入り〜の・汗)
と2人に心の中で叫んだ私。
私の方が照れるっちゅ〜のっ!!!


勘弁してよ。

2002年8月31日
早朝6時、電話が鳴る。
この時間の電話は心臓がドキンとする。

早朝=緊急の図式。
両親とも至近距離には住んでは居るモノの
同居ではないし、
年齢的にも、持病などを考えても
なにかあってもおかしくない。

「なにっ!?誰か倒れたとか?」

必然的にそう考えてしまうものだ。

が、違った。
電話の主は”義父”

「釣り行くから、お前んちの四駆貸してくれ〜」

だと。

もぉ、一気にどっと疲れた。
&腹立つ腹立つ。

だいたい、この義父は、まったくもって
”自己中心的”を絵に描いたようなヤツだ。

どうして、釣りへ行くのが決まっていたのに
前日に連絡しておけばよいものを、
こんな朝こっ早くに電話で言ってくるんだ。

わかってるよ。
どうせ、夜中じゅう、遊び回ってたから
電話する”暇”が無かったんでしょうよ。

この義父は、当年64歳。
そろそろ、静かになってもよいものを、
”夜鷹”。

趣味のパークゴルフを早朝から楽しみ、
日没までパーク三昧。
その後、夜の繁華街へと足を運び
飲めもしないクセにウーロン茶とカラオケと
おしゃべりだけで夜中の1時2時まで
帰って来ない。
これを毎日、続けている。

私たちですら、「30過ぎたら午前様は辛い」
と久しぶりの飲み会ですら、シンデレラ解散するのを
この爺さんは毎日続けているという。

「身体壊すぞ」
という周りの声なぞ、馬の耳に念仏。
ドコ吹く風で一端出て行くと
朝まで帰らない。
携帯も持たずに出掛けるので、
結局親の死に目にも逢えず。
(そんな危険な時くらい家にいろよってくらい)

そのクセ、”ケツが重い”
法事の案内も出さず、
いつも兄弟から怒られる。
(仕出し屋に頼めば、やってくれるのに)

「命日わかってるんだから、空けておけばいいんだ」

という言い分。
(ごもっとも・・・)

お墓に亡くなった婆ちゃんの戒名を彫るよう
促されても、なかなか注文しない。
(義父が彫る訳じゃないんだから、
 ちょっと墓石屋に電話すればいいだけのこと)
2年もほっといて、また兄弟に怒られる。

「なにっ!?お前ら、戒名がなかったら
 参らないとでも言うのかっ!?」
という言い分。
(ごもっとも・・・)

ここをあ〜したらいい、ここはこ〜したらいい、
口では偉そうに色々言うが、
「じゃ〜そうしなよ」
と言っても自分じゃやらない。

ああ・・ここにもジュニアが居たな。
似ている・・・。(怖)
今でこそ、文句言ってるが、
十分アンタも似たような事してることが
多いぞ>ダーちん

とまぁ、上げたらきりがないくらいの爺様だ。

朝6時に起こされて、
「今から取りに行く」
と言われて、来たのが9時。
(20分くらいで来れる距離)
なら、8時半に電話くれよ。

返却予定は日曜午前10時。
だが、ただいま、月曜9時。
いまだ返却されておらんし・・・・。

車よりも、土曜の(私の休日)
睡眠時間を返せーーーーー!!!

と心の中で叫ぶ嫁。(涙)
前にチラっと書いたんだけど、
この太には生まれつき、”副耳”という
イボのようなものが両耳の前に着いている。
左のは、初めて付けるピアス程度の丸いヤツ、
右は数字の”3”ハートを横にしたような感じで
3センチくらいはあるかな、かなり目立つ。

原因はわからないらしいが、
当時(出産後のブルー全開時)は
「私のせいだ。」と1人でこっそり泣いた日も
あった。

今は「着いてて当たり前」みたいな感覚になりつつ
あるけれど、
やっぱり人から
「コレなに?」と聞かれたりすると
”あ〜・・やっぱり気になるよなぁ〜?”
と思う事はある。

ネットで検索したり、病院で話を聞いたりした結果、
やっぱり切除手術をしてあげた方がいいかなって
方向で考えている。

実際に切除した方の体験談なんかも
聞かせてもらう限り、
やはりネックは”低年齢の全身麻酔”らしい。
病院の先生からも「1歳過ぎたらの方が・・」
と言われているし。

ただ、どうせやるのなら、
少しでも綺麗に傷跡を仕上げてくれる先生と
巡り会いたいし、
命を預ける訳だから”信頼”出来る先生に
お願いしたいと思うのが、
初めて芽生えた親心でしょうか。

残念ながら、この辺には
”小児外科”の専門病院も、形成外科の腕のいい先生もいないのが現状です。

ちょうど、先日、札幌の友人の子どもが
ほくろの除去手術をしたという話を聞いて、
状況は違うにせよ、全身麻酔の外科手術なので
色々話を聞く事が出来た。

この太も8ヶ月を過ぎ、私たちもそろそろ
真剣に手術について動き出さなくちゃ行けないなって
思ってたところだったので、
すごく参考になった。

某大学病院で手術されたそうだが、
本当に綺麗に細かく縫ってくれているし、
先生も信頼が高く、手術予約が半年先まで
びっちりらしいのだ。

9月の末に札幌へ行く予定があるので、
その時にその病院へ行って見ることに
昨日ダーちんと決めてみた。

とりあえず、そこで即決というつもりはないのが
今まで漠然と”1歳過ぎたら〜”と思っていたことが
少しは前が見えてこっちにも心構えなんかが
出来るんだろうから。

そんな訳で少しドキドキし始めた私です。
どんな病気であれ、我が子にメスを入れるって事は
本当に身が削られる思い。
親の決断1つでこの太はいろんな思いをする訳だものね。
本当に”責任”を重く感じる。

余談だけれど、
中国の方では”副耳”は”福耳”と呼ばれて、
福を呼ぶ耳として、大事にされているんだとか。
小児科の先生にも
「取るのはもったいないね」
なんて言われた。

少々、愛着も出て来たし、
本当に幸せをいっぱい運んでくれるこの太だし、
ダーちんも昨日、お風呂の中で
「なんか、取ったら幸せ逃げそうだなぁ〜。
 こっち(小さい方)だけでも残そうか」
なんて言っていました。

どっちにせよ、
きちんと先生の話を聞いて、
納得して対処したいと思っています。
今日、お昼に”いいとも”を見ていて
”麻●久仁子”(一応伏せておく・・私の個人的意見なので)
が出ていたんだけど、
私は彼女がうるさくてしゃ〜ない。
&おもしろくもなんともない。

なんでそこで馬鹿ウケするかな〜?ってところで
大袈裟に笑ったり、
そんなにしつこく突っ込むトコじゃないじゃんって
ところでしつこかったり、
とにかく、うるさいし、出しゃばりだし、
”こんなオバサンにはなりたくなーい!!”
と思ってしまう。

30半ばになり、
私もそろそろお年頃。(なんの?笑)
自分がどんな風に熟年期を過ごすのかが
これからの課題かな〜と思って来ている。

へそは出せんが、オバサンルックはイヤ。
だけど、どんどん歳と共に、
似合わない服が増えていく。
見た目もそうだけど、内面だってそう。
行動が”オバサン化”するのだけは
是非避けたいモノだ。
かといって、”何歳なんだ!?”と思われるような
行動もイヤ。

可愛いオバサンは容姿から望めないにしろ、
”格好いいおもしろいオバサン”には
なりたいと思う。

んで、芸能人の私と同年齢以上から
10歳くらい上の方を見ては
「あ〜いう風にはなりたくないな」とか
「あ〜いうのは格好いいよね」とか
「うん。あの笑いを持って行けるオバサンいいな」
(私は決して”お笑い”を目指している訳じゃないが)
とか見ているんだよね。

そこで私の個人的な嗜好で
パスなのが、上記の麻●さん。
あとは、永●美奈子元アナ、榊●郁恵ちゃんあたりかな。

逆に”カッコイイ””素敵””おもろい”
と思うのが、
桃井かおりさんと、室井滋さん。
(伏せないのか・・苦笑)

2人ともエッセイを出しているんだけど、
それも全部読んだけど、
ホント、素敵。
大好きだ。
こんなオバサンになれたら素敵だろうな・・というか、
”自分が楽しいだろうな”
と思う。

ま、相手は芸能人だから、
私が見てる部分に脚色はたくさんあるんだろうけど、
それも踏まえて見ても
私の嗜好はこんな感じです。

※麻●さん、永●さん、榊●さんのファンの方、
 ご本人(見てないか・汗)ごめんなさい。
 あくまでも個人的嗜好ですので、許してね。

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