更に増えたんだろうな。
2002年6月18日W杯熱も予選リーグ敗退ならそろそろ冷めていただろうに、
決勝トーナメント進出が決まり、いよいよ今日はトルコ戦。
Jリーガーとして名前が売れている彼らだろうが、
これでまた親戚、知人、相当増えたんだろうな。
やっぱり”有名人と知り合い(遠いけど:小声)”
って言うのはやっぱり言ってみたいもんよね。
私にもいる。
某グループの女性ボーカルが私の高校の先輩。
見たことある程度でも”後輩なんだよ〜”と言えるものだが、結構可愛がってもらった。
同じクラブに入っていたし、弟が同級生で友達とつき合っていたし、
女の先輩仲間と私たち後輩の仲間はすごく仲良くて
よく放課後焼鳥屋の二階で集まり、
私は先輩とシブガキ隊を結成したり、セイントフォー(覚えてる方いるかしら?)を結成したりして遊んだりした。
先輩が卒業後、上京し、1年後に私が受験で東京へ行った時もお茶しよう!って誘ってくれた。
電話もよくした。
↑これは売れる前のお話。
1曲ヒットしてからも東京へ遊びに行った時は
連絡すると「入り口で言えばわかるようになってるから」とコンサにも入れてくれたし、
楽屋にも行けば、
「あのアンケート、この太が書いたでしょ〜!?」
なんて話してくれる”先輩”だった。
彼女たちはあれよあれよという間に売れた。
そして、いよいよ凱旋コンサートが決まった。
もちろん、見に行った私たち後輩と先輩たちは
大きくなって帰って来た彼女を見て
感動して泣きながら一緒に歌った。
そして、楽屋でねぎらい、
”先に飲みに行ってるから”と
私たちは夜の町へ出掛けた。
先輩たちと懐かしく昔話をしながら宴もたけなわ、
さて、2次会へ向かおうか、
”彼女もそっちで合流するし”
ってことで店を出てエレベーターに乗るとある1人の先輩から
■じゃ〜ココからは同級生だけでってことで■
と言われた。
へ?うちらは帰れと??
それは彼女も同意のコトなの?
なんだかムカっと来た。
だって、今までそんなことなかったじゃん。
売れたから1人占め?
私たちだけの彼女?
たしかに彼女の成功は私たち後輩にとっても
鼻が高い出来事だ。
でも、貴方ガタ先輩と同様、私たちにとって
彼女は”スター”であると同時に
”先輩の1人”に過ぎないのだ。
だから、知り合いに頼まれてもサインはねだった
こともないし、プライベートなコトは他言したことだってない。
彼女の意志ではないことはわかっていても
理解してもらえてなかった先輩たちにはがっかりした。
それからしばらくして、また先輩のコンサがあった。
私は行かなかったが、私の友達が行った。
それはある公開番組中に彼女が”後輩来てる〜?!
”と声をかけてくれて、スタッフを通して連絡先を
教えてくれ、次の日のコンサに招待してくれたのだ。
正月にこっそり帰省すると後輩のクラス会に
乱入して、持ち歌を一緒に歌ってくれたりもする。
■やっぱり先輩は先輩なんだ■
と思った。
変わったのは、やはり周りの”友人・知人”であって彼女はさほど変わっていないんだと思った。
後輩を可愛がる先輩のままなんだ。
故郷を離れている分、昔を懐かしみ大事にしてくれるんだと思った。
それから私はあまり”彼女に可愛がってもらった”
とか”彼女を知ってる”とか言わなくなった。
先輩との思い出はココにあるし、
時々関わる先輩がとっても暖かいから
私も大事にしたいと思うから。
では、ガンバレ!ニッポン!
決勝トーナメント進出が決まり、いよいよ今日はトルコ戦。
Jリーガーとして名前が売れている彼らだろうが、
これでまた親戚、知人、相当増えたんだろうな。
やっぱり”有名人と知り合い(遠いけど:小声)”
って言うのはやっぱり言ってみたいもんよね。
私にもいる。
某グループの女性ボーカルが私の高校の先輩。
見たことある程度でも”後輩なんだよ〜”と言えるものだが、結構可愛がってもらった。
同じクラブに入っていたし、弟が同級生で友達とつき合っていたし、
女の先輩仲間と私たち後輩の仲間はすごく仲良くて
よく放課後焼鳥屋の二階で集まり、
私は先輩とシブガキ隊を結成したり、セイントフォー(覚えてる方いるかしら?)を結成したりして遊んだりした。
先輩が卒業後、上京し、1年後に私が受験で東京へ行った時もお茶しよう!って誘ってくれた。
電話もよくした。
↑これは売れる前のお話。
1曲ヒットしてからも東京へ遊びに行った時は
連絡すると「入り口で言えばわかるようになってるから」とコンサにも入れてくれたし、
楽屋にも行けば、
「あのアンケート、この太が書いたでしょ〜!?」
なんて話してくれる”先輩”だった。
彼女たちはあれよあれよという間に売れた。
そして、いよいよ凱旋コンサートが決まった。
もちろん、見に行った私たち後輩と先輩たちは
大きくなって帰って来た彼女を見て
感動して泣きながら一緒に歌った。
そして、楽屋でねぎらい、
”先に飲みに行ってるから”と
私たちは夜の町へ出掛けた。
先輩たちと懐かしく昔話をしながら宴もたけなわ、
さて、2次会へ向かおうか、
”彼女もそっちで合流するし”
ってことで店を出てエレベーターに乗るとある1人の先輩から
■じゃ〜ココからは同級生だけでってことで■
と言われた。
へ?うちらは帰れと??
それは彼女も同意のコトなの?
なんだかムカっと来た。
だって、今までそんなことなかったじゃん。
売れたから1人占め?
私たちだけの彼女?
たしかに彼女の成功は私たち後輩にとっても
鼻が高い出来事だ。
でも、貴方ガタ先輩と同様、私たちにとって
彼女は”スター”であると同時に
”先輩の1人”に過ぎないのだ。
だから、知り合いに頼まれてもサインはねだった
こともないし、プライベートなコトは他言したことだってない。
彼女の意志ではないことはわかっていても
理解してもらえてなかった先輩たちにはがっかりした。
それからしばらくして、また先輩のコンサがあった。
私は行かなかったが、私の友達が行った。
それはある公開番組中に彼女が”後輩来てる〜?!
”と声をかけてくれて、スタッフを通して連絡先を
教えてくれ、次の日のコンサに招待してくれたのだ。
正月にこっそり帰省すると後輩のクラス会に
乱入して、持ち歌を一緒に歌ってくれたりもする。
■やっぱり先輩は先輩なんだ■
と思った。
変わったのは、やはり周りの”友人・知人”であって彼女はさほど変わっていないんだと思った。
後輩を可愛がる先輩のままなんだ。
故郷を離れている分、昔を懐かしみ大事にしてくれるんだと思った。
それから私はあまり”彼女に可愛がってもらった”
とか”彼女を知ってる”とか言わなくなった。
先輩との思い出はココにあるし、
時々関わる先輩がとっても暖かいから
私も大事にしたいと思うから。
では、ガンバレ!ニッポン!
お疲れ、この太。
2002年6月17日週末は2週間ぶりに両方の親の家へ出掛けた。
父の日だったこともあるけれど、
ほっとくと両方の親ともあまり私たちに関与しないからだ。
私たちは期待していた。
両家にとって初孫のこの太を
世間でよく聞く、
「もう!義母がもっさい服を買って来るんです〜」
とか、
「抜き打ちで孫の顔を見に来るんです〜」
とか、そういうコトがあるのではないかと・・・。
■イヤン〜、どうやってかわそう♪■
なんて色々ダーちんと想像を巡らせた新生児時代。
私たちは甘かった。
両親たちはあまりに待ちこがれた孫に(結婚7年目の上、高齢出産に片足つっこんだ状態)冷静さを身につけ、
周りの爺婆の先輩達からいろんなアドバイスを受け
接してくれている。
なので、服やおもちゃはすぐ使えなくなるからと
買わないし、
わざわざ来るコトもない。
ま、期待してたとかではなく、
そんな聞いたことのある悩みもこの太のおかげで味わっちゃうのかな?なんて思っていただけなんだけどね。
(ん〜でも、正直少しは期待したかな・・白状)
そんな訳で久々に父の日のプレゼントをぶら下げて
この太を見せに行って来た。
会わなかった2週間の間に(ダーちん爺は1ヶ月ぶり)この太は寝返りグルングルンで自由自在に床を転げ回るという技と、うつぶせで飛行機ブンブ〜ンと手を広げる技を身につけていたので、
どっちの爺婆の家でも披露させられた。
爺婆、非常に大喜び。
何度も何度も
「この太、ブンブ〜ンは?」と技の披露をせがむ。
誰に似たのか、小鼻を広げて得意気にその期待に応えて、飛行機を披露しまくるこの太。
なんだか、かわいそうな気がし始めた私。
こうやって、この太は
”初たっち”
”初あんよ”
”初しゃべり”
など、何度も何度も披露させられるのよね。
子どもは繰り返しが好きだと言うので
さながら嫌ではないのだろうか・・・。
そんなコトを思いながらも、
2日間渡り歩いた実家からの帰り、
車の中でスーピースーピー言って寝ているこの太を
■お疲れさま■
という思いで見つめる母なのであった。
そして、母もなんだか疲れました。
父の日だったこともあるけれど、
ほっとくと両方の親ともあまり私たちに関与しないからだ。
私たちは期待していた。
両家にとって初孫のこの太を
世間でよく聞く、
「もう!義母がもっさい服を買って来るんです〜」
とか、
「抜き打ちで孫の顔を見に来るんです〜」
とか、そういうコトがあるのではないかと・・・。
■イヤン〜、どうやってかわそう♪■
なんて色々ダーちんと想像を巡らせた新生児時代。
私たちは甘かった。
両親たちはあまりに待ちこがれた孫に(結婚7年目の上、高齢出産に片足つっこんだ状態)冷静さを身につけ、
周りの爺婆の先輩達からいろんなアドバイスを受け
接してくれている。
なので、服やおもちゃはすぐ使えなくなるからと
買わないし、
わざわざ来るコトもない。
ま、期待してたとかではなく、
そんな聞いたことのある悩みもこの太のおかげで味わっちゃうのかな?なんて思っていただけなんだけどね。
(ん〜でも、正直少しは期待したかな・・白状)
そんな訳で久々に父の日のプレゼントをぶら下げて
この太を見せに行って来た。
会わなかった2週間の間に(ダーちん爺は1ヶ月ぶり)この太は寝返りグルングルンで自由自在に床を転げ回るという技と、うつぶせで飛行機ブンブ〜ンと手を広げる技を身につけていたので、
どっちの爺婆の家でも披露させられた。
爺婆、非常に大喜び。
何度も何度も
「この太、ブンブ〜ンは?」と技の披露をせがむ。
誰に似たのか、小鼻を広げて得意気にその期待に応えて、飛行機を披露しまくるこの太。
なんだか、かわいそうな気がし始めた私。
こうやって、この太は
”初たっち”
”初あんよ”
”初しゃべり”
など、何度も何度も披露させられるのよね。
子どもは繰り返しが好きだと言うので
さながら嫌ではないのだろうか・・・。
そんなコトを思いながらも、
2日間渡り歩いた実家からの帰り、
車の中でスーピースーピー言って寝ているこの太を
■お疲れさま■
という思いで見つめる母なのであった。
そして、母もなんだか疲れました。
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価格戦争のない町?
2002年6月13日私の住んでいる町は人口7000人。
老人も多いし、農家や牛屋さんも多い。
私は隣の市出身者で、ダーちんも隣町出身。
縁もゆかりもないこの町に住み着いたのは
ダーちんの職場がこの町で、
職場の方針上、”この町に住んで勤める”
だったので、ここへ引っ越して来た。
当時私はここから40キロ離れた隣の市に
通勤していて、本来なら中間の町に住みたいくらい
だったが、それは許されなかった。
勤めにセッセと通っているうちは
”市”の方で買い物をして帰って来ることが
多かったが、専業主婦になってからは
週末に出掛ける以外、わざわざ何十キロもかけて
町を出ることもないと思い、
町内で買い物でもしようかと
やっと新聞折り込み広告など真剣に見るようになった。
この町にはメインのスーパー(と呼んでいいのか?)が2軒ある。
その2軒のチラシを見て私はおののいた。
■大特価!ティッシュ200W5箱458円■
そんな大特価今まで見たことなかった。
私の知る限り、大特価といえば、
250円以下だろう?
(278円でも特価くらい)
そりゃ〜定価よりは安いでしょうが、
”大”をつけるのはいかがなもんでしょうか?
これだもの、近郊の大型スーパーへ
週末になると出掛ける町民が増える訳です。
(ご近所さんに普段は逢わないがナゼか週末隣の市のスーパーで遭遇することが多々ありまする。)
でも、最近思うのだ。
たしかに、往復80キロのガソリン代をかけて
安いスーパーにティッシュを買いに行くとする。
すると、
「あら、コレも安いじゃない」
に始まって、
「コレ(今すぐ必要ないモノ)欲しい〜」
となり、
「コレ(大して居るモノでもない)可愛い〜」
と発展していき、
安い買い物だったハズが知らぬ間に
余計なものまで買って財布の中から諭吉がグッバイ
ってなコトになるのだ。
ある意味、おとなしく町内でティッシュを買えば
458円で済んだかもしれない。
そう思うと、実は
”大特価”はまんざら嘘ではないように思う今日この頃なのである。
老人も多いし、農家や牛屋さんも多い。
私は隣の市出身者で、ダーちんも隣町出身。
縁もゆかりもないこの町に住み着いたのは
ダーちんの職場がこの町で、
職場の方針上、”この町に住んで勤める”
だったので、ここへ引っ越して来た。
当時私はここから40キロ離れた隣の市に
通勤していて、本来なら中間の町に住みたいくらい
だったが、それは許されなかった。
勤めにセッセと通っているうちは
”市”の方で買い物をして帰って来ることが
多かったが、専業主婦になってからは
週末に出掛ける以外、わざわざ何十キロもかけて
町を出ることもないと思い、
町内で買い物でもしようかと
やっと新聞折り込み広告など真剣に見るようになった。
この町にはメインのスーパー(と呼んでいいのか?)が2軒ある。
その2軒のチラシを見て私はおののいた。
■大特価!ティッシュ200W5箱458円■
そんな大特価今まで見たことなかった。
私の知る限り、大特価といえば、
250円以下だろう?
(278円でも特価くらい)
そりゃ〜定価よりは安いでしょうが、
”大”をつけるのはいかがなもんでしょうか?
これだもの、近郊の大型スーパーへ
週末になると出掛ける町民が増える訳です。
(ご近所さんに普段は逢わないがナゼか週末隣の市のスーパーで遭遇することが多々ありまする。)
でも、最近思うのだ。
たしかに、往復80キロのガソリン代をかけて
安いスーパーにティッシュを買いに行くとする。
すると、
「あら、コレも安いじゃない」
に始まって、
「コレ(今すぐ必要ないモノ)欲しい〜」
となり、
「コレ(大して居るモノでもない)可愛い〜」
と発展していき、
安い買い物だったハズが知らぬ間に
余計なものまで買って財布の中から諭吉がグッバイ
ってなコトになるのだ。
ある意味、おとなしく町内でティッシュを買えば
458円で済んだかもしれない。
そう思うと、実は
”大特価”はまんざら嘘ではないように思う今日この頃なのである。
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寝れない症候群。
2002年6月11日■明日はこの太のBCGの日です。■
■明日はダーちんの朝野球(4時半起床)の日です。■
私は、遠足や運動会の前の日に眠れなかったクチです。
遠足はともかく、運動会など、
ウンチの私にしたら楽しみな訳ではないけれど、
あれこれ、考えてる(た)んだろうね。
子どもなりに。
”転んだらどうしよう”とか、
”万が一1等賞になったらどうしよう”(笑)とか。
勤めてからも
明日が参観日だとか、発表会だとか、
なにか行事があるたびに
寝る前にナゼか頭の中でリハーサルしてて
興奮し、不安になり、緊張し、
眠れなくなってしまうのである。
仕事を辞めてからは随分少なくなって
よく寝れるようになった。
たま〜に「明日友達と飲みに行く」って時くらい。(笑)
”ナニ話そうかな・・ツカミはあの話で・・”
なんて、ネタ考えてたりしてね。
(宴会部長だったんだ・・私)
この太が生まれてからは
もっぱらこの太の行事で寝れないことが増えた。
子どもって行事多いんだね。
予防接種に、検診。
久々の寝れない症候群にドキドキする今日この頃です。
■明日はダーちんの朝野球(4時半起床)の日です。■
私は、遠足や運動会の前の日に眠れなかったクチです。
遠足はともかく、運動会など、
ウンチの私にしたら楽しみな訳ではないけれど、
あれこれ、考えてる(た)んだろうね。
子どもなりに。
”転んだらどうしよう”とか、
”万が一1等賞になったらどうしよう”(笑)とか。
勤めてからも
明日が参観日だとか、発表会だとか、
なにか行事があるたびに
寝る前にナゼか頭の中でリハーサルしてて
興奮し、不安になり、緊張し、
眠れなくなってしまうのである。
仕事を辞めてからは随分少なくなって
よく寝れるようになった。
たま〜に「明日友達と飲みに行く」って時くらい。(笑)
”ナニ話そうかな・・ツカミはあの話で・・”
なんて、ネタ考えてたりしてね。
(宴会部長だったんだ・・私)
この太が生まれてからは
もっぱらこの太の行事で寝れないことが増えた。
子どもって行事多いんだね。
予防接種に、検診。
久々の寝れない症候群にドキドキする今日この頃です。
やっぱり今日はこの話題。
2002年6月10日■今日はこの太のツ反でした。■
瞬間視聴率81%というのはスゴイんでしょうね。
今日はやっぱり、Wカップ話しかないよね。
ドキドキしましたなぁ。
選手になって見る人、サポーターとして見る人、
監督になって見る人、冷めて見る人・・
色々な見方で観戦したことでしょう。
我々夫婦は”監督”になって観戦しました。
(私は通訳も兼任→事情はダーちんがカミカミ星人 だから)
サッカーだけではなく、野球も”監督派”な
我々、長嶋さんにもなったし、ノムさんにもなった
し、今じゃ〜原さんでっす。
とにかく、采配にはうるさい我ら。
「お〜しっ!交代かっ!柳沢だな」
・・・・へ?鈴木出しちゃう?
そりゃないんじゃないの。トルちゃん!
「お〜っしっ!ゴン出すかいっ!?ならば、
あの疲れてるアイツ・・(名前わからん・汗)」
・・・・ええっ!稲本出しちゃう?
もう1点入れてくれたりするかもよぉ〜!
なんちゃって監督の采配はことごとくハズレたが
ニッポンは勝利したので、文句なしってことで。
監督になった我々は
トルちゃんのガムは後半すでに
味がなくなっているんじゃないかと
気になってしかたなかった。
通訳の人は後半もう噛んでなかったし〜。
話は若干時間を戻して、
日曜の昼間、スポーツショップへ行くと
青のニッポングッズが売られているコーナー
があった。
メガホンとシャツを持って購入寸前のカップルを見て我々は
「アレ持って家で応援するんじゃないの」と
ちょい微笑。
試合終了後、ダーちんが言った。
「14日までに背番号5のユニフォーム買っといて」・・・・・・
我が家もワールドカップにおける経済効果に
一役買いそうな盛り上がりです。
瞬間視聴率81%というのはスゴイんでしょうね。
今日はやっぱり、Wカップ話しかないよね。
ドキドキしましたなぁ。
選手になって見る人、サポーターとして見る人、
監督になって見る人、冷めて見る人・・
色々な見方で観戦したことでしょう。
我々夫婦は”監督”になって観戦しました。
(私は通訳も兼任→事情はダーちんがカミカミ星人 だから)
サッカーだけではなく、野球も”監督派”な
我々、長嶋さんにもなったし、ノムさんにもなった
し、今じゃ〜原さんでっす。
とにかく、采配にはうるさい我ら。
「お〜しっ!交代かっ!柳沢だな」
・・・・へ?鈴木出しちゃう?
そりゃないんじゃないの。トルちゃん!
「お〜っしっ!ゴン出すかいっ!?ならば、
あの疲れてるアイツ・・(名前わからん・汗)」
・・・・ええっ!稲本出しちゃう?
もう1点入れてくれたりするかもよぉ〜!
なんちゃって監督の采配はことごとくハズレたが
ニッポンは勝利したので、文句なしってことで。
監督になった我々は
トルちゃんのガムは後半すでに
味がなくなっているんじゃないかと
気になってしかたなかった。
通訳の人は後半もう噛んでなかったし〜。
話は若干時間を戻して、
日曜の昼間、スポーツショップへ行くと
青のニッポングッズが売られているコーナー
があった。
メガホンとシャツを持って購入寸前のカップルを見て我々は
「アレ持って家で応援するんじゃないの」と
ちょい微笑。
試合終了後、ダーちんが言った。
「14日までに背番号5のユニフォーム買っといて」・・・・・・
我が家もワールドカップにおける経済効果に
一役買いそうな盛り上がりです。
寝返りのその後。
2002年6月7日5ヶ月と1日で”初寝返り”を確認するも、
それから3,4日はなんの変化もなく
過ごしていた。
■やっぱりアレは偶然だったのかな〜?■
なんて思っていたら、昨日から
急にこの太は寝返りを完全にマスターし始めていた。
スゴイもんだね。
ホント、感動というか、感心するというか・・・。
子どもってどうして急に昨日出来なかったことが
今日になると急に出来てしまったりするんだろう。
幼稚園に勤めていた頃も
驚かされることがたくさん有ったけど
こんな小さい子どもの”初めて”に遭遇するのは
初めてなので、ホント感動だよ。
6畳の部屋を今はこの太の部屋として
使っている。
3畳程度のマットとお昼寝マットの上が
この太の定位置なんだけど、
今まではだいたいゴロンと寝かされた場所で
手足バタバタくらいの行動範囲だったこの太。
昨日からは気づけばマットのない畳の上で
カリカリカリ・・・・・。
”リスが木の実でも食べてるような音”
がするので見ると
畳をツメでカリカリしてる。
右回りしか出来ないみたいなので
頭を逆に置くと今度は反対側へ
ゴロンゴロンカリカリカリカリ・・・・・。
おもしろい。(笑)
おもしろがってばかりはいられない。
今日はこの太のゴロカリ行動の妨げになる物体の
撤去作業に追われる。
いよいよ我が家も下にモノが置けない生活が
始まるようだ。
なんだか、新学期みたいでワクワクする。
それから3,4日はなんの変化もなく
過ごしていた。
■やっぱりアレは偶然だったのかな〜?■
なんて思っていたら、昨日から
急にこの太は寝返りを完全にマスターし始めていた。
スゴイもんだね。
ホント、感動というか、感心するというか・・・。
子どもってどうして急に昨日出来なかったことが
今日になると急に出来てしまったりするんだろう。
幼稚園に勤めていた頃も
驚かされることがたくさん有ったけど
こんな小さい子どもの”初めて”に遭遇するのは
初めてなので、ホント感動だよ。
6畳の部屋を今はこの太の部屋として
使っている。
3畳程度のマットとお昼寝マットの上が
この太の定位置なんだけど、
今まではだいたいゴロンと寝かされた場所で
手足バタバタくらいの行動範囲だったこの太。
昨日からは気づけばマットのない畳の上で
カリカリカリ・・・・・。
”リスが木の実でも食べてるような音”
がするので見ると
畳をツメでカリカリしてる。
右回りしか出来ないみたいなので
頭を逆に置くと今度は反対側へ
ゴロンゴロンカリカリカリカリ・・・・・。
おもしろい。(笑)
おもしろがってばかりはいられない。
今日はこの太のゴロカリ行動の妨げになる物体の
撤去作業に追われる。
いよいよ我が家も下にモノが置けない生活が
始まるようだ。
なんだか、新学期みたいでワクワクする。
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なんとも言えず、照れくさい瞬間。
2002年6月6日今日は午前中に入金を済ませたいので
スーパーのATMコーナーへ開店と同時に出掛ける。
開店間際だし、並んでいる人もなく
サラリとATMの前へ。
私はこう見えても(どう見えて?→167センチ)
肝っ玉のチイサイ人間です。
ATMで後ろに人が並ぶとモタモタしてる訳でもないけど、「急がなくちゃ!」と思ったり、
自分が2件(引き出しと振り込み)用事があっても
後ろに人がいるとまず1件だけ終わらせて、
いったんその場を去り、後からまた並ぶという
怪しい行動に出るコトもあります。
(そのクセ、前の人が振り込みなどでモタついてる
と心の中では拳を握りしめる身勝手な女です。)
なので、私はATMの前の鏡で常に後ろに人が並ばないか、また列が出来てないか、をチラチラ確認するのがクセになっています。(怪しいっつ〜の。)
今日も鏡を覗くが自分の肩しか映ってないし、
ゆっくり2件の用事を終えて、
財布を閉じながら後ろを振り返ると、
人がいるではないかっ!
かなり、ビックリした。
その方、私と同じ”オレンジのTシャツ”を
お召しになっていたのです。
色だけしか一緒じゃないんだけれど、
■自分の肩■だと思っていたのは■その方の肩■
だった訳です。
なんと気まずい・・・。
■見知らぬ人と洋服がカブル■
ということはこんな小さな街だとよくあります。
(なんたってデパートが3つしかないんだから)
ここにはユニ●ロがないんだけど、
きっとみんな通販や札幌へ出掛けた時に買って来る
んだろうね。
よくダーちんとペアルックの人に会います。
私はそういう時、
「ホレホレ!アンタとおソロだよ〜〜っ!」と
チャチャを入れて楽しみますが、
自分が見知らぬ誰かとペアったりすると
「やべっ!こっちの道へ行くよっ!」と
遭遇を回避します。
まぁ、ユニ●ロさんのペアルックはある程度
諦めもつくでしょう。
(あれだけ同じ形、同じ種類、大量に売ってるんだ
し、それがあの店の安さの秘訣なんだろうし)
ところが、「衣料店」などでワゴンの中にグサグサ
入った380円Tシャツがカブったら
もぉ〜それから先の行動は”アワワ”です。
相手もきっと、
「あ・・380円だ」
と心の中で指さしているに違いありません。
(こっちもさしてるし・・)
かたや、やっとの思いで買った某ブランドの
Tシャツで出掛けているのにペアると
これまた痛い。
たしかに、値段は高かった。
でも、心の中で
「あ・・店員がこれ3枚しか入らなかったんですよ
って言ってたうちの1枚がコレっ!?」
と思ってしまうのだ。
そんなファッションこだわり派のようなコトを
言ってる私は2度ほど、
服を裏返しに来て出掛けたコトがある。
(”FILA”が”ALIF”だった・・恐)
これぞ、■誰ともペアってね〜だろ!■である。
ハズカシイ〜〜〜〜〜〜っ!
スーパーのATMコーナーへ開店と同時に出掛ける。
開店間際だし、並んでいる人もなく
サラリとATMの前へ。
私はこう見えても(どう見えて?→167センチ)
肝っ玉のチイサイ人間です。
ATMで後ろに人が並ぶとモタモタしてる訳でもないけど、「急がなくちゃ!」と思ったり、
自分が2件(引き出しと振り込み)用事があっても
後ろに人がいるとまず1件だけ終わらせて、
いったんその場を去り、後からまた並ぶという
怪しい行動に出るコトもあります。
(そのクセ、前の人が振り込みなどでモタついてる
と心の中では拳を握りしめる身勝手な女です。)
なので、私はATMの前の鏡で常に後ろに人が並ばないか、また列が出来てないか、をチラチラ確認するのがクセになっています。(怪しいっつ〜の。)
今日も鏡を覗くが自分の肩しか映ってないし、
ゆっくり2件の用事を終えて、
財布を閉じながら後ろを振り返ると、
人がいるではないかっ!
かなり、ビックリした。
その方、私と同じ”オレンジのTシャツ”を
お召しになっていたのです。
色だけしか一緒じゃないんだけれど、
■自分の肩■だと思っていたのは■その方の肩■
だった訳です。
なんと気まずい・・・。
■見知らぬ人と洋服がカブル■
ということはこんな小さな街だとよくあります。
(なんたってデパートが3つしかないんだから)
ここにはユニ●ロがないんだけど、
きっとみんな通販や札幌へ出掛けた時に買って来る
んだろうね。
よくダーちんとペアルックの人に会います。
私はそういう時、
「ホレホレ!アンタとおソロだよ〜〜っ!」と
チャチャを入れて楽しみますが、
自分が見知らぬ誰かとペアったりすると
「やべっ!こっちの道へ行くよっ!」と
遭遇を回避します。
まぁ、ユニ●ロさんのペアルックはある程度
諦めもつくでしょう。
(あれだけ同じ形、同じ種類、大量に売ってるんだ
し、それがあの店の安さの秘訣なんだろうし)
ところが、「衣料店」などでワゴンの中にグサグサ
入った380円Tシャツがカブったら
もぉ〜それから先の行動は”アワワ”です。
相手もきっと、
「あ・・380円だ」
と心の中で指さしているに違いありません。
(こっちもさしてるし・・)
かたや、やっとの思いで買った某ブランドの
Tシャツで出掛けているのにペアると
これまた痛い。
たしかに、値段は高かった。
でも、心の中で
「あ・・店員がこれ3枚しか入らなかったんですよ
って言ってたうちの1枚がコレっ!?」
と思ってしまうのだ。
そんなファッションこだわり派のようなコトを
言ってる私は2度ほど、
服を裏返しに来て出掛けたコトがある。
(”FILA”が”ALIF”だった・・恐)
これぞ、■誰ともペアってね〜だろ!■である。
ハズカシイ〜〜〜〜〜〜っ!
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衝撃告白!?実は私は・・・
2002年6月5日すごいタイトルだが、内容は大したことない(汗)
■キティラー(もう言わない?)ですっ!■
小さい頃はキティよりも
”キキララ””パティー&ジミー”なんかでも
OKだったが、
正式に”キティラー”となって15,6年って
ところであろうか。
深みにはまったのは仕事を始めてからだった。
当時、私は「ストレス解消法」をサンリオに
見いだしていた。
■あ〜〜〜〜あ゛行き詰まる!!■
という精神状態になると
サンリオショップへ行き、キティモノを
買い込んでストレス発散していた。
まだ、”キティラー”なんて言葉がブレークする前
だったので、周りからはまんま「キティ好き」と
呼ばれていた。
職業柄、ステーショナリーグッズが必要だったし、
どうせ持つならキティがいいし・・・と
鉛筆だ、シャープだ、下敷きだ、と
揃えだした。
しばらくして、”キティラー”という流行語が
出始めると、私のストレス解消の場のサンリオが
人・人・人・・で埋め尽くされるようになった。
今までは綺麗な状態で数も少なかったモノが
まるでワゴンセールのように無造作にキティモノが
ゴロゴロし始め、袋から出てるわ、
薄汚れているわ、欲しいモノは品切れだわ・・・。
そして、私は注目されるようになった。
父母からは「先生は前からキティラーだったもんね〜」と言われ、周りの友人からプレゼントされる
モノもキティ一色になって来た。
その頃から違うんだよなぁ〜。と思うようになった。
私はたまたまストレス発散のために
デパートへ行き、たまたまサンリオへ入り、
たまたま目に付いたキティのモノに手が行っただけ
なのである。
もしかしたら、幼い頃、”サンリオ商品全部欲しい!”なんて思っていたのだったかも。
たまに「1個だけよ」とか、婆ちゃんと行った時だけとかしか、買ってもらえなかったのが
大人になって自分で自由になるお金で
何百円程度のモノなら10個でも買えるぞ!
っていう状態になった征服感みたいなものだったの
かもしれない。
(小さい人間です。「山でも買うたる〜」くらい
言ってみたい・・嘘涙)
私の場合、こんなキティラーは勘弁・・というのが
あって、そういう人に出会うと
「私もキティ好きなんですよ〜」と言うのも嫌だし
バレたくないと思ったりする。
例えば、携帯にキティのシールやストラップを
ジャラジャラつけて
「キティ携帯もどき」をしている方。
ついでに一時流行った携帯ケースまでキティ
(ぬいぐるみタイプだと更にアップ)だと完璧。
そんなの持つならauから出てる本体自体がキティな
携帯を持って欲しいと思ってしまうのだ。
我が家は5年前に家を建てたのだが、
みんな「キティ仕様にするんでしょ〜?」
といい、訪問しては
「え〜意外〜キティキティしてないね〜」
と言われる。
キティキティってどんなんだ?
カーテン、マット、テーブル、いす、
パソコン。。ぜ〜んぶキティってコト?
無理。それは私のキティラー論を理解してない
証拠だぞっ!
私は全身キティでいたい訳ではないのだ。
どっちかというと、キャラなんて
付いてない方がうれしい人だ。
キティだって、ワンポイントタイプのモノ
(さりげなくキティ)が好きだし、
レアものを集めて段ボールに入れておくのが
好きな暗〜〜いひねくれキティラーなのである。
今は働いてないから自分の自由になるお金もないし
買いたいと思うまでのストレスもないので
収集活動はほとんどしていないが、
時々友人がこれまたちょっと前に流行った
「ご当地キティ」モノを送ってくれる。
私はそれを見て、「大ウケ」「ややウケ」「ボツ」
と評価するのが楽しみなキティラーになった。
先日、静岡の友達が送ってくれたキーホルダーは
キティの目が「><」←になっていて、
緑色の物体を握っている。
この物体、どう見ても「青虫」なので
青虫をつかんでビビるキティなんだろうな、と
思っていたところ、後日友人が
「あのキティさぁ〜わさびキティらしいから」
と教えてくれた。
これは「大ウケ」の箱へ収納。
■キティラー(もう言わない?)ですっ!■
小さい頃はキティよりも
”キキララ””パティー&ジミー”なんかでも
OKだったが、
正式に”キティラー”となって15,6年って
ところであろうか。
深みにはまったのは仕事を始めてからだった。
当時、私は「ストレス解消法」をサンリオに
見いだしていた。
■あ〜〜〜〜あ゛行き詰まる!!■
という精神状態になると
サンリオショップへ行き、キティモノを
買い込んでストレス発散していた。
まだ、”キティラー”なんて言葉がブレークする前
だったので、周りからはまんま「キティ好き」と
呼ばれていた。
職業柄、ステーショナリーグッズが必要だったし、
どうせ持つならキティがいいし・・・と
鉛筆だ、シャープだ、下敷きだ、と
揃えだした。
しばらくして、”キティラー”という流行語が
出始めると、私のストレス解消の場のサンリオが
人・人・人・・で埋め尽くされるようになった。
今までは綺麗な状態で数も少なかったモノが
まるでワゴンセールのように無造作にキティモノが
ゴロゴロし始め、袋から出てるわ、
薄汚れているわ、欲しいモノは品切れだわ・・・。
そして、私は注目されるようになった。
父母からは「先生は前からキティラーだったもんね〜」と言われ、周りの友人からプレゼントされる
モノもキティ一色になって来た。
その頃から違うんだよなぁ〜。と思うようになった。
私はたまたまストレス発散のために
デパートへ行き、たまたまサンリオへ入り、
たまたま目に付いたキティのモノに手が行っただけ
なのである。
もしかしたら、幼い頃、”サンリオ商品全部欲しい!”なんて思っていたのだったかも。
たまに「1個だけよ」とか、婆ちゃんと行った時だけとかしか、買ってもらえなかったのが
大人になって自分で自由になるお金で
何百円程度のモノなら10個でも買えるぞ!
っていう状態になった征服感みたいなものだったの
かもしれない。
(小さい人間です。「山でも買うたる〜」くらい
言ってみたい・・嘘涙)
私の場合、こんなキティラーは勘弁・・というのが
あって、そういう人に出会うと
「私もキティ好きなんですよ〜」と言うのも嫌だし
バレたくないと思ったりする。
例えば、携帯にキティのシールやストラップを
ジャラジャラつけて
「キティ携帯もどき」をしている方。
ついでに一時流行った携帯ケースまでキティ
(ぬいぐるみタイプだと更にアップ)だと完璧。
そんなの持つならauから出てる本体自体がキティな
携帯を持って欲しいと思ってしまうのだ。
我が家は5年前に家を建てたのだが、
みんな「キティ仕様にするんでしょ〜?」
といい、訪問しては
「え〜意外〜キティキティしてないね〜」
と言われる。
キティキティってどんなんだ?
カーテン、マット、テーブル、いす、
パソコン。。ぜ〜んぶキティってコト?
無理。それは私のキティラー論を理解してない
証拠だぞっ!
私は全身キティでいたい訳ではないのだ。
どっちかというと、キャラなんて
付いてない方がうれしい人だ。
キティだって、ワンポイントタイプのモノ
(さりげなくキティ)が好きだし、
レアものを集めて段ボールに入れておくのが
好きな暗〜〜いひねくれキティラーなのである。
今は働いてないから自分の自由になるお金もないし
買いたいと思うまでのストレスもないので
収集活動はほとんどしていないが、
時々友人がこれまたちょっと前に流行った
「ご当地キティ」モノを送ってくれる。
私はそれを見て、「大ウケ」「ややウケ」「ボツ」
と評価するのが楽しみなキティラーになった。
先日、静岡の友達が送ってくれたキーホルダーは
キティの目が「><」←になっていて、
緑色の物体を握っている。
この物体、どう見ても「青虫」なので
青虫をつかんでビビるキティなんだろうな、と
思っていたところ、後日友人が
「あのキティさぁ〜わさびキティらしいから」
と教えてくれた。
これは「大ウケ」の箱へ収納。
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虫歯の日なのね?(今日も本文に関係なし)
2002年6月4日ワールドカップが始まり、
大して興味がない私でも
(実は私はルールも知らないサッカー部のマネージャーで有った。スコアブックすら満足に書けない・選手の名前は間違える・「ソックス持って来て!」と言われてなぜか”トランクスを持っていく
大馬鹿マネージャーであった・余談)
テレビや新聞でどうしても目にしてしまう
今日この頃。
我が家の話題もサッカーについてがメインに
なりつつある。
ワールドカップがらみになるのか、
我々の住む蝦夷のサッカーチームの監督が
今年から変わった。
晩ご飯の時、ダーちんが
「おい。”桂谷”監督クビになったぞ。」と
言い出した。
はい?
■カツラタニ■っすか?
「アンタ、それって”ハシラタニ”じゃないの?」
こういう間違いが多い夫である。
高校の時、
「昨日、”ワカヅシマ”(高田みづえの旦那の力士)勝ったもなぁ〜?」
正解→■ワカシマヅ■
ケーキ屋で「モランボン(近所の焼肉屋)下さい」
正解→■モンブラン■
など、若い頃から数え切れないほど、
私は彼に正解を教えて来た。
先日も
「姉貴ドコ行った?」
というので、
「へ?ネエちゃんどっか行ったんかい?旅行?」
って言うと。
■あ・・”ネマキ”だった。■
という具合だ。
ま、いつものことだからサラ〜っと正解を導いて
「いい選手居なくなったのも負けてる原因」
などとコンサドーレについて語っていた我々。
「そうそう。バンダとかも居なくなったしな」
正解→バンド
我が家は毎日間違い探しクイズです。
お陰で私は揚げ足取り上手な女になりましたっ。
大して興味がない私でも
(実は私はルールも知らないサッカー部のマネージャーで有った。スコアブックすら満足に書けない・選手の名前は間違える・「ソックス持って来て!」と言われてなぜか”トランクスを持っていく
大馬鹿マネージャーであった・余談)
テレビや新聞でどうしても目にしてしまう
今日この頃。
我が家の話題もサッカーについてがメインに
なりつつある。
ワールドカップがらみになるのか、
我々の住む蝦夷のサッカーチームの監督が
今年から変わった。
晩ご飯の時、ダーちんが
「おい。”桂谷”監督クビになったぞ。」と
言い出した。
はい?
■カツラタニ■っすか?
「アンタ、それって”ハシラタニ”じゃないの?」
こういう間違いが多い夫である。
高校の時、
「昨日、”ワカヅシマ”(高田みづえの旦那の力士)勝ったもなぁ〜?」
正解→■ワカシマヅ■
ケーキ屋で「モランボン(近所の焼肉屋)下さい」
正解→■モンブラン■
など、若い頃から数え切れないほど、
私は彼に正解を教えて来た。
先日も
「姉貴ドコ行った?」
というので、
「へ?ネエちゃんどっか行ったんかい?旅行?」
って言うと。
■あ・・”ネマキ”だった。■
という具合だ。
ま、いつものことだからサラ〜っと正解を導いて
「いい選手居なくなったのも負けてる原因」
などとコンサドーレについて語っていた我々。
「そうそう。バンダとかも居なくなったしな」
正解→バンド
我が家は毎日間違い探しクイズです。
お陰で私は揚げ足取り上手な女になりましたっ。
今日はムーミンの日なのか?(本文とは関係なし)
2002年6月3日私とダーちんは高校の同級生。
同じクラスになったコトはなかったが、
1組がつき合い出すとそこから仲間が増殖し
グループ化し、一緒に遊んだりするようになって
いつしか我々もペアになっていたという感じか。
(簡略しすぎ・・ホントはもっと色々あったが
ここでは割愛)
その我々の母校が今年、新築し
旧校舎がこの度壊されることになった。
そこで”旧校舎惜別の会”が行われることになったと新聞で読んだ。
ダ:当日参加もOKだってさ。行ってみる?
私:ど〜せいつもの新年恒例会みたいに爺婆ばっか
じゃないの?浮くよ。うちら。
(すでに爺婆の域なのに)
ダ:でもさぁ〜この太に俺達の学校見せておきたい
じゃん?もし、この太が俺達の後輩になるとし
たら新校舎になる訳だし〜。
それに俺も見たいし。
私:そういえば、卒業してから高校なんて1回も
行ってないよね〜。
というコトで我々は土曜日に懐かしのおもひでの
高校へと足を踏み入れたのである。
すでに新校舎への引っ越しも済んだその旧校舎は
「廃棄」と張られたモノばかりが雑念と放置され
黒板には”さよなら旧校舎!”やお決まりの相合い傘などが書かれているだけですでに「廃墟」のような状態だった。
まず、私の1年の時のクラスへ入って見た。
当時、「新校舎」と呼ばれていたそこは
私たちが通っていた時に増築されたもので
とても綺麗だった。
今でも使えそうに感じた。
「新校舎」のクラスの窓から対面にある「旧校舎」
の窓が見え、そこが1年の時のダーちんのクラスが
ある。
1年の頃はつき合ってなかったので
私はこの窓から友人が旧校舎の彼と話をするのを
うらやましく見てた。(暗っ)
次に旧校舎へ行き、ダーちんの3年の時のクラスに
入る。
そこには地下というか、台所の下の収納のような
50センチ四方のふたがあり、
中には配管があって、ちょっとした隠れ家があった。
男子はそこに入ってよくタバコを吸っていた。
ダーちんが「あ〜あるある〜。俺ちょっと入って
タバコ吸って来ようかな」と言う。
でも、禁煙分煙が叫ばれ、肩身の狭い愛煙家のダーちんでも、タバコを吸ってとがめられることはない。
”あの時、あの年齢”だったからこそ、
地下でタバコを吸うことがドキドキしたのであって
今となっては味わえないタバコの味なんだろうと
思う。
床に学祭の写真が落ちていた。
年代は明らかに最近だけど、でも私たちが撮った写真と顔が違うだけで雰囲気はまるで一緒だった。
この太を抱っこして黒板の前で写真を撮って
今度は学食へ行く。
ダ:「おばちゃん小銭つかんだ手でそのまま
ラーメンにネギ入れてたよな」
私:「そうそう。んで、しっかり洗わないし
ゆすがないから、ラーメンなんていつも
ママレモン味だったしね」
O157だ、なんだと騒がれている今なら
営業停止にもなりかねないようなモノを出していた
学食にも、壁には
■衛生上、問題になるので調理場には関係者以外
立入禁止■
の張り紙がある。
うちらの頃は「おばちゃ〜ん、しなちくもう少し
入れてよ〜」ってよく厨房に入って行ったもんだ。
一通り、思い出の場所を回って
あ〜だこ〜だと話しながら
体育館へ足を運ぶ。
そこでは立食パーティーが行われる会場だった。
新聞や同窓会誌で取り上げられていたこの
「惜別の会」も参加者は若干60名ほどだろうか。
入り口でもらった名札には
「第●期 ▼■」と卒業期と名前を書いて
胸につけていたが、私たちの属する3×期台の
参加は若干5名くらいだろうか。
友人たちの顔ぶれはない。
校歌を歌い、実行委員会の代表の挨拶。
この校舎は20期の時に建てられたモノだということがわかり、出席者が20期以降で少ないのが
納得出来た。
そんなに愛校精神があった訳じゃないと思う。
ただ、新聞記事に目を通さなければ
来ることもなかったかもしれない。
ダーちんと同じ高校じゃなければ来なかったかも
しれない。
この太が生まれていなければ、来なかったかも
しれない。
いろんな思いを胸に私たちは
思い出の校舎にさよならをしてきた。
私たちと同じ境遇であろう42期卒の夫婦と
子ども。(この夫婦が参加者の中で
一番若いであろう)
「今日が誕生日なんです」というその男の子は
半年違いでこの太と同級生だった。
「この子たち、一緒に新校舎に通うかもしれないね」
「あ〜。そうですね。そうだといいですね!」
そんな会話をし、私たちのタイムスリップは
終わった。
同じクラスになったコトはなかったが、
1組がつき合い出すとそこから仲間が増殖し
グループ化し、一緒に遊んだりするようになって
いつしか我々もペアになっていたという感じか。
(簡略しすぎ・・ホントはもっと色々あったが
ここでは割愛)
その我々の母校が今年、新築し
旧校舎がこの度壊されることになった。
そこで”旧校舎惜別の会”が行われることになったと新聞で読んだ。
ダ:当日参加もOKだってさ。行ってみる?
私:ど〜せいつもの新年恒例会みたいに爺婆ばっか
じゃないの?浮くよ。うちら。
(すでに爺婆の域なのに)
ダ:でもさぁ〜この太に俺達の学校見せておきたい
じゃん?もし、この太が俺達の後輩になるとし
たら新校舎になる訳だし〜。
それに俺も見たいし。
私:そういえば、卒業してから高校なんて1回も
行ってないよね〜。
というコトで我々は土曜日に懐かしのおもひでの
高校へと足を踏み入れたのである。
すでに新校舎への引っ越しも済んだその旧校舎は
「廃棄」と張られたモノばかりが雑念と放置され
黒板には”さよなら旧校舎!”やお決まりの相合い傘などが書かれているだけですでに「廃墟」のような状態だった。
まず、私の1年の時のクラスへ入って見た。
当時、「新校舎」と呼ばれていたそこは
私たちが通っていた時に増築されたもので
とても綺麗だった。
今でも使えそうに感じた。
「新校舎」のクラスの窓から対面にある「旧校舎」
の窓が見え、そこが1年の時のダーちんのクラスが
ある。
1年の頃はつき合ってなかったので
私はこの窓から友人が旧校舎の彼と話をするのを
うらやましく見てた。(暗っ)
次に旧校舎へ行き、ダーちんの3年の時のクラスに
入る。
そこには地下というか、台所の下の収納のような
50センチ四方のふたがあり、
中には配管があって、ちょっとした隠れ家があった。
男子はそこに入ってよくタバコを吸っていた。
ダーちんが「あ〜あるある〜。俺ちょっと入って
タバコ吸って来ようかな」と言う。
でも、禁煙分煙が叫ばれ、肩身の狭い愛煙家のダーちんでも、タバコを吸ってとがめられることはない。
”あの時、あの年齢”だったからこそ、
地下でタバコを吸うことがドキドキしたのであって
今となっては味わえないタバコの味なんだろうと
思う。
床に学祭の写真が落ちていた。
年代は明らかに最近だけど、でも私たちが撮った写真と顔が違うだけで雰囲気はまるで一緒だった。
この太を抱っこして黒板の前で写真を撮って
今度は学食へ行く。
ダ:「おばちゃん小銭つかんだ手でそのまま
ラーメンにネギ入れてたよな」
私:「そうそう。んで、しっかり洗わないし
ゆすがないから、ラーメンなんていつも
ママレモン味だったしね」
O157だ、なんだと騒がれている今なら
営業停止にもなりかねないようなモノを出していた
学食にも、壁には
■衛生上、問題になるので調理場には関係者以外
立入禁止■
の張り紙がある。
うちらの頃は「おばちゃ〜ん、しなちくもう少し
入れてよ〜」ってよく厨房に入って行ったもんだ。
一通り、思い出の場所を回って
あ〜だこ〜だと話しながら
体育館へ足を運ぶ。
そこでは立食パーティーが行われる会場だった。
新聞や同窓会誌で取り上げられていたこの
「惜別の会」も参加者は若干60名ほどだろうか。
入り口でもらった名札には
「第●期 ▼■」と卒業期と名前を書いて
胸につけていたが、私たちの属する3×期台の
参加は若干5名くらいだろうか。
友人たちの顔ぶれはない。
校歌を歌い、実行委員会の代表の挨拶。
この校舎は20期の時に建てられたモノだということがわかり、出席者が20期以降で少ないのが
納得出来た。
そんなに愛校精神があった訳じゃないと思う。
ただ、新聞記事に目を通さなければ
来ることもなかったかもしれない。
ダーちんと同じ高校じゃなければ来なかったかも
しれない。
この太が生まれていなければ、来なかったかも
しれない。
いろんな思いを胸に私たちは
思い出の校舎にさよならをしてきた。
私たちと同じ境遇であろう42期卒の夫婦と
子ども。(この夫婦が参加者の中で
一番若いであろう)
「今日が誕生日なんです」というその男の子は
半年違いでこの太と同級生だった。
「この子たち、一緒に新校舎に通うかもしれないね」
「あ〜。そうですね。そうだといいですね!」
そんな会話をし、私たちのタイムスリップは
終わった。
恐怖体験。
2002年5月31日昨日、夕方から実家へと出掛けた私たち。
母にこの太を預けて
妹が「ステーキを食わしてやる」と言うので
二つ返事で出掛ける。
そこは私の知ってる中でも
三つ星ステーキハウス。
滅多なコトがない限り、訪れることもないので
おごりとならば、めいっぱい食べてやるぞ!
と鼻息荒く駐車場で妹と待ち合わせ。
先に着いた私はなにげに
タクシーで乗り付けた”イカニモ”な2人組に
目が行く。
でもまぁ、こんな田舎で。。。ねぇ〜?
しれてるっしょ?!
妹たちと合流、店内に入り、
小上がり派の私たちは先客の2人組が
奥に座っていたので2座席空けて反対側奥に
座る。
「なんにする〜?」
「この前食べたけど、チーズケーキも馬鹿ウマだよ」
「食後に食べようよ〜」
など、和気藹々と注文を決めながらチラっと
2人組を見た私の目に飛び込んで来たモノは
■白いシャツから透ける絵■
きょわい〜〜〜〜〜!
多分、私以外の3人(ダーちん、妹夫婦)も
確認作業が終了していると見える。
いつもは
「どれにしよ〜迷う〜〜」とウダウダするオーダーも今日はスパっと決める我ら。
そして、本来ならたわいない会話を楽しむはずだが
弾まない。乗らない。
おも〜い空気だけが我々を襲う。
そして、決定的に私たちの小さな肝っ玉を
更に小さくするコトが起きた。
携帯からどこかへ電話する2人組。
■あ〜すいません。
明日出所する○▼■●の迎えのモノですが。
明日何時に迎えに行けばいいんでしょうかね。
えぇ、本人、迎えが来ないんじゃないかと心配
してるかもしれないんで、ちゃんと迎えに行くと
伝えてやってください。■
ブルブルブル・・・・・。
もぉ〜目の前の200gのサーロインのレアっぷりがたまりませ〜〜〜〜んっ。
せっかくのお肉が、せっかくのおごりが、
せっかくのチーズケーキが・・・
大きく大きくカットされクチに運ばれ、
いつもより20回は咀嚼回数少な目で
胃の中に入っていきまする〜〜〜〜ぅ。
ビビリ姉妹、ホントちっこい人間です。
そして、そのパートナーもしかり。
私はずっと
「この太ごめんよ。と〜しゃんとかぁ〜しゃん、
アンタをばあちゃんに預けてご馳走食べようなん て、たくらんだから。こんな目に遭うんだ。
ここで抗争に巻き込まれて死んだら
この太はこんな小さなうちから1人になっちゃう
よ。(涙)」
と考えていました。
(飛躍しすぎだとお思いでしょうが、私の妄想は
膨らみ加速度上げていました。)
とにかく、我々は全速力で食べ、会計を終わらせ
外へ出てやっと生きた心地を得た訳です。
そして、「ごちそうさま」とやっとの思いで
妹に礼を言い、お互い車に乗ると
ソッコウで家路を目指すのでした。
そして、車中
携帯メールであの恐怖体験を
送り合うのでした。
カタギに手を出さないというのは
本当なんでしょうか?
ホント、ちびりそうでした。
母にこの太を預けて
妹が「ステーキを食わしてやる」と言うので
二つ返事で出掛ける。
そこは私の知ってる中でも
三つ星ステーキハウス。
滅多なコトがない限り、訪れることもないので
おごりとならば、めいっぱい食べてやるぞ!
と鼻息荒く駐車場で妹と待ち合わせ。
先に着いた私はなにげに
タクシーで乗り付けた”イカニモ”な2人組に
目が行く。
でもまぁ、こんな田舎で。。。ねぇ〜?
しれてるっしょ?!
妹たちと合流、店内に入り、
小上がり派の私たちは先客の2人組が
奥に座っていたので2座席空けて反対側奥に
座る。
「なんにする〜?」
「この前食べたけど、チーズケーキも馬鹿ウマだよ」
「食後に食べようよ〜」
など、和気藹々と注文を決めながらチラっと
2人組を見た私の目に飛び込んで来たモノは
■白いシャツから透ける絵■
きょわい〜〜〜〜〜!
多分、私以外の3人(ダーちん、妹夫婦)も
確認作業が終了していると見える。
いつもは
「どれにしよ〜迷う〜〜」とウダウダするオーダーも今日はスパっと決める我ら。
そして、本来ならたわいない会話を楽しむはずだが
弾まない。乗らない。
おも〜い空気だけが我々を襲う。
そして、決定的に私たちの小さな肝っ玉を
更に小さくするコトが起きた。
携帯からどこかへ電話する2人組。
■あ〜すいません。
明日出所する○▼■●の迎えのモノですが。
明日何時に迎えに行けばいいんでしょうかね。
えぇ、本人、迎えが来ないんじゃないかと心配
してるかもしれないんで、ちゃんと迎えに行くと
伝えてやってください。■
ブルブルブル・・・・・。
もぉ〜目の前の200gのサーロインのレアっぷりがたまりませ〜〜〜〜んっ。
せっかくのお肉が、せっかくのおごりが、
せっかくのチーズケーキが・・・
大きく大きくカットされクチに運ばれ、
いつもより20回は咀嚼回数少な目で
胃の中に入っていきまする〜〜〜〜ぅ。
ビビリ姉妹、ホントちっこい人間です。
そして、そのパートナーもしかり。
私はずっと
「この太ごめんよ。と〜しゃんとかぁ〜しゃん、
アンタをばあちゃんに預けてご馳走食べようなん て、たくらんだから。こんな目に遭うんだ。
ここで抗争に巻き込まれて死んだら
この太はこんな小さなうちから1人になっちゃう
よ。(涙)」
と考えていました。
(飛躍しすぎだとお思いでしょうが、私の妄想は
膨らみ加速度上げていました。)
とにかく、我々は全速力で食べ、会計を終わらせ
外へ出てやっと生きた心地を得た訳です。
そして、「ごちそうさま」とやっとの思いで
妹に礼を言い、お互い車に乗ると
ソッコウで家路を目指すのでした。
そして、車中
携帯メールであの恐怖体験を
送り合うのでした。
カタギに手を出さないというのは
本当なんでしょうか?
ホント、ちびりそうでした。
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寝返りとは?
2002年5月29日昨日でこの太も5ヶ月になった。
日課の散歩も最初は”ぶす〜〜〜っ”として
なんとも張り合いのない母であったが
最近では身を乗り出して地面を見るようになった。
噴水を見るようになった。
遊ぶ子どもたちを見るようになった。
周りに興味が行ってるんだなぁ〜と思えると
散歩冥利(?)に尽きる。
一昨日からうつぶせにしておいて
10分くらいすると上を向いているコトが
3度ほどあった。
最近のこの太は上向きよりうつぶせの方が
ご機嫌だし、手をしっかり踏ん張り胸まで
(へそまで?)グンっと上げるようにもなったし
疲れると顔を横にして休んでいるので
ちょっと目を離した隙に仰向けになっているのだ。
これは寝返り?
仰向けからうつぶせになるのが寝返りなのか?
ならば反対寝返りをマスターしたことになるのか?
私は是非、この太の”初寝返り”を
ビデオに納めたくここ2日ばかり
常にビデオを設置し、待機している。
しかし、この太は寝返る様子はない。
空振り録画で(まぁ、成長記録なのでヨシだけど)
すでに残量15分となってしまった。(80分テープ)
今までの寝返り疑惑は
私が目を離した隙だったので
今日はビデオを設置し
戸のカゲに隠れ、様子を見てみた。
(これぞ盗撮っ!?)
すると少しずつエビ反りながら
本当にゆっくりと仰向けになって行った。
やはり、5分以上かかって。
寝返りって”コロン!”と素早いモノなのか?
こんな亀テンポ寝返りでも
■祝・初寝返り!■
と思ってよいのだろうか?
わからん・・・・。
とにかく、今晩ビデオを見ながら
ダーちんと検証してみることにしよう。
日課の散歩も最初は”ぶす〜〜〜っ”として
なんとも張り合いのない母であったが
最近では身を乗り出して地面を見るようになった。
噴水を見るようになった。
遊ぶ子どもたちを見るようになった。
周りに興味が行ってるんだなぁ〜と思えると
散歩冥利(?)に尽きる。
一昨日からうつぶせにしておいて
10分くらいすると上を向いているコトが
3度ほどあった。
最近のこの太は上向きよりうつぶせの方が
ご機嫌だし、手をしっかり踏ん張り胸まで
(へそまで?)グンっと上げるようにもなったし
疲れると顔を横にして休んでいるので
ちょっと目を離した隙に仰向けになっているのだ。
これは寝返り?
仰向けからうつぶせになるのが寝返りなのか?
ならば反対寝返りをマスターしたことになるのか?
私は是非、この太の”初寝返り”を
ビデオに納めたくここ2日ばかり
常にビデオを設置し、待機している。
しかし、この太は寝返る様子はない。
空振り録画で(まぁ、成長記録なのでヨシだけど)
すでに残量15分となってしまった。(80分テープ)
今までの寝返り疑惑は
私が目を離した隙だったので
今日はビデオを設置し
戸のカゲに隠れ、様子を見てみた。
(これぞ盗撮っ!?)
すると少しずつエビ反りながら
本当にゆっくりと仰向けになって行った。
やはり、5分以上かかって。
寝返りって”コロン!”と素早いモノなのか?
こんな亀テンポ寝返りでも
■祝・初寝返り!■
と思ってよいのだろうか?
わからん・・・・。
とにかく、今晩ビデオを見ながら
ダーちんと検証してみることにしよう。
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ゴロ↑とゴロ↓
2002年5月28日私はゴロ合わせとあだ名付けが大好きだ。
多分”1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府”
を習った頃からだと思う。
車のナンバーがまだ選べない頃、
”4649”というナンバーの車が前を
走っていると大爆笑だったし、
ドライブ中は車のナンバーを見るのが
楽しみだった。
ナンバーが選べるようになった最近では
”333”とか”777”とか
ありきたりのラッキーナンバーじゃなく
解読不可能なナンバーを選んでいる人の
腹の中を探るコトで一生懸命である。
前に”5884”を選んでいる車を見て
「きっと小林さんに違いない!!」とひらめいた時
は車を停めて答え合わせしたかったくらいだった。
電話番号もしかり。
友達の電話番号もほとんどゴロを考えて覚える。
我が家は4回ほど電話番号を変えたので
私の楽しみは4倍だった。
NT○さんから4つくらい候補を上げられるので
即座にゴロに出来る番号を考え、決める。
「▼■ー3909」(サンキュー霊柩車)
「▲■ー6455」(虫ごっこ)
「▲■ー7345」(奈美洋子・誰じゃいっ!)
「▼■ー5890」(ご飯くれ)
などなど。
最近は携帯電話が普及して
メモリーダイアルがほとんどで
電話番号を暗記して覚える機会が減って来て
いささか、残念である。
でも、急なバッテリー切れの時には
私のゴロぶりが発揮出来る訳である。
あだ名をつけるのも好きだ。
相手の身体的欠陥(例・デブとかハゲとか)では
つけないので、あだ名と言っても
「咲子」なら「サッコ」とか
「宮本」なら「ミヤモン」とかなんだけど、
パキンと勝手に付けてしまうので
それが定着してしまうのもしばしば。
幼稚園に新しい先生が入って来たら
すぐに私があだ名を任命してしまうので
(注:もちろん、仕事中は○●先生と呼ぶが)
私が辞めた後に入った先生にも
名付けて退職してきたため、
いまだにそのあだ名で呼ばれているのは
まるで”置きみやげ”をしてきたようである。
(いらんっちゅ〜の?汗)
私は同じあだ名を付けるコトがある。
それは「後藤」さんだ。
必ず「ゴロ」と任命する。
幼稚園に”置きみやげ”した後藤先生も
「ゴロ」だ。
高校時代の友人に「後藤さん」が居たのだが
みんなから「ゴロ」と呼ばれていた。
あんまり仲良くなかったが、
■どぉ〜して”ゴロ”なのか?■
がとっても気になっていて
頭の片隅に印象深く残っていたからだと思う。
最近、仕事を離れた私はあまり
命名する機会に恵まれない。
なので、ダーちんの職場の人を”勝手に”
命名することにしている。
ダーちんとはよく仕事の話をするので
その話の中に登場する同僚・上司に
すべてあだ名を付けてしまったのだ。
その方が親しみもあるし、
話を聞いてても楽しいのである。
「あ〜バブ〜ね。」・・・バブ〜と命名されたのは
元上司の土生さんである。
それがこの4月の異動でバブ〜が居なくなり、
「後藤係長」がやってきた。
■・・・・ゴロである・・・・■
そうして、3代目ゴロを任命された後藤係長も
我が家の食卓の話題に「ゴロがさぁ〜」と
当たり前のように呼ばれているのである。
ダーちんもすっかり、”ゴロ”だ”バブ〜”だと
私が言うので一緒になって呼んでいるので
職場で「ちょっとゴロいいですか?」などと
言ってしまわないかと
私は密かに心配しているのである。
多分”1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府”
を習った頃からだと思う。
車のナンバーがまだ選べない頃、
”4649”というナンバーの車が前を
走っていると大爆笑だったし、
ドライブ中は車のナンバーを見るのが
楽しみだった。
ナンバーが選べるようになった最近では
”333”とか”777”とか
ありきたりのラッキーナンバーじゃなく
解読不可能なナンバーを選んでいる人の
腹の中を探るコトで一生懸命である。
前に”5884”を選んでいる車を見て
「きっと小林さんに違いない!!」とひらめいた時
は車を停めて答え合わせしたかったくらいだった。
電話番号もしかり。
友達の電話番号もほとんどゴロを考えて覚える。
我が家は4回ほど電話番号を変えたので
私の楽しみは4倍だった。
NT○さんから4つくらい候補を上げられるので
即座にゴロに出来る番号を考え、決める。
「▼■ー3909」(サンキュー霊柩車)
「▲■ー6455」(虫ごっこ)
「▲■ー7345」(奈美洋子・誰じゃいっ!)
「▼■ー5890」(ご飯くれ)
などなど。
最近は携帯電話が普及して
メモリーダイアルがほとんどで
電話番号を暗記して覚える機会が減って来て
いささか、残念である。
でも、急なバッテリー切れの時には
私のゴロぶりが発揮出来る訳である。
あだ名をつけるのも好きだ。
相手の身体的欠陥(例・デブとかハゲとか)では
つけないので、あだ名と言っても
「咲子」なら「サッコ」とか
「宮本」なら「ミヤモン」とかなんだけど、
パキンと勝手に付けてしまうので
それが定着してしまうのもしばしば。
幼稚園に新しい先生が入って来たら
すぐに私があだ名を任命してしまうので
(注:もちろん、仕事中は○●先生と呼ぶが)
私が辞めた後に入った先生にも
名付けて退職してきたため、
いまだにそのあだ名で呼ばれているのは
まるで”置きみやげ”をしてきたようである。
(いらんっちゅ〜の?汗)
私は同じあだ名を付けるコトがある。
それは「後藤」さんだ。
必ず「ゴロ」と任命する。
幼稚園に”置きみやげ”した後藤先生も
「ゴロ」だ。
高校時代の友人に「後藤さん」が居たのだが
みんなから「ゴロ」と呼ばれていた。
あんまり仲良くなかったが、
■どぉ〜して”ゴロ”なのか?■
がとっても気になっていて
頭の片隅に印象深く残っていたからだと思う。
最近、仕事を離れた私はあまり
命名する機会に恵まれない。
なので、ダーちんの職場の人を”勝手に”
命名することにしている。
ダーちんとはよく仕事の話をするので
その話の中に登場する同僚・上司に
すべてあだ名を付けてしまったのだ。
その方が親しみもあるし、
話を聞いてても楽しいのである。
「あ〜バブ〜ね。」・・・バブ〜と命名されたのは
元上司の土生さんである。
それがこの4月の異動でバブ〜が居なくなり、
「後藤係長」がやってきた。
■・・・・ゴロである・・・・■
そうして、3代目ゴロを任命された後藤係長も
我が家の食卓の話題に「ゴロがさぁ〜」と
当たり前のように呼ばれているのである。
ダーちんもすっかり、”ゴロ”だ”バブ〜”だと
私が言うので一緒になって呼んでいるので
職場で「ちょっとゴロいいですか?」などと
言ってしまわないかと
私は密かに心配しているのである。
イベント盛りだくさん
2002年5月27日金曜から忙しく出掛けていて
パソコンの電源すら入れないで過ごしていた。
また、今日から通常モードの生活に戻ったのだが、
1つ変わったことと言ったら、
私とダーちんが1つ歳を取ったコトだろうか。
今更、♪誕生日〜〜〜♪と喜ぶ歳ではないが、
「ヤバイぞ。ヤバイぞ。」という心境で
迎えたマイバースデー。
我が家(私の実家)では
ある時期から(成人した頃から?)
お互いの誕生日をなにかしらでお祝いする風習に
なっている。
多分、母が店(チェーン系の安っぽい寿司屋)
を始めた頃からだろうか。
父が公務員だったので晩ご飯もいつも4人揃って
”5時半には食う”みたいなのが鉄則だった我が家が店を始めて、私が札幌へ進学して、
その2年後妹が札幌へ進学して・・・と
家族が揃ってご飯を食べるなんてことと疎遠になった頃からだったように思う。
プレゼントをあげたり、食事会を催したり。
私にも妹にもパートナーが出来、
彼らも我が家のそのシキタリに従い、
誰かの誕生日が近づくと一緒に
「今年はなにをしよう」と相談してくれるように
なった。
(彼らは最初、面食らったらしいが時期に慣れたようだ)
ファミリーが増え、
誕生会も合同タイプになった。
3月生まれの母と4月生まれの妹が合同。
5月生まれで3日しか日にちが変わらないダーちんと私、6月生まれの義弟が合同。
9月生まれの父は単独・・。
今回は食事会は来週の土曜日に義弟の仕事の都合で
行うことになったのだが、
出産を終えた初めての誕生日をねぎらってくれたのが、私の誕生日への扱いはまさにVIPだった。
まず、母は温泉1泊をプレゼントしてくれた。
金曜の晩、ダーちん、この太、母と4人で
泊まった。温泉は日帰りで2度行ったが
この太と2人ゆえ、私は大事な部分(いやん★)のみを洗う程度で済ませていたのだが
今回は母がいてくれるので1人で3回も入った。
露天風呂にも行けて、のぼせるほど
お湯につかり、上がってからビールと料理を食べ
まさに”ゴクラクゴクラク”と言った感じ。
ありがと。母。
そして、妹はわざわざ家までケーキとプレゼントを
持って来てくれ、
半日いろんなたわいのない話をしていってくれた。
土曜日はそのまま実家へ泊まり、
気晴らしにパチンコでも行っておいでと
母とダーちんがこの太を見ててくれ、
先に行っていた父が1箱パチンコ玉を
「誕生日プレゼントだ!」とくれた。
そして、日曜日、ダーちん家へ寄ると
晩ご飯をおごってもらった。
(カニ大名の私はカニ三昧だった)
はぁ。こんなによくしてもらっていいのだろうか。
なんだか3日間もイベント特典があったぞ。
通常モードになった今日はダーちんの誕生日。
昨日までの怒濤のイベントから一夜明け、
今日は質素に魚でも焼いて食べたいと思う私は
薄情者でしょうか?傲慢チキでしょうか?
とりあえず、ダーちん誕生日おめでと。
お互いに”やるなっ!”といえる歳の取り方を
していこうや。
パソコンの電源すら入れないで過ごしていた。
また、今日から通常モードの生活に戻ったのだが、
1つ変わったことと言ったら、
私とダーちんが1つ歳を取ったコトだろうか。
今更、♪誕生日〜〜〜♪と喜ぶ歳ではないが、
「ヤバイぞ。ヤバイぞ。」という心境で
迎えたマイバースデー。
我が家(私の実家)では
ある時期から(成人した頃から?)
お互いの誕生日をなにかしらでお祝いする風習に
なっている。
多分、母が店(チェーン系の安っぽい寿司屋)
を始めた頃からだろうか。
父が公務員だったので晩ご飯もいつも4人揃って
”5時半には食う”みたいなのが鉄則だった我が家が店を始めて、私が札幌へ進学して、
その2年後妹が札幌へ進学して・・・と
家族が揃ってご飯を食べるなんてことと疎遠になった頃からだったように思う。
プレゼントをあげたり、食事会を催したり。
私にも妹にもパートナーが出来、
彼らも我が家のそのシキタリに従い、
誰かの誕生日が近づくと一緒に
「今年はなにをしよう」と相談してくれるように
なった。
(彼らは最初、面食らったらしいが時期に慣れたようだ)
ファミリーが増え、
誕生会も合同タイプになった。
3月生まれの母と4月生まれの妹が合同。
5月生まれで3日しか日にちが変わらないダーちんと私、6月生まれの義弟が合同。
9月生まれの父は単独・・。
今回は食事会は来週の土曜日に義弟の仕事の都合で
行うことになったのだが、
出産を終えた初めての誕生日をねぎらってくれたのが、私の誕生日への扱いはまさにVIPだった。
まず、母は温泉1泊をプレゼントしてくれた。
金曜の晩、ダーちん、この太、母と4人で
泊まった。温泉は日帰りで2度行ったが
この太と2人ゆえ、私は大事な部分(いやん★)のみを洗う程度で済ませていたのだが
今回は母がいてくれるので1人で3回も入った。
露天風呂にも行けて、のぼせるほど
お湯につかり、上がってからビールと料理を食べ
まさに”ゴクラクゴクラク”と言った感じ。
ありがと。母。
そして、妹はわざわざ家までケーキとプレゼントを
持って来てくれ、
半日いろんなたわいのない話をしていってくれた。
土曜日はそのまま実家へ泊まり、
気晴らしにパチンコでも行っておいでと
母とダーちんがこの太を見ててくれ、
先に行っていた父が1箱パチンコ玉を
「誕生日プレゼントだ!」とくれた。
そして、日曜日、ダーちん家へ寄ると
晩ご飯をおごってもらった。
(カニ大名の私はカニ三昧だった)
はぁ。こんなによくしてもらっていいのだろうか。
なんだか3日間もイベント特典があったぞ。
通常モードになった今日はダーちんの誕生日。
昨日までの怒濤のイベントから一夜明け、
今日は質素に魚でも焼いて食べたいと思う私は
薄情者でしょうか?傲慢チキでしょうか?
とりあえず、ダーちん誕生日おめでと。
お互いに”やるなっ!”といえる歳の取り方を
していこうや。
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公園でのヒトコマ。
2002年5月23日やっと散歩日和が続き、
雨さえ降らない限り、私はこの太と片道30分の
公園まで散歩する。
噴水があって、向かいがこの太が通う予定の
小学校で今は運動会の練習をしているみたい。
ベンチに座って30分くらいひなたぼっこをする。
公園には学校帰りの子どもたちも道草している。
私は職業柄か、その子ども達の関係なんかを
探るように見てしまうところがある。
その日も5人の女の子が鞄をベンチに置いて
遊んでいた。
1人の女の子はいわゆる仲間ではなく、
つかず離れずの距離で他の4人の行動するところに
付いて歩くような感じ。
■この子、仲間に入れないのかな■
4人で噴水に手を入れたり、足を入れたりし始めると1人の女の子が時間を気にして
帰り支度を始めた。
「バイバイ」
小さな声だった。
噴水の音で聞こえるかどうかだったので
遊びに夢中であろう3人には聞こえなかったみたい
だった。
彼女は更に5歩ほど近づいてもう一度
「バイバイ」と言った。
でも、返事はなかった。
■う〜ん。。この子も3人になんとか
くっついているって感じなのかな。。
じゃ〜3人のうちのリーダー格って誰だろ・・■
彼女は寂しそうに後ろを向いて
歩き出した。
少し経ってから3人の中の1人が
「バイバ〜イ」と彼女の後ろ姿にそんなに大きな声
でもなく、声をかけた。
■あ。聞こえてたんだ。■
彼女は振り返って「バイバイ」と手を振った。
すっごくうれしそうな表情だった。
彼女は歩きながら後ろの友達に神経を集中させて
いたに違いない。
でも、残りの2人はその光景に目を向けることなく
ただ没頭する訳でもなく噴水の水を
いじっているだけであった。
4人の周りをウロチョロしていたもう1人の
女の子は3人がベンチに引き上げた後、
1人で噴水にさっき3人がやっていたように
葉っぱを浮かべてみたりしていた。
時間差で同じ遊びをしている感じだった。
バイバイしなかったとか、1人で遊んでたとか
仲間はずれなんじゃないかとか、
そんなことではなく、こういう一幕でも
大事な子どもたちの位置関係がわかり、
今後の対応に十分役立つのである。
と、ここまでは仕事を辞める前までの私。
この太が生まれ、私は
■この5人の中で”この太”はどの子のポジション
であってほしいか・・■
ということを考えている自分がいるのだ。
先輩の先生に「先生やってると子育てもプロみたいに言われることあるけど、そんなことないない。
実際我が子を抱くと感情で育ててしまうもんだよ。」と言われた。
私はその時はそうかな〜?
ちょっとくらい擦り傷があったって
その子の親に殴り込むようなことはきっとしないだろうし、結構客観的に見れちゃうんじゃないかな?
なんてヌケヌケと思っていた。
障害に対してもそう。
たくさんの自閉症児や、身体に障害がある子どもも
見て来た。
例え、我が子がどんな状態で生まれて来ても
受け止めてあげられる”器”や心構えが
自分には出来ていると思っていた。
この太は生まれつき”副耳”といって
耳のそばにイボのようなモノを付けてきた。
なんの害もないし、病気でもなく、
ホントただのホクロだと思えばいいくらいのモノ
だけど、
私は「幼稚園にあがるまでには取ってあげたい」
と思っている。
そう。私はこの太と出会って
教えてもらった。
■貴方は私の”先生”ではなく、”お母さん”
なんだよ■って。
あのときの先輩先生の声とともに
私は胸に刻んだ。
雨さえ降らない限り、私はこの太と片道30分の
公園まで散歩する。
噴水があって、向かいがこの太が通う予定の
小学校で今は運動会の練習をしているみたい。
ベンチに座って30分くらいひなたぼっこをする。
公園には学校帰りの子どもたちも道草している。
私は職業柄か、その子ども達の関係なんかを
探るように見てしまうところがある。
その日も5人の女の子が鞄をベンチに置いて
遊んでいた。
1人の女の子はいわゆる仲間ではなく、
つかず離れずの距離で他の4人の行動するところに
付いて歩くような感じ。
■この子、仲間に入れないのかな■
4人で噴水に手を入れたり、足を入れたりし始めると1人の女の子が時間を気にして
帰り支度を始めた。
「バイバイ」
小さな声だった。
噴水の音で聞こえるかどうかだったので
遊びに夢中であろう3人には聞こえなかったみたい
だった。
彼女は更に5歩ほど近づいてもう一度
「バイバイ」と言った。
でも、返事はなかった。
■う〜ん。。この子も3人になんとか
くっついているって感じなのかな。。
じゃ〜3人のうちのリーダー格って誰だろ・・■
彼女は寂しそうに後ろを向いて
歩き出した。
少し経ってから3人の中の1人が
「バイバ〜イ」と彼女の後ろ姿にそんなに大きな声
でもなく、声をかけた。
■あ。聞こえてたんだ。■
彼女は振り返って「バイバイ」と手を振った。
すっごくうれしそうな表情だった。
彼女は歩きながら後ろの友達に神経を集中させて
いたに違いない。
でも、残りの2人はその光景に目を向けることなく
ただ没頭する訳でもなく噴水の水を
いじっているだけであった。
4人の周りをウロチョロしていたもう1人の
女の子は3人がベンチに引き上げた後、
1人で噴水にさっき3人がやっていたように
葉っぱを浮かべてみたりしていた。
時間差で同じ遊びをしている感じだった。
バイバイしなかったとか、1人で遊んでたとか
仲間はずれなんじゃないかとか、
そんなことではなく、こういう一幕でも
大事な子どもたちの位置関係がわかり、
今後の対応に十分役立つのである。
と、ここまでは仕事を辞める前までの私。
この太が生まれ、私は
■この5人の中で”この太”はどの子のポジション
であってほしいか・・■
ということを考えている自分がいるのだ。
先輩の先生に「先生やってると子育てもプロみたいに言われることあるけど、そんなことないない。
実際我が子を抱くと感情で育ててしまうもんだよ。」と言われた。
私はその時はそうかな〜?
ちょっとくらい擦り傷があったって
その子の親に殴り込むようなことはきっとしないだろうし、結構客観的に見れちゃうんじゃないかな?
なんてヌケヌケと思っていた。
障害に対してもそう。
たくさんの自閉症児や、身体に障害がある子どもも
見て来た。
例え、我が子がどんな状態で生まれて来ても
受け止めてあげられる”器”や心構えが
自分には出来ていると思っていた。
この太は生まれつき”副耳”といって
耳のそばにイボのようなモノを付けてきた。
なんの害もないし、病気でもなく、
ホントただのホクロだと思えばいいくらいのモノ
だけど、
私は「幼稚園にあがるまでには取ってあげたい」
と思っている。
そう。私はこの太と出会って
教えてもらった。
■貴方は私の”先生”ではなく、”お母さん”
なんだよ■って。
あのときの先輩先生の声とともに
私は胸に刻んだ。
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気になるウラ月9
2002年5月22日みんなきっと「月9」は
キム様のドラマ見てるよね?
(タカさんはこう呼ぶよね・・
自分だけ違う呼び方って前つき合ってた彼女が
”コウちゃん(仮名)”って呼んでたから
私は”コウジ”って呼ぶ〜っみたいなノリで結構ハマる・笑。
更に余談だがドラマ評ついでに前に
木村佳乃と福山雅治のドラマで
”タケト”という役名の福山を
前の彼女が”タケ”と呼んでいたので
木村が”じゃ〜私はケト!”
と呼ぶという設定だったのには、
いくらなんでも・・と呆れた・・)
と、話はすっかり逸れたが、
私ももちろん「月9」は見ているのだが
ウラで頑張っている「私の青空2002」も
録画して見ている。
朝の連続テレビ小説の続編はこれが初めてらしく
前評判ではどこまで8回で続編を引っ張れるか?
みたいな評価だったが、なかなかどうして
私はすっかりハマってしまった。
朝やっていた時は途中から見たのだが、
子役の「おかぁさっん」と言う何とも言えず
舌っ足らずでそしてなんといっても
お顔がフツウで良い。
ジャニーズ予備軍みたいな顔じゃないところが
とても良かった。
「2002」になって新キャラ
菊川怜演じる「コユキ」が私の一番のツボ。
唯一、このドラマを見てくれている私の悪友は
「おっぎぐなれよぉ〜(大きくなれよ)」
などとコユキの津軽弁をマネしてくれる。
このコユキは津軽でリンゴを育てている
幸薄い女で弟をプロボクサーにするために
ケント(筒井)と出会い、恋に落ちてしまう。
しかし、ケントに子どもがいるコトを知り、
身を引くつもりではいるものの
募る気持ちは止められない〜〜・・・という
女である。
コユキの家の留守電はコユキの声で入ってる。
「でがげでいまっす・・・・(訳:出掛けています)」
どうして元々入っていた「ただ今、留守にしております。発信音の後に・・・」というのを辞めてまで
そんな消え入りそうな声で留守録を入れたのか。
コユキの性格ゆえなのか、細かい演出に惚れる。
やはり、時間帯が夜に来て、
朝の頃とは違うドロッドロした部分が出ていて
いつになったら「青空」に繋がるのか、
あとラスト1回でどうなることやらと思う私は
「私の青空」ではなく「私の夜空」とタイトルを
変えた方が良いのではなかったかと思ったり。
(寒い?・・・)
キム様のドラマ見てるよね?
(タカさんはこう呼ぶよね・・
自分だけ違う呼び方って前つき合ってた彼女が
”コウちゃん(仮名)”って呼んでたから
私は”コウジ”って呼ぶ〜っみたいなノリで結構ハマる・笑。
更に余談だがドラマ評ついでに前に
木村佳乃と福山雅治のドラマで
”タケト”という役名の福山を
前の彼女が”タケ”と呼んでいたので
木村が”じゃ〜私はケト!”
と呼ぶという設定だったのには、
いくらなんでも・・と呆れた・・)
と、話はすっかり逸れたが、
私ももちろん「月9」は見ているのだが
ウラで頑張っている「私の青空2002」も
録画して見ている。
朝の連続テレビ小説の続編はこれが初めてらしく
前評判ではどこまで8回で続編を引っ張れるか?
みたいな評価だったが、なかなかどうして
私はすっかりハマってしまった。
朝やっていた時は途中から見たのだが、
子役の「おかぁさっん」と言う何とも言えず
舌っ足らずでそしてなんといっても
お顔がフツウで良い。
ジャニーズ予備軍みたいな顔じゃないところが
とても良かった。
「2002」になって新キャラ
菊川怜演じる「コユキ」が私の一番のツボ。
唯一、このドラマを見てくれている私の悪友は
「おっぎぐなれよぉ〜(大きくなれよ)」
などとコユキの津軽弁をマネしてくれる。
このコユキは津軽でリンゴを育てている
幸薄い女で弟をプロボクサーにするために
ケント(筒井)と出会い、恋に落ちてしまう。
しかし、ケントに子どもがいるコトを知り、
身を引くつもりではいるものの
募る気持ちは止められない〜〜・・・という
女である。
コユキの家の留守電はコユキの声で入ってる。
「でがげでいまっす・・・・(訳:出掛けています)」
どうして元々入っていた「ただ今、留守にしております。発信音の後に・・・」というのを辞めてまで
そんな消え入りそうな声で留守録を入れたのか。
コユキの性格ゆえなのか、細かい演出に惚れる。
やはり、時間帯が夜に来て、
朝の頃とは違うドロッドロした部分が出ていて
いつになったら「青空」に繋がるのか、
あとラスト1回でどうなることやらと思う私は
「私の青空」ではなく「私の夜空」とタイトルを
変えた方が良いのではなかったかと思ったり。
(寒い?・・・)
Yちゃんの死
2002年5月21日何気なく見た新聞のお悔やみ欄に
見覚えのある名前を見つける。
たしか。5年前に卒園したYちゃんじゃないか?
えっ?ええ?
アルバムを急いで引っ張りだし、名前や住所を
確認してみる。
集合写真のYちゃんの顔を見つけて
「やっぱりそうだ・・・」
寒気がした。
それから元同僚に連絡してみた。
元同僚は幼稚園の近くに住んでいるし、
情報網も多い。
私は久しぶりに開いたアルバムを
もう1度じっくり見ながらYちゃんのことを
思い出していた。
直接担任をしていた訳ではないが、
幼稚園では時々クラスをバラバラにして
遊んだりする行事があったので
よくYちゃんは私の担当の遊びに来ることが
あったし、発表会では私が教えた
「ソーラン節」チームに入っていたので
思い出せば、いろんな表情が浮かんで来る。
けんかしている友達のそばで心配そうに見ている
Yちゃん。
私が折り紙を折っていると「教えて」と
寄って来たYちゃん。
私は主任になって担任クラスを持たなかったので
事務所に居た。
大勢の子どもたちが1クラスにまとめられているから、どうしても先生を1人占めに出来なくて
時々、事務所の私のところへ「駆け込み寺」する
子どもが結構居た。
ただ、黙って入って来て、そばで私の仕事を
見ていたり、膝に乗って来たりするだけ。
Yちゃんも時々、1人でやって来て、
私がワープロをしたり、電卓をはじいたりするのを
黙って見に来たりしていたなぁ。
そんなことを思いながらも
「ど〜してYちゃんは死んじゃったんだろう」
と思った。
そして、もう1人、年長になる前に
風邪からの心筋梗塞で急死してしまったSちゃんの
コトも久しぶりに思い出したりしていた。
ほどなくして、元同僚から詳細がわかったと
電話が入る。
5年生になったYちゃんは4月から
バレー部に入って頑張っていたそう。
練習で随分青あざが出来るなぁ〜とは
思っていたんだけど、ぶつけたところ以外にも
出来ているので、念のため皮膚科へ行ったそう。
皮膚科から総合病院へ回され、精密検査後、
札幌の北大病院へ回された。
急性白血病だったらしい。
骨髄移植の準備を進めようとした矢先、
脳の方の血管がダメになってしまい、
異変に気づいてから半月で亡くなってしまったと
いうことだった。
ちょうど、日曜に旦那が友人の結婚式へ参加したのだが、その友人の甥っこさんも白血病だった。
友人は甥っ子の病気が落ち着くまでは・・と
結婚をのばしていた。
骨髄移植と抗ガン剤などが効いて、甥っ子は
とりあえず元気になり、結婚式では丸坊主の頭で
元気に走り回っていたと言う話を
旦那としたばかりだった。
「どうしてそんなコトになるんだろうな」
旦那と私は答えなんて出ないことを知りつつも
この太を見つめながら考えた。
「運命」と簡単に言ってしまえない
なんだかわからないこの心のモヤモヤと
うまく言葉に出来ないまどろっこしさで
気分はぐちゃぐちゃ。
(現にこの日記も日曜から何度も打っては消し
打っては消ししてるし・・・)
これから何度か、自分と関わり合いのあった人との
死に直面するだろう。
その度に私はこうして悩んだり、考えたりするんだろうな。
自分が死んだ時、もしかしたら
人間の生死の答えがぼんやりでも見えるんだろうか。
「小さいからかわいそう」
とかそう言う風に言う人がいるけど、
年老いてたからもういいとか、
そんなコトはないよね。
あぁ〜〜あ゛
ダメだ。うまく表現出来な〜いっ。
うちの幼稚園では
中学校へ上がる年に(小六の卒業式後)
同窓会がある。
今年の3月にもこの太を連れて参列した。
Yちゃんとは再来年に同窓会で再会するはずだった。
「先生〜バレー部に入ったんだよ〜。
中学でもやるんだ〜」って話しかけてくれたかも
しれなかったんだ。
合掌
見覚えのある名前を見つける。
たしか。5年前に卒園したYちゃんじゃないか?
えっ?ええ?
アルバムを急いで引っ張りだし、名前や住所を
確認してみる。
集合写真のYちゃんの顔を見つけて
「やっぱりそうだ・・・」
寒気がした。
それから元同僚に連絡してみた。
元同僚は幼稚園の近くに住んでいるし、
情報網も多い。
私は久しぶりに開いたアルバムを
もう1度じっくり見ながらYちゃんのことを
思い出していた。
直接担任をしていた訳ではないが、
幼稚園では時々クラスをバラバラにして
遊んだりする行事があったので
よくYちゃんは私の担当の遊びに来ることが
あったし、発表会では私が教えた
「ソーラン節」チームに入っていたので
思い出せば、いろんな表情が浮かんで来る。
けんかしている友達のそばで心配そうに見ている
Yちゃん。
私が折り紙を折っていると「教えて」と
寄って来たYちゃん。
私は主任になって担任クラスを持たなかったので
事務所に居た。
大勢の子どもたちが1クラスにまとめられているから、どうしても先生を1人占めに出来なくて
時々、事務所の私のところへ「駆け込み寺」する
子どもが結構居た。
ただ、黙って入って来て、そばで私の仕事を
見ていたり、膝に乗って来たりするだけ。
Yちゃんも時々、1人でやって来て、
私がワープロをしたり、電卓をはじいたりするのを
黙って見に来たりしていたなぁ。
そんなことを思いながらも
「ど〜してYちゃんは死んじゃったんだろう」
と思った。
そして、もう1人、年長になる前に
風邪からの心筋梗塞で急死してしまったSちゃんの
コトも久しぶりに思い出したりしていた。
ほどなくして、元同僚から詳細がわかったと
電話が入る。
5年生になったYちゃんは4月から
バレー部に入って頑張っていたそう。
練習で随分青あざが出来るなぁ〜とは
思っていたんだけど、ぶつけたところ以外にも
出来ているので、念のため皮膚科へ行ったそう。
皮膚科から総合病院へ回され、精密検査後、
札幌の北大病院へ回された。
急性白血病だったらしい。
骨髄移植の準備を進めようとした矢先、
脳の方の血管がダメになってしまい、
異変に気づいてから半月で亡くなってしまったと
いうことだった。
ちょうど、日曜に旦那が友人の結婚式へ参加したのだが、その友人の甥っこさんも白血病だった。
友人は甥っ子の病気が落ち着くまでは・・と
結婚をのばしていた。
骨髄移植と抗ガン剤などが効いて、甥っ子は
とりあえず元気になり、結婚式では丸坊主の頭で
元気に走り回っていたと言う話を
旦那としたばかりだった。
「どうしてそんなコトになるんだろうな」
旦那と私は答えなんて出ないことを知りつつも
この太を見つめながら考えた。
「運命」と簡単に言ってしまえない
なんだかわからないこの心のモヤモヤと
うまく言葉に出来ないまどろっこしさで
気分はぐちゃぐちゃ。
(現にこの日記も日曜から何度も打っては消し
打っては消ししてるし・・・)
これから何度か、自分と関わり合いのあった人との
死に直面するだろう。
その度に私はこうして悩んだり、考えたりするんだろうな。
自分が死んだ時、もしかしたら
人間の生死の答えがぼんやりでも見えるんだろうか。
「小さいからかわいそう」
とかそう言う風に言う人がいるけど、
年老いてたからもういいとか、
そんなコトはないよね。
あぁ〜〜あ゛
ダメだ。うまく表現出来な〜いっ。
うちの幼稚園では
中学校へ上がる年に(小六の卒業式後)
同窓会がある。
今年の3月にもこの太を連れて参列した。
Yちゃんとは再来年に同窓会で再会するはずだった。
「先生〜バレー部に入ったんだよ〜。
中学でもやるんだ〜」って話しかけてくれたかも
しれなかったんだ。
合掌
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人様の家庭に口出しするつもりはないが・・・。
2002年5月17日昨日は近所の仲良しママさん達とのお集まり。
基本的に私はあんまり群れるのは好きではない。
(この話を絡ませるとダーちんの話より長くなるの でまた今度)
Sマン家とTマン家との我が家との相関図はこう。
Sマン夫→ダーちんと同じ職場&ダーちん&私と同じ高校の同級生(ダーちんとは2.3年同じクラス)
Tマン夫→ダーちんと同じ職場(課も一緒)&高校は違うが同じ年&職場の野球部で一緒。(ダーちん今年で引退)
Tマン嫁→ダーちんと同じ職場に去年の10月まで一緒。&ダーちん所属の野球部マネしとった。(いわゆる職場結婚された方)
とまぁ、旦那チームは同僚・同級生・趣味特技も似たりよったりな上、なんと第一子が同級生となりゃ〜(S男10月生まれ、T男12月生まれ、この太12月生まれ)
妊娠時代から情報交換が旦那チームでもされ、
妊婦教室みたいのでも顔を合わすようになり、
どんどん仲が急接近して来た間柄なんです。
で、なんだかややこしく話の道が逸れたが。
昨日、久しぶりに話していて
Tマン嫁が「たまに飲みに出たいですよね」
「5時半集合の7時半解散でも良いからぁ〜」
と言い出した。
私は「いいよいいよぉ〜!」
「なんだったら、うちは風呂から寝るまでも
お任せ出来ちゃうし、逆に寝た後の方が面倒見る
旦那も楽かもしれないしぃ〜!いつでもOK」
などと合いの手を入れたりしていた。
まだまだ要求ややって欲しいことはあるけれど、
よそと比べるほど、よそも知らないけど
我が家のダーちんは育児に協力的だと思う。
う〜ん・・協力って表現はどうだろ。
私は協力して育児してる訳じゃないし。
とにかく、2人でこの太の成長を手助けしている
と思えている。
ウンコもこの前取り替えて「もう大丈夫!
俺に怖いモノはないよ」と30回くらい取り替えたくらいのいばりっぷりではあったけど、
やってくれる。
不安はあるけど、万が一、私になにか遭っても
なんとか1人でこの太を育ててくれれそうな男で
いてくれると思う。
Tマン夫も割合そういうタイプらしい。
ところがだ。Sマンが問題なのである。
上の相関図でもわかるように
私はSマンとはどうも「旦那様の同僚様」とは
思えない。
どちらかと言うと「高校の同級生がたまたま同じ職場でもあった」レベルなのである。
そのせいもあるし、そのせいにして言えば、
「あんなヤツ、高校時代にクチ聞いてなくて良かった!」ってくらい私の嫌いな男のタイプなのである。(ダーちんのクラスに居たっけなぁ〜?てな
印象しかなかったくせに、再会したらさも友達ヅラするようなヤツだったので)
Sマンはホントに育児は奥さんまかせ。
「俺が抱いたら泣くから」というのをいいことに
休日はゴルフ、パチンコ、競馬と遊びに行くし、
平日だってSマンの子どもは夜中も1時間おきに
起きてる。だからSマン嫁は目の下クマ出来て
昨日も久しぶりにあったらまたやせてた。
Sマンはなにしてるのかと思えば、しらんぷりで
寝てるし、朝だってゴルフなのに自分で起きずに
起こしてもらって行くらしい。
あ〜書き出してもまだ足りないけど。
とにかくとにかく、アウトなのぉ〜〜〜〜!!
今まで家族で集まる時も毎度毎度鼻につく会話の
1つ1つを私は波風立てずに我慢してた。
集いの後、ダーちんと
「Sマン」について熱く語ったが、
ダーちんも「人の家庭にクチ出せないから
うちはうち・・って思うしかないって」と
諦めモードだし、私だってそう思っていた。
それが「一線」なんだと。
で、昨日もまたその「人様」の家庭に
口出し出来ないけど、心の中でこぶし握った
話があったんだ。
晩ご飯をご一緒してるとき、
私はSマンに「ねぇ〜今度3人で飲みに行っても
いいかな」とお伺い立てた。
(だいたい私が悪知恵をいつも働かせ、
嫁に働きかけているとこの男は思っている。
でも、私たちと嫁が仲良く遊べば、自分も
自由になるし、それでストレス解消してくれれば
一石二鳥だと思っている魂胆は見え見え)
そしたら、即決。「いいぞ」
・・・あら。今日は意外と物わかりいいじゃん・::
とおもった私が馬鹿だった。
「そのかわりな、ゴルフ10回行かせろ。ツアー
(我がダーちんとかと行く2泊3日の夢のゴルフ
ツアー:去年は妊婦持ちだったので中止になっ
た)にも行かせろ」
ちょっと待ってよ。
交換条件出す相手って私じゃないじゃん!?
それにしてもなによその条件っ!?
10>1ってお前習わんかったのかっ!?
私もね、ちょっとカッチンと来て。
「いやさ。それはS家で条件決めてもらっていいけど。10回で1回ってどういうことさ?ツアーだってなんで付いちゃうの?」って言っちゃったさ。
そしたら、
「俺はそうなんだ。俺は絶対ツアー行くからな」
だとよ。
はぁ〜そうかい。
んで
「わかった。行ってもいいけど、俺はS男を
俺の実家へ預けるぞ。実家は孫の面倒見れて
喜ぶし、俺は預けてパチンコでも行ってるから
楽しめるし、一石二鳥だろ」
だって。もぉ〜開いた口ふさがらなかった。
ふさがります?
だって、そんなんで飲みに行って楽しいと思う?
S嫁。
なんだかもう言うのイヤになっちゃったから
「S男がかわいそうな思いするならいいよ」
って話やめた。
んで、帰ってからダーちんに今年の
ゴルフツアーについて聞いてみた。
これってホント気の合う仲間4人で行ってて
昼はゴルフ、夜はパチンコっていう羽のばし
ツアーなのに、10万ガネ請求されるのね。
2人身だった頃は私も働いてたし、
そういうレジャーに多少使えるお金もあったけど。
「行くつもりしてんの?」って。
ダーちんは「いや、行かないよ。多分、
今年も無理だろうなっSマン以外のヤツも言ってる」
って。
ざま〜みろ。Sマン。
1人で行きやがれっ!
少し、怒りが治まったけど、
なんか釈然としないんだよね。
やっぱり、人様の旦那と割り切って見るべきなのかな。
ダーちんとは同級生だから友達も
同じで男の友達にでもいまだに「渇っ!」を
入れてる私だけど、Sマンにはそうできん。
人様の旦那様だからとかじゃなく、
人間的にダメ・・ホント受け付けない。
私の方がおせっかいババアのヤナ性格なのか?!
基本的に私はあんまり群れるのは好きではない。
(この話を絡ませるとダーちんの話より長くなるの でまた今度)
Sマン家とTマン家との我が家との相関図はこう。
Sマン夫→ダーちんと同じ職場&ダーちん&私と同じ高校の同級生(ダーちんとは2.3年同じクラス)
Tマン夫→ダーちんと同じ職場(課も一緒)&高校は違うが同じ年&職場の野球部で一緒。(ダーちん今年で引退)
Tマン嫁→ダーちんと同じ職場に去年の10月まで一緒。&ダーちん所属の野球部マネしとった。(いわゆる職場結婚された方)
とまぁ、旦那チームは同僚・同級生・趣味特技も似たりよったりな上、なんと第一子が同級生となりゃ〜(S男10月生まれ、T男12月生まれ、この太12月生まれ)
妊娠時代から情報交換が旦那チームでもされ、
妊婦教室みたいのでも顔を合わすようになり、
どんどん仲が急接近して来た間柄なんです。
で、なんだかややこしく話の道が逸れたが。
昨日、久しぶりに話していて
Tマン嫁が「たまに飲みに出たいですよね」
「5時半集合の7時半解散でも良いからぁ〜」
と言い出した。
私は「いいよいいよぉ〜!」
「なんだったら、うちは風呂から寝るまでも
お任せ出来ちゃうし、逆に寝た後の方が面倒見る
旦那も楽かもしれないしぃ〜!いつでもOK」
などと合いの手を入れたりしていた。
まだまだ要求ややって欲しいことはあるけれど、
よそと比べるほど、よそも知らないけど
我が家のダーちんは育児に協力的だと思う。
う〜ん・・協力って表現はどうだろ。
私は協力して育児してる訳じゃないし。
とにかく、2人でこの太の成長を手助けしている
と思えている。
ウンコもこの前取り替えて「もう大丈夫!
俺に怖いモノはないよ」と30回くらい取り替えたくらいのいばりっぷりではあったけど、
やってくれる。
不安はあるけど、万が一、私になにか遭っても
なんとか1人でこの太を育ててくれれそうな男で
いてくれると思う。
Tマン夫も割合そういうタイプらしい。
ところがだ。Sマンが問題なのである。
上の相関図でもわかるように
私はSマンとはどうも「旦那様の同僚様」とは
思えない。
どちらかと言うと「高校の同級生がたまたま同じ職場でもあった」レベルなのである。
そのせいもあるし、そのせいにして言えば、
「あんなヤツ、高校時代にクチ聞いてなくて良かった!」ってくらい私の嫌いな男のタイプなのである。(ダーちんのクラスに居たっけなぁ〜?てな
印象しかなかったくせに、再会したらさも友達ヅラするようなヤツだったので)
Sマンはホントに育児は奥さんまかせ。
「俺が抱いたら泣くから」というのをいいことに
休日はゴルフ、パチンコ、競馬と遊びに行くし、
平日だってSマンの子どもは夜中も1時間おきに
起きてる。だからSマン嫁は目の下クマ出来て
昨日も久しぶりにあったらまたやせてた。
Sマンはなにしてるのかと思えば、しらんぷりで
寝てるし、朝だってゴルフなのに自分で起きずに
起こしてもらって行くらしい。
あ〜書き出してもまだ足りないけど。
とにかくとにかく、アウトなのぉ〜〜〜〜!!
今まで家族で集まる時も毎度毎度鼻につく会話の
1つ1つを私は波風立てずに我慢してた。
集いの後、ダーちんと
「Sマン」について熱く語ったが、
ダーちんも「人の家庭にクチ出せないから
うちはうち・・って思うしかないって」と
諦めモードだし、私だってそう思っていた。
それが「一線」なんだと。
で、昨日もまたその「人様」の家庭に
口出し出来ないけど、心の中でこぶし握った
話があったんだ。
晩ご飯をご一緒してるとき、
私はSマンに「ねぇ〜今度3人で飲みに行っても
いいかな」とお伺い立てた。
(だいたい私が悪知恵をいつも働かせ、
嫁に働きかけているとこの男は思っている。
でも、私たちと嫁が仲良く遊べば、自分も
自由になるし、それでストレス解消してくれれば
一石二鳥だと思っている魂胆は見え見え)
そしたら、即決。「いいぞ」
・・・あら。今日は意外と物わかりいいじゃん・::
とおもった私が馬鹿だった。
「そのかわりな、ゴルフ10回行かせろ。ツアー
(我がダーちんとかと行く2泊3日の夢のゴルフ
ツアー:去年は妊婦持ちだったので中止になっ
た)にも行かせろ」
ちょっと待ってよ。
交換条件出す相手って私じゃないじゃん!?
それにしてもなによその条件っ!?
10>1ってお前習わんかったのかっ!?
私もね、ちょっとカッチンと来て。
「いやさ。それはS家で条件決めてもらっていいけど。10回で1回ってどういうことさ?ツアーだってなんで付いちゃうの?」って言っちゃったさ。
そしたら、
「俺はそうなんだ。俺は絶対ツアー行くからな」
だとよ。
はぁ〜そうかい。
んで
「わかった。行ってもいいけど、俺はS男を
俺の実家へ預けるぞ。実家は孫の面倒見れて
喜ぶし、俺は預けてパチンコでも行ってるから
楽しめるし、一石二鳥だろ」
だって。もぉ〜開いた口ふさがらなかった。
ふさがります?
だって、そんなんで飲みに行って楽しいと思う?
S嫁。
なんだかもう言うのイヤになっちゃったから
「S男がかわいそうな思いするならいいよ」
って話やめた。
んで、帰ってからダーちんに今年の
ゴルフツアーについて聞いてみた。
これってホント気の合う仲間4人で行ってて
昼はゴルフ、夜はパチンコっていう羽のばし
ツアーなのに、10万ガネ請求されるのね。
2人身だった頃は私も働いてたし、
そういうレジャーに多少使えるお金もあったけど。
「行くつもりしてんの?」って。
ダーちんは「いや、行かないよ。多分、
今年も無理だろうなっSマン以外のヤツも言ってる」
って。
ざま〜みろ。Sマン。
1人で行きやがれっ!
少し、怒りが治まったけど、
なんか釈然としないんだよね。
やっぱり、人様の旦那と割り切って見るべきなのかな。
ダーちんとは同級生だから友達も
同じで男の友達にでもいまだに「渇っ!」を
入れてる私だけど、Sマンにはそうできん。
人様の旦那様だからとかじゃなく、
人間的にダメ・・ホント受け付けない。
私の方がおせっかいババアのヤナ性格なのか?!
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睡眠学習なのか?
2002年5月15日私はまったく眠くはなかった。
そういう日はだいたい
ベッドに入ってからダーちんといろんな話をする。
結構好きなネタは政治・経済・社会・歴史あたり。
ちょうど、TVで”北朝鮮人の亡命”のニュースを
やっていた。
私はこのニュースをしっかり把握してないことに
気づいた。
トコロドコロしか見てないので
どぉ〜して「北朝鮮人」なのに、
「中国の警察が捕まえてて」
なぜ「日本」まで問題になってるのか?
話が見えない状態だったので
ダーちんに聞いて見ることにした。
ダーちんは鼻の穴を広げて(多分・・)
知ってる限りの説明を始めた。
だが、私はどんどん睡魔が襲って来るのに
ちっとも私の聞きたい部分が聞けず、
寝るに寝れない状態だった。
そう、彼は「話の長〜い」人間だったのです。
しかも、結末の見えない・・・・。
(よく「んで?」と最後に聞かれる。。もしくは
「結局は○●ってこと言いたいんだろ?」と先に
オチを言われる。。さらに悪友からは持ち時間と
文字数を決められる。。)
私が聞きたかったポイントは
↑に書いた3点だった。
なのに、ダーちんは「社会主義がどぉ〜した」だの
「日本からの救援物資がどぉ〜した」だの、
プラスアルファルファ〜〜〜〜っと
話し始めてしもたのだ。
私はもぉ瞼がくっつきそうでいい感じに
眠りにつきそうになっていた。
なので、普段あまりに彼は話が長いコトを
バッシングされるので不憫に思っている私は
私だけは彼の話をちゃんと聞いてあげようと
思ってはいるんだが、
このままだと私は知りたいコトも知れぬまま
序章だけで眠りについてしまうと思い、
「お願い・・3つだけ簡潔に教えて・・」と
懇願した。
■北朝鮮人は本当はアメリカ領事館に逃げ込もうと
思ってた。でも、塀が高かったのでダメだと思い、
ちょうど、日本領事館の門が開いていたので
そこへ逃げ込んだ。それを中国の警察が制止するのに門の前の黄色い線からいくら警察とはいえ、
入って捕まえちゃダメなんだよ・・治安維持法とかの問題もあるし・・(そんな感じ)■
合ってる?
私は一応、北朝鮮と中国と日本の因果関係が
わかったと思ったのでようやく眠ることにした。
だが、背を向けた私にダーちんは延々と
「だからね?中国にもスパイが居て・・・
韓国には逃げれなかったんだよ・・・」と
語りかけてくれるのだった。
朝、私は思った。
「題名がおもしろそう・・って
思って買った本なのに、読み出したらち〜っとも
おもしろくなくて、寝れない夜に読む本の第一候補みたいな本のようなヤツだな」と。
そんな彼とはすでに19年も一緒にいる。
そういう日はだいたい
ベッドに入ってからダーちんといろんな話をする。
結構好きなネタは政治・経済・社会・歴史あたり。
ちょうど、TVで”北朝鮮人の亡命”のニュースを
やっていた。
私はこのニュースをしっかり把握してないことに
気づいた。
トコロドコロしか見てないので
どぉ〜して「北朝鮮人」なのに、
「中国の警察が捕まえてて」
なぜ「日本」まで問題になってるのか?
話が見えない状態だったので
ダーちんに聞いて見ることにした。
ダーちんは鼻の穴を広げて(多分・・)
知ってる限りの説明を始めた。
だが、私はどんどん睡魔が襲って来るのに
ちっとも私の聞きたい部分が聞けず、
寝るに寝れない状態だった。
そう、彼は「話の長〜い」人間だったのです。
しかも、結末の見えない・・・・。
(よく「んで?」と最後に聞かれる。。もしくは
「結局は○●ってこと言いたいんだろ?」と先に
オチを言われる。。さらに悪友からは持ち時間と
文字数を決められる。。)
私が聞きたかったポイントは
↑に書いた3点だった。
なのに、ダーちんは「社会主義がどぉ〜した」だの
「日本からの救援物資がどぉ〜した」だの、
プラスアルファルファ〜〜〜〜っと
話し始めてしもたのだ。
私はもぉ瞼がくっつきそうでいい感じに
眠りにつきそうになっていた。
なので、普段あまりに彼は話が長いコトを
バッシングされるので不憫に思っている私は
私だけは彼の話をちゃんと聞いてあげようと
思ってはいるんだが、
このままだと私は知りたいコトも知れぬまま
序章だけで眠りについてしまうと思い、
「お願い・・3つだけ簡潔に教えて・・」と
懇願した。
■北朝鮮人は本当はアメリカ領事館に逃げ込もうと
思ってた。でも、塀が高かったのでダメだと思い、
ちょうど、日本領事館の門が開いていたので
そこへ逃げ込んだ。それを中国の警察が制止するのに門の前の黄色い線からいくら警察とはいえ、
入って捕まえちゃダメなんだよ・・治安維持法とかの問題もあるし・・(そんな感じ)■
合ってる?
私は一応、北朝鮮と中国と日本の因果関係が
わかったと思ったのでようやく眠ることにした。
だが、背を向けた私にダーちんは延々と
「だからね?中国にもスパイが居て・・・
韓国には逃げれなかったんだよ・・・」と
語りかけてくれるのだった。
朝、私は思った。
「題名がおもしろそう・・って
思って買った本なのに、読み出したらち〜っとも
おもしろくなくて、寝れない夜に読む本の第一候補みたいな本のようなヤツだな」と。
そんな彼とはすでに19年も一緒にいる。
沈んだり、浮いたりして上がって来ました。
2002年5月14日前回の「寂しん病」は日曜日に極限のピークを
迎え、とうとう常に涙が止まらないというところまで行きました。(自己嫌悪・・)
しかし、泣いたお陰かしらないが、
また少しずつ浮上し始めていると思います。
ツキの刺客がやってくる前触れでもあったようで
少し納得したってコトもあります。
日曜は泣いては衝動買い(この太の服&ダーちんの
服だけど)、泣いては外食、泣いては温泉へ・・と
忙しかったです。(笑)
でも、なんか満たされはしないんだけど
なにかをしたかったと言う感じでしたので
忙しく忙しく過ごすことで軌道修正していました。
この太を連れての初温泉は少しドキドキでした。
自分の身体なぞ、この太を抱いたまま
大事な部分だけを(イヤン)チャッチャと
洗うだけしか出来ずでしたが、
やっぱり足の伸ばせるお風呂(黒板五郎より引用)
は最高でした。
この太は「泡のお風呂」の泡を舐めようと
クチをパクパク・・。
温泉から上がって広間に行くと
お婆ちゃんが「赤ちゃん見せてもらっていいですか?」と近づいて来た。
「最近の赤ちゃんはしっかりしてるよね」
「風邪引かせないように帰ってあげてね」
「また会うかもしれないので、よろしくね」
見ず知らずのお婆ちゃんとの会話で
私は
「私のこと、な〜んにも知らない人と話したかった
んだ」と思った。
少し、すっきりした。
風呂上がりに生ビールを少しもらった。
おいしかった。
迎え、とうとう常に涙が止まらないというところまで行きました。(自己嫌悪・・)
しかし、泣いたお陰かしらないが、
また少しずつ浮上し始めていると思います。
ツキの刺客がやってくる前触れでもあったようで
少し納得したってコトもあります。
日曜は泣いては衝動買い(この太の服&ダーちんの
服だけど)、泣いては外食、泣いては温泉へ・・と
忙しかったです。(笑)
でも、なんか満たされはしないんだけど
なにかをしたかったと言う感じでしたので
忙しく忙しく過ごすことで軌道修正していました。
この太を連れての初温泉は少しドキドキでした。
自分の身体なぞ、この太を抱いたまま
大事な部分だけを(イヤン)チャッチャと
洗うだけしか出来ずでしたが、
やっぱり足の伸ばせるお風呂(黒板五郎より引用)
は最高でした。
この太は「泡のお風呂」の泡を舐めようと
クチをパクパク・・。
温泉から上がって広間に行くと
お婆ちゃんが「赤ちゃん見せてもらっていいですか?」と近づいて来た。
「最近の赤ちゃんはしっかりしてるよね」
「風邪引かせないように帰ってあげてね」
「また会うかもしれないので、よろしくね」
見ず知らずのお婆ちゃんとの会話で
私は
「私のこと、な〜んにも知らない人と話したかった
んだ」と思った。
少し、すっきりした。
風呂上がりに生ビールを少しもらった。
おいしかった。