私には洗濯が待っていた。(泣)
2003年8月11日昨日の疲れが残ったまま、
朝早く出掛けて行ったダーちん。
私も、1人で下ろした荷物が
玄関に置き去りのままで
見るのもいやだが、
ほとんどが濡れモノ。
ほっとくわけにも行かず
洗濯三昧。
この太はなぜか昼寝をせず、
1日を過ごすので、
相手をしながらの洗濯は
本当に大変。
でも、ダーちんには
今回ばかりは愚痴も言えず、
私は私のテリトリーを
しっかりとこなすだけしかない。
今日になって、行方不明の方も
見つかり始めた。
あと1人。
ちょうど、ダーちんが
現場に行った時に1人見つかったそうだ。
会話はその話ばかり。
しかたないよ。
それくらいすごい台風だったのだ。
予定通りもう1泊してきた
家族が無事、帰って来たと連絡が入る。
通行止めだった峠も開通してたが、
10箇所近い土砂崩れや、
流木が道路にまであって、
被害の大きさがわかったって。
本当に恐ろしい。
朝早く出掛けて行ったダーちん。
私も、1人で下ろした荷物が
玄関に置き去りのままで
見るのもいやだが、
ほとんどが濡れモノ。
ほっとくわけにも行かず
洗濯三昧。
この太はなぜか昼寝をせず、
1日を過ごすので、
相手をしながらの洗濯は
本当に大変。
でも、ダーちんには
今回ばかりは愚痴も言えず、
私は私のテリトリーを
しっかりとこなすだけしかない。
今日になって、行方不明の方も
見つかり始めた。
あと1人。
ちょうど、ダーちんが
現場に行った時に1人見つかったそうだ。
会話はその話ばかり。
しかたないよ。
それくらいすごい台風だったのだ。
予定通りもう1泊してきた
家族が無事、帰って来たと連絡が入る。
通行止めだった峠も開通してたが、
10箇所近い土砂崩れや、
流木が道路にまであって、
被害の大きさがわかったって。
本当に恐ろしい。
嵐の3家族旅行記 その2
2003年8月10日■9日の続き■
事前に、子ども達の機嫌、体調は
三人三様。
他の家族に気を遣って、
無理したりしたら、お互い悶々しちゃったり、
余計気にしたりして
楽しめないからって。
団体行動だけど、ライブ中だけは
お互い割り切って、各家族で
判断して、早めに切り上げるなり、
途中抜けするなりしよう!って約束した。
ライブは堪能したいけど、
やっぱり、子連れ。
諦めるときは潔く諦めないと・・・。
1家族は、身体が冷えてきてるからって
7時半に上がって行った。
温泉で温まるって。
私達も一旦、6時半にホテルに戻って
一度、着替えさせて、暖を取って
30分くらいその辺遊ばせて
後半戦に備える事にした。
親馬鹿だけど、
ホント音楽好きの我が家の娘だけあって、
前の姐さん方の振りに合わせて
両手を上下に振ったり、
手拍子したり、曲に合わせて横揺れしたり。
この太なりに楽しんでくれたと思ってます。(汗)
それでも、2家族で
アンコール前に会場を後にして、
歩きながら、アンコールを聞いて
3キロ先のホテル目指しました。
約10キロのこの太をダーちんと
かわりばんこに抱っこしたんだけど、
シートや、バスタオルが雨に濡れて水分あるもんだから、
この太とほぼ変わらぬ重みなの。(泣)
この太でも、荷物でも重いのには
変わらずだし、ゆるいけど坂だから
アキレス腱がパンパンだったけど。
”あの夏の花火”って曲が最後で
花火がたくさん、上がったのを
立ち止まっては見て、歩いて、
また立ち止まっては見て・・・。
ちょうど、ホテルが見えたところで
ライブも終わった。
当初は”暑い夏の夜に夕涼みがてらの熱いライブ”
を想像してたんだけど、
まったく逆ですごいことになっちゃったけど、
これはこれで思い出に出来るさ。
誰も風邪引かなかったし。
終わりよければ、すべて良しとするさ。
(”ライブ”に関しては・・)
ホテルに着いたら、
ちょうど、温泉上がりのT家とエレベーターで会い、
遅いバイキング夕食で待ち合わせ。
私達もシャワー浴びて、夕食へ向かう。
今度は、みんなでビールで乾杯して、
和やか〜に食す。
カニとかあって、結構豪華なバイキングでした。
「明日、どーする〜!?」なんて話して
T家族だけは、もう1泊する予定で
最初から出て来てるが、
我々も、この雨でリゾート内のアトラクションが
出来ないし、もう1泊でもして、
観光しようかー!なんて話していた。
この時点では、かなりお気楽極楽でした。
この太がグズり出したので、
お先に失礼。
理由はおねむさ。
んが!部屋に入った途端、
靴も脱がない。泣いてドアを指さす。
これ・・・この光景どこかで・・・!!!
そう。病院さ。(泣)
ベッドがメインのホテルの1室。
長い廊下。
この太の頭の中には、あの入院生活が
蘇ったんだろうね。
廊下で揺すって寝せろって事なのさ。
案の定、廊下に出ると泣き止んで、
ワタス・・10往復ほどしました。(涙)
アキレス腱が・・・(号泣)
途中で警備員に怪しい目で見られ、
「我が子っすよ!」と心で叫び、
揺すり揺すり、ねんねこよぉーーーー。
睡魔は来てたから、10往復で
済んで良かった。(切実)
寝た頃、部屋の前に行ったら
ダーちんが締めだし食ってて
ドア前でたたずんでました。
それぞれ、ツインを取ってたので
皆、自室に戻ったり、温泉入ったりで
その後は、どうなったかわかんない。
我が部屋で”人生ゲーム”が
寂しそうにしておりました。
っつーか、マジ邪魔!!
12時頃、我々も
意識を無くしてしまいました。
■10日■
ドアをノックする音がするような気がするので
目が覚めた。
気がするだけじゃなく、ノックされてる。
時計を見ると5時半。
誰じゃい!
と思って、ダーちんを起こす。
部屋に入って来たのはSマン(Sパパ)。
お陰でこの太も起床。
(くぅーーーー!泣)
ライブで上がった雨だったが、
普通に降ってた。
まさに”普通”にだったので
台風は逸れたんだと思ってた。
だから、脳天気に寝ていた。
しかし、台風は、
このライブ会場にはかすった程度だったようだが
我々の地元には、直撃していたらしいのだ。
Sマンの携帯に朝5時に地元の関係者から
連絡が入ったのだ。
大変なことになっていると。
それで慌てたSマンは、
すでに着替え、車もホテル前に横付けし、
すぐ出発できる状態だったのだ。
彼ね・・・わかるけど、
ホント、猪突猛進っつーか、
思い立ったら吉日っつーか、
後先考えずに突っ走るっつーか、
責任感からだろうけど、俺が行かないで
誰が行く!っつーか、
とにかく、帰るっつったら、帰る!になってんの。
で、私は冷静に言ったさ。
「待って。もしかしたら、そんな状態なら
道路だってどうなってるか、わかんないじゃん。
(この時点でやっとテレビを着けたけど、
台風情報はやってなかった)
下手に慌てて出発して、私達まで
事故にあったらどうするの?通行止めで
廻り道させられたり、足止め食らったら
時間のロスだよ?
ちゃんと安全に帰路に着く事だって、
考えてもらわなくちゃ困る。
それに、戻ったら、いつ食事が取れるか
だってわかんない。
ちゃんと食べるもの食べて、
出発しないとダメだよ!!」ってね。
それでSマンも少し考えて、
「正論だな」
ってさ。
それから、ダーちんも職場に連絡して
上司にどうしたらよいか指示を仰ぐ。
次に道路情報に確認。
案の定、昨日来た道はすべて通行止め。
もう1つのルートの峠も通行止め。
6時の段階では、
私達は帰る手段が閉ざされてた。
次の道路情報が7時に更新になるので
それまで帰る準備やら、身支度やらして
過ごす。
7時に更新された情報を聞くと
K峠が開通したようで、そっちルートで
帰れそうだという事になった。
本来なら、水族館とか観光してから
帰ろうってくらいの話だったし、
それでもし、遅くなったらもう1泊!?
なんて話してた事は
水となって消えました。
でも、しかたない話。
ダーちん達は、そういう仕事なんだから、
責任があるんだもん。
東に向かうには、そのルートしか
なくなったため、
道路は結構渋滞してた。
加えて、子ども達が車の中ばかりなので、
かなり飽きてきてしまって、
お互いの車を確認すると暴れてるのが
目に入る。
トイレタイムと一緒に、
少し遊ばせてあげたりしたので
余計時間が掛かってしまった。
道中何度か、連絡を取りながら
暗くなる前にやっと地元へ。
荷物も下ろさず、ダーちんは現場へ
行ってしまった。
遠回りで7時間も運転で疲れただろうし、
現場はどんなことになってるか
わかんないから、待ってる方もすごく不安だった。
こうして、怒涛の家族旅行が終わった。
すごい疲れた。
事前に、子ども達の機嫌、体調は
三人三様。
他の家族に気を遣って、
無理したりしたら、お互い悶々しちゃったり、
余計気にしたりして
楽しめないからって。
団体行動だけど、ライブ中だけは
お互い割り切って、各家族で
判断して、早めに切り上げるなり、
途中抜けするなりしよう!って約束した。
ライブは堪能したいけど、
やっぱり、子連れ。
諦めるときは潔く諦めないと・・・。
1家族は、身体が冷えてきてるからって
7時半に上がって行った。
温泉で温まるって。
私達も一旦、6時半にホテルに戻って
一度、着替えさせて、暖を取って
30分くらいその辺遊ばせて
後半戦に備える事にした。
親馬鹿だけど、
ホント音楽好きの我が家の娘だけあって、
前の姐さん方の振りに合わせて
両手を上下に振ったり、
手拍子したり、曲に合わせて横揺れしたり。
この太なりに楽しんでくれたと思ってます。(汗)
それでも、2家族で
アンコール前に会場を後にして、
歩きながら、アンコールを聞いて
3キロ先のホテル目指しました。
約10キロのこの太をダーちんと
かわりばんこに抱っこしたんだけど、
シートや、バスタオルが雨に濡れて水分あるもんだから、
この太とほぼ変わらぬ重みなの。(泣)
この太でも、荷物でも重いのには
変わらずだし、ゆるいけど坂だから
アキレス腱がパンパンだったけど。
”あの夏の花火”って曲が最後で
花火がたくさん、上がったのを
立ち止まっては見て、歩いて、
また立ち止まっては見て・・・。
ちょうど、ホテルが見えたところで
ライブも終わった。
当初は”暑い夏の夜に夕涼みがてらの熱いライブ”
を想像してたんだけど、
まったく逆ですごいことになっちゃったけど、
これはこれで思い出に出来るさ。
誰も風邪引かなかったし。
終わりよければ、すべて良しとするさ。
(”ライブ”に関しては・・)
ホテルに着いたら、
ちょうど、温泉上がりのT家とエレベーターで会い、
遅いバイキング夕食で待ち合わせ。
私達もシャワー浴びて、夕食へ向かう。
今度は、みんなでビールで乾杯して、
和やか〜に食す。
カニとかあって、結構豪華なバイキングでした。
「明日、どーする〜!?」なんて話して
T家族だけは、もう1泊する予定で
最初から出て来てるが、
我々も、この雨でリゾート内のアトラクションが
出来ないし、もう1泊でもして、
観光しようかー!なんて話していた。
この時点では、かなりお気楽極楽でした。
この太がグズり出したので、
お先に失礼。
理由はおねむさ。
んが!部屋に入った途端、
靴も脱がない。泣いてドアを指さす。
これ・・・この光景どこかで・・・!!!
そう。病院さ。(泣)
ベッドがメインのホテルの1室。
長い廊下。
この太の頭の中には、あの入院生活が
蘇ったんだろうね。
廊下で揺すって寝せろって事なのさ。
案の定、廊下に出ると泣き止んで、
ワタス・・10往復ほどしました。(涙)
アキレス腱が・・・(号泣)
途中で警備員に怪しい目で見られ、
「我が子っすよ!」と心で叫び、
揺すり揺すり、ねんねこよぉーーーー。
睡魔は来てたから、10往復で
済んで良かった。(切実)
寝た頃、部屋の前に行ったら
ダーちんが締めだし食ってて
ドア前でたたずんでました。
それぞれ、ツインを取ってたので
皆、自室に戻ったり、温泉入ったりで
その後は、どうなったかわかんない。
我が部屋で”人生ゲーム”が
寂しそうにしておりました。
っつーか、マジ邪魔!!
12時頃、我々も
意識を無くしてしまいました。
■10日■
ドアをノックする音がするような気がするので
目が覚めた。
気がするだけじゃなく、ノックされてる。
時計を見ると5時半。
誰じゃい!
と思って、ダーちんを起こす。
部屋に入って来たのはSマン(Sパパ)。
お陰でこの太も起床。
(くぅーーーー!泣)
ライブで上がった雨だったが、
普通に降ってた。
まさに”普通”にだったので
台風は逸れたんだと思ってた。
だから、脳天気に寝ていた。
しかし、台風は、
このライブ会場にはかすった程度だったようだが
我々の地元には、直撃していたらしいのだ。
Sマンの携帯に朝5時に地元の関係者から
連絡が入ったのだ。
大変なことになっていると。
それで慌てたSマンは、
すでに着替え、車もホテル前に横付けし、
すぐ出発できる状態だったのだ。
彼ね・・・わかるけど、
ホント、猪突猛進っつーか、
思い立ったら吉日っつーか、
後先考えずに突っ走るっつーか、
責任感からだろうけど、俺が行かないで
誰が行く!っつーか、
とにかく、帰るっつったら、帰る!になってんの。
で、私は冷静に言ったさ。
「待って。もしかしたら、そんな状態なら
道路だってどうなってるか、わかんないじゃん。
(この時点でやっとテレビを着けたけど、
台風情報はやってなかった)
下手に慌てて出発して、私達まで
事故にあったらどうするの?通行止めで
廻り道させられたり、足止め食らったら
時間のロスだよ?
ちゃんと安全に帰路に着く事だって、
考えてもらわなくちゃ困る。
それに、戻ったら、いつ食事が取れるか
だってわかんない。
ちゃんと食べるもの食べて、
出発しないとダメだよ!!」ってね。
それでSマンも少し考えて、
「正論だな」
ってさ。
それから、ダーちんも職場に連絡して
上司にどうしたらよいか指示を仰ぐ。
次に道路情報に確認。
案の定、昨日来た道はすべて通行止め。
もう1つのルートの峠も通行止め。
6時の段階では、
私達は帰る手段が閉ざされてた。
次の道路情報が7時に更新になるので
それまで帰る準備やら、身支度やらして
過ごす。
7時に更新された情報を聞くと
K峠が開通したようで、そっちルートで
帰れそうだという事になった。
本来なら、水族館とか観光してから
帰ろうってくらいの話だったし、
それでもし、遅くなったらもう1泊!?
なんて話してた事は
水となって消えました。
でも、しかたない話。
ダーちん達は、そういう仕事なんだから、
責任があるんだもん。
東に向かうには、そのルートしか
なくなったため、
道路は結構渋滞してた。
加えて、子ども達が車の中ばかりなので、
かなり飽きてきてしまって、
お互いの車を確認すると暴れてるのが
目に入る。
トイレタイムと一緒に、
少し遊ばせてあげたりしたので
余計時間が掛かってしまった。
道中何度か、連絡を取りながら
暗くなる前にやっと地元へ。
荷物も下ろさず、ダーちんは現場へ
行ってしまった。
遠回りで7時間も運転で疲れただろうし、
現場はどんなことになってるか
わかんないから、待ってる方もすごく不安だった。
こうして、怒涛の家族旅行が終わった。
すごい疲れた。
嵐の3家族旅行記 その1
2003年8月9日朝、7時出発なので、
6時に起きれば良いと
目覚ましをセットしたが
雨の音で目が5時には覚めた。
予報通りか・・残念。
とりあえず、身支度を整えながら、
最後の荷物を(朝使うモノとかね)
入れたり、車の中で食べる朝食なんかを
やっぱり、1人でバタバタと忙しく
用意しているそばで
ダーちんが「人生ゲームどこよー!どこよー!」
と騒いでいる。
※冬に3家族でコテージに泊まった時に
買ったヤツ。
「そんなのやれる訳ないじゃん!」
と言ったが、
「やれるかもしれないじゃん。どこよー!」
とウルサイので、
仕舞ってある部屋に行って取りに行く。
まったく、いらん仕事を作るヤツだ。
しかも、流し周りも綺麗に
片付けて、万が一のためにコンセントなど
ある程度はずしたりしてるのに
珈琲を落として飲むと言う。
余計な洗い物増やすな、ゴルァ。
6時50分を過ぎ、
集合場所の我が家の駐車場に続々(といっても2家族)
と集まり、「降っちゃったねー」
と言いながら、
少し会議。
もし、ライブ中止なら
ホテルに直行してもホテル自体も
屋外お楽しみリゾートで
なにも出来ないだろうから
屋内で子ども達が楽しめるような場所で
夕方まで遊んでから、ホテル入りしよう、
ということで
「とりあえず、進みますか!」
と覚悟を決めて出発する。
この太は、寝たまま搬送したが、
他2名は起きていたけれど、
出発してしばらくしてまた寝たらしい。
今日の目的はKリゾートで行われるドリのライブ。
決行するかどうかは、
9時半以降にはっきりするらしい。
”雨天決行”だから、原則やるんだったろうけど
相手は台風だからね。
後輩が友人と先入りしてて
すでに7時半には、Kリゾート入り。
現場から、逐一報告を入れてくれてたので
現地の様子はだいたいわかった。
雨は小降りで、風もないそう。
スタッフはすでに配置についてるし、
やるみたいだって。
日高の道の駅でトイレタイム。
ここでもかなりの雨量。
トイレに用がないなら、降りたくないくらいの降り。
(そうそう。ここでどさんこワ○ドでお馴染み?の
”ゲンブ”さんに会った。
「ゲンブさーん」と声掛けたら、「ぁぁ・・」
と身体とは反比例の声の小ささと、愛想のない
態度・・ちょいガッカリした。笑)
高速に乗った途端に
前が見えないほどの雨になり、
ワイパー全開で回しても追いつかないほど。
少し怖くなった。
この辺りで後輩からまた現地リポートが入り、
かなり人は集まってきたけど
子どもらがいるなら、ギリギリに来た方が
良いですよ、風も吹いてきたし。
とアドバイスを受けたので
とりあえず、小樽まで行く事にして
そこでゆっくり昼ご飯にすることにした。
ガイドブックで
”家族連れでも気楽に入れる店”という
前振りがあり、結構一人前の量を食べるようになった
子ども達なので、ガイドブックに書いてあった
”ニコニコなんたらプレート”という
いわゆるお子様ランチのようなものに
引かれて、ある店を選んだ。
新しいガイドブックだったので
”ご来店者全員にビール1杯サービス”の
クーポンもついてたんだけど、
期限は9月までだったもん。
だけど、席についてメニュー見ても“ニコニコ”はない。
聞くと「そのメニューは無くなりました」
って、おいおい・・・。
しばらく、続けてみろよ。
しかたないので、子ども達は、
リゾットを1つ頼んで3等分しようって事で。
私は、昼間から開き直ってビールを。
ダーちんとTパパは、ノンアルコールビールを。(笑)
時間は2時だったんで、
どうしようかって会議。
子ども達を少しデパートで遊ばせてから
入るか、この後走ってチェックインしちゃうか。
昼食べたので、
きっと寝るだろうと予想して
現地を目指す。
小樽から20キロ強だったから、
すぐ着くかと思いきや、
やっぱり、ライブに向かう1本道なので
少し渋滞して、
結局、3時のチェックインと同時にホテル着。
会場は、我々のホテルから3キロ離れた
リゾート内。
すでに雨具を見に着けた人達が集ってる。
ライブは5時半頃からだったけど、
11時半から開場で、
フードブースがあり、
2人のアーティストがそれぞれ考案したカレーライスなんかが
売られていたり、ステージでは
前座(って言うの?今)が何組かやってたし。
ベビーカーもいるいる。
うちらの子どもらはすでにベビーカーでは
大人しくしてないし、
一番チョロチョロかな。
大変なのを連れてきている馬鹿親だね。私達。
こんな雨ん中。
とりあえず、昼寝中の子ども達が
起きるまで、チェックインや、
荷物搬入を済ませて、少しマッタリ。
雨は、強く降ったり、弱まったりと不安定。
ホテルから、会場まではシャトルバスが
出てるので、その時刻を確かめて
ライブ開始に出来るだけギリギリに着くように
(=雨になるだけ当たらないように)
と4時過ぎのバスに乗る。
シート、バスタオル、着替えなどを
背負い、カッパ上下に帽子に長靴、
私とダーちんは、サンダルさ。
寒くはないから、濡れた靴や靴下を
長時間履く方が気持ち悪いから。
5時ちょっと前に着いた時が
一番ヒドイ雨。
私達のファミリーゾーンの上の方に
テントがあり、子連れは雨宿りしてる。
聞くと5時までなら良いよって言われたんで
我々も入れてもらう。
5時になって追い出されて、
いよいよもって雨の中に。
ファミリーったって、この雨で
諦めた人も相当いたようで
一番前が誰でも陣取れる。
柵に6畳のシートを縛り付け屋根にして
なんちゃってテントを作る。
横で、濡れてた小学生と幼稚園児にも
「入りなー」と声掛けてあげたら、
この太は大喜びで「遊んでもられる!」と
中で一緒におやつ食べたり、遊んだりし始めて
くれたけど、他2名はお母さんの顔が
見えないんで不安ですぐ出てきちゃうから、
2人のママは中に一緒に入ってな!といい
私は男濡れ。(笑)
雨降ってたから、すごく待ったように思った。
バスもう1便遅らせれば良かったとか
思ったり。
そして、ライブが始まった。
ちょうど、グリーンゾーンと
ファミリーゾーンの間の通路を
ドリが大行列してステージを目指すから、
間近で久々に見る。(笑)
始まったらダメさ。
私ったら、待ちきれなくて、
この太をラグビーボール並に小脇に
挟んで、猛ダッシュで行列を追いかけちゃった。
(汗)
途中でこの太の買ったばかりの長靴片方
落としてきて、ダーちんに探してきてもらった。
ライブは4年に1度のファンのリクエストでの
選曲だから、聞き馴染みのある曲ばかり。
すっごーーーーーく、最高!
やっぱ、生だよ。
そしたらさ。奇跡??ってくらい雨が上がって
演出?ってくらい綺麗な霧の中の
ライブになったの。
なぜか、5時に出されたテントは
子連れに開放されてたのに気付いたのは
その頃。
でも、もう満員御礼状態で
(2棟くらいしかなかったから)
我々は入れなかったけど。
雨が上がったから、少しずつみんな
芝生に降りてきてたしね。
文字数足りなくなったので、
続きは10日付けに・・・。
6時に起きれば良いと
目覚ましをセットしたが
雨の音で目が5時には覚めた。
予報通りか・・残念。
とりあえず、身支度を整えながら、
最後の荷物を(朝使うモノとかね)
入れたり、車の中で食べる朝食なんかを
やっぱり、1人でバタバタと忙しく
用意しているそばで
ダーちんが「人生ゲームどこよー!どこよー!」
と騒いでいる。
※冬に3家族でコテージに泊まった時に
買ったヤツ。
「そんなのやれる訳ないじゃん!」
と言ったが、
「やれるかもしれないじゃん。どこよー!」
とウルサイので、
仕舞ってある部屋に行って取りに行く。
まったく、いらん仕事を作るヤツだ。
しかも、流し周りも綺麗に
片付けて、万が一のためにコンセントなど
ある程度はずしたりしてるのに
珈琲を落として飲むと言う。
余計な洗い物増やすな、ゴルァ。
6時50分を過ぎ、
集合場所の我が家の駐車場に続々(といっても2家族)
と集まり、「降っちゃったねー」
と言いながら、
少し会議。
もし、ライブ中止なら
ホテルに直行してもホテル自体も
屋外お楽しみリゾートで
なにも出来ないだろうから
屋内で子ども達が楽しめるような場所で
夕方まで遊んでから、ホテル入りしよう、
ということで
「とりあえず、進みますか!」
と覚悟を決めて出発する。
この太は、寝たまま搬送したが、
他2名は起きていたけれど、
出発してしばらくしてまた寝たらしい。
今日の目的はKリゾートで行われるドリのライブ。
決行するかどうかは、
9時半以降にはっきりするらしい。
”雨天決行”だから、原則やるんだったろうけど
相手は台風だからね。
後輩が友人と先入りしてて
すでに7時半には、Kリゾート入り。
現場から、逐一報告を入れてくれてたので
現地の様子はだいたいわかった。
雨は小降りで、風もないそう。
スタッフはすでに配置についてるし、
やるみたいだって。
日高の道の駅でトイレタイム。
ここでもかなりの雨量。
トイレに用がないなら、降りたくないくらいの降り。
(そうそう。ここでどさんこワ○ドでお馴染み?の
”ゲンブ”さんに会った。
「ゲンブさーん」と声掛けたら、「ぁぁ・・」
と身体とは反比例の声の小ささと、愛想のない
態度・・ちょいガッカリした。笑)
高速に乗った途端に
前が見えないほどの雨になり、
ワイパー全開で回しても追いつかないほど。
少し怖くなった。
この辺りで後輩からまた現地リポートが入り、
かなり人は集まってきたけど
子どもらがいるなら、ギリギリに来た方が
良いですよ、風も吹いてきたし。
とアドバイスを受けたので
とりあえず、小樽まで行く事にして
そこでゆっくり昼ご飯にすることにした。
ガイドブックで
”家族連れでも気楽に入れる店”という
前振りがあり、結構一人前の量を食べるようになった
子ども達なので、ガイドブックに書いてあった
”ニコニコなんたらプレート”という
いわゆるお子様ランチのようなものに
引かれて、ある店を選んだ。
新しいガイドブックだったので
”ご来店者全員にビール1杯サービス”の
クーポンもついてたんだけど、
期限は9月までだったもん。
だけど、席についてメニュー見ても“ニコニコ”はない。
聞くと「そのメニューは無くなりました」
って、おいおい・・・。
しばらく、続けてみろよ。
しかたないので、子ども達は、
リゾットを1つ頼んで3等分しようって事で。
私は、昼間から開き直ってビールを。
ダーちんとTパパは、ノンアルコールビールを。(笑)
時間は2時だったんで、
どうしようかって会議。
子ども達を少しデパートで遊ばせてから
入るか、この後走ってチェックインしちゃうか。
昼食べたので、
きっと寝るだろうと予想して
現地を目指す。
小樽から20キロ強だったから、
すぐ着くかと思いきや、
やっぱり、ライブに向かう1本道なので
少し渋滞して、
結局、3時のチェックインと同時にホテル着。
会場は、我々のホテルから3キロ離れた
リゾート内。
すでに雨具を見に着けた人達が集ってる。
ライブは5時半頃からだったけど、
11時半から開場で、
フードブースがあり、
2人のアーティストがそれぞれ考案したカレーライスなんかが
売られていたり、ステージでは
前座(って言うの?今)が何組かやってたし。
ベビーカーもいるいる。
うちらの子どもらはすでにベビーカーでは
大人しくしてないし、
一番チョロチョロかな。
大変なのを連れてきている馬鹿親だね。私達。
こんな雨ん中。
とりあえず、昼寝中の子ども達が
起きるまで、チェックインや、
荷物搬入を済ませて、少しマッタリ。
雨は、強く降ったり、弱まったりと不安定。
ホテルから、会場まではシャトルバスが
出てるので、その時刻を確かめて
ライブ開始に出来るだけギリギリに着くように
(=雨になるだけ当たらないように)
と4時過ぎのバスに乗る。
シート、バスタオル、着替えなどを
背負い、カッパ上下に帽子に長靴、
私とダーちんは、サンダルさ。
寒くはないから、濡れた靴や靴下を
長時間履く方が気持ち悪いから。
5時ちょっと前に着いた時が
一番ヒドイ雨。
私達のファミリーゾーンの上の方に
テントがあり、子連れは雨宿りしてる。
聞くと5時までなら良いよって言われたんで
我々も入れてもらう。
5時になって追い出されて、
いよいよもって雨の中に。
ファミリーったって、この雨で
諦めた人も相当いたようで
一番前が誰でも陣取れる。
柵に6畳のシートを縛り付け屋根にして
なんちゃってテントを作る。
横で、濡れてた小学生と幼稚園児にも
「入りなー」と声掛けてあげたら、
この太は大喜びで「遊んでもられる!」と
中で一緒におやつ食べたり、遊んだりし始めて
くれたけど、他2名はお母さんの顔が
見えないんで不安ですぐ出てきちゃうから、
2人のママは中に一緒に入ってな!といい
私は男濡れ。(笑)
雨降ってたから、すごく待ったように思った。
バスもう1便遅らせれば良かったとか
思ったり。
そして、ライブが始まった。
ちょうど、グリーンゾーンと
ファミリーゾーンの間の通路を
ドリが大行列してステージを目指すから、
間近で久々に見る。(笑)
始まったらダメさ。
私ったら、待ちきれなくて、
この太をラグビーボール並に小脇に
挟んで、猛ダッシュで行列を追いかけちゃった。
(汗)
途中でこの太の買ったばかりの長靴片方
落としてきて、ダーちんに探してきてもらった。
ライブは4年に1度のファンのリクエストでの
選曲だから、聞き馴染みのある曲ばかり。
すっごーーーーーく、最高!
やっぱ、生だよ。
そしたらさ。奇跡??ってくらい雨が上がって
演出?ってくらい綺麗な霧の中の
ライブになったの。
なぜか、5時に出されたテントは
子連れに開放されてたのに気付いたのは
その頃。
でも、もう満員御礼状態で
(2棟くらいしかなかったから)
我々は入れなかったけど。
雨が上がったから、少しずつみんな
芝生に降りてきてたしね。
文字数足りなくなったので、
続きは10日付けに・・・。
またしても大荷物。(涙)
2003年8月8日台風情報とにらめっこしつつも
ホテルも予約してあるし、
ライブも現時点でやるっつーので
アタフタと荷物を作り終えました。
本来、夏の1泊。
荷物など、軽いものでしょう。
しかし、相手は台風。
雨具の果てから、何度着替えするか
わからないための衣類、
いつもはホテルのタオルで十分なのが、
身体を拭くであろうしと
バスタオルもわさわさと入れる。
24度と言う予報だが、
雨にぬれての24度とはいかに・・・?
長T一枚、入れとくか・・
ってな事で
またしても、大荷物。
見るだけでもいやだが、
帰った後を想像するのはもっとイヤ。
そんな中、
友人がうどん屋を開店したので
開店祝いに駆けつける。
拘りのある友人でね。
もともと、某有名食品会社に
勤めたのだが、
その時も
「俺なー。瓶詰めのカレーを作りたいんだよ!
ないだろ?中でゴロゴロ具がはっきり
見えるんだよ!
出来たら買ってくれよ!」
なんて言ってたが、ペーペーのため営業。
そんな矢先、実家のお父さんが急逝。
家業のラーメン店を継ぐことにして帰省。
父の味を継ぐことなく、
自分独自の味を研究しはじめ、
自宅にとうとう製麺所を作り、
麺作りから始める。
それが、急に店を閉め、
餃子とうどんの店(変な取り合わせ・笑)
を開くという。
約2年、奥さんと2人で流木を拾ったり
して、
店の内装工事を2人でやりあげ、
先日まで香港、東京、名古屋、大阪あたりの
餃子、うどんの店を食べ歩き、
今日の開店と相成った。
ホント、おもしろい男です。
ついていく奥さんって人はホントけなげで
良い子なの。
都会育ちでだーれも知り合いのいない
北海道に急に連れてこられて
ラーメン屋のおかみさんよ。
繁華街でやってたから、酔っ払い相手の商売で
昼夜逆転の日々。
そうとう、無銭飲食や、おっかない人達の
処理も奥さんがしてきたそうだ。
今度はうどん屋のおかみさん。
今日、話したら「なんだかねぇー・・・」
って笑ってた。
キモが座ってるわ、この子。
こっちの小麦を100%使った
麺と、餃子の皮が売りなの。
お味はね。
餃子は、うまかった!
にんにく無し、ニラにんにく、大エビ1本尻尾まで
まるごと入ってたエビ餃子は
この太も喜んでかぶりついてたよ。
うどんはね。
ダーちん曰く、値段が気になるみたい。
ざるうどんタイプなのに、750円ってとこが
”ラーメン”より高いって
言うのもネックだって。
自分で打ってるから、形もまだらだし、
素人の私達が家庭で打ったとしたのに
毛が生えた感じかな。
シコシコ腰はあったけど、
ゆでたら硬い部分もあって。
私はラーメン、蕎麦、うどんだったら
うどんが1番に好きなので
嫌いなタイプのうどんではないけど、
1番ではないな。
ま、味の好みは人それぞれだからね。
で、東京の友達から一緒に
開店祝いを贈っといてとパシリにされて
明日の朝食べるパンなどを買って
帰って来てヤレヤレと思ったら
ダーちんが髪を染めると言い出し、
余計な手間。
なんで、1人でなんにも出来ないのに
小うるさいんだろう。
文句だけは1人前以上。うざっ!
ボトル持って「それよけろ」とか言うから
「自分でやれば?」って言ったら
「俺はボトル持ってるだろ」っていうんだよ。
アホか。
ボトル1回置け!
こっちは、荷物も詰めてるんだよ、
手は2つ、身体は1つしかねぇーんだよ。
まったく、使えないわ。
そのくせ、髪流すまでビニール袋
かぶってれ!って言ってるのに
「暑い」だ「苦しい」だって
流す前にビニール袋取っちゃって
「お前がはずせって言った」
とか言いやがる。
耳ほじれ!!
ホーント、邪魔。
たかだか、家族旅行に何、気合入れてんだよ。
修学旅行前に、脱色してるボンズみたいだ。
出掛けるの大好きだけど、
準備と、ダーちんとの言い争いだけは
イヤじゃ!
あ〜あ、せめて明日は台風逸れて
くれないかなぁー。
無理ぽ?
ホテルも予約してあるし、
ライブも現時点でやるっつーので
アタフタと荷物を作り終えました。
本来、夏の1泊。
荷物など、軽いものでしょう。
しかし、相手は台風。
雨具の果てから、何度着替えするか
わからないための衣類、
いつもはホテルのタオルで十分なのが、
身体を拭くであろうしと
バスタオルもわさわさと入れる。
24度と言う予報だが、
雨にぬれての24度とはいかに・・・?
長T一枚、入れとくか・・
ってな事で
またしても、大荷物。
見るだけでもいやだが、
帰った後を想像するのはもっとイヤ。
そんな中、
友人がうどん屋を開店したので
開店祝いに駆けつける。
拘りのある友人でね。
もともと、某有名食品会社に
勤めたのだが、
その時も
「俺なー。瓶詰めのカレーを作りたいんだよ!
ないだろ?中でゴロゴロ具がはっきり
見えるんだよ!
出来たら買ってくれよ!」
なんて言ってたが、ペーペーのため営業。
そんな矢先、実家のお父さんが急逝。
家業のラーメン店を継ぐことにして帰省。
父の味を継ぐことなく、
自分独自の味を研究しはじめ、
自宅にとうとう製麺所を作り、
麺作りから始める。
それが、急に店を閉め、
餃子とうどんの店(変な取り合わせ・笑)
を開くという。
約2年、奥さんと2人で流木を拾ったり
して、
店の内装工事を2人でやりあげ、
先日まで香港、東京、名古屋、大阪あたりの
餃子、うどんの店を食べ歩き、
今日の開店と相成った。
ホント、おもしろい男です。
ついていく奥さんって人はホントけなげで
良い子なの。
都会育ちでだーれも知り合いのいない
北海道に急に連れてこられて
ラーメン屋のおかみさんよ。
繁華街でやってたから、酔っ払い相手の商売で
昼夜逆転の日々。
そうとう、無銭飲食や、おっかない人達の
処理も奥さんがしてきたそうだ。
今度はうどん屋のおかみさん。
今日、話したら「なんだかねぇー・・・」
って笑ってた。
キモが座ってるわ、この子。
こっちの小麦を100%使った
麺と、餃子の皮が売りなの。
お味はね。
餃子は、うまかった!
にんにく無し、ニラにんにく、大エビ1本尻尾まで
まるごと入ってたエビ餃子は
この太も喜んでかぶりついてたよ。
うどんはね。
ダーちん曰く、値段が気になるみたい。
ざるうどんタイプなのに、750円ってとこが
”ラーメン”より高いって
言うのもネックだって。
自分で打ってるから、形もまだらだし、
素人の私達が家庭で打ったとしたのに
毛が生えた感じかな。
シコシコ腰はあったけど、
ゆでたら硬い部分もあって。
私はラーメン、蕎麦、うどんだったら
うどんが1番に好きなので
嫌いなタイプのうどんではないけど、
1番ではないな。
ま、味の好みは人それぞれだからね。
で、東京の友達から一緒に
開店祝いを贈っといてとパシリにされて
明日の朝食べるパンなどを買って
帰って来てヤレヤレと思ったら
ダーちんが髪を染めると言い出し、
余計な手間。
なんで、1人でなんにも出来ないのに
小うるさいんだろう。
文句だけは1人前以上。うざっ!
ボトル持って「それよけろ」とか言うから
「自分でやれば?」って言ったら
「俺はボトル持ってるだろ」っていうんだよ。
アホか。
ボトル1回置け!
こっちは、荷物も詰めてるんだよ、
手は2つ、身体は1つしかねぇーんだよ。
まったく、使えないわ。
そのくせ、髪流すまでビニール袋
かぶってれ!って言ってるのに
「暑い」だ「苦しい」だって
流す前にビニール袋取っちゃって
「お前がはずせって言った」
とか言いやがる。
耳ほじれ!!
ホーント、邪魔。
たかだか、家族旅行に何、気合入れてんだよ。
修学旅行前に、脱色してるボンズみたいだ。
出掛けるの大好きだけど、
準備と、ダーちんとの言い争いだけは
イヤじゃ!
あ〜あ、せめて明日は台風逸れて
くれないかなぁー。
無理ぽ?
雨やめてーっ!
2003年8月7日台風10号が来てるのね。
そろそろ、こっちも雲行きが怪しくなってきた。
週末は、野外ライブの予定。(泣)
ちなみにローカル新聞の予報では
”暴風を伴う雨”となっていて、
いつもは水色の傘マークが何故か
自信有り気に”紺色”である。
しかも、傘が少し斜め。
子連れライブ@野外だからなぁ。
ホント困るわ。
ダーちんは
「みんなでテルテル坊主作れ〜」
と言っていたが、
そんなんで天気になりゃ、
どこの家にも毎日のようにぶら下ってるよ。(呆)
昨日は、とりあえず、
最終打ち合わせと称して3家族母で
集まり、雨だった場合〜とか、
どこへ行く〜とか持ち物は〜?とかを
話し合った。
さながら”修学旅行実行委員会”
みたいなものか。(懐)
雨具や長靴持参だってのは、
当たり前だけど、
小雨と台風じゃ訳が違うもんね。
最悪、ホテルでマッタリするしかね。
大人だけの行動じゃないし。
1歳強の子どもが3人もいるんだから、
諦めるときは諦めないとね。(泣)
大人も雨の野外ライブ経験者は
我が家だけだし、
結構しんどいと思います。
せっかくの仲良し旅行なんだし、
「ムッ」とする場面はない方が良いと思うけど
人間て、腹減ってる時や、眠い時、
道に迷った時、天気が悪い時って
ムシの居所が悪くなる事多いもんね。
人のせいにしたりさ。
(私とダーちんだけか?汗)
台風様、どうか経路を変更するか、
勢力を弱めて下さい。
おねげーしまーす。
■まっぴょん様、ひなひな様■
約1年、更新がございませんので
申し訳ありませんが、お気に入り登録を削除
させて頂きました。
ごめんなさい。
また、復活されたら、是非是非よろしく
お願い致します。
そろそろ、こっちも雲行きが怪しくなってきた。
週末は、野外ライブの予定。(泣)
ちなみにローカル新聞の予報では
”暴風を伴う雨”となっていて、
いつもは水色の傘マークが何故か
自信有り気に”紺色”である。
しかも、傘が少し斜め。
子連れライブ@野外だからなぁ。
ホント困るわ。
ダーちんは
「みんなでテルテル坊主作れ〜」
と言っていたが、
そんなんで天気になりゃ、
どこの家にも毎日のようにぶら下ってるよ。(呆)
昨日は、とりあえず、
最終打ち合わせと称して3家族母で
集まり、雨だった場合〜とか、
どこへ行く〜とか持ち物は〜?とかを
話し合った。
さながら”修学旅行実行委員会”
みたいなものか。(懐)
雨具や長靴持参だってのは、
当たり前だけど、
小雨と台風じゃ訳が違うもんね。
最悪、ホテルでマッタリするしかね。
大人だけの行動じゃないし。
1歳強の子どもが3人もいるんだから、
諦めるときは諦めないとね。(泣)
大人も雨の野外ライブ経験者は
我が家だけだし、
結構しんどいと思います。
せっかくの仲良し旅行なんだし、
「ムッ」とする場面はない方が良いと思うけど
人間て、腹減ってる時や、眠い時、
道に迷った時、天気が悪い時って
ムシの居所が悪くなる事多いもんね。
人のせいにしたりさ。
(私とダーちんだけか?汗)
台風様、どうか経路を変更するか、
勢力を弱めて下さい。
おねげーしまーす。
■まっぴょん様、ひなひな様■
約1年、更新がございませんので
申し訳ありませんが、お気に入り登録を削除
させて頂きました。
ごめんなさい。
また、復活されたら、是非是非よろしく
お願い致します。
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ちょっとドキドキ。
2003年8月6日今日は母の再検査の日。
疑い以来、さほど沈んだり、
不安になったりする様子はなかったが
(いや、あったのかもしれないが
離れて暮すようになって、やっぱり
感じとれない部分も多くなったかもしれない)
やはり、心中穏やかではないだろう。
私だって、ドキドキ心配している。
あ、でも
日曜にちょっと2人きりになった時、
「どうなるかわからない」とか
「65までは生きたい」とか
「年金を早めにもらっちゃって元気なうちに
使いたい」とか
そんな話をしたので、
「そんなお金を使ってやろうなんて考えてる
ヒトがすぐ死ぬわけないから、安心しな!」
と憎まれ口半分に笑い飛ばしてやった。
母も色々、考えるところはあったのだろう。
今日は、妹が付き添って行くと言うので
(母は付き添いはいらないと言ってるがね)
やっぱり、結果は速報で聞きたいし、
お願いすることにした。
午前中はドキドキだ・・・。
_______________________
日記を書こうにも書けなかったわん。
皆さん、更新してたようだけど、
引越し順?
それとも、アド手打ちかな?
私は送信するところでアド手打ちも
虚しくだった。(涙)
___________________________________________
母の結果は異常なしでした。(安堵)
やっぱりね。と言って良いのか、
年齢的にも、これから父も母も
色々出て来るだろうしね。
今回は、良かったけど、
実際、私だって、ダーちんだって
わからない。
いい歳でもあるし、明日の事は
わかんないもんね。人間なんて。
今日は4時起きだったんで
さすがにすでに眠い(ただいま、9時半)
午後から、安心して
S君ちへの集会(笑)へ出掛けたし、
夜は、今日で最終日の源氏ホタルの鑑賞会、
そして、今、温泉から帰ったばかり。
(温泉で一杯引っ掛けた・笑)
そうそう。温泉で、今日は私と入ると
ダダをこねたこの太。
なんだか、落ち着き無くてイヤだったんだけど
案の定、私が片手で押さえてるにも
関わらず、振り払ってどっかへ行こうとした瞬間、
転倒して、後頭部をぶつけた。(焦)
慌てて、抱っこして頭を確かめたら
少しタンコブ出来て、赤くなってた。
大丈夫かなー。
少し泣いた後、すぐ泣き止んで、
着替えてからは元気に遊ぶところで
遊び出したし、
機嫌は良いし。
頭をぶつけたら、やっぱりどんな状況でも
病院??
難しい・・・。
判断間違いたくないけど、
大袈裟にもなぁ〜と思うし。
とにかく、様子見。
お互い(私とこの太)今日は
睡眠不足で注意力散漫なのだ。(反省)
気をつけないと。
暑さも今日までだって。
明日からは雨。
土曜は、3家族でお出かけなのに
新聞じゃ「暴風を伴う雨」って書いてあるよ。(泣)
誰だ。雨男or雨女。
皆さんへの秘密は8月5日分日記に
書いてます。
■さくらさん■
お気に入り登録ありがとうございます。
相互にさせて頂きますね。
どうぞ、よろしくお願い致します。
疑い以来、さほど沈んだり、
不安になったりする様子はなかったが
(いや、あったのかもしれないが
離れて暮すようになって、やっぱり
感じとれない部分も多くなったかもしれない)
やはり、心中穏やかではないだろう。
私だって、ドキドキ心配している。
あ、でも
日曜にちょっと2人きりになった時、
「どうなるかわからない」とか
「65までは生きたい」とか
「年金を早めにもらっちゃって元気なうちに
使いたい」とか
そんな話をしたので、
「そんなお金を使ってやろうなんて考えてる
ヒトがすぐ死ぬわけないから、安心しな!」
と憎まれ口半分に笑い飛ばしてやった。
母も色々、考えるところはあったのだろう。
今日は、妹が付き添って行くと言うので
(母は付き添いはいらないと言ってるがね)
やっぱり、結果は速報で聞きたいし、
お願いすることにした。
午前中はドキドキだ・・・。
_______________________
日記を書こうにも書けなかったわん。
皆さん、更新してたようだけど、
引越し順?
それとも、アド手打ちかな?
私は送信するところでアド手打ちも
虚しくだった。(涙)
___________________________________________
母の結果は異常なしでした。(安堵)
やっぱりね。と言って良いのか、
年齢的にも、これから父も母も
色々出て来るだろうしね。
今回は、良かったけど、
実際、私だって、ダーちんだって
わからない。
いい歳でもあるし、明日の事は
わかんないもんね。人間なんて。
今日は4時起きだったんで
さすがにすでに眠い(ただいま、9時半)
午後から、安心して
S君ちへの集会(笑)へ出掛けたし、
夜は、今日で最終日の源氏ホタルの鑑賞会、
そして、今、温泉から帰ったばかり。
(温泉で一杯引っ掛けた・笑)
そうそう。温泉で、今日は私と入ると
ダダをこねたこの太。
なんだか、落ち着き無くてイヤだったんだけど
案の定、私が片手で押さえてるにも
関わらず、振り払ってどっかへ行こうとした瞬間、
転倒して、後頭部をぶつけた。(焦)
慌てて、抱っこして頭を確かめたら
少しタンコブ出来て、赤くなってた。
大丈夫かなー。
少し泣いた後、すぐ泣き止んで、
着替えてからは元気に遊ぶところで
遊び出したし、
機嫌は良いし。
頭をぶつけたら、やっぱりどんな状況でも
病院??
難しい・・・。
判断間違いたくないけど、
大袈裟にもなぁ〜と思うし。
とにかく、様子見。
お互い(私とこの太)今日は
睡眠不足で注意力散漫なのだ。(反省)
気をつけないと。
暑さも今日までだって。
明日からは雨。
土曜は、3家族でお出かけなのに
新聞じゃ「暴風を伴う雨」って書いてあるよ。(泣)
誰だ。雨男or雨女。
皆さんへの秘密は8月5日分日記に
書いてます。
■さくらさん■
お気に入り登録ありがとうございます。
相互にさせて頂きますね。
どうぞ、よろしくお願い致します。
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寒い、暑いの手加減して。
2003年8月5日今年は本当に暑い夏は来ないのかと
思っていたら、
(ローカル新聞にも”夏は来ない!”と書いてあった)
キターーーーーーっ!!
ここ2日間30度だ。(正確には、昨日が28度で今日が30度)
暑い日に「暑い暑い」とダーちんに
連呼されると「うざい」が、
やっぱ、暑い夏には「暑い」というのが
似合うねー。(なんのこっちゃ)
いや、ホント「暑い暑い」って
しつこく言うのも、夏ならではさって事で。
しかし、一気に来ると
北国育ちには、クルんだよねー。
「徐々に」プリーズ。
前日まで、寒くてトレーナーとか
着てたのが、今日はノースリーブでも良いっていうのは
身体がついて行きません。
一気に食欲とかにも影響するし。
それでも、短い夏、つかの間の夏を
満喫すべく、
この太も支援センターのプール遊びに参加。
これがビニールハウスで
囲ってあるもんで、一緒に入る私ら親は酸欠状態。
まるでサウナ。
もちろん、水着はつけずに
半袖、短パン、首には手ぬぐいという
お約束(?)な姿なんだけど、
みんなで「痩せそう〜」「サランラップでも
巻いて入りますか!(古い技・苦笑)」
なんて言ってました。
私は結構、閉所恐怖症なところがあるので
「息苦しい」のは勘弁だが、
この太から目を離すわけにも行かず、
必死に耐えてました。
くるちーーーーーっ。
40分間だったけど、
最初は、子ども達の様子を実況して
談笑してた母達も、次第に言葉を失い、
久しぶりに口を開いたMちゃん母は
「先生・・・まだ40分経ちませんか?」
だった。(笑)
いつもより疲れたであろう午前中なのに、
この太は今日も昼寝をする気配がない。
なので、デパートへ連れて行き、
遊ぶ。
いくら、暑くてもずっと外にいるのも
危ないよね。
(私も・・汗)
買い物もあったし。
なんとか道中の車の中では寝てたので
やっぱり、寝苦しいよね、暑い中だと。
(こういう時、デパートまで60キロは
良い距離だ。笑)
夜は、ジンギスカンとビールで
ダーちんと2人、なんちゃってビアガーデンで
夏を満喫した。
思っていたら、
(ローカル新聞にも”夏は来ない!”と書いてあった)
キターーーーーーっ!!
ここ2日間30度だ。(正確には、昨日が28度で今日が30度)
暑い日に「暑い暑い」とダーちんに
連呼されると「うざい」が、
やっぱ、暑い夏には「暑い」というのが
似合うねー。(なんのこっちゃ)
いや、ホント「暑い暑い」って
しつこく言うのも、夏ならではさって事で。
しかし、一気に来ると
北国育ちには、クルんだよねー。
「徐々に」プリーズ。
前日まで、寒くてトレーナーとか
着てたのが、今日はノースリーブでも良いっていうのは
身体がついて行きません。
一気に食欲とかにも影響するし。
それでも、短い夏、つかの間の夏を
満喫すべく、
この太も支援センターのプール遊びに参加。
これがビニールハウスで
囲ってあるもんで、一緒に入る私ら親は酸欠状態。
まるでサウナ。
もちろん、水着はつけずに
半袖、短パン、首には手ぬぐいという
お約束(?)な姿なんだけど、
みんなで「痩せそう〜」「サランラップでも
巻いて入りますか!(古い技・苦笑)」
なんて言ってました。
私は結構、閉所恐怖症なところがあるので
「息苦しい」のは勘弁だが、
この太から目を離すわけにも行かず、
必死に耐えてました。
くるちーーーーーっ。
40分間だったけど、
最初は、子ども達の様子を実況して
談笑してた母達も、次第に言葉を失い、
久しぶりに口を開いたMちゃん母は
「先生・・・まだ40分経ちませんか?」
だった。(笑)
いつもより疲れたであろう午前中なのに、
この太は今日も昼寝をする気配がない。
なので、デパートへ連れて行き、
遊ぶ。
いくら、暑くてもずっと外にいるのも
危ないよね。
(私も・・汗)
買い物もあったし。
なんとか道中の車の中では寝てたので
やっぱり、寝苦しいよね、暑い中だと。
(こういう時、デパートまで60キロは
良い距離だ。笑)
夜は、ジンギスカンとビールで
ダーちんと2人、なんちゃってビアガーデンで
夏を満喫した。
七夕祭り。
2003年8月4日昨日の大雨とはうってかわって
今日は晴天。
この太は珍しく10時頃まで
寝ていたので
イヤな予感はしたが、
案の定、昼寝をしようとしなかった。
しかたがないので、
公園の噴水で遊ぶ事にする。
噴水の輪をくぐろうとして、
頭を途中であげてしまい、
大パニックになったりしてたが、
夏の少ない北海道では
プールでも行かなければ
水遊びもなかなか出来ないので
すぐにはダイナミックには遊べないよう。
(性格もあるかもしれないし)
小1時間遊んで、
もういいだろう(疲れただろう、眠いだろう)
と家に戻ると
私に昨晩の寝不足で軽い頭痛と
睡魔が襲い出したので
添い寝タイプで昼寝を始めようとするが、
一向に寝る気配がない。
意外と狸寝入りをすると
諦めて寝る体制に入る事があるので
しばらく、狸寝入りで様子を見てたら
いつのまにか、マジ寝をしてました。(汗)
この太にボールをバシバシぶつけて
起こされた。(笑)
結局、夕方ダーちんが
帰って来るまで起きてたので、
しかたないので、
今日から始まった七夕祭りに出掛けることにした。
(この地方は1ヶ月遅れの8月7日が七夕)
昨日、買って母にアゲをしてもらった
おニューの浴衣を着せると
「かわいー」「かわいー」「かわいー」
としつこく喜んでいた。
1歳でも、女よのぉー。(笑)
あの、子ども用の帯が気に入ったみたい。
赤いしね。
そのそばで同じく、昨日買った
ユニ○ロ1000円のカーゴパンツを履いた
ダーちんが
「これいいー」「はきやすいー」「これいいー」
「はきやすいー」
とこちらもしつこく喜んでいた。
・・・・・前言撤回。(女よのぉーのくだり)
遺伝のようだ。
7時頃には、初日の平日のしかも月曜ってことが
人も少なかった。
まず、暑いので生ビールを片手に(呆)
飾りも出店もスムーズに見れた。
出店の1つでおでんや、おにぎり、うどんなどを
やってる座り席を設けた店があったので
そこで夕食を取る事にした。
この太も喜んで、スダレのようになってる
飾りをくぐって遊んでいたのを
ほほえましく見ていたその時、
私のお腹に異変。
来た・・・・。
しかし、トイレが見当たらない。
というか、簡易トイレの設置もないので
どこかお店のトイレを利用せねばならない。
しかし、どこも小さな店舗ばかり。
あっても1つ。
これじゃオチオチ座れない。
イヤな汗をぬぐいながら
考えていると、そういえば少し先に
パチンコ屋がある。
あそこなら、思う存分出来る(汚)のではと
思い、足早に目指す。
案の定、閑古鳥がないているような客だけしか居ず
その割にトイレは綺麗だし、
しばらく誰も来る気配もない。
・・・・ふぅ〜・・・・・
第1次ビッグウェーブを乗りこなした。
さてと・・戻るか!と思った時、
そうだ、もう万札しかないから、
出店で大きいの出すのは好きじゃないので
ここで両替しちゃおう!と思い、
両替機を探し、お金を両替。
そして、出口を目指そうとした時、また来た!
回れ〜右!として再びトイレで波乗り。
これがかなり強烈で、
かなりの時間を使ってしまった。
すっかり、青冷めて出て来た私。
なんとか2人を置いてきた場所に戻るが
2人はいない。
携帯で連絡を取り、やっと合流したが
もう二度と腹にモノを入れてはいけない!!
という状態で両替したお金は
使わずじまいだった。
近くに叔母の家があるので、
この太はすごい汗をかいていて
きっと、車の中で寝てしまうだろうと
思ったので、
シャワーを借りて、浴衣を着替えて
寝る態勢を作らせてもらった。
案の定、帰り道で寝てしまった
そのまま、ベッドへ直行した。
12時間も起きてました、この子・・・。
私の腹は帰り道に小さな波が来たが
なんとか紛らわして、家まで間に合った。
生→あつあつうどん→缶緑茶の一気飲み・・・
これが私が波乗りをしてしまった原因だろう。(泣)
今日は晴天。
この太は珍しく10時頃まで
寝ていたので
イヤな予感はしたが、
案の定、昼寝をしようとしなかった。
しかたがないので、
公園の噴水で遊ぶ事にする。
噴水の輪をくぐろうとして、
頭を途中であげてしまい、
大パニックになったりしてたが、
夏の少ない北海道では
プールでも行かなければ
水遊びもなかなか出来ないので
すぐにはダイナミックには遊べないよう。
(性格もあるかもしれないし)
小1時間遊んで、
もういいだろう(疲れただろう、眠いだろう)
と家に戻ると
私に昨晩の寝不足で軽い頭痛と
睡魔が襲い出したので
添い寝タイプで昼寝を始めようとするが、
一向に寝る気配がない。
意外と狸寝入りをすると
諦めて寝る体制に入る事があるので
しばらく、狸寝入りで様子を見てたら
いつのまにか、マジ寝をしてました。(汗)
この太にボールをバシバシぶつけて
起こされた。(笑)
結局、夕方ダーちんが
帰って来るまで起きてたので、
しかたないので、
今日から始まった七夕祭りに出掛けることにした。
(この地方は1ヶ月遅れの8月7日が七夕)
昨日、買って母にアゲをしてもらった
おニューの浴衣を着せると
「かわいー」「かわいー」「かわいー」
としつこく喜んでいた。
1歳でも、女よのぉー。(笑)
あの、子ども用の帯が気に入ったみたい。
赤いしね。
そのそばで同じく、昨日買った
ユニ○ロ1000円のカーゴパンツを履いた
ダーちんが
「これいいー」「はきやすいー」「これいいー」
「はきやすいー」
とこちらもしつこく喜んでいた。
・・・・・前言撤回。(女よのぉーのくだり)
遺伝のようだ。
7時頃には、初日の平日のしかも月曜ってことが
人も少なかった。
まず、暑いので生ビールを片手に(呆)
飾りも出店もスムーズに見れた。
出店の1つでおでんや、おにぎり、うどんなどを
やってる座り席を設けた店があったので
そこで夕食を取る事にした。
この太も喜んで、スダレのようになってる
飾りをくぐって遊んでいたのを
ほほえましく見ていたその時、
私のお腹に異変。
来た・・・・。
しかし、トイレが見当たらない。
というか、簡易トイレの設置もないので
どこかお店のトイレを利用せねばならない。
しかし、どこも小さな店舗ばかり。
あっても1つ。
これじゃオチオチ座れない。
イヤな汗をぬぐいながら
考えていると、そういえば少し先に
パチンコ屋がある。
あそこなら、思う存分出来る(汚)のではと
思い、足早に目指す。
案の定、閑古鳥がないているような客だけしか居ず
その割にトイレは綺麗だし、
しばらく誰も来る気配もない。
・・・・ふぅ〜・・・・・
第1次ビッグウェーブを乗りこなした。
さてと・・戻るか!と思った時、
そうだ、もう万札しかないから、
出店で大きいの出すのは好きじゃないので
ここで両替しちゃおう!と思い、
両替機を探し、お金を両替。
そして、出口を目指そうとした時、また来た!
回れ〜右!として再びトイレで波乗り。
これがかなり強烈で、
かなりの時間を使ってしまった。
すっかり、青冷めて出て来た私。
なんとか2人を置いてきた場所に戻るが
2人はいない。
携帯で連絡を取り、やっと合流したが
もう二度と腹にモノを入れてはいけない!!
という状態で両替したお金は
使わずじまいだった。
近くに叔母の家があるので、
この太はすごい汗をかいていて
きっと、車の中で寝てしまうだろうと
思ったので、
シャワーを借りて、浴衣を着替えて
寝る態勢を作らせてもらった。
案の定、帰り道で寝てしまった
そのまま、ベッドへ直行した。
12時間も起きてました、この子・・・。
私の腹は帰り道に小さな波が来たが
なんとか紛らわして、家まで間に合った。
生→あつあつうどん→缶緑茶の一気飲み・・・
これが私が波乗りをしてしまった原因だろう。(泣)
いつもの日曜。
2003年8月3日久しぶりだー!と思うほど
普通の日曜だ。
しいていえば、ダーちんがゴルフに行った事と
大雨だっつーこと?(笑)
午前中をいつも通り過ごし、
昼から帰って来たダーちんを従えて
買い物へ。
この太の浴衣を買うのがメイン。
去年はねんねちゃんだったので
甚平だったが、今年は歩くので
浴衣を着せてあげたくて。
お祭り好きな我が家なので
着る機会も多いしねん。
途中、隣町のお祭りが大きいので
この雨の中、やるのかな〜
やる訳ないよね〜といいつつ、
会場前に行くと準備している。
警備のおじさんに「花火もやるんですか?」
と聞くと
「やるらしいよ」という。
この時点で本当にかなりの降りっぷりなのに。
「すっげーなー!誰が決行を判断したんだろ。
潔いなー!」などの感想を言いつつも
帰りに車の中からでも見ようねー!と話す。
去年、日本で5本の指に入ると言われている
我が市の花火大会で
事故があり、小学生の女の子が亡くなってしまった。
(去年の日記にも書いたハズね)
それで今年は中止になってしまったので
花火が見れる機会が少ないので
雨でもちょっと見たい気持ちがあった。
浴衣メインだったのが、
ダーちんが「俺もあの最近はやってる
短パンだけど、中途半端に長めのあのパンツが
欲しい」
と言い出し、最初は
「入院中見たのは、”アディ○スとかナ○キとかの
だった」
とほざいたが、
「ユニ○ロでもいいよ」と言うので
ユニ○ロへ行った。
ちょうど、バーゲンの残り香があり、
その中から、「こんなのでいいんだ」というのを
見つけてきたので、安く済んだ。
この太にもキャミとパンツのセットが
500円だったので、買い。
あと、ダーちんの半袖シャツを2枚買わされた。
それから、浴衣を見て
もう時期的に終わりに近いのと
子どものは、なかなか選ぶだけの量も品もない。
まして、1歳児だから。
着物、浴衣に知識はないので
よくわかんないけど、
子ども特有のあの生地のは、イヤで
(白くてつまんであるような押してあるような
模様の)
大人と同じ生地のを見てると
値段もそれなりにするのね。
1歳〜2歳っていうのを見たら
かなりアゲをしないと大きくて
これなら3歳でも着れそうと思い、
どうせならとそっちを買った。
それでも、値下げ時期だったので20%引きで
助かった。
すぐに七夕祭りも来るので
実家に電話をして
在宅を確認して、アゲをしてもらうべく実家へ。
(すんません。私にゃー出来ません・恥)
子どもは短いくらいが可愛いと母も言うので
これは3歳までは大丈夫じゃない?と
言われて、安堵する。
これくらい出来ないと将来ヤバイなと
まじまじと母の手先を見て、
アゲの仕方を観察だけはしておいた。
しばらく、実家でジイバアに遊んでもらって
いると
雨も小降りになり、
「いっやー。いい判断だ」と
また、祭り主催者を何様状態で誉め、
花火を鑑賞目指して出発した。
会場には、雨が上がったと同時に来たと
思われる客で賑わい、
出店もラストスパートで売り出してたので
去年は遅い時間だとなにも残ってなかったのが
今年はまだ、なにかかにか買えるようだ。
花火は残念ながら、
雨が上がったとはいえ、ひどい霧で
雲りがかっていたが、
フィナーレあたりの連打はすごく強烈だった。
寒いけど、お祭りがあると
「夏だのぉー」という気分になる。
ワクワク!!
普通の日曜だ。
しいていえば、ダーちんがゴルフに行った事と
大雨だっつーこと?(笑)
午前中をいつも通り過ごし、
昼から帰って来たダーちんを従えて
買い物へ。
この太の浴衣を買うのがメイン。
去年はねんねちゃんだったので
甚平だったが、今年は歩くので
浴衣を着せてあげたくて。
お祭り好きな我が家なので
着る機会も多いしねん。
途中、隣町のお祭りが大きいので
この雨の中、やるのかな〜
やる訳ないよね〜といいつつ、
会場前に行くと準備している。
警備のおじさんに「花火もやるんですか?」
と聞くと
「やるらしいよ」という。
この時点で本当にかなりの降りっぷりなのに。
「すっげーなー!誰が決行を判断したんだろ。
潔いなー!」などの感想を言いつつも
帰りに車の中からでも見ようねー!と話す。
去年、日本で5本の指に入ると言われている
我が市の花火大会で
事故があり、小学生の女の子が亡くなってしまった。
(去年の日記にも書いたハズね)
それで今年は中止になってしまったので
花火が見れる機会が少ないので
雨でもちょっと見たい気持ちがあった。
浴衣メインだったのが、
ダーちんが「俺もあの最近はやってる
短パンだけど、中途半端に長めのあのパンツが
欲しい」
と言い出し、最初は
「入院中見たのは、”アディ○スとかナ○キとかの
だった」
とほざいたが、
「ユニ○ロでもいいよ」と言うので
ユニ○ロへ行った。
ちょうど、バーゲンの残り香があり、
その中から、「こんなのでいいんだ」というのを
見つけてきたので、安く済んだ。
この太にもキャミとパンツのセットが
500円だったので、買い。
あと、ダーちんの半袖シャツを2枚買わされた。
それから、浴衣を見て
もう時期的に終わりに近いのと
子どものは、なかなか選ぶだけの量も品もない。
まして、1歳児だから。
着物、浴衣に知識はないので
よくわかんないけど、
子ども特有のあの生地のは、イヤで
(白くてつまんであるような押してあるような
模様の)
大人と同じ生地のを見てると
値段もそれなりにするのね。
1歳〜2歳っていうのを見たら
かなりアゲをしないと大きくて
これなら3歳でも着れそうと思い、
どうせならとそっちを買った。
それでも、値下げ時期だったので20%引きで
助かった。
すぐに七夕祭りも来るので
実家に電話をして
在宅を確認して、アゲをしてもらうべく実家へ。
(すんません。私にゃー出来ません・恥)
子どもは短いくらいが可愛いと母も言うので
これは3歳までは大丈夫じゃない?と
言われて、安堵する。
これくらい出来ないと将来ヤバイなと
まじまじと母の手先を見て、
アゲの仕方を観察だけはしておいた。
しばらく、実家でジイバアに遊んでもらって
いると
雨も小降りになり、
「いっやー。いい判断だ」と
また、祭り主催者を何様状態で誉め、
花火を鑑賞目指して出発した。
会場には、雨が上がったと同時に来たと
思われる客で賑わい、
出店もラストスパートで売り出してたので
去年は遅い時間だとなにも残ってなかったのが
今年はまだ、なにかかにか買えるようだ。
花火は残念ながら、
雨が上がったとはいえ、ひどい霧で
雲りがかっていたが、
フィナーレあたりの連打はすごく強烈だった。
寒いけど、お祭りがあると
「夏だのぉー」という気分になる。
ワクワク!!
戻って来ました。
2003年8月2日この一週間で、
随分この太の生活スタイルは
元通りになりつつある。
お手伝いみたいなことも
前のようにやりたがったりするし、
おもちゃの片付けや、
自分の脱いだ服を脱衣かごに入れたりと
そんなことも退院当初は
投げつけたり、イヤイヤをしたり
してたが、
今週後半になってまた、進んでやるようになって来た。
それでも、支援センターに
遊びに行くと、些細なことで
すぐ飛びついてきて「ヘーンヘーン」と鼻を
鳴らしたりすることはまだある。
先生達も
以前のこの太とちょっと違うので
「やっぱりちょっと泣き虫になったねー」
と言ってました。
しかたないさね。
あと、歩かなくなった事かなー。
外に出るとどこでも行きたいので
抱っこしてあげようとしても
イヤがったりする子だったんだけど、
最近はすぐ、抱っこを要求する。
そんなところでしょうか。
テープで貼ってある傷口は
はがれるまで取り替えないでって
言われてるので
まだ1度も替えてません。
なので、見てないんだけど、
特に耳に手を持って行く事もないので、
痛くもかゆくも、いずくもないんでしょう。
ありがたい事です。
夕方、スーパーのお祭りがあったので
ちらっと覗きました。
小雨が降ってたのですが、
結構な人でした。
例の牛肉のビーフシチューが売ってたので
食べた。
ウマ。
あと、ステーキも。(ウマ2)
300円と500円でしたが。
(今回はタダではなかった・汗)
明日、ダーちんが久々のゴルフに行きたいと
言うので、快く承諾。
だって、明日、雨予報だもん。(鬼)
随分この太の生活スタイルは
元通りになりつつある。
お手伝いみたいなことも
前のようにやりたがったりするし、
おもちゃの片付けや、
自分の脱いだ服を脱衣かごに入れたりと
そんなことも退院当初は
投げつけたり、イヤイヤをしたり
してたが、
今週後半になってまた、進んでやるようになって来た。
それでも、支援センターに
遊びに行くと、些細なことで
すぐ飛びついてきて「ヘーンヘーン」と鼻を
鳴らしたりすることはまだある。
先生達も
以前のこの太とちょっと違うので
「やっぱりちょっと泣き虫になったねー」
と言ってました。
しかたないさね。
あと、歩かなくなった事かなー。
外に出るとどこでも行きたいので
抱っこしてあげようとしても
イヤがったりする子だったんだけど、
最近はすぐ、抱っこを要求する。
そんなところでしょうか。
テープで貼ってある傷口は
はがれるまで取り替えないでって
言われてるので
まだ1度も替えてません。
なので、見てないんだけど、
特に耳に手を持って行く事もないので、
痛くもかゆくも、いずくもないんでしょう。
ありがたい事です。
夕方、スーパーのお祭りがあったので
ちらっと覗きました。
小雨が降ってたのですが、
結構な人でした。
例の牛肉のビーフシチューが売ってたので
食べた。
ウマ。
あと、ステーキも。(ウマ2)
300円と500円でしたが。
(今回はタダではなかった・汗)
明日、ダーちんが久々のゴルフに行きたいと
言うので、快く承諾。
だって、明日、雨予報だもん。(鬼)
無事、終了。
2003年7月30日26日に退院。
今日、抜糸のため
日帰りで外来へ行って来ました。
疲れた。
本当は今日、明日まで
入院してた方が良いのを
「退院してもいいのよ」
の一言で逃げ帰って来た我が家。
今日は本来なら、再入院、再全身麻酔で
抜糸する予定だったらしいが
(年齢が低いので抜糸で暴れてしまうらしいので)
ドクターが
我々が遠路はるばる行き来するのを
考慮してくれたりして、
なんとか”睡眠シロップ”で
眠らせてる間に抜糸という作戦で
外来処置で済ませてもらえることになった。
んが。
この”睡眠シロップ”が曲者だった。(泣)
30分で眠くなり、効力は3時間ほどと
聞いていたが、
どんなに静かな場所でゆすろうが、
抱っこしようが、この太には睡魔が
訪れなかった。
朝、5時に出て車の中で8時まで寝ていて
ついてすぐ”睡眠シロップ”
彼女は全然疲れてもいないし、
眠さもないのだ。
「遊びたいー!」「動きたいー!」
が先に立ってしまったようで
抱っこしてても暴れる泣き叫ぶ。
1時間くらいで効いてはきてるようだが、
絶対、起きてよう!!とするチカラが
働くようで、その意図的な眠さと
起きて居たい本能との戦いで
この太はすっかり錯乱状態。
まるで虐待でもしてるかのよう。(助けてー)
効いてくると歩かせるとフラフラしてしまって
転んだり、頭を打ち付けたりして
危ないので、抱っこしてるように言われたけど、
結局2時間も寝ないでずっと
泣き叫んでいた。
しかたないので、ドクターに相談して
一旦、車でドライブして
寝させる作戦を取らせてもらう事にした。
が、時すでに1時半・・・。
今度はこの太に空腹が襲う。
これも、肺に入ってしまうからダメとかで
水分もストップだったので
可愛そうだが、あげられない。
雨でムシムシしてる上、
病院内の暑さとこの太を抱っこしてるので
こっちも汗だくで
なにか飲みたいけど、この太がダメなのに
私達が飲むわけにも行かず。
こっちも泣きたくなって来たところで
やっと「カクン」と行ってくれた。
あんまり病院から離れるなよ!
とダーちんに行ってあったのに、
結構離れたところまで走ってきていたので
そこからは出来るだけスピードアップしてもらう。
病院へついて目覚めたら元も子もない。
なんとか寝たまま連れていき、
急いでドクターが抜糸を開始する。
30分くらい掛けて起こさないように
慎重にやってくれていたのに
デブ(失礼・笑い)看護士さんは
体格もデカイが、声もデカイ。
「いっやー。寝ると長いよー!!
絶対起きないから、アッハッハー!」
って。(汗)
ドクターがちょっと引っ張り気味の処置をすると
手で払ってたり、寝返りしたりして
すごいヤバイっつーのに。
なんとか、抜糸も終わって
ドクターから説明を受けて
無事終わったんだけど、
その後、また大声看護士に
「多分、2〜3時間寝つづけるから〜。
あっはは〜〜〜〜!」
と言われたが、ものの30分で目覚めた。(謎)
でも、覚醒がすごくて
足はフニャフニャでくじきそうになるのに
歩きたがるし、
やっぱり、頭をぶつけそうになるしで
危ないので抱っこしようとするけど
もー抱っこはイヤ!歩きてぇーー!!って
感じでまた、泣き叫びパニック。
3時にやっとお昼ご飯にありつけたのに、
騒いで騒いでかきこむように食べた。
またしても、逃げるように
S市を後にする我が家だった。
車の中で少し寝て、大分覚醒も解けたようだけど
帰ってから、やっと自由になった
動きまわってたけど、やっぱり
あっちぶつかり、こっちぶつかりで
危ない状態だった。
今、やっと就寝してくれたけど、
今日は入院生活とはまた
違った意味でカナーリ疲れた1日だった。
また、3ヶ月後に通院して
傷跡を見るらしい。
3ヶ月間は、傷跡を綺麗に開かないように
するために、ずっとテーピングしたままなんだと。
今日ですべて終わった〜と思ったけど
そうでもなさそう。
入院日記も記録に残す意味で
ボチボチ
書くつもりだけど、
今日はこれ以上無理。
私も寝ます。
今日、抜糸のため
日帰りで外来へ行って来ました。
疲れた。
本当は今日、明日まで
入院してた方が良いのを
「退院してもいいのよ」
の一言で逃げ帰って来た我が家。
今日は本来なら、再入院、再全身麻酔で
抜糸する予定だったらしいが
(年齢が低いので抜糸で暴れてしまうらしいので)
ドクターが
我々が遠路はるばる行き来するのを
考慮してくれたりして、
なんとか”睡眠シロップ”で
眠らせてる間に抜糸という作戦で
外来処置で済ませてもらえることになった。
んが。
この”睡眠シロップ”が曲者だった。(泣)
30分で眠くなり、効力は3時間ほどと
聞いていたが、
どんなに静かな場所でゆすろうが、
抱っこしようが、この太には睡魔が
訪れなかった。
朝、5時に出て車の中で8時まで寝ていて
ついてすぐ”睡眠シロップ”
彼女は全然疲れてもいないし、
眠さもないのだ。
「遊びたいー!」「動きたいー!」
が先に立ってしまったようで
抱っこしてても暴れる泣き叫ぶ。
1時間くらいで効いてはきてるようだが、
絶対、起きてよう!!とするチカラが
働くようで、その意図的な眠さと
起きて居たい本能との戦いで
この太はすっかり錯乱状態。
まるで虐待でもしてるかのよう。(助けてー)
効いてくると歩かせるとフラフラしてしまって
転んだり、頭を打ち付けたりして
危ないので、抱っこしてるように言われたけど、
結局2時間も寝ないでずっと
泣き叫んでいた。
しかたないので、ドクターに相談して
一旦、車でドライブして
寝させる作戦を取らせてもらう事にした。
が、時すでに1時半・・・。
今度はこの太に空腹が襲う。
これも、肺に入ってしまうからダメとかで
水分もストップだったので
可愛そうだが、あげられない。
雨でムシムシしてる上、
病院内の暑さとこの太を抱っこしてるので
こっちも汗だくで
なにか飲みたいけど、この太がダメなのに
私達が飲むわけにも行かず。
こっちも泣きたくなって来たところで
やっと「カクン」と行ってくれた。
あんまり病院から離れるなよ!
とダーちんに行ってあったのに、
結構離れたところまで走ってきていたので
そこからは出来るだけスピードアップしてもらう。
病院へついて目覚めたら元も子もない。
なんとか寝たまま連れていき、
急いでドクターが抜糸を開始する。
30分くらい掛けて起こさないように
慎重にやってくれていたのに
デブ(失礼・笑い)看護士さんは
体格もデカイが、声もデカイ。
「いっやー。寝ると長いよー!!
絶対起きないから、アッハッハー!」
って。(汗)
ドクターがちょっと引っ張り気味の処置をすると
手で払ってたり、寝返りしたりして
すごいヤバイっつーのに。
なんとか、抜糸も終わって
ドクターから説明を受けて
無事終わったんだけど、
その後、また大声看護士に
「多分、2〜3時間寝つづけるから〜。
あっはは〜〜〜〜!」
と言われたが、ものの30分で目覚めた。(謎)
でも、覚醒がすごくて
足はフニャフニャでくじきそうになるのに
歩きたがるし、
やっぱり、頭をぶつけそうになるしで
危ないので抱っこしようとするけど
もー抱っこはイヤ!歩きてぇーー!!って
感じでまた、泣き叫びパニック。
3時にやっとお昼ご飯にありつけたのに、
騒いで騒いでかきこむように食べた。
またしても、逃げるように
S市を後にする我が家だった。
車の中で少し寝て、大分覚醒も解けたようだけど
帰ってから、やっと自由になった
動きまわってたけど、やっぱり
あっちぶつかり、こっちぶつかりで
危ない状態だった。
今、やっと就寝してくれたけど、
今日は入院生活とはまた
違った意味でカナーリ疲れた1日だった。
また、3ヶ月後に通院して
傷跡を見るらしい。
3ヶ月間は、傷跡を綺麗に開かないように
するために、ずっとテーピングしたままなんだと。
今日ですべて終わった〜と思ったけど
そうでもなさそう。
入院日記も記録に残す意味で
ボチボチ
書くつもりだけど、
今日はこれ以上無理。
私も寝ます。
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入院日記 5日目
2003年7月26日朝6時起床にもすっかり慣れてしまった。
今日も1日戦いだ。
と思いつつ、検温を終えると
やはり、じっとはしてられず、
外の空気を吸いに散策路へ出る。
今日はおもしろいオバサンが
ベンチのところにいた。
とにかく、すごい数の鳩がいる散策路なんだが
「餌付け禁止」の看板があるが、
オバサンはなにか、餌を蒔いていた。
先客のオジサン患者を相手に
なにやら、話している。
かと、思えば、石段の上を
平行棒代わり?なのか、子どもが
虫を捕まえる、あの虫取り網を横にして持ち、
屈伸運動をしながら、平均台を
渡るように歩いたりしている。
私とこの太にも話しかけて来て
「お母さん似だね。お父さんの顔見たことないから
わかんないけど。ぷっ」
とか、
「私もここに3度入院した事あるし、
通院もしてる馴染みの患者なの」
とか、
かなり前に「コン○タンチン君」という
男の子が入院したときの話をし出したが、
「コンチャー君」と言っていて
「あれ?違ったっけ?なんだっけ?」
というので
「コン○タンチン君ですか?」
と言って見ると
「そうそう。で、コンチャー君がさ〜」
という感じ。(笑)
オジサンのカーディガンが
かなり、ドハデだったので
「奥さんが選んだの?いい生地でしょ。
いいセンスした奥さんだね!」
などとお世辞の1つも言ったりして
最後に
「じゃー皆さん、お大事に!!」
というと、
また、虫取り網を並行に持ち、
バックで帰って行った。
(顔は我々の方を見ている)
少し怖かった。(笑)
15〜19年前、その市に住んでた頃、
地下鉄構内に、ラジカセを持って
女装したオジサンが居たように思うんだけど
(聖子ちゃんっぽい格好だった??)
有名かな?見た事ある?
今もいる?>MJさん、インソムニアさん
なんか、そのオジサンの事を思い出してた。(笑)
こっちの田舎じゃ滅多にお会いできないような
タイプなので。
そんなおもしろ朝だった。
6時に起床で8時に朝食っていうのは
結構な時間があるんですよ。
間が持たないというか・・・。
ヒト遊びできちゃうんだよね。(泣)
朝食後、また、デイルームで
仲良くなったお兄ちゃん、お姉ちゃんと
遊んでもらったり、1歳上の女の子と遊んだり
しながら、過ごしていると
ダーちんが登場。
すっかり、戦力外宣告を受けたダーちんは
開き直ったか、
大学時代の友人達と昨晩は飲みに行ったらしく
2日酔いだってさ。
良いさねー。男は。
私だってさー・・・・・・ねぇ?(以下省略)
そこで回診が来て、
女医に傷口を見せて、改めて
綺麗にテーピングしてもらったら
「どうします?もし、帰りたければ、
今日・・明日でもいいですよ。
抜糸は外来で、睡眠シロップ使って
やっちゃいましょうか?」
といわれ、
「え・・今日でもいいんですか?」
と聞くと、よいとの事。
間髪入れずに
「今日帰ります!!!!!」
と言ってしまいました。
もう、いっぱいいっぱいの我が家です。
「じゃー。お昼食べて・・」
と言われて、ホントはお昼など
食べないで今すぐにでも脱出したかったが、
この太が車に乗るとすぐ寝そうだったので
昼抜き昼寝は可愛そうだと思いなおし、
お昼を食べさせてから出発することにした。
もう、ホント、
S市大好き一家ですが、
とにかく、足が伸ばしたい、
この太を野放しにしたい、
大の字で寝たい・・・
とにかく、マイホームーーー(泣)
という感じで
一刻も早く帰りたかったです。
出した荷物をとにかく、乱雑に
つめこみ、「めーし!めーし!」と
昼飯コールをして待つ我々。
お昼を食べて、
看護士さんから家での注意事項や、
薬を頂いて、
仲良くなったお姉さんと記念写真を撮り
(不謹慎??この太の入院記録として
術後などに写真を撮りました)
各部屋のお兄さん、お姉さん方に
お別れを告げ、みんな、エレベーター前まで
お見送りに来てくれ、
病棟を後にしました。(涙)
久しぶりに洋服に着替え、
見覚えのある車の前に来ると
この太もなんだかうれしそうに見えた。
そして、大嫌いなチャイルドシートに
座らすと、軽く伸びなんてして
えらくリラックスして座っていた。
(いつもは「おろせー!!」って泣くのに)
わかるんだろーなぁーとか思いながら、
車を走らすと5分もしないで
寝ました。
安心したんだろうね。
それから、一直線に我が家を目指し、
5日ぶりに我が家に帰宅しました。
やっぱり、”ここ”が私達の癒しの館なのだわ。(大袈裟・苦笑)
一通り、マイオモチャ達で遊んで
この太も満足したみたい。
抱っこをせがむ事もなく、
泣く事もなく、勝手知ってる我が家を
あっちこっち自由に動いておりました。
病気ではなかったけど、
やっぱり、健康で家族が家に集うというのが
なによりだなーと思ったよ。(半べそ)
夜ご飯を作る気力もなく、
近くの蕎麦屋で退院祝いをこじんまりと
家族でして、
ダーちんが「飲んでいいぞ!」というので
お言葉に甘えて生ジョッキをグビっと1杯
引っかけさせてもらいました。
ウンマイ!!
お風呂にゆったり入って、
この太を寝かせて、
久しぶりにパソコンを少し開いて
ちょっとうろついたけど、
さすがにすぐ眠くなってしまった。
念願の大の字で(多分、いびき付き・汗)
爆睡しました。5日ぶりに。
こうして、4泊5日の入院生活が終わった。
今日も1日戦いだ。
と思いつつ、検温を終えると
やはり、じっとはしてられず、
外の空気を吸いに散策路へ出る。
今日はおもしろいオバサンが
ベンチのところにいた。
とにかく、すごい数の鳩がいる散策路なんだが
「餌付け禁止」の看板があるが、
オバサンはなにか、餌を蒔いていた。
先客のオジサン患者を相手に
なにやら、話している。
かと、思えば、石段の上を
平行棒代わり?なのか、子どもが
虫を捕まえる、あの虫取り網を横にして持ち、
屈伸運動をしながら、平均台を
渡るように歩いたりしている。
私とこの太にも話しかけて来て
「お母さん似だね。お父さんの顔見たことないから
わかんないけど。ぷっ」
とか、
「私もここに3度入院した事あるし、
通院もしてる馴染みの患者なの」
とか、
かなり前に「コン○タンチン君」という
男の子が入院したときの話をし出したが、
「コンチャー君」と言っていて
「あれ?違ったっけ?なんだっけ?」
というので
「コン○タンチン君ですか?」
と言って見ると
「そうそう。で、コンチャー君がさ〜」
という感じ。(笑)
オジサンのカーディガンが
かなり、ドハデだったので
「奥さんが選んだの?いい生地でしょ。
いいセンスした奥さんだね!」
などとお世辞の1つも言ったりして
最後に
「じゃー皆さん、お大事に!!」
というと、
また、虫取り網を並行に持ち、
バックで帰って行った。
(顔は我々の方を見ている)
少し怖かった。(笑)
15〜19年前、その市に住んでた頃、
地下鉄構内に、ラジカセを持って
女装したオジサンが居たように思うんだけど
(聖子ちゃんっぽい格好だった??)
有名かな?見た事ある?
今もいる?>MJさん、インソムニアさん
なんか、そのオジサンの事を思い出してた。(笑)
こっちの田舎じゃ滅多にお会いできないような
タイプなので。
そんなおもしろ朝だった。
6時に起床で8時に朝食っていうのは
結構な時間があるんですよ。
間が持たないというか・・・。
ヒト遊びできちゃうんだよね。(泣)
朝食後、また、デイルームで
仲良くなったお兄ちゃん、お姉ちゃんと
遊んでもらったり、1歳上の女の子と遊んだり
しながら、過ごしていると
ダーちんが登場。
すっかり、戦力外宣告を受けたダーちんは
開き直ったか、
大学時代の友人達と昨晩は飲みに行ったらしく
2日酔いだってさ。
良いさねー。男は。
私だってさー・・・・・・ねぇ?(以下省略)
そこで回診が来て、
女医に傷口を見せて、改めて
綺麗にテーピングしてもらったら
「どうします?もし、帰りたければ、
今日・・明日でもいいですよ。
抜糸は外来で、睡眠シロップ使って
やっちゃいましょうか?」
といわれ、
「え・・今日でもいいんですか?」
と聞くと、よいとの事。
間髪入れずに
「今日帰ります!!!!!」
と言ってしまいました。
もう、いっぱいいっぱいの我が家です。
「じゃー。お昼食べて・・」
と言われて、ホントはお昼など
食べないで今すぐにでも脱出したかったが、
この太が車に乗るとすぐ寝そうだったので
昼抜き昼寝は可愛そうだと思いなおし、
お昼を食べさせてから出発することにした。
もう、ホント、
S市大好き一家ですが、
とにかく、足が伸ばしたい、
この太を野放しにしたい、
大の字で寝たい・・・
とにかく、マイホームーーー(泣)
という感じで
一刻も早く帰りたかったです。
出した荷物をとにかく、乱雑に
つめこみ、「めーし!めーし!」と
昼飯コールをして待つ我々。
お昼を食べて、
看護士さんから家での注意事項や、
薬を頂いて、
仲良くなったお姉さんと記念写真を撮り
(不謹慎??この太の入院記録として
術後などに写真を撮りました)
各部屋のお兄さん、お姉さん方に
お別れを告げ、みんな、エレベーター前まで
お見送りに来てくれ、
病棟を後にしました。(涙)
久しぶりに洋服に着替え、
見覚えのある車の前に来ると
この太もなんだかうれしそうに見えた。
そして、大嫌いなチャイルドシートに
座らすと、軽く伸びなんてして
えらくリラックスして座っていた。
(いつもは「おろせー!!」って泣くのに)
わかるんだろーなぁーとか思いながら、
車を走らすと5分もしないで
寝ました。
安心したんだろうね。
それから、一直線に我が家を目指し、
5日ぶりに我が家に帰宅しました。
やっぱり、”ここ”が私達の癒しの館なのだわ。(大袈裟・苦笑)
一通り、マイオモチャ達で遊んで
この太も満足したみたい。
抱っこをせがむ事もなく、
泣く事もなく、勝手知ってる我が家を
あっちこっち自由に動いておりました。
病気ではなかったけど、
やっぱり、健康で家族が家に集うというのが
なによりだなーと思ったよ。(半べそ)
夜ご飯を作る気力もなく、
近くの蕎麦屋で退院祝いをこじんまりと
家族でして、
ダーちんが「飲んでいいぞ!」というので
お言葉に甘えて生ジョッキをグビっと1杯
引っかけさせてもらいました。
ウンマイ!!
お風呂にゆったり入って、
この太を寝かせて、
久しぶりにパソコンを少し開いて
ちょっとうろついたけど、
さすがにすぐ眠くなってしまった。
念願の大の字で(多分、いびき付き・汗)
爆睡しました。5日ぶりに。
こうして、4泊5日の入院生活が終わった。
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入院日記 4日目
2003年7月25日朝の目覚めは今日も良い。
隣のおばさんも熱が下がったらしく
やっと会話らしい会話もして
一応、この太が騒ぐので申し訳ないけど・・と
謝っておいた。
今日からは別の意味で大変だった。
手術したとはいえ、
場所的にも生活に支障が出る訳でもない。
点滴もはずしてもらった。
傷こそあるが、普通の健康な1歳児なのだ。
とにかく「元気」で「普通に」遊びたいのだ。
傷口は毎日消毒もせず、
テーピングがはずれたら、上から
さらにテーピングして傷口を押さえるだけというもの。
だから、処置もないし、
痛いことをされるわけでもないのに入院生活が
続くわけだ。
大人なら、こんな入院、
ラッキー♪とばかりに好きな本を読んだり、
テレビを見たり
食べ物に制限されるわけでもない
お菓子食っちゃ寝、食っちゃ寝でもして
いれば良いだろうが
この年齢でそうは出来ない。
あっち行け。こっち行け。
と歩き周り、
とにかく、病室以外に行きたい。
遊んでくれるお兄ちゃん、お姉ちゃんを
ストーカーのようにつけまわし、
病室まで着いていったりして
ご迷惑極まりない。
やはり、最後の砦は”外の散策路”。
なんとか、そこで遊ばせて
午後からはいつも通り昼寝してくれるように
少しでも身体を動かせるようにする。
寝てくれたら、私は洗濯などをする。
夜逃げ同然のような大荷物で挑んだ入院生活だったが
出掛けた頃が寒かったので
長袖系と半袖系を半々に入れていた。
しかし、暑い病院内と外で
1日に何度も半袖を着替えるので
着替えが追いつかなくなってしまった。
長袖パジャマなど、1度も着ず終い。
(大失敗だった・・あの準備はなんだったんだろう・・泣)
つかの間の昼寝タイムは洗濯と一服で
あっという間に終わり、
また活動タイムがやってくる。
いったい、何周・・いや何百周病棟を
歩きまわっただろうか。
私は足が痛くて痛くてしかたないし、
この太もしまいには疲れて抱っこをせがむ癖に
抱っこしたまま、歩けという。
これをダーちんではイヤで私にしろと言う。
この太もすっかり入院生活で
わがままと、赤ちゃん返りのような状態に
なってしまったようだ。
私達がすぐに甘やかしてしまうし、
周りに迷惑だと思うとわがままを通していたので
余計だと思う。
飲んでいたペットボトルを
投げつけたり、食事のお膳を星一徹のように
ひッくり返したり・・・。
そういう時はもちろん、叱ったけど
でも、この太も自由にならないから
かなりのストレスから来てたんだと思う。
やっぱり、年齢低いとこういうデメリットは
あるのかな?
幼稚園くらいになれば、少しはこっちの
言ってる事もわかるだろうし、
静かに折り紙をする時間だって
少しは持てるだろうしね。
私も、この太がここまで
強暴化するとは予想してなかったし、
第一、ダーちんがさ・・
まさか、使い物にもならない存在になるとは
(いや、ダーちんが悪い訳じゃないけど
この太がノーサンキュー扱いするとは)
思ってたなかったんで、
かなり、疲れとでイライラ入っちゃって
ダーちんにもかなり当たっちゃってました、この日は。
すでにお風呂も解禁。
頭も洗って良いんだって。
手術日以外は、地下に大浴場があって
そこに入るんだけど、
きちゃなくて、すごくイヤだった。(泣)
当初はダーちんが、見ててやるから
近くの銭湯か、健康ランドみたいなところに
行ってきなよーなんて言ってくれてたんで
MJさんのバイト先でも行ってナイスバデー(爆)
でも見せて、抜き打ちオフでも
しようかななんて安易に
思ったりしてたんだけど
無理だった。(涙)
術後なので、この日は
病棟内にあるユニットバスを使ってって事で
少し綺麗なお風呂に入れたけど。
あのきちゃないお風呂は2度とイヤだわん。
(風呂場はそんなにきちゃなくないけど、
脱衣所の抜け毛などの汚れがひどくて。
せっかく、綺麗になったのに、足の裏とか
イヤーン状態だった)
夜に花火大会があったんで
窓から見たけど、すごく小さかった。(笑)
この太も近くないから、
興味もなかったんで
この日は8時半から1階へ行って
寝かせに入った。
私も学習したのさ。
9時就寝だからって、9時から寝かせようとする
から、10時過ぎるんだって。(遅)
8時半から揺すったら、ピッタリ9時に
寝てくれた。
あ〜。早く気付けば良かったよ。
この太が寝た後、
足と腕が痛くて、さすったりしながら
横になったけど、やっぱり寝れず。
このまま、どっかマッサージでもしに
行っちゃおうか・・という衝動にかられたけど
飲み物1つ、トイレ1つ行くにも
看護士さんに一声掛けていくと
あんまり、良い顔しないのね。
どんなに寝てるって言ってもいつ起きるか
わかんないし。
普段は朝まで絶対起きないんだけど、
病院じゃ何度か目覚めて夜泣きしてたしね。
看護士さんもこの太1人見てるわけじゃないし、
じゃーアンタはなんのための付き添いだ?
って話だものね。
(本来付き添いは小学生以上はダメみたいだし)
もう少しの辛抱よね。
と言い聞かせて、自分で自分に
マッサージして過ごす夜でした。
隣のおばさんも熱が下がったらしく
やっと会話らしい会話もして
一応、この太が騒ぐので申し訳ないけど・・と
謝っておいた。
今日からは別の意味で大変だった。
手術したとはいえ、
場所的にも生活に支障が出る訳でもない。
点滴もはずしてもらった。
傷こそあるが、普通の健康な1歳児なのだ。
とにかく「元気」で「普通に」遊びたいのだ。
傷口は毎日消毒もせず、
テーピングがはずれたら、上から
さらにテーピングして傷口を押さえるだけというもの。
だから、処置もないし、
痛いことをされるわけでもないのに入院生活が
続くわけだ。
大人なら、こんな入院、
ラッキー♪とばかりに好きな本を読んだり、
テレビを見たり
食べ物に制限されるわけでもない
お菓子食っちゃ寝、食っちゃ寝でもして
いれば良いだろうが
この年齢でそうは出来ない。
あっち行け。こっち行け。
と歩き周り、
とにかく、病室以外に行きたい。
遊んでくれるお兄ちゃん、お姉ちゃんを
ストーカーのようにつけまわし、
病室まで着いていったりして
ご迷惑極まりない。
やはり、最後の砦は”外の散策路”。
なんとか、そこで遊ばせて
午後からはいつも通り昼寝してくれるように
少しでも身体を動かせるようにする。
寝てくれたら、私は洗濯などをする。
夜逃げ同然のような大荷物で挑んだ入院生活だったが
出掛けた頃が寒かったので
長袖系と半袖系を半々に入れていた。
しかし、暑い病院内と外で
1日に何度も半袖を着替えるので
着替えが追いつかなくなってしまった。
長袖パジャマなど、1度も着ず終い。
(大失敗だった・・あの準備はなんだったんだろう・・泣)
つかの間の昼寝タイムは洗濯と一服で
あっという間に終わり、
また活動タイムがやってくる。
いったい、何周・・いや何百周病棟を
歩きまわっただろうか。
私は足が痛くて痛くてしかたないし、
この太もしまいには疲れて抱っこをせがむ癖に
抱っこしたまま、歩けという。
これをダーちんではイヤで私にしろと言う。
この太もすっかり入院生活で
わがままと、赤ちゃん返りのような状態に
なってしまったようだ。
私達がすぐに甘やかしてしまうし、
周りに迷惑だと思うとわがままを通していたので
余計だと思う。
飲んでいたペットボトルを
投げつけたり、食事のお膳を星一徹のように
ひッくり返したり・・・。
そういう時はもちろん、叱ったけど
でも、この太も自由にならないから
かなりのストレスから来てたんだと思う。
やっぱり、年齢低いとこういうデメリットは
あるのかな?
幼稚園くらいになれば、少しはこっちの
言ってる事もわかるだろうし、
静かに折り紙をする時間だって
少しは持てるだろうしね。
私も、この太がここまで
強暴化するとは予想してなかったし、
第一、ダーちんがさ・・
まさか、使い物にもならない存在になるとは
(いや、ダーちんが悪い訳じゃないけど
この太がノーサンキュー扱いするとは)
思ってたなかったんで、
かなり、疲れとでイライラ入っちゃって
ダーちんにもかなり当たっちゃってました、この日は。
すでにお風呂も解禁。
頭も洗って良いんだって。
手術日以外は、地下に大浴場があって
そこに入るんだけど、
きちゃなくて、すごくイヤだった。(泣)
当初はダーちんが、見ててやるから
近くの銭湯か、健康ランドみたいなところに
行ってきなよーなんて言ってくれてたんで
MJさんのバイト先でも行ってナイスバデー(爆)
でも見せて、抜き打ちオフでも
しようかななんて安易に
思ったりしてたんだけど
無理だった。(涙)
術後なので、この日は
病棟内にあるユニットバスを使ってって事で
少し綺麗なお風呂に入れたけど。
あのきちゃないお風呂は2度とイヤだわん。
(風呂場はそんなにきちゃなくないけど、
脱衣所の抜け毛などの汚れがひどくて。
せっかく、綺麗になったのに、足の裏とか
イヤーン状態だった)
夜に花火大会があったんで
窓から見たけど、すごく小さかった。(笑)
この太も近くないから、
興味もなかったんで
この日は8時半から1階へ行って
寝かせに入った。
私も学習したのさ。
9時就寝だからって、9時から寝かせようとする
から、10時過ぎるんだって。(遅)
8時半から揺すったら、ピッタリ9時に
寝てくれた。
あ〜。早く気付けば良かったよ。
この太が寝た後、
足と腕が痛くて、さすったりしながら
横になったけど、やっぱり寝れず。
このまま、どっかマッサージでもしに
行っちゃおうか・・という衝動にかられたけど
飲み物1つ、トイレ1つ行くにも
看護士さんに一声掛けていくと
あんまり、良い顔しないのね。
どんなに寝てるって言ってもいつ起きるか
わかんないし。
普段は朝まで絶対起きないんだけど、
病院じゃ何度か目覚めて夜泣きしてたしね。
看護士さんもこの太1人見てるわけじゃないし、
じゃーアンタはなんのための付き添いだ?
って話だものね。
(本来付き添いは小学生以上はダメみたいだし)
もう少しの辛抱よね。
と言い聞かせて、自分で自分に
マッサージして過ごす夜でした。
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入院日記 3日目
2003年7月24日朝、6時の検温。
この太の目覚めもよく、熱も平熱。
いよいよ手術の日だ。
まず浣腸をされて、
すぐにウ○コちゃんが大量に出始めた。
この太は飲み物の事を
「ビービービアビア」
(すんません。我々がビールを飲んでた時に
これは「ビール。ビー。ビア〜」なんて
教えてたら、飲み物全部そう呼ぶようになった・汗)
というのだが、
朝起きてちょっとしたら、「ビービービアビア」と
言い出したので、焦ったが
なんとか気をそらしてごまかした。
それから、7時に麻酔を効きやすくする座薬を
いれた。
しばらくしたら、トローンとして来た。
それでも病室には居たくないと泣くので
その後、何も処置がないことを確認して
天気が良い日だったので
外の空気を吸いに散策路へ出て見た。
そこにダーちんが来て
しばらくマッタリとしていた。
8時前に病室へ戻ると
看護士に「先生が来てたのに、どこへ行ってたの!」
と軽く怒られた。
だから、聞いてったのに。(こっちもムッ)
9時からのオペだが、8時10分には
オペ室に行くとのこと、
大好きな”いないいないばぁ〜”のオープニングだけ見て
オムツ1つにバスタオルで包んで
ダーちんに抱っこされてオペ室まで下りて行った。
オペ室前で、看護士に渡し、そこから私達は
入れない。
この太は泣いたけど、薬のせいで元気良く抵抗出来ず、されるがまま。
オペ室の自動ドアが閉まった時、
私、ホント泣きそうでした。
でも、泣いてどうなる訳でもない・・
頑張るのは私じゃなくてこの太なんだと思い、
必死に堪えました。
ドアのわずかな窓から麻酔科の主治医に
抱っこされて、髪を覆う帽子のようなものを
かぶされて、嫌がって泣いてる様子が見えて
主治医の先生と目があったので会釈したら、
笑顔で会釈し返してくれた。
お任せしかない。
手術は1時間と聞いていた。
家族待合室とかはなくて、病室かその辺で
待ってて・・と言われて、
オペ室前で待ってても意味ないよ・・と看護士にも
言われて、
しかたなく、朝ご飯を食べる事にして
喫茶室へ行った。
水分くらいしか喉を通らなかったが、
2人とも会話もなく、なんだか
2度と味わいたくない朝ご飯の風景だった。
9時になり、始まっただろうなぁ〜と思いつつ、
洗濯をしたり、イラストロジックをしたりして
気を紛らわせていたが、
予定の10時を過ぎても連絡が来ないので
すごく焦って来た。
ナースセンターの前の部屋なので
ナースセンターにオペ室から入る連絡は
筒聞こえだったので
我が子に関する言葉がないか、耳を傾けた。
10時半になり、なにも手につかなくなり
ダーちんも「遅すぎないか?」と初めて不安げな
事を言うので、
看護士さんに聞くが、「まだなにも言ってこないから」との返事。
行ってもしかたないと言われたオペ室前に
ダーちんと交代で行ってみたりしていた。
11時を過ぎても呼ばれないので
私は半べそ状態だった。
マジで身を引き裂かれる思いとは
このことか?と思うほど。
そばで見ていないところでなにが起きてるのか
わからない不安はとても怖くて怖くて。
11時15分に、「終わったみたいですよ」
とやっと言われて、急いでオペ室前に行く。
看護士が中に入って、知らせてくれて
女医さんに抱かれて、主治医と一緒に出て来た
この太。
汗だくになってて、昏睡してる中
私の顔を見て、
「え〜ん・・」と泣いて抱っこすると
麻酔のせいでまた眠りに着いた。
主治医から、デジカメで処置した部分を
見せてもらって、説明を受けたが
耳には入ってなかった。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
と繰り返し言うだけだった。
戻ってから4時間、ずっと寝つづけて
それはそれで不安になった。
顔も心なしか、腫れているようだったし、
手術中に発熱したらしく、熱も39度まで
上がっていたので座薬をさしてもらった。
お願いした通り、右手に点滴が
繋がれていた。
4時に目覚めて、胃が動いているかを
確認してもらって初めて水分、固形物を
お腹に入れられる事が出来る。
おいしそうに麦茶を飲んで、
むせないようなので、ヨーグルト、
パン、アイス・・と水分メインで
喉越しの良いモノを・・と言われたので
あげると、すごい勢いで食べた。
一安心だ。
それから、違う意味での戦いが始まった。
”点滴”が”天敵”となった。(寒)
子どもなので、板で固定して包帯グルグル巻きで
取れないようにしてるのだけど
この太はこれがイヤでしかたがない。
それでも、術後の化膿止めの作用もあるし
はずす訳にもいかないのに、
板の部分を檻に叩きつけたり、
チューブの繋ぎ目を引き千切ろうとしたり
それはそれは大変な騒ぎになった。
抱っこをしてて欲しいから、抱っこする。
抱っこをすると手が上に上がる。
すると逆流してしまい、点滴が落ちずに血が出て来る。
どうにもこうにもで
なんとか夜の1本分を終わらすが、
看護士さんも困ってしまって、
ドクターに相談。
本当は明日の午後まで点滴繋ぎっぱだったのが
粉薬で補う事にして
晴れて点滴をはずしてもらえた。
自由の身になれたので
少し機嫌も直り、熱も病的なものからくる熱ではなかったので
下がったものだから、
「どこが悪いんですか?」というほどの
元気を取り戻して寝るまで
デイルームでお姉ちゃん達に遊んでもらった。
(夏休み期間中に手術する子どもさんが多く、
小学生、中学生が多かったのと、
皆、内臓系の疾患ではないので元気)
それでもやっぱり、就寝時間はイヤで
昨日から仲良くなったこの太の1つ上の女の子も
寝ないので、
そのお母さんと2人でエレベーターホールで
抱っこしながら、色々話をしながら
寝かせる事にした。
偶然、そのお母さんは転勤族で
我が市にも住んでいてその時、産まれた女の子だったので
話もあった。
頭におおきなホクロがあって、これで2度目の手術。
この太の後にオペ室に入った。
同じ部屋にしてくれればよいのにね〜!
なんて話ながら、
その子は6人部屋でみんな、おばさん、おばあさんだから、
ホント肩身が狭いって言ってた。
泣いたり、グズったりするから
やっぱり、病室には食事の時と寝てる時しか
居づらいからって。
一緒の部屋なら、少しは気持ちも楽だったって。
私も、昨日の急患さんがおばさんで
高熱のようだったので
そんなそばに泣きじゃくる子どもを一緒にして
おくのは悪いと思ってたし。
そんな話をしていたら、この太が先に眠りに
ついたので、「お先に」とベッドへ行った。
私もホッとしたのと、2晩安眠してなかったので
この日はホントにぐっすり寝たように思う。
何度か目が覚めたが、深い眠りに入ってたので
「寝た〜!!」って感じで目が覚めたから。
この太がタオルケット掛かってたのかも
どんな格好で寝てたのかも
全然わかんないで寝てた。(汗)
もしかしたら、この太の方が私の隙をぬって
寝場所を見つけて寝てたのかも。(苦笑)
この太誕生以来、
初めて1日を長いと感じた日だったなぁ。
でも、ホント、ホントに良かった。
この太の目覚めもよく、熱も平熱。
いよいよ手術の日だ。
まず浣腸をされて、
すぐにウ○コちゃんが大量に出始めた。
この太は飲み物の事を
「ビービービアビア」
(すんません。我々がビールを飲んでた時に
これは「ビール。ビー。ビア〜」なんて
教えてたら、飲み物全部そう呼ぶようになった・汗)
というのだが、
朝起きてちょっとしたら、「ビービービアビア」と
言い出したので、焦ったが
なんとか気をそらしてごまかした。
それから、7時に麻酔を効きやすくする座薬を
いれた。
しばらくしたら、トローンとして来た。
それでも病室には居たくないと泣くので
その後、何も処置がないことを確認して
天気が良い日だったので
外の空気を吸いに散策路へ出て見た。
そこにダーちんが来て
しばらくマッタリとしていた。
8時前に病室へ戻ると
看護士に「先生が来てたのに、どこへ行ってたの!」
と軽く怒られた。
だから、聞いてったのに。(こっちもムッ)
9時からのオペだが、8時10分には
オペ室に行くとのこと、
大好きな”いないいないばぁ〜”のオープニングだけ見て
オムツ1つにバスタオルで包んで
ダーちんに抱っこされてオペ室まで下りて行った。
オペ室前で、看護士に渡し、そこから私達は
入れない。
この太は泣いたけど、薬のせいで元気良く抵抗出来ず、されるがまま。
オペ室の自動ドアが閉まった時、
私、ホント泣きそうでした。
でも、泣いてどうなる訳でもない・・
頑張るのは私じゃなくてこの太なんだと思い、
必死に堪えました。
ドアのわずかな窓から麻酔科の主治医に
抱っこされて、髪を覆う帽子のようなものを
かぶされて、嫌がって泣いてる様子が見えて
主治医の先生と目があったので会釈したら、
笑顔で会釈し返してくれた。
お任せしかない。
手術は1時間と聞いていた。
家族待合室とかはなくて、病室かその辺で
待ってて・・と言われて、
オペ室前で待ってても意味ないよ・・と看護士にも
言われて、
しかたなく、朝ご飯を食べる事にして
喫茶室へ行った。
水分くらいしか喉を通らなかったが、
2人とも会話もなく、なんだか
2度と味わいたくない朝ご飯の風景だった。
9時になり、始まっただろうなぁ〜と思いつつ、
洗濯をしたり、イラストロジックをしたりして
気を紛らわせていたが、
予定の10時を過ぎても連絡が来ないので
すごく焦って来た。
ナースセンターの前の部屋なので
ナースセンターにオペ室から入る連絡は
筒聞こえだったので
我が子に関する言葉がないか、耳を傾けた。
10時半になり、なにも手につかなくなり
ダーちんも「遅すぎないか?」と初めて不安げな
事を言うので、
看護士さんに聞くが、「まだなにも言ってこないから」との返事。
行ってもしかたないと言われたオペ室前に
ダーちんと交代で行ってみたりしていた。
11時を過ぎても呼ばれないので
私は半べそ状態だった。
マジで身を引き裂かれる思いとは
このことか?と思うほど。
そばで見ていないところでなにが起きてるのか
わからない不安はとても怖くて怖くて。
11時15分に、「終わったみたいですよ」
とやっと言われて、急いでオペ室前に行く。
看護士が中に入って、知らせてくれて
女医さんに抱かれて、主治医と一緒に出て来た
この太。
汗だくになってて、昏睡してる中
私の顔を見て、
「え〜ん・・」と泣いて抱っこすると
麻酔のせいでまた眠りに着いた。
主治医から、デジカメで処置した部分を
見せてもらって、説明を受けたが
耳には入ってなかった。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
と繰り返し言うだけだった。
戻ってから4時間、ずっと寝つづけて
それはそれで不安になった。
顔も心なしか、腫れているようだったし、
手術中に発熱したらしく、熱も39度まで
上がっていたので座薬をさしてもらった。
お願いした通り、右手に点滴が
繋がれていた。
4時に目覚めて、胃が動いているかを
確認してもらって初めて水分、固形物を
お腹に入れられる事が出来る。
おいしそうに麦茶を飲んで、
むせないようなので、ヨーグルト、
パン、アイス・・と水分メインで
喉越しの良いモノを・・と言われたので
あげると、すごい勢いで食べた。
一安心だ。
それから、違う意味での戦いが始まった。
”点滴”が”天敵”となった。(寒)
子どもなので、板で固定して包帯グルグル巻きで
取れないようにしてるのだけど
この太はこれがイヤでしかたがない。
それでも、術後の化膿止めの作用もあるし
はずす訳にもいかないのに、
板の部分を檻に叩きつけたり、
チューブの繋ぎ目を引き千切ろうとしたり
それはそれは大変な騒ぎになった。
抱っこをしてて欲しいから、抱っこする。
抱っこをすると手が上に上がる。
すると逆流してしまい、点滴が落ちずに血が出て来る。
どうにもこうにもで
なんとか夜の1本分を終わらすが、
看護士さんも困ってしまって、
ドクターに相談。
本当は明日の午後まで点滴繋ぎっぱだったのが
粉薬で補う事にして
晴れて点滴をはずしてもらえた。
自由の身になれたので
少し機嫌も直り、熱も病的なものからくる熱ではなかったので
下がったものだから、
「どこが悪いんですか?」というほどの
元気を取り戻して寝るまで
デイルームでお姉ちゃん達に遊んでもらった。
(夏休み期間中に手術する子どもさんが多く、
小学生、中学生が多かったのと、
皆、内臓系の疾患ではないので元気)
それでもやっぱり、就寝時間はイヤで
昨日から仲良くなったこの太の1つ上の女の子も
寝ないので、
そのお母さんと2人でエレベーターホールで
抱っこしながら、色々話をしながら
寝かせる事にした。
偶然、そのお母さんは転勤族で
我が市にも住んでいてその時、産まれた女の子だったので
話もあった。
頭におおきなホクロがあって、これで2度目の手術。
この太の後にオペ室に入った。
同じ部屋にしてくれればよいのにね〜!
なんて話ながら、
その子は6人部屋でみんな、おばさん、おばあさんだから、
ホント肩身が狭いって言ってた。
泣いたり、グズったりするから
やっぱり、病室には食事の時と寝てる時しか
居づらいからって。
一緒の部屋なら、少しは気持ちも楽だったって。
私も、昨日の急患さんがおばさんで
高熱のようだったので
そんなそばに泣きじゃくる子どもを一緒にして
おくのは悪いと思ってたし。
そんな話をしていたら、この太が先に眠りに
ついたので、「お先に」とベッドへ行った。
私もホッとしたのと、2晩安眠してなかったので
この日はホントにぐっすり寝たように思う。
何度か目が覚めたが、深い眠りに入ってたので
「寝た〜!!」って感じで目が覚めたから。
この太がタオルケット掛かってたのかも
どんな格好で寝てたのかも
全然わかんないで寝てた。(汗)
もしかしたら、この太の方が私の隙をぬって
寝場所を見つけて寝てたのかも。(苦笑)
この太誕生以来、
初めて1日を長いと感じた日だったなぁ。
でも、ホント、ホントに良かった。
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入院日記 2日目
2003年7月23日病院の朝は早い。
6時など、よほどの事がない限り、
起きた事のない我が家だが
なにせ寝慣れない檻ベッドなので
何度も目が覚め、
寝た気もしないまま朝が来てしまった。
今日の予定は、
オペの主治医と麻酔科の主治医からの
説明があるだけ。
あと、昨日から尿検査をしているのだが
まだ、オムツ使用のこの太は
あの紙コップにはおしっこを出せない。
なので、尿取りパックのようなものを
お尻に貼り、先に付いているビニール袋に
おしっこを貯めるというものを
着ける事になってるのだが、
これがまた女の子には按配が悪い。
(男の子は、竿に袋をかぶして貼りつければ
良いらしいので簡単らしい)
何度もテープ部分がはがれて失敗。
昨日から、5回くらいチャレンジしてるが
ダメ。
テープを貼りつけるので、しまいに
かぶれて赤くなってきてしまって
この太もいささかイヤがってる様子。
見かねた看護士さんがドクターに相談して
今日の午前で取れなければ、無しで良いことになり
やっぱり、無しになりました。(苦笑)
朝の検温で隣ベッドの4歳ちゃんが
38度。
座薬を1度さしたが、出してしまい
昼前には、39度にまでなった。
森クミママは、
「緊張したら熱出す子だから」
と風邪ではなく、知恵熱的な部分を
強調していたが、
昨晩の寝苦しさで、私もこの太に風邪を
引かせてはシャレにならんと
室温状態に合わせて
布団を掛けたり、はずしてみたり、
汗をかいたら、シャツを替えたり、
うちわであおいでみたり・・と
かなり神経を使っていた。
昼過ぎに麻酔科の担当医が
4歳ちゃんのところへ来て
「こんなに熱があったら、
手術は出来ない。(麻酔を掛けれない)」
と手術中止を言い渡しに来た。
が、森クミママは、怒り狂い、
「風邪の症状はない。
今、2回目の座薬で熱下がってるし。
これは緊張性の熱で明日には下がる。
私も仕事休んで付き添ってるのに
延期するのは困る」
と麻酔科の担当医に食ってかかった。
(恐ろしくなって、私達は部屋から
おいとましたけど、廊下まで聞こえてきてた)
担当医も
「お子さんの万が一と、ご自身の仕事の都合、
どっちが大切なのか?
私も仕事に責任持ってやってるから、
今回の手術を決行することは出来ない。
こんなに熱があって、GOサインを出す医師は
いない」
ときつい口調で言った。
(もっとも・・・)
結局、膨れっ面の森クミママは
やけくそで帰り仕度をして
「あったま来たからここで掛けてやる!」
と携帯を出して自宅に電話をしたり、
4歳ちゃんの習い事?に電話して
「これから行かせてもいいですかー?
全然、元気なのに退院しちゃうんですー!!」
と元気っぷりをアピールしてた。
「残念でしたね。
色々、遊んで頂いてありがとうございました。」
とお礼を言うと
「ホントにー!!
今なんて、熱ないんだよー!(2回目の座薬が
効いてるだけだし・・汗)
ホントよっぽどこの太ちゃんの方が具合悪そう
だよねっ!」
と、朝からグズり全開で泣いて暴れてる
この太にまで八つ当たり?気味のコメントを
頂いて、お別れした。
そんな事を言われてもこの太にしてみたら
1日限りのお友達4歳ちゃんがいなくなり、
この太はいよいよもって
病院が飽き飽きしていたようだった。
1人部屋になり、余計にグズグズモードもひどくなり
もう病室には入りたがらなくなり
いつも、病棟内を歩いているか、
気晴らしに外にベンチがあったり、
鳩がいたりするちょっとした散策路があるので
そこで遊ばせたりしている間だけは
機嫌も良かったが、
病室へ戻ろうとすると狂ったように泣いた。
夕方、麻酔科の担当医が来た。
すごい爽やか青年医師で
なんでも質問して〜って感じで
私が色々、不安な事などを話すと
まずはかならず「なるほど〜」とうなずいてくれ
すごく好感が持てた。
実はこの太は寝る時だけ
指しゃぶりをまだしていて
治したいと思ってたんだけど
手術終わるまでは可愛そうだな〜と
保留にしていた。
なので、その大事な左手に点滴を繋がれると
寝ることも出来なくなるので
出来れば、右手に点滴を繋いで欲しい事も
快く承諾していた。
「女の子は可愛いな〜。
僕には甥っこしかいないので〜」
とこの太をめちゃめちゃ触ったのは
ちょっと怖かった(笑)けど、
この太も「よろしく〜」と握手を求めたので
イヤではなかったんだろう。
この先生にすべてお任せなのだ。
オペより、全身麻酔の方が危険だと
言われていたし、
4歳ちゃんが帰ってから、なんとなく私も
必要以上にこの太の額に手を当てる回数が
増えたりしてた。
その後、オペ主治医の助手を勤める女医さんが
説明に来た。
(この太の主治医の先生は非常に優秀らしく
とても忙しくて病棟にはなかなか来ない。
この女医さんがほとんど対応していた。
いわゆる主治医の片腕なんだろう。)
女医さんってこともあるし、
なにより、いいのか?こんなに美人で・・
才女とはこういう人を言うのか?
ってくらい、綺麗なお姉さんだ。
この太は若いママに懐く傾向があり(苦笑・ないものねだり?)
オバサン系はあまり懐かない。
なので、看護士さんは見ただけで泣くのに
女医さんにはすんなり耳を見せたりしていた。
オペについては主治医の先生に
ホントお任せするしかないので
さほど質問もせず、
「すべてお任せ致しますので
よろしくお願いします」とだけ頭を下げた。
明日はオペデー?らしく
時間刻みに次々、オペ室へ運ばれて行くらしい。
この太は小さいので、1番最初9時からだ。
意外や意外、前日の絶食は夜9時以降だけで
(丸1日だと思ってた)
水分だけは朝の4時まで1口2口ならいいとの事だった。
なので、食いしん坊との戦いがなかったのは
救いだった。
今日も9時に1階ロビーで寝かせる。
10時半にまた、寝ついたのでそっとベッドへ移す。
私は、やはり明日の事を考えるとドキドキして
寝られなかった。
そこへ、夜中の2時半に急患が入り、
空いていた隣のベッドに入院された。
電気がついたり、処置するのに
看護士や医師がバタバタと出入りしたり
電気がついたりで
この太をここで起こされると困る!!
とかなり、焦ってうちわであおいで
トントンしながら、隣が静まるのを待った。
この太が起きずに済んでほっとした。
この時間から寝かせ直しするのは勘弁だと
思ったし、
寝不足で明日のオペが体力不足なんてことになったら
と思ったりしたから。
いろんなことを考えていたけど、
残念ながらネガティブな考えばかり頭をよぎり
ひたすら、トントンして汗をこまめに拭いて
夜を過ごした。
6時など、よほどの事がない限り、
起きた事のない我が家だが
なにせ寝慣れない檻ベッドなので
何度も目が覚め、
寝た気もしないまま朝が来てしまった。
今日の予定は、
オペの主治医と麻酔科の主治医からの
説明があるだけ。
あと、昨日から尿検査をしているのだが
まだ、オムツ使用のこの太は
あの紙コップにはおしっこを出せない。
なので、尿取りパックのようなものを
お尻に貼り、先に付いているビニール袋に
おしっこを貯めるというものを
着ける事になってるのだが、
これがまた女の子には按配が悪い。
(男の子は、竿に袋をかぶして貼りつければ
良いらしいので簡単らしい)
何度もテープ部分がはがれて失敗。
昨日から、5回くらいチャレンジしてるが
ダメ。
テープを貼りつけるので、しまいに
かぶれて赤くなってきてしまって
この太もいささかイヤがってる様子。
見かねた看護士さんがドクターに相談して
今日の午前で取れなければ、無しで良いことになり
やっぱり、無しになりました。(苦笑)
朝の検温で隣ベッドの4歳ちゃんが
38度。
座薬を1度さしたが、出してしまい
昼前には、39度にまでなった。
森クミママは、
「緊張したら熱出す子だから」
と風邪ではなく、知恵熱的な部分を
強調していたが、
昨晩の寝苦しさで、私もこの太に風邪を
引かせてはシャレにならんと
室温状態に合わせて
布団を掛けたり、はずしてみたり、
汗をかいたら、シャツを替えたり、
うちわであおいでみたり・・と
かなり神経を使っていた。
昼過ぎに麻酔科の担当医が
4歳ちゃんのところへ来て
「こんなに熱があったら、
手術は出来ない。(麻酔を掛けれない)」
と手術中止を言い渡しに来た。
が、森クミママは、怒り狂い、
「風邪の症状はない。
今、2回目の座薬で熱下がってるし。
これは緊張性の熱で明日には下がる。
私も仕事休んで付き添ってるのに
延期するのは困る」
と麻酔科の担当医に食ってかかった。
(恐ろしくなって、私達は部屋から
おいとましたけど、廊下まで聞こえてきてた)
担当医も
「お子さんの万が一と、ご自身の仕事の都合、
どっちが大切なのか?
私も仕事に責任持ってやってるから、
今回の手術を決行することは出来ない。
こんなに熱があって、GOサインを出す医師は
いない」
ときつい口調で言った。
(もっとも・・・)
結局、膨れっ面の森クミママは
やけくそで帰り仕度をして
「あったま来たからここで掛けてやる!」
と携帯を出して自宅に電話をしたり、
4歳ちゃんの習い事?に電話して
「これから行かせてもいいですかー?
全然、元気なのに退院しちゃうんですー!!」
と元気っぷりをアピールしてた。
「残念でしたね。
色々、遊んで頂いてありがとうございました。」
とお礼を言うと
「ホントにー!!
今なんて、熱ないんだよー!(2回目の座薬が
効いてるだけだし・・汗)
ホントよっぽどこの太ちゃんの方が具合悪そう
だよねっ!」
と、朝からグズり全開で泣いて暴れてる
この太にまで八つ当たり?気味のコメントを
頂いて、お別れした。
そんな事を言われてもこの太にしてみたら
1日限りのお友達4歳ちゃんがいなくなり、
この太はいよいよもって
病院が飽き飽きしていたようだった。
1人部屋になり、余計にグズグズモードもひどくなり
もう病室には入りたがらなくなり
いつも、病棟内を歩いているか、
気晴らしに外にベンチがあったり、
鳩がいたりするちょっとした散策路があるので
そこで遊ばせたりしている間だけは
機嫌も良かったが、
病室へ戻ろうとすると狂ったように泣いた。
夕方、麻酔科の担当医が来た。
すごい爽やか青年医師で
なんでも質問して〜って感じで
私が色々、不安な事などを話すと
まずはかならず「なるほど〜」とうなずいてくれ
すごく好感が持てた。
実はこの太は寝る時だけ
指しゃぶりをまだしていて
治したいと思ってたんだけど
手術終わるまでは可愛そうだな〜と
保留にしていた。
なので、その大事な左手に点滴を繋がれると
寝ることも出来なくなるので
出来れば、右手に点滴を繋いで欲しい事も
快く承諾していた。
「女の子は可愛いな〜。
僕には甥っこしかいないので〜」
とこの太をめちゃめちゃ触ったのは
ちょっと怖かった(笑)けど、
この太も「よろしく〜」と握手を求めたので
イヤではなかったんだろう。
この先生にすべてお任せなのだ。
オペより、全身麻酔の方が危険だと
言われていたし、
4歳ちゃんが帰ってから、なんとなく私も
必要以上にこの太の額に手を当てる回数が
増えたりしてた。
その後、オペ主治医の助手を勤める女医さんが
説明に来た。
(この太の主治医の先生は非常に優秀らしく
とても忙しくて病棟にはなかなか来ない。
この女医さんがほとんど対応していた。
いわゆる主治医の片腕なんだろう。)
女医さんってこともあるし、
なにより、いいのか?こんなに美人で・・
才女とはこういう人を言うのか?
ってくらい、綺麗なお姉さんだ。
この太は若いママに懐く傾向があり(苦笑・ないものねだり?)
オバサン系はあまり懐かない。
なので、看護士さんは見ただけで泣くのに
女医さんにはすんなり耳を見せたりしていた。
オペについては主治医の先生に
ホントお任せするしかないので
さほど質問もせず、
「すべてお任せ致しますので
よろしくお願いします」とだけ頭を下げた。
明日はオペデー?らしく
時間刻みに次々、オペ室へ運ばれて行くらしい。
この太は小さいので、1番最初9時からだ。
意外や意外、前日の絶食は夜9時以降だけで
(丸1日だと思ってた)
水分だけは朝の4時まで1口2口ならいいとの事だった。
なので、食いしん坊との戦いがなかったのは
救いだった。
今日も9時に1階ロビーで寝かせる。
10時半にまた、寝ついたのでそっとベッドへ移す。
私は、やはり明日の事を考えるとドキドキして
寝られなかった。
そこへ、夜中の2時半に急患が入り、
空いていた隣のベッドに入院された。
電気がついたり、処置するのに
看護士や医師がバタバタと出入りしたり
電気がついたりで
この太をここで起こされると困る!!
とかなり、焦ってうちわであおいで
トントンしながら、隣が静まるのを待った。
この太が起きずに済んでほっとした。
この時間から寝かせ直しするのは勘弁だと
思ったし、
寝不足で明日のオペが体力不足なんてことになったら
と思ったりしたから。
いろんなことを考えていたけど、
残念ながらネガティブな考えばかり頭をよぎり
ひたすら、トントンして汗をこまめに拭いて
夜を過ごした。
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入院日記 1日目
2003年7月22日朝、5時起床で出発。
夏とは言え、北海道の朝晩は冷える。
くわえて、こっちは曇り空で
本当に寒い。
この太は寝たまま拉致したが、
厳重にボア毛布でくるみ、
私など、トレーナーにパーカーを着ていた。
(のちに汗だくの結果になるとは・泣)
入院受付を済ませ、病棟へ行く。
この太は「?」な感じだろう。
キョロキョロと辺りを見渡している。
2人部屋に案内されて
もう1人も今日入院の4歳の子どもだと
聞かされてホッとした。
この太は自分より大きいお姉ちゃんお兄ちゃんが
大好きなので、
遊んでもらえて、少しは気が紛れるだろうと
思った。
しかし、自由の利かない病院。
自由に歩き回らせる事も出来ないし、
遊ばせる場所もない。
デイルームったって、老若男女の患者さんが
いる訳だし、
カーペットがあったりする訳でもない。
今日から、この太の自由な場所は
およそ大きなバスタオル1枚分のベッドの上だ。
(BY母も添い寝・辛)
しかも、落下を防ぐために柵は1メートルはある。
そこで私と二人で寝たり、食べたり、遊んだり。
さながら、”動物園のゴリラの親子”のようだ。
最初は珍しげにキョロキョロしていたこの太も
まだ起きているうちから、
パジャマに着替えさせられて、
行動を制限されるとさすがに不安のようだし、
すぐ癇癪を起こしたりし始めた。
そんな中、最初の検査。
”血液検査”で呼ばれた。
チビ相手に(チビ相手だからか・・笑)
看護士が5名。
1名は採血係、4名は押さえつけ係。
採血担当はこの太の担当の看護士。
(耳が遠いらしく、かなり顔を近づけて話すので
息がイヤーン・苦笑)
「ここにあるよね?ね?木村(仮名)さん」
と同僚看護士に同意を求めてるその姿に
若干の不安を持ちつつ、
私もこの太の気をそらす係に回る。
(もちろん、この時点でただならぬ雰囲気を
察知してこの太は大泣き、大暴れ中)
ブス・・っとやったが、不安的中。
ちっとも血が出てこない。
かろうじて少し出て来たので、
さらに注射器を引っ張るも、出て来ない。
「あ・・・ダメ?ダメよね?・・・木村さん」
って。看護士さん。木村さんばかり頼るの辞めて。
この太もわかってるのか、
「イタイイタイーーー」って泣いてるので
モタモタしないで抜いてやってよ。
と思ったけど、まだイケルと読んでるのか
なかなか抜かない。
やっと、諦めて抜いたけど、
この太はすでにびっちゃりの汗だく。
私もこの馬鹿暑い病院の中で、
すっかり着替えるタイミングを逃し
(色々やることがあって出来なかった)
トレーナーのままで、暑いのなんの。
可愛そうにプクっと腫れてきてたので
1度、ハグハグしてやってくれというので
抱っこしてなだめる。
いざ、2回目決行@違う腕。
「今度、木村さんやってよ。ね?木村さん」
と木村さんに助けを求めた担当看護士だったが
木村さんは
「私、しっかりこっち押さえてるから!」
と逃げた。(爆)
結局、違うもう1人の看護士がやったが、
これまた失敗。
また、右腕に戻ってくることになった。
そして、3人目の看護士のトライ。
「これ・・筋肉っぽくない?」
なんて言ってるし、マジ不安なんですけどー。(涙)
たしかに子どもの血管は細いだろうけどさぁ
皆さん、プロっしょ?
(皆さん40代から50代とお見受けします)
この太も限界マックスまで泣いてるし。
しょっぱなにこんな恐怖味わって・・・
これからの事がより一層不安になっちゃったよ。
3度目の正直でやっと入って採血出来たけど、
この太の腕はブス色になってた。
入院中、ずっとその腕見ては思い出したように
「イタイイタイ・・」っ
精神やられてた。(後半はしつこくて笑ったけど)
そんな訳で、この太の精神的ストレスは
スイッチが入ったようだった。
とにかく、私から離れなくなってしまって、
トイレすら行かせてもらえない状態だった。
ダーちんにすら、抱かれるのをイヤがり、
ホントに困った。
(マジで、私、先週来の風邪菌のせいか、
入院中ずっとゲーリーで。泣。
トイレ行かせてもらえないのには、泣きました。)
昼からは心電図と、レントゲン検査。
これは寝てる間に取らないと行けないので
昼寝をするように言われたが、
やっぱり、神経が高ぶっているせいか、寝ない。
もし、寝ないようだったら、
”睡眠シロップ”を使う事になるけど、
可愛そうだからって言われたんだけど、
どう可愛そうかわからず、
あまりに寝ないから「使ってくれ!」とこの時は
思っていたが、抜糸の時に使って
恐ろしい思いをしたので、
やっぱり、使ってなくて良かった・・・。
検査時間終了のタイムリミット30分前にやっと寝て
無事、検査終了出来たが、
レントゲンには起きてしまったので
私に休む暇はなかった。
とにかく、この日は泣いてばかり。
それもこれもあの、血液検査のせいだ。(マジ?)
あとで、一緒に入院していたこの太の1つ上の
子どものお母さんにその話をしたら、
「え?ここでやったの?
外来でも、病棟でも子どもの採血は”小児科”
行って〜んって言われて、うちは小児科で
やってもらったよ。
やっぱり、慣れてるからか、1発よ!」
といわれた。
どうして、この太は小児科送りにならなかったんだろう・・・。
ベテラン看護士の胸中になにがあったのか?
わからん・・・。
昼から、隣の4歳の子どもが入院してきた。
お母さんは森クミさん並の風格だ。(笑)
ちょっとコワそうなお母さんだが、
入院慣れしているらしく、(その子も去年も
入院してたし、上のお子さんも手術経験有り)
レジャーシートや座布団などを持ってきていて
ベッドとベッドの間に
ちょっとしたプレイスポットを作ってくれ、
お互いのおもちゃを出して遊ばせてくれた。
この太もその時だけは、
泣くのを辞めて遊んでいたが、
かといって、大人が離れる訳にもいかない。
ダーちんと2人で交代で休憩しつつ、
入院後初めての一服をした。
はぁーーー・・・。
まだ、数時間しかたってないのに、
なんだかすごく疲れていた。
夜になって、ダーちんが友人宅に
泊まるので、帰ろうとすると
この太は「私も帰る」といわんばかりに泣いて
初めてダーちんに抱っこをせがむポーズをした。
それから、泣きがとまらず、
就寝時間なので、周りに迷惑を掛けてはならないと
1階のロビー辺りの廊下を抱っこで
ゆすりながら、寝かせる事にした。
これが最終日まで続く事になった。
静かな病院のロビー。非常口を示す緑の電気だけが
灯る中、
どこからともなく
「ゆ〜りかご〜の〜う〜たが〜・・・」
と聞こえて来るのは、怖くないっすか?
時々、通る職員がマジでビビってました。(笑)
なんとか、10時半に寝ついたので
ベッドに戻る。
檻の中でこの太の動きに合わせて
ツイスターゲームのように私はすっごい格好で
寝場所を移動させていたので
眠れなかった。
夏とは言え、北海道の朝晩は冷える。
くわえて、こっちは曇り空で
本当に寒い。
この太は寝たまま拉致したが、
厳重にボア毛布でくるみ、
私など、トレーナーにパーカーを着ていた。
(のちに汗だくの結果になるとは・泣)
入院受付を済ませ、病棟へ行く。
この太は「?」な感じだろう。
キョロキョロと辺りを見渡している。
2人部屋に案内されて
もう1人も今日入院の4歳の子どもだと
聞かされてホッとした。
この太は自分より大きいお姉ちゃんお兄ちゃんが
大好きなので、
遊んでもらえて、少しは気が紛れるだろうと
思った。
しかし、自由の利かない病院。
自由に歩き回らせる事も出来ないし、
遊ばせる場所もない。
デイルームったって、老若男女の患者さんが
いる訳だし、
カーペットがあったりする訳でもない。
今日から、この太の自由な場所は
およそ大きなバスタオル1枚分のベッドの上だ。
(BY母も添い寝・辛)
しかも、落下を防ぐために柵は1メートルはある。
そこで私と二人で寝たり、食べたり、遊んだり。
さながら、”動物園のゴリラの親子”のようだ。
最初は珍しげにキョロキョロしていたこの太も
まだ起きているうちから、
パジャマに着替えさせられて、
行動を制限されるとさすがに不安のようだし、
すぐ癇癪を起こしたりし始めた。
そんな中、最初の検査。
”血液検査”で呼ばれた。
チビ相手に(チビ相手だからか・・笑)
看護士が5名。
1名は採血係、4名は押さえつけ係。
採血担当はこの太の担当の看護士。
(耳が遠いらしく、かなり顔を近づけて話すので
息がイヤーン・苦笑)
「ここにあるよね?ね?木村(仮名)さん」
と同僚看護士に同意を求めてるその姿に
若干の不安を持ちつつ、
私もこの太の気をそらす係に回る。
(もちろん、この時点でただならぬ雰囲気を
察知してこの太は大泣き、大暴れ中)
ブス・・っとやったが、不安的中。
ちっとも血が出てこない。
かろうじて少し出て来たので、
さらに注射器を引っ張るも、出て来ない。
「あ・・・ダメ?ダメよね?・・・木村さん」
って。看護士さん。木村さんばかり頼るの辞めて。
この太もわかってるのか、
「イタイイタイーーー」って泣いてるので
モタモタしないで抜いてやってよ。
と思ったけど、まだイケルと読んでるのか
なかなか抜かない。
やっと、諦めて抜いたけど、
この太はすでにびっちゃりの汗だく。
私もこの馬鹿暑い病院の中で、
すっかり着替えるタイミングを逃し
(色々やることがあって出来なかった)
トレーナーのままで、暑いのなんの。
可愛そうにプクっと腫れてきてたので
1度、ハグハグしてやってくれというので
抱っこしてなだめる。
いざ、2回目決行@違う腕。
「今度、木村さんやってよ。ね?木村さん」
と木村さんに助けを求めた担当看護士だったが
木村さんは
「私、しっかりこっち押さえてるから!」
と逃げた。(爆)
結局、違うもう1人の看護士がやったが、
これまた失敗。
また、右腕に戻ってくることになった。
そして、3人目の看護士のトライ。
「これ・・筋肉っぽくない?」
なんて言ってるし、マジ不安なんですけどー。(涙)
たしかに子どもの血管は細いだろうけどさぁ
皆さん、プロっしょ?
(皆さん40代から50代とお見受けします)
この太も限界マックスまで泣いてるし。
しょっぱなにこんな恐怖味わって・・・
これからの事がより一層不安になっちゃったよ。
3度目の正直でやっと入って採血出来たけど、
この太の腕はブス色になってた。
入院中、ずっとその腕見ては思い出したように
「イタイイタイ・・」っ
精神やられてた。(後半はしつこくて笑ったけど)
そんな訳で、この太の精神的ストレスは
スイッチが入ったようだった。
とにかく、私から離れなくなってしまって、
トイレすら行かせてもらえない状態だった。
ダーちんにすら、抱かれるのをイヤがり、
ホントに困った。
(マジで、私、先週来の風邪菌のせいか、
入院中ずっとゲーリーで。泣。
トイレ行かせてもらえないのには、泣きました。)
昼からは心電図と、レントゲン検査。
これは寝てる間に取らないと行けないので
昼寝をするように言われたが、
やっぱり、神経が高ぶっているせいか、寝ない。
もし、寝ないようだったら、
”睡眠シロップ”を使う事になるけど、
可愛そうだからって言われたんだけど、
どう可愛そうかわからず、
あまりに寝ないから「使ってくれ!」とこの時は
思っていたが、抜糸の時に使って
恐ろしい思いをしたので、
やっぱり、使ってなくて良かった・・・。
検査時間終了のタイムリミット30分前にやっと寝て
無事、検査終了出来たが、
レントゲンには起きてしまったので
私に休む暇はなかった。
とにかく、この日は泣いてばかり。
それもこれもあの、血液検査のせいだ。(マジ?)
あとで、一緒に入院していたこの太の1つ上の
子どものお母さんにその話をしたら、
「え?ここでやったの?
外来でも、病棟でも子どもの採血は”小児科”
行って〜んって言われて、うちは小児科で
やってもらったよ。
やっぱり、慣れてるからか、1発よ!」
といわれた。
どうして、この太は小児科送りにならなかったんだろう・・・。
ベテラン看護士の胸中になにがあったのか?
わからん・・・。
昼から、隣の4歳の子どもが入院してきた。
お母さんは森クミさん並の風格だ。(笑)
ちょっとコワそうなお母さんだが、
入院慣れしているらしく、(その子も去年も
入院してたし、上のお子さんも手術経験有り)
レジャーシートや座布団などを持ってきていて
ベッドとベッドの間に
ちょっとしたプレイスポットを作ってくれ、
お互いのおもちゃを出して遊ばせてくれた。
この太もその時だけは、
泣くのを辞めて遊んでいたが、
かといって、大人が離れる訳にもいかない。
ダーちんと2人で交代で休憩しつつ、
入院後初めての一服をした。
はぁーーー・・・。
まだ、数時間しかたってないのに、
なんだかすごく疲れていた。
夜になって、ダーちんが友人宅に
泊まるので、帰ろうとすると
この太は「私も帰る」といわんばかりに泣いて
初めてダーちんに抱っこをせがむポーズをした。
それから、泣きがとまらず、
就寝時間なので、周りに迷惑を掛けてはならないと
1階のロビー辺りの廊下を抱っこで
ゆすりながら、寝かせる事にした。
これが最終日まで続く事になった。
静かな病院のロビー。非常口を示す緑の電気だけが
灯る中、
どこからともなく
「ゆ〜りかご〜の〜う〜たが〜・・・」
と聞こえて来るのは、怖くないっすか?
時々、通る職員がマジでビビってました。(笑)
なんとか、10時半に寝ついたので
ベッドに戻る。
檻の中でこの太の動きに合わせて
ツイスターゲームのように私はすっごい格好で
寝場所を移動させていたので
眠れなかった。
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ではでは〜♪
2003年7月21日やっと、準備出来ました(ぽっ)
ついでに(!?)
芝生も蒔かれて、
我が家はまるで夜逃げでも
しそうなくらい綺麗でつ。(爆)
あとは明日朝5時に起きるだけ。
ついでに(!?)
芝生も蒔かれて、
我が家はまるで夜逃げでも
しそうなくらい綺麗でつ。(爆)
あとは明日朝5時に起きるだけ。
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またかよ。(萎)
2003年7月20日なんとか準備も
形が着いて来て安堵。
そこへまたしても「お出かけ前の辛口チェ〜ック」
が入った。
そう。我が両親様。
我が家の愛犬ボンボンを預かってもらうように
お願いしてあったんだけど
父が軽トラで迎えに来てもらう段取りだった。
そのついで(?)に
庭に芝生の種を蒔いてやるから・・と。
「もちろん、雑草は綺麗に抜いてあるのだろう」
いえいえ。父上。
荒れておりまする。
昨日、ゴルフへ行ったダーちんが
点数稼ぎのつもりで
一昨日早起きして
「草、刈っといたから」
と鼻の穴おっ広げてのたまったが、
言われるまで気付かなかったし、
見た限り”刈った”のではなく
”倒した”もしくは”寝かせた”はたまた
”撫でた”が正解だろう。(泣)
まぁ、そこで軽く母からのお小言もらい〜の、
家のこともやらずにゴルフってるムコにも
軽いジャブお見舞いの、
またやられますた。
だけど、私はこの太がウロウロ危なくて
1人で草刈り出来ないし、
この前、ボンボンハウスの草刈して
風邪引いたし、
この3連休であまり体力は使いたくないのよ〜。(切実)
家ん中のことで
イッパイイッパイだっつーの。
月曜に父が来たら、
やらされるんだろぉーなぁー・・・。
筋肉痛で出発ケテーイ!
形が着いて来て安堵。
そこへまたしても「お出かけ前の辛口チェ〜ック」
が入った。
そう。我が両親様。
我が家の愛犬ボンボンを預かってもらうように
お願いしてあったんだけど
父が軽トラで迎えに来てもらう段取りだった。
そのついで(?)に
庭に芝生の種を蒔いてやるから・・と。
「もちろん、雑草は綺麗に抜いてあるのだろう」
いえいえ。父上。
荒れておりまする。
昨日、ゴルフへ行ったダーちんが
点数稼ぎのつもりで
一昨日早起きして
「草、刈っといたから」
と鼻の穴おっ広げてのたまったが、
言われるまで気付かなかったし、
見た限り”刈った”のではなく
”倒した”もしくは”寝かせた”はたまた
”撫でた”が正解だろう。(泣)
まぁ、そこで軽く母からのお小言もらい〜の、
家のこともやらずにゴルフってるムコにも
軽いジャブお見舞いの、
またやられますた。
だけど、私はこの太がウロウロ危なくて
1人で草刈り出来ないし、
この前、ボンボンハウスの草刈して
風邪引いたし、
この3連休であまり体力は使いたくないのよ〜。(切実)
家ん中のことで
イッパイイッパイだっつーの。
月曜に父が来たら、
やらされるんだろぉーなぁー・・・。
筋肉痛で出発ケテーイ!
今日したこと・・ショボイ。
2003年7月17日いよいよ、カウントダウンとなった
入院だが、
一向に準備に着手出来ない。(涙)
だってー、何日か分の各々の服なんか
衣装持ちじゃないし、
洗濯が乾くまで入れれないよぅー!
ましてや、日用品は当日朝まで
使うモンだってあるしさ。けっ。(←開き直りの「けっ」)
結局、今日した事は
入院申し込み書の
「保証人」の欄に義母に印鑑を押してもらいに
行った事だった。
ショボイ・・ショボ過ぎだ。
週末は猛ダッシュでやらねば
ならぬ。
頑張りマッスル!(サムっ)
入院だが、
一向に準備に着手出来ない。(涙)
だってー、何日か分の各々の服なんか
衣装持ちじゃないし、
洗濯が乾くまで入れれないよぅー!
ましてや、日用品は当日朝まで
使うモンだってあるしさ。けっ。(←開き直りの「けっ」)
結局、今日した事は
入院申し込み書の
「保証人」の欄に義母に印鑑を押してもらいに
行った事だった。
ショボイ・・ショボ過ぎだ。
週末は猛ダッシュでやらねば
ならぬ。
頑張りマッスル!(サムっ)
使用前、使用後。
2003年7月16日今日はこの太が9時半まで
寝ていたので、マッタリ朝タイムを満喫していた。
ようやく起きたこの太に朝ご飯を食べさせて
私もやっとエンジンがかかり、
朝シャン(死語なのか?)をしていると
けたたましく鳴くボンボン。
これは誰か来たはずだ。
窓から見るとママ友2人組@ちゃり。
急いでも、もう遅い。
頭のターバンバスタオルをはずす間もなく
ピンポーンが鳴る。
「ごみーん。こんな私ですが(照)」
と出てしまいました。
いや、もういいの。彼女達2人は
ハダカの付き合いだ。
もう、今更カッコつけてもしかたあるまい。
外がうすら寒いので、
待たすわけにも行かず
「汚いけど・・・」と勧めるも、
ホントに汚かった。(今の今まで気付かなかった)
しかも、一緒にボヨヨーンと出てきたこの太の
格好ったら無かった。
昨日、洗濯をMAXでしたが、
天気が悪くて乾かず、しかたないので
ボタンの1個取れたパジャマの上、
対ではないパジャマのズボン(しかも
ジャバラな腹巻ウエスト付き)という
「いつものこの太ちゃん」とは
雲泥の差の貧困さ。
まるでフーテンの寅さんだ。
「こいつ。。まだパジャマだったんだっけ」
と思ったのは、皆を招き入れて
興奮して小躍りした娘を直視したときだった。(汗)
荒れ果てた我が家に通すのは、
ハダカの付き合いだからよ(しつこい)
と心に言い訳しつつ、
しばし歓談。
みんな、この太が入院する前に
って来てくれたわけで
有りがたかったです。
Rママの2人目出来ちゃった宣言なんかも
飛び出して、
久しぶりに話したので
時間が足りない模様。
昼準備もあるので、泣く泣く解散となったが
お名残おしゅー我々、
「昼からも集まる?」
って方向へ。
結局、3時に我が家再集合って事で
話がまとまり、一旦解散。
それから私の戦いは始まったのだ。
なんせ、マッタリ朝タイムの分出遅れただけなら
まだしも、結局おしゃべりタイムへ
移行したために
とんでもないロスタイムを過ごしてしまった。
昼準備をマッハで終わらせ、
掃除機をかけ、拭き掃除、
便所、洗面台の掃除などなど・・・
先週からやる予定(!)だったところも
含めてやりにやりまくりました。ハァハァ。
午前中とは見違えるほどの我が家・・・
彼女達はいったい、どう感じ取ったのでしょうか。
(怖)
でも、お陰で
今まで風邪でダルッダルだったけど
やっとシャンとしました。
部屋もラストスパートで綺麗に出来たし、
一石二鳥なのか?(謎)
寝ていたので、マッタリ朝タイムを満喫していた。
ようやく起きたこの太に朝ご飯を食べさせて
私もやっとエンジンがかかり、
朝シャン(死語なのか?)をしていると
けたたましく鳴くボンボン。
これは誰か来たはずだ。
窓から見るとママ友2人組@ちゃり。
急いでも、もう遅い。
頭のターバンバスタオルをはずす間もなく
ピンポーンが鳴る。
「ごみーん。こんな私ですが(照)」
と出てしまいました。
いや、もういいの。彼女達2人は
ハダカの付き合いだ。
もう、今更カッコつけてもしかたあるまい。
外がうすら寒いので、
待たすわけにも行かず
「汚いけど・・・」と勧めるも、
ホントに汚かった。(今の今まで気付かなかった)
しかも、一緒にボヨヨーンと出てきたこの太の
格好ったら無かった。
昨日、洗濯をMAXでしたが、
天気が悪くて乾かず、しかたないので
ボタンの1個取れたパジャマの上、
対ではないパジャマのズボン(しかも
ジャバラな腹巻ウエスト付き)という
「いつものこの太ちゃん」とは
雲泥の差の貧困さ。
まるでフーテンの寅さんだ。
「こいつ。。まだパジャマだったんだっけ」
と思ったのは、皆を招き入れて
興奮して小躍りした娘を直視したときだった。(汗)
荒れ果てた我が家に通すのは、
ハダカの付き合いだからよ(しつこい)
と心に言い訳しつつ、
しばし歓談。
みんな、この太が入院する前に
って来てくれたわけで
有りがたかったです。
Rママの2人目出来ちゃった宣言なんかも
飛び出して、
久しぶりに話したので
時間が足りない模様。
昼準備もあるので、泣く泣く解散となったが
お名残おしゅー我々、
「昼からも集まる?」
って方向へ。
結局、3時に我が家再集合って事で
話がまとまり、一旦解散。
それから私の戦いは始まったのだ。
なんせ、マッタリ朝タイムの分出遅れただけなら
まだしも、結局おしゃべりタイムへ
移行したために
とんでもないロスタイムを過ごしてしまった。
昼準備をマッハで終わらせ、
掃除機をかけ、拭き掃除、
便所、洗面台の掃除などなど・・・
先週からやる予定(!)だったところも
含めてやりにやりまくりました。ハァハァ。
午前中とは見違えるほどの我が家・・・
彼女達はいったい、どう感じ取ったのでしょうか。
(怖)
でも、お陰で
今まで風邪でダルッダルだったけど
やっとシャンとしました。
部屋もラストスパートで綺麗に出来たし、
一石二鳥なのか?(謎)