爺さんの思ひ出。
2002年8月28日爺さんとは私の直系の爺さんではなく、
以前勤めていた園の園長である。
なんか、久しぶりに”爺さん”のこと思い出したんだよね。
私が勤めている間に2人の爺さんが
園長になった。
”花咲爺さん”で言えば
1人目の爺さんは”いい爺さん”2人目の爺さんは”悪い爺さん”って表現がぴったりかも。
1人目の爺さんは今や、お空の人。
んで、今回話題にあげたい爺さんは
2番目の爺さんね。
2番目の爺さんはちょっと(かなり)変わり者。
世間知らずの箱入り爺さんじゃあるまいし・・って
感じの出来事が多すぎるお人でした。
そのクセ、威厳ばっかり振りかざした人で
本当に苦労しました。
まず、爺さんは何度注意しても
お母さん方の事を”奥さん”と呼ぶ。
みのもんたじゃないんだから。
とりあえず、
「園長先生、出来れば「お母さん」もしくは
「○▼さん」と名字で呼んであげてください」
という申し立てを何度した事か。
(たしかに、”お母さん”方は爺さんの母ではないからね)
でも、いっつも「お〜くさん」
ある日、父母からの差し入れを頂いた。
かの北海道土産ベスト3に入っていると言われる
”六花●のマルセイバターサンド”である。
「園長、●さんから差し入れです」
お菓子を渡すと
「ど〜ぉも〜」(やたら伸びて節が付く)
受け取って早速「ポクポク」と食い出す。
(この食べる時の「ポクポク」って歯の当たる音も
毎日一緒に事務所で給食食べてるとイヤでしょうがなかった。)
「で?主任さん(私の事をこう呼ぶ)
これは●さんの手作り?」
・・・どこにこんなに活字までプリントされ
糊付けされた包装紙に包まれたお菓子見て
”手作り?”なんて
聞くヤツがいるんだよぉー!
しかも、天下の”六花●”さんのお菓子捕まえて
そりゃないだろう。
こんなこともあった。
爺さんは研修に行った帰り道、
みんなが「帰るコール」すると言うので
爺さんも「どれ・・じゃ、私も」
と妻ミツコに帰るコールすることにした。
爺さん「もしもし?ミツコ?ミツコか?
・・・ミツコじゃないのかっ!?」
ガッチャン・・・・。
爺さん謝れって。
それを見ていたM先生は速攻で私のところへ
駆け寄り、
「ヤバイっすよ。爺さんったら、市外局番も
回さずに電話したっすよ」
と半べそかきながら言った。
爺さんはどうやら、「市外」からはミツコに
電話したことがなかったようだ。
しかし、これは我々、いつの間にか習得したモノだろう。
誰も爺さんに教える機会はなかったのだろうか。
爺さんは「ナゼナニ坊や」ならぬ「ナゼナニ爺や」でもある。
とにかく、「ナゼ?」「何?」と思ったらすぐ、
今すぐ!!聞かないと気が済まない。
だから、雇われ園長のクセに「私用電話」が多かった。
私が保育料の計算でイッパイイッパイの時に限って
「主任さ〜ん?あの”●▼峠”にね、
1合目、2合目って標識があるでしょ〜?
あれって距離は均等なんだろーかね〜?」
このクソ忙しい時になんか考え事して
静かにしててくれてるとばかり思っていたら
そんなくだらない事を考えていたのかっ!?
「よーし!!営林局に聞いてみよう!!」ピッポッパ・・・
「主任さ〜ん、アレは均等ではないらしいよ」
って、私は今そんなこと知りたくな〜い(ほとんど泣き入ってます)
とまぁまぁ、こんなの序の口で
爺さんと過ごした3年間には
数え切れないほどの思ひ出があります。
なんでこんなこと久しぶりに思い出したんだか。
今となれば、笑えるけど、
その当時はいろんな出来事と相まって
ホント腹立たしい事も多かったんだ。
以前勤めていた園の園長である。
なんか、久しぶりに”爺さん”のこと思い出したんだよね。
私が勤めている間に2人の爺さんが
園長になった。
”花咲爺さん”で言えば
1人目の爺さんは”いい爺さん”2人目の爺さんは”悪い爺さん”って表現がぴったりかも。
1人目の爺さんは今や、お空の人。
んで、今回話題にあげたい爺さんは
2番目の爺さんね。
2番目の爺さんはちょっと(かなり)変わり者。
世間知らずの箱入り爺さんじゃあるまいし・・って
感じの出来事が多すぎるお人でした。
そのクセ、威厳ばっかり振りかざした人で
本当に苦労しました。
まず、爺さんは何度注意しても
お母さん方の事を”奥さん”と呼ぶ。
みのもんたじゃないんだから。
とりあえず、
「園長先生、出来れば「お母さん」もしくは
「○▼さん」と名字で呼んであげてください」
という申し立てを何度した事か。
(たしかに、”お母さん”方は爺さんの母ではないからね)
でも、いっつも「お〜くさん」
ある日、父母からの差し入れを頂いた。
かの北海道土産ベスト3に入っていると言われる
”六花●のマルセイバターサンド”である。
「園長、●さんから差し入れです」
お菓子を渡すと
「ど〜ぉも〜」(やたら伸びて節が付く)
受け取って早速「ポクポク」と食い出す。
(この食べる時の「ポクポク」って歯の当たる音も
毎日一緒に事務所で給食食べてるとイヤでしょうがなかった。)
「で?主任さん(私の事をこう呼ぶ)
これは●さんの手作り?」
・・・どこにこんなに活字までプリントされ
糊付けされた包装紙に包まれたお菓子見て
”手作り?”なんて
聞くヤツがいるんだよぉー!
しかも、天下の”六花●”さんのお菓子捕まえて
そりゃないだろう。
こんなこともあった。
爺さんは研修に行った帰り道、
みんなが「帰るコール」すると言うので
爺さんも「どれ・・じゃ、私も」
と妻ミツコに帰るコールすることにした。
爺さん「もしもし?ミツコ?ミツコか?
・・・ミツコじゃないのかっ!?」
ガッチャン・・・・。
爺さん謝れって。
それを見ていたM先生は速攻で私のところへ
駆け寄り、
「ヤバイっすよ。爺さんったら、市外局番も
回さずに電話したっすよ」
と半べそかきながら言った。
爺さんはどうやら、「市外」からはミツコに
電話したことがなかったようだ。
しかし、これは我々、いつの間にか習得したモノだろう。
誰も爺さんに教える機会はなかったのだろうか。
爺さんは「ナゼナニ坊や」ならぬ「ナゼナニ爺や」でもある。
とにかく、「ナゼ?」「何?」と思ったらすぐ、
今すぐ!!聞かないと気が済まない。
だから、雇われ園長のクセに「私用電話」が多かった。
私が保育料の計算でイッパイイッパイの時に限って
「主任さ〜ん?あの”●▼峠”にね、
1合目、2合目って標識があるでしょ〜?
あれって距離は均等なんだろーかね〜?」
このクソ忙しい時になんか考え事して
静かにしててくれてるとばかり思っていたら
そんなくだらない事を考えていたのかっ!?
「よーし!!営林局に聞いてみよう!!」ピッポッパ・・・
「主任さ〜ん、アレは均等ではないらしいよ」
って、私は今そんなこと知りたくな〜い(ほとんど泣き入ってます)
とまぁまぁ、こんなの序の口で
爺さんと過ごした3年間には
数え切れないほどの思ひ出があります。
なんでこんなこと久しぶりに思い出したんだか。
今となれば、笑えるけど、
その当時はいろんな出来事と相まって
ホント腹立たしい事も多かったんだ。
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モグモグ教室へ。
2002年8月27日今日は、7,8ヶ月児対象の”モグモグ教室”(離乳食教室)でした。
小さな田舎町なので、
対象児は9名。
そのうち、欠席3名だったので
6名という
都会の検診や予防接種の順番待ちを
経験されてる人から見たら、
うらやましがられる状況でしょうか。
ホント、ピューって行ってピューって
帰って来れます。
皆さん、妊婦教室からの顔見知り。
和気藹々と(・・・今、急にダチョウ倶楽部が浮かんだ・汗)
おしゃべりしつつ、
栄養士さんからの離乳食についての個別相談
(つっても、和室にみんなで好き放題に座ったまま、栄養士さんが移動しながら軽く話す程度)
栄養士さんが作った離乳食の試食、
そして、計測というモノでした。
この太は納豆嫌いのようだったので、
1度いやがってからは上げてなかったのですが、
今日のメニューは”納豆粥”。
今日は喜んで食べていました。
とにかく、いつも
気構える事なく行ける保健センターで
助かっています。
んが、1つ気がかりな事が。
実は、
栄養士さんがおデブさんなんですね。
おデブの栄養士さんに、
食事のアドバイスもらって
素直に頷けるもんでしょうかね?
妊婦教室時代も、
「油っこいもんは控えましょうね〜!」だの
「甘いモノも取りすぎ注意ですよ〜!」だの
言われて来ましたが、
すみません、貴方を直視すると
「お前に言われたかないよ」
と思う私はひねくれモンでしょーか?
塗り壁みたいな化粧の美容部員に
「だめよ〜!?お肌大切にしなきゃ〜」
って言われたって、
「アンタが大事にしろよ」
と思うし、
矯正下着売りに来た二段腹のおばちゃんが
「私も付けてるのぉ〜」
って言われたって、
「おばちゃんが見事1段腹になったら来やがれ」
と思うサ。
今日も「味付けは塩分控え目にね」
なんて言われましたが、
私は栄養士さんが
しょっぱーいポテチとか食べてる図を
想像しておりました。
そんなんでこの太、モグモグ中期に突入です。
小さな田舎町なので、
対象児は9名。
そのうち、欠席3名だったので
6名という
都会の検診や予防接種の順番待ちを
経験されてる人から見たら、
うらやましがられる状況でしょうか。
ホント、ピューって行ってピューって
帰って来れます。
皆さん、妊婦教室からの顔見知り。
和気藹々と(・・・今、急にダチョウ倶楽部が浮かんだ・汗)
おしゃべりしつつ、
栄養士さんからの離乳食についての個別相談
(つっても、和室にみんなで好き放題に座ったまま、栄養士さんが移動しながら軽く話す程度)
栄養士さんが作った離乳食の試食、
そして、計測というモノでした。
この太は納豆嫌いのようだったので、
1度いやがってからは上げてなかったのですが、
今日のメニューは”納豆粥”。
今日は喜んで食べていました。
とにかく、いつも
気構える事なく行ける保健センターで
助かっています。
んが、1つ気がかりな事が。
実は、
栄養士さんがおデブさんなんですね。
おデブの栄養士さんに、
食事のアドバイスもらって
素直に頷けるもんでしょうかね?
妊婦教室時代も、
「油っこいもんは控えましょうね〜!」だの
「甘いモノも取りすぎ注意ですよ〜!」だの
言われて来ましたが、
すみません、貴方を直視すると
「お前に言われたかないよ」
と思う私はひねくれモンでしょーか?
塗り壁みたいな化粧の美容部員に
「だめよ〜!?お肌大切にしなきゃ〜」
って言われたって、
「アンタが大事にしろよ」
と思うし、
矯正下着売りに来た二段腹のおばちゃんが
「私も付けてるのぉ〜」
って言われたって、
「おばちゃんが見事1段腹になったら来やがれ」
と思うサ。
今日も「味付けは塩分控え目にね」
なんて言われましたが、
私は栄養士さんが
しょっぱーいポテチとか食べてる図を
想像しておりました。
そんなんでこの太、モグモグ中期に突入です。
この周期は一定なのか?
2002年8月26日■仕事が休みの日(土・日・祝日)に
ダーちんに「飯は?」とか「飯何?」などと
聞かれる(催促される)時のムカツキ■
共働きが長かった我々は
土・日・祝日はお互いがホリデー。
平日は分担で家事をし、
(食事はダーちんは一切出来ないので無理だが、
掃除、洗濯部門は率先してやってくれた)
休みの日は、外食やコンビニ弁当で
済ませる事が多かった。
2人で働いていたので、
週末食事にお金を掛けても響く事はなかったし、
とにかく「家事一切も休業」という日を
設けないと休んだ気にもならなかったし。
仕事を辞めてからも
やっぱりダーちんにとっての「休日」は
私にとっても「休日」であるという定義は
私の身体にしみこんでいるようだ。
それでも2人だけの時は
出掛ける事も多かったので
前ほどではないが、外食などで済ませる事が
多かったのも事実だが、
この太が生まれてからは
出掛けても実家だ、スーパーだ・・程度で
週末の食事時に家に居ることが
多くなって来た。
すると「飯は?」「飯何?」の発言に
フツフツと怒りがこみ上げて来る事が
何周期かゴトにあるのである。
これは以下のようなシチュエーションが
付くとよく起きる。
○ダラダラとソファに横になりながら発する。
●1日いっぱいゴルフ三昧だった日。
○夕方(3時4時)に軽く食べ(パンやカップラーメンなど)
「そんな時間に食べたら晩ご飯入らなくなるよ」
という助言を無視したあげくに、9時頃
「晩飯食いたい」「晩飯まだ食ってない」と言い出す。
●私がこの太の世話をしている時。
○買い物品を冷蔵庫にやっと仕舞い、ホッと一息
ついている時。(我が家は1週間買いだめ方式なので量や小分け作業が多い)
●私の腹が減ってない時。
○「なんもしたくなーい」病が発生している時。
などなど
どれか1つでもこれらの”地雷”を踏んで
「飯は〜〜〜ぁ〜〜〜?」
なんて言われたら、ドッカン!!
って感じ。
「なにさ!なにさ!アンタなんか
小学生の子どもみたいに!!!
食う事ばっかり考えてんじゃないよ!!
(小学生・・ごめんなさい)
私だって、休みが欲しいんだよー!!
料理人の旦那が欲しかったよ。
ちゃっちゃとチャーハンでも作れる旦那。
”飯””飯”ってオウムが覚えた言葉みたいに
繰り返しやがって!!
バーーーーカーーーーー」
と、噴火するのである。
ダーちんは”触らぬ神にたたりなし”派なので
しばらく私をほっておく。
んで、10分後、
「ねぇ〜飯どうすんの〜?」
と聞く。
だ〜か〜ら〜〜〜〜っ・・・再噴火。
私は”飯子”じゃない”こーのー太”でーすー!!
とまぁ、こんな感じです。(情)
昨日がそうでした・・・。クッスン。
平日はほとんどそんな事思わず、
やってるんですけどねぇ・・・・。
ダーちんに「飯は?」とか「飯何?」などと
聞かれる(催促される)時のムカツキ■
共働きが長かった我々は
土・日・祝日はお互いがホリデー。
平日は分担で家事をし、
(食事はダーちんは一切出来ないので無理だが、
掃除、洗濯部門は率先してやってくれた)
休みの日は、外食やコンビニ弁当で
済ませる事が多かった。
2人で働いていたので、
週末食事にお金を掛けても響く事はなかったし、
とにかく「家事一切も休業」という日を
設けないと休んだ気にもならなかったし。
仕事を辞めてからも
やっぱりダーちんにとっての「休日」は
私にとっても「休日」であるという定義は
私の身体にしみこんでいるようだ。
それでも2人だけの時は
出掛ける事も多かったので
前ほどではないが、外食などで済ませる事が
多かったのも事実だが、
この太が生まれてからは
出掛けても実家だ、スーパーだ・・程度で
週末の食事時に家に居ることが
多くなって来た。
すると「飯は?」「飯何?」の発言に
フツフツと怒りがこみ上げて来る事が
何周期かゴトにあるのである。
これは以下のようなシチュエーションが
付くとよく起きる。
○ダラダラとソファに横になりながら発する。
●1日いっぱいゴルフ三昧だった日。
○夕方(3時4時)に軽く食べ(パンやカップラーメンなど)
「そんな時間に食べたら晩ご飯入らなくなるよ」
という助言を無視したあげくに、9時頃
「晩飯食いたい」「晩飯まだ食ってない」と言い出す。
●私がこの太の世話をしている時。
○買い物品を冷蔵庫にやっと仕舞い、ホッと一息
ついている時。(我が家は1週間買いだめ方式なので量や小分け作業が多い)
●私の腹が減ってない時。
○「なんもしたくなーい」病が発生している時。
などなど
どれか1つでもこれらの”地雷”を踏んで
「飯は〜〜〜ぁ〜〜〜?」
なんて言われたら、ドッカン!!
って感じ。
「なにさ!なにさ!アンタなんか
小学生の子どもみたいに!!!
食う事ばっかり考えてんじゃないよ!!
(小学生・・ごめんなさい)
私だって、休みが欲しいんだよー!!
料理人の旦那が欲しかったよ。
ちゃっちゃとチャーハンでも作れる旦那。
”飯””飯”ってオウムが覚えた言葉みたいに
繰り返しやがって!!
バーーーーカーーーーー」
と、噴火するのである。
ダーちんは”触らぬ神にたたりなし”派なので
しばらく私をほっておく。
んで、10分後、
「ねぇ〜飯どうすんの〜?」
と聞く。
だ〜か〜ら〜〜〜〜っ・・・再噴火。
私は”飯子”じゃない”こーのー太”でーすー!!
とまぁ、こんな感じです。(情)
昨日がそうでした・・・。クッスン。
平日はほとんどそんな事思わず、
やってるんですけどねぇ・・・・。
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給料入ったのに・・・
2002年8月23日totoやサマージャンボに現を抜かしている暇は
なかった。
先日、給料が入ったばかりだというのに、
今日、色々支払い先へ入金を済ますと
とんでもない事になっていた。(ショック)
車の車検が9月だった。
しかも1日・・って。
日記こそ、付けているが、
働いてない私は曜日感覚が次第にマヒしつつある。
せいぜい、”渡鬼”を見て、
「おお・・今日は木曜か」
と思うくらいだ。
漠然と”9月”と思っていたけれど、
1日と30日じゃエライ違いだ。
あと、1週間じゃないか。。
そして、9月には固定資産税が。
痛い・・・・。
これも4日。
そして、魔の寒さによる暖房スイッチオンシーズン。
どうなんでしょう。
内地の冷房代と痛み分け出来るんでしょうか?
更に、規模縮小を余儀なくされつつある
父の還暦の祝いも9月。
まさに我が家にとって”苦月”である。(寒)
あーん。なんであの時(札幌豪遊)
この太に”半袖”なぞ買ったのだろう。
長袖ないぞ・・・・。
という次元じゃないか・・・はー。
______________________
■なっぱさん■
お気に入り登録させて頂きました。
以前から読みには行かせて頂いてたのですが、
これからは直通で行かせて頂こうと・・・。
どうぞ、よろしくお願いします。
なかった。
先日、給料が入ったばかりだというのに、
今日、色々支払い先へ入金を済ますと
とんでもない事になっていた。(ショック)
車の車検が9月だった。
しかも1日・・って。
日記こそ、付けているが、
働いてない私は曜日感覚が次第にマヒしつつある。
せいぜい、”渡鬼”を見て、
「おお・・今日は木曜か」
と思うくらいだ。
漠然と”9月”と思っていたけれど、
1日と30日じゃエライ違いだ。
あと、1週間じゃないか。。
そして、9月には固定資産税が。
痛い・・・・。
これも4日。
そして、魔の寒さによる暖房スイッチオンシーズン。
どうなんでしょう。
内地の冷房代と痛み分け出来るんでしょうか?
更に、規模縮小を余儀なくされつつある
父の還暦の祝いも9月。
まさに我が家にとって”苦月”である。(寒)
あーん。なんであの時(札幌豪遊)
この太に”半袖”なぞ買ったのだろう。
長袖ないぞ・・・・。
という次元じゃないか・・・はー。
______________________
■なっぱさん■
お気に入り登録させて頂きました。
以前から読みには行かせて頂いてたのですが、
これからは直通で行かせて頂こうと・・・。
どうぞ、よろしくお願いします。
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ちょっと困った頂き物。
2002年8月21日昨日、ある方より
「これ、使ってー」と頂き物をした。
開けて見ると
クロスステッチで刺繍したミニ・クッション。
その刺繍っていうのが
私たち三人の名前。
■ダーちん
&
この太
&
この太ママ■
というヤツ。
嗚呼・・ごめんなさい。
私、非情な人間なのか、この手のモノ苦手です。
例えば、そんな名前なぞ無く、
お花でも蝶でもトンボでも・・・
柄でもチクチクしてくださったのなら
妥協も出来ましょう。
でも・・でも・・。
経験はある。
若かりし頃、愛しの彼を思いながら、
彼のイニシャル入りの手袋やクッションを
×印でチクチクしたコトあります。
でも、30半ばではカユイ。
しかも、もらう側・・・。
(もしかしたら、愛しの彼らも若くても
こんな思いだったのかしら・・苦笑)
とりあえず、
「うっわぁ〜器用なのねー!ありがとー!」
などと社交辞令のお礼を述べたが、
これまた今後の”取り扱い”をどうしたものか、と
考えあぐねております。
時々、我が家へ足を運ぶ方ですので、
まさかどこぞにしまい込む訳にもいかぬだろう。
かと言って、我が家のソファーに並ぶクッションと
列を連ねるっていうのもね〜?
でも、ミニタイプなので、この太の遊び道具としては
もってこいなんだけど、
訪問された時、この太のよだれ付き&
ズタボロでその辺に転がっているなんて
やっぱりもってのほかだよね?
ああ・・・。
やはり、一応、大切に保管し、
訪問の際にさりげにディスプレイって線が無難?
悩みまする。
そういえば、困った頂き物で
思い出したんだが、
友人のSちゃんの話。
Sちゃんの彼氏がSちゃんに修学旅行のお土産を
買って来た。
同級生なので、一緒に修学旅行に行ったのに・・
こっそり買って驚かせたかったのね。
「これ!お土産だよ!」
と渡された包み。
「なにかな!!」
と開けたSちゃんはヒイた。
■一休さんが虎の屏風の前で縄を引いている置物■
だった。
(ご存じでしょうか?
一休さんの”虎退治”の話)
Sちゃん、これで彼と別れました。
「これ、使ってー」と頂き物をした。
開けて見ると
クロスステッチで刺繍したミニ・クッション。
その刺繍っていうのが
私たち三人の名前。
■ダーちん
&
この太
&
この太ママ■
というヤツ。
嗚呼・・ごめんなさい。
私、非情な人間なのか、この手のモノ苦手です。
例えば、そんな名前なぞ無く、
お花でも蝶でもトンボでも・・・
柄でもチクチクしてくださったのなら
妥協も出来ましょう。
でも・・でも・・。
経験はある。
若かりし頃、愛しの彼を思いながら、
彼のイニシャル入りの手袋やクッションを
×印でチクチクしたコトあります。
でも、30半ばではカユイ。
しかも、もらう側・・・。
(もしかしたら、愛しの彼らも若くても
こんな思いだったのかしら・・苦笑)
とりあえず、
「うっわぁ〜器用なのねー!ありがとー!」
などと社交辞令のお礼を述べたが、
これまた今後の”取り扱い”をどうしたものか、と
考えあぐねております。
時々、我が家へ足を運ぶ方ですので、
まさかどこぞにしまい込む訳にもいかぬだろう。
かと言って、我が家のソファーに並ぶクッションと
列を連ねるっていうのもね〜?
でも、ミニタイプなので、この太の遊び道具としては
もってこいなんだけど、
訪問された時、この太のよだれ付き&
ズタボロでその辺に転がっているなんて
やっぱりもってのほかだよね?
ああ・・・。
やはり、一応、大切に保管し、
訪問の際にさりげにディスプレイって線が無難?
悩みまする。
そういえば、困った頂き物で
思い出したんだが、
友人のSちゃんの話。
Sちゃんの彼氏がSちゃんに修学旅行のお土産を
買って来た。
同級生なので、一緒に修学旅行に行ったのに・・
こっそり買って驚かせたかったのね。
「これ!お土産だよ!」
と渡された包み。
「なにかな!!」
と開けたSちゃんはヒイた。
■一休さんが虎の屏風の前で縄を引いている置物■
だった。
(ご存じでしょうか?
一休さんの”虎退治”の話)
Sちゃん、これで彼と別れました。
使ったのかな、あげたネタ。
2002年8月19日土曜日のダーちんの学友ファミリーでの
焼肉の会の時のコト。
以前にも書いたが、
ダーちんは話が長く、オチもないので
持ち時間が決められている。
今回は”45分”だった。
同じく、T松君もダーちんレベルのため、
”45分”の持ち時間だった。
みんなで楽しく会話していると
M晴が
「そういえば、T松にはハゲ(円形脱毛?)が
あったよな」
と言い出した。
T松:「おう!あったぞ!」
A志:「アレって動いたりしたんだろ?」
T松:「そうよそうよ。動くんだ」
M晴:「T松、2500円くらいあったべ?
500円玉5個のハゲだったべや」
T松:「いや、まず500円玉くらいのが出来て
それから100円玉くらいのが出来たんだ」
M晴:「じゃ〜600円か、安っいハゲだな〜」
T松:「馬鹿、まだその後に出来たんだって。
5円玉みたいのがな!」
私:「・・・消費税っすか?」
これで私、オチ大賞頂きました。
一同、軽く笑わせました。
会話陪審員のM晴から
「もぉーダーちんは帰れ。カアチャンだけで
十分だ。あと、お前の持ち時間10分、
カアチャンにやれ」
と言われた。
そして、その話も私のオチで終わって
しばらくしてから、
残り持ち時間25分になったT松君の発言。
T松:「いや・・さっきの”消費税”
ホント、うまいっ!って感じだったよ。
奥さん、悪いけど、それ使わせてもらって
いいっすか?T町で・・」
とな。
「そんなんで良かったら・・」と
恥ずかしながら贈呈してきました。
(だって、これって本当におもしろ級か?)
T町の笑いの受け入れレベルがどの程度か
わかりませんが、
寒い思いだけはしないようにと願うばかりです。
しかし、そんな申し出をするT松に
陪審員M晴は
「お前、使ってもいいけど、
噛むなよ。”チョーヒジェイ”なんて
言ったら最後だかんな」
とアドバイスまでもらっておりました。
嗚呼・・ダーちんレベルのT松君なら噛みそう・・。
焼肉の会の時のコト。
以前にも書いたが、
ダーちんは話が長く、オチもないので
持ち時間が決められている。
今回は”45分”だった。
同じく、T松君もダーちんレベルのため、
”45分”の持ち時間だった。
みんなで楽しく会話していると
M晴が
「そういえば、T松にはハゲ(円形脱毛?)が
あったよな」
と言い出した。
T松:「おう!あったぞ!」
A志:「アレって動いたりしたんだろ?」
T松:「そうよそうよ。動くんだ」
M晴:「T松、2500円くらいあったべ?
500円玉5個のハゲだったべや」
T松:「いや、まず500円玉くらいのが出来て
それから100円玉くらいのが出来たんだ」
M晴:「じゃ〜600円か、安っいハゲだな〜」
T松:「馬鹿、まだその後に出来たんだって。
5円玉みたいのがな!」
私:「・・・消費税っすか?」
これで私、オチ大賞頂きました。
一同、軽く笑わせました。
会話陪審員のM晴から
「もぉーダーちんは帰れ。カアチャンだけで
十分だ。あと、お前の持ち時間10分、
カアチャンにやれ」
と言われた。
そして、その話も私のオチで終わって
しばらくしてから、
残り持ち時間25分になったT松君の発言。
T松:「いや・・さっきの”消費税”
ホント、うまいっ!って感じだったよ。
奥さん、悪いけど、それ使わせてもらって
いいっすか?T町で・・」
とな。
「そんなんで良かったら・・」と
恥ずかしながら贈呈してきました。
(だって、これって本当におもしろ級か?)
T町の笑いの受け入れレベルがどの程度か
わかりませんが、
寒い思いだけはしないようにと願うばかりです。
しかし、そんな申し出をするT松に
陪審員M晴は
「お前、使ってもいいけど、
噛むなよ。”チョーヒジェイ”なんて
言ったら最後だかんな」
とアドバイスまでもらっておりました。
嗚呼・・ダーちんレベルのT松君なら噛みそう・・。
いろんな偶然。
2002年8月18日お盆のイベントがやっと
一通り終わって、
今日はダーちんは1人でゴルフへ出掛けた。
私は1人で・・・もとい、この太と2人で
のんびり家でくつろいでいる。
今、この太も食後の眠りに入り、
私は1人でこの日記を打っている。
14日の日、
7年前に亡くなった親友の実家へ
お参りに行って来た。
彼女の本当の命日は17日。
7年前の17日、Y代は海に消えた。
当時、夫婦共働き子ども無しの私たちは
共通点も多く、よく話をしていた。
お互い、管理職になり後輩育成と上司との関係に
悩んでいたり、
子どもがいないことで受ける傷つき、
そして、もしこのまま夫婦2人で生きていくとしたら・・という展望についてなど、
よく話をした。
お互い忙しかったので、電話(当時はメールも
そんなに普及したなかったしね)や手紙で
だったが、ちょうど家を新築した我が家に
7月に出張でこっちへ来れたので・・と
寄ってくれたのが彼女と会った最期だった。
彼女が海に行ったその日、
私とダーちんは本当に不思議な行動をしていた。
ちょうど、サザンのコンサートがあって
私たちは札幌へ出掛けていた。
コンサートまで予定があった私たちは
その予定をクリアするために札幌市内を
走り回っていた。
最初は”看板”だったと思う。
彼女の旦那さんの会社の看板を見つけて
「今日、Y代居るのかな〜?」
とその看板を漠然と見ながら私はダーちんに
話しかけた。
ダーちんも
「どうかね〜?寄ってみる?」
と答えた。
次に”不二家”のレストランの前を通った。
私「そういえば、ここでY代がG(当時の彼氏)との
仲が冷めてきて、泣きながら話したんだよね。
その後、うちに来て2人で夜通し飲んだんだわ。
懐かしいなぁ〜」
それから、3回引越しした彼女の1番最初の家の前を通った。
ダーちん「ここってどれくらい住んでたんだっけ?」
私「Gと同棲してた頃だから1年半くらい?」
2番目に住んだ家の前も通った。
私「お姉ちゃんが来たからこっちへ引越たんだよ。
ここって入り口が店舗になってるから
なんか少し入りにくかったんだよね」
それからワンピYの家へ寄った。
Yはナゼかいらついている。
Y「いやさ。昨日からY代に電話してるんだけど、
留守電なのさ。せっかくこの太たち来るからっ
て思ってさ。」
私「いいよ。突然だし、それにここにだって30分
もいれないスケジュールなんだから。」
と言ったけど、Yは
「もう1回かけてみる!」
と言って聞かない。結局30分中、5回も
電話を掛けていた。
これで最後の1回と言い掛ける。
・・・やはり留守電。
私「いいって。どうせ今連絡取れても逢えそうにないし」
Y「ほれ、(ダーちんに受話器を渡して)
留守電に入れてあげて」
ダーちん「あ〜、Y代?今、Yのところに来てます。
これからサザンのコンサに行くんだ。
逢えるかな〜?と思ったけど、いないん
だね。どこ行ったんだーーーー!?
・・・・ピーーー」
30分してY宅を出て、
コンサ前に寄ってみたかった絵本屋さんへ向かう。
Y代の家の前を通る。
ダーちん「寄ってみる?」
私「いいって!今さっき電話して留守だったばっか
だよ?いる訳ないよ。居てもゆっくりもしてら
れないし、行こう!行こ!」
まっすぐ絵本屋へ向かい、
コンサを見に行った。
会場を出て、車に乗り込むと渋滞だったので
私はYに電話をかけて暇をつぶすことにした。
私「今終わった〜。最高だったよ。渋滞中なんだ」
Y「気を付けてね。事故にだけはホントに。
愛してるよん〜♪」
後でわかったコト。
ちょうど、この電話の最中にY代は息を引き取った。
夜中車を走らせ、4時間かけて帰宅した私とダーちんは
次の日、今度は喪服を着て同じ道をまた
走るなんてその時思いもしなかった。
私とダーちんはよく考えても不思議でしかたなかった。
■どーしてあの日はあんなにY代に関わる出来事が
多かったんだろうか■
と。
まるで思い出巡りをしているように
Y代との思い出の場所やゆかりの場所を通過し、
留守なのに、しつこくこだわるYと留守録なんて
残したこともないダーちんが言葉を残す。
道中、何度Y代の話が出たことか。
これは本当に単に”偶然”?
いや。私たちはそう思っていない。
きっと、Y代の仕業だよ。絶対そう。
今でもそう思ってるモノ。
そういう奴だった、あの子は。
・・・そして14日夜
前日の花火大会が延期になったその日、
私たち親子3人は花火を見に出掛けた。
すごく大きな花火が打ち上げられた。
私はビビりなので、心臓が痛くてたまらないくらいの
迫力で本当にチビりそうだった。(恥
この太は音の後に見るので、すでに大輪は散った後・・というコトがほとんどだった。
2尺玉が打ち上げられた頃には、もう集中力も
限界、睡魔にも襲われているこの太だったので
「帰ろう」
と歩き出した。
少し歩くと救急車が到着した。
「なんだろうね。具合悪くなった人?喧嘩?」
なんて話しながら歩いていた。
1キロ先に車を停めていたんだけど、
そこまで花火の破片が飛んで来てて
「あんなにデカイからこんなところまで?怖いー」
なんて話した。
次の日、ニュースで私たちが見ていた100メートルも
離れていないところで女の子に破片がぶつかり
意識不明の重体になっていると知った。
17日、ダーちんの大学時代の友人ファミリー
5家族でキャンプ場のある湖で
焼肉などを楽しんでいた。
管理棟から放送である車の所持者を探すアナウンスが入った。
「大変な事故です」と。
「なんだろうね。」
と話しているところで救急車が到着し、警察も。
坂の上が駐車場、坂の下がキャンプ地。
駐車してあった車はマニュアル車で
ニュートラルにしてあったよう、サイドブレーキは
かけてなかった。
その車が坂を転げ落ちてきて、
キャンプ中の人たちのところへ直撃した。
2人が救急車で運ばれた。
何万・・何十万、何千万?何億?分の1の
確率でその場に居て、被害に遭う人、
難を逃れる人。
「運命」「偶然」・・・そんな言葉で
片づけられないほど、この世の中には
こんなコトが起きる。
神様など信じないと思っている私だが、
いるのかな?と思ったりする瞬間だ。
※事故に遭われた方の一日も早い回復を
心からお祈りしています。
一通り終わって、
今日はダーちんは1人でゴルフへ出掛けた。
私は1人で・・・もとい、この太と2人で
のんびり家でくつろいでいる。
今、この太も食後の眠りに入り、
私は1人でこの日記を打っている。
14日の日、
7年前に亡くなった親友の実家へ
お参りに行って来た。
彼女の本当の命日は17日。
7年前の17日、Y代は海に消えた。
当時、夫婦共働き子ども無しの私たちは
共通点も多く、よく話をしていた。
お互い、管理職になり後輩育成と上司との関係に
悩んでいたり、
子どもがいないことで受ける傷つき、
そして、もしこのまま夫婦2人で生きていくとしたら・・という展望についてなど、
よく話をした。
お互い忙しかったので、電話(当時はメールも
そんなに普及したなかったしね)や手紙で
だったが、ちょうど家を新築した我が家に
7月に出張でこっちへ来れたので・・と
寄ってくれたのが彼女と会った最期だった。
彼女が海に行ったその日、
私とダーちんは本当に不思議な行動をしていた。
ちょうど、サザンのコンサートがあって
私たちは札幌へ出掛けていた。
コンサートまで予定があった私たちは
その予定をクリアするために札幌市内を
走り回っていた。
最初は”看板”だったと思う。
彼女の旦那さんの会社の看板を見つけて
「今日、Y代居るのかな〜?」
とその看板を漠然と見ながら私はダーちんに
話しかけた。
ダーちんも
「どうかね〜?寄ってみる?」
と答えた。
次に”不二家”のレストランの前を通った。
私「そういえば、ここでY代がG(当時の彼氏)との
仲が冷めてきて、泣きながら話したんだよね。
その後、うちに来て2人で夜通し飲んだんだわ。
懐かしいなぁ〜」
それから、3回引越しした彼女の1番最初の家の前を通った。
ダーちん「ここってどれくらい住んでたんだっけ?」
私「Gと同棲してた頃だから1年半くらい?」
2番目に住んだ家の前も通った。
私「お姉ちゃんが来たからこっちへ引越たんだよ。
ここって入り口が店舗になってるから
なんか少し入りにくかったんだよね」
それからワンピYの家へ寄った。
Yはナゼかいらついている。
Y「いやさ。昨日からY代に電話してるんだけど、
留守電なのさ。せっかくこの太たち来るからっ
て思ってさ。」
私「いいよ。突然だし、それにここにだって30分
もいれないスケジュールなんだから。」
と言ったけど、Yは
「もう1回かけてみる!」
と言って聞かない。結局30分中、5回も
電話を掛けていた。
これで最後の1回と言い掛ける。
・・・やはり留守電。
私「いいって。どうせ今連絡取れても逢えそうにないし」
Y「ほれ、(ダーちんに受話器を渡して)
留守電に入れてあげて」
ダーちん「あ〜、Y代?今、Yのところに来てます。
これからサザンのコンサに行くんだ。
逢えるかな〜?と思ったけど、いないん
だね。どこ行ったんだーーーー!?
・・・・ピーーー」
30分してY宅を出て、
コンサ前に寄ってみたかった絵本屋さんへ向かう。
Y代の家の前を通る。
ダーちん「寄ってみる?」
私「いいって!今さっき電話して留守だったばっか
だよ?いる訳ないよ。居てもゆっくりもしてら
れないし、行こう!行こ!」
まっすぐ絵本屋へ向かい、
コンサを見に行った。
会場を出て、車に乗り込むと渋滞だったので
私はYに電話をかけて暇をつぶすことにした。
私「今終わった〜。最高だったよ。渋滞中なんだ」
Y「気を付けてね。事故にだけはホントに。
愛してるよん〜♪」
後でわかったコト。
ちょうど、この電話の最中にY代は息を引き取った。
夜中車を走らせ、4時間かけて帰宅した私とダーちんは
次の日、今度は喪服を着て同じ道をまた
走るなんてその時思いもしなかった。
私とダーちんはよく考えても不思議でしかたなかった。
■どーしてあの日はあんなにY代に関わる出来事が
多かったんだろうか■
と。
まるで思い出巡りをしているように
Y代との思い出の場所やゆかりの場所を通過し、
留守なのに、しつこくこだわるYと留守録なんて
残したこともないダーちんが言葉を残す。
道中、何度Y代の話が出たことか。
これは本当に単に”偶然”?
いや。私たちはそう思っていない。
きっと、Y代の仕業だよ。絶対そう。
今でもそう思ってるモノ。
そういう奴だった、あの子は。
・・・そして14日夜
前日の花火大会が延期になったその日、
私たち親子3人は花火を見に出掛けた。
すごく大きな花火が打ち上げられた。
私はビビりなので、心臓が痛くてたまらないくらいの
迫力で本当にチビりそうだった。(恥
この太は音の後に見るので、すでに大輪は散った後・・というコトがほとんどだった。
2尺玉が打ち上げられた頃には、もう集中力も
限界、睡魔にも襲われているこの太だったので
「帰ろう」
と歩き出した。
少し歩くと救急車が到着した。
「なんだろうね。具合悪くなった人?喧嘩?」
なんて話しながら歩いていた。
1キロ先に車を停めていたんだけど、
そこまで花火の破片が飛んで来てて
「あんなにデカイからこんなところまで?怖いー」
なんて話した。
次の日、ニュースで私たちが見ていた100メートルも
離れていないところで女の子に破片がぶつかり
意識不明の重体になっていると知った。
17日、ダーちんの大学時代の友人ファミリー
5家族でキャンプ場のある湖で
焼肉などを楽しんでいた。
管理棟から放送である車の所持者を探すアナウンスが入った。
「大変な事故です」と。
「なんだろうね。」
と話しているところで救急車が到着し、警察も。
坂の上が駐車場、坂の下がキャンプ地。
駐車してあった車はマニュアル車で
ニュートラルにしてあったよう、サイドブレーキは
かけてなかった。
その車が坂を転げ落ちてきて、
キャンプ中の人たちのところへ直撃した。
2人が救急車で運ばれた。
何万・・何十万、何千万?何億?分の1の
確率でその場に居て、被害に遭う人、
難を逃れる人。
「運命」「偶然」・・・そんな言葉で
片づけられないほど、この世の中には
こんなコトが起きる。
神様など信じないと思っている私だが、
いるのかな?と思ったりする瞬間だ。
※事故に遭われた方の一日も早い回復を
心からお祈りしています。
延期・・なんでこんなに寒いんだ?
2002年8月13日今日の花火大会、天候不良で
明日に延期になってしまった。
残念・・・。
いや、明日まで待てばいいだけなんだけど、
今日の予定が無くなってしまったのが
ちょっと寂しく残念だ。
しかし、天候不良どころか、
寒くて寒くてたまらないんですけど・・・。
今、暖房入れようかどうか
迷ってるくらいです。
信じられる?>本州の方
15度あるかないかじゃないだろうかね?
こんな寒くて小雨チラチラじゃ
外で花火なんて悠長に見てられないってね。
この太の甚平も泣いてるっつーの。
70(サイズ)じゃ来年着れないだろうし。
明日からは墓参り三昧の日々だ。
結婚するとあまりに自分の家のしきたり
(っつーほどのモノでもないが)と
相手の家のしきたりの違いに戸惑う。
こういうお墓参り行事1つとってもそう。
我が家は墓に皆さん入っている。
ダーちん家は墓は空っぽ。
お寺の納骨堂に皆さん入っている。
なんのための墓なのだ?
宗教だってさほど違わないぞ(宗派が違うだけ)
なので、ダーちん家はまず、墓に行き参る、
そして、お寺へ行き参る。
私はお墓では手を合わせて、何は語れば良いのか
悩んでしまう。
自分ちの墓には爺ちゃんも婆ちゃんもいるので
去年は
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるよ。
曾孫見せてあげたかったよ。」
と心の中で語ったが、
ダーちん家の墓前では、ただ
「南無阿弥陀仏」と一応唱えただけだった。
これでよいのだろうか。
そして、我が家の墓は
父方の兄弟達はそれぞれ自分の都合の良い日、
時間に参りに来る。
なので、自由。
それに対してダーちん家は
日にち、時間帯はもちろん、
ダーちん実家集合のモト、一斉にスタートしなくて
はいけない。
一度、現地集合した叔父さんは
ダーちん父にエライ勢いで怒られていた。
別に貸し切りバスにでも乗って行く訳ではない。
その後、別にダーちん実家に寄って
酒盛りとかする訳でもない。
現地解散なのだ。
このしきたりの為、
ダーちんはこの時期
「お墓参りはいつなのよ?何時に行けばいいのよ?」
とお伺いを立てる。
これが決まらないと次の予定が立たないのである。
私にしたら、誰も入居者のいない墓へ行かないで
お寺直行がいいし、
都合のいい時に参っておけばいいようにも
思うんだけど。
そんなことは口が裂けても言えない。
(ダーちんには文句言うけど、どうにも出来んらしい)
”しきたり”で思い出したが、
時期ハズレだが、ダーちんちの正月のお雑煮。
グラニュー糖をパラパラとトッピングして
食うのにはビビった。
昨日、TVタックルで”奇食する若者、子どもが
増えている”とかで
ご飯にチョコ、プリン、アイスなんかをトッピングして
食べてるとかやってたけど、
それに匹敵するくらい、私にしたら”奇食”だった。
明日に延期になってしまった。
残念・・・。
いや、明日まで待てばいいだけなんだけど、
今日の予定が無くなってしまったのが
ちょっと寂しく残念だ。
しかし、天候不良どころか、
寒くて寒くてたまらないんですけど・・・。
今、暖房入れようかどうか
迷ってるくらいです。
信じられる?>本州の方
15度あるかないかじゃないだろうかね?
こんな寒くて小雨チラチラじゃ
外で花火なんて悠長に見てられないってね。
この太の甚平も泣いてるっつーの。
70(サイズ)じゃ来年着れないだろうし。
明日からは墓参り三昧の日々だ。
結婚するとあまりに自分の家のしきたり
(っつーほどのモノでもないが)と
相手の家のしきたりの違いに戸惑う。
こういうお墓参り行事1つとってもそう。
我が家は墓に皆さん入っている。
ダーちん家は墓は空っぽ。
お寺の納骨堂に皆さん入っている。
なんのための墓なのだ?
宗教だってさほど違わないぞ(宗派が違うだけ)
なので、ダーちん家はまず、墓に行き参る、
そして、お寺へ行き参る。
私はお墓では手を合わせて、何は語れば良いのか
悩んでしまう。
自分ちの墓には爺ちゃんも婆ちゃんもいるので
去年は
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるよ。
曾孫見せてあげたかったよ。」
と心の中で語ったが、
ダーちん家の墓前では、ただ
「南無阿弥陀仏」と一応唱えただけだった。
これでよいのだろうか。
そして、我が家の墓は
父方の兄弟達はそれぞれ自分の都合の良い日、
時間に参りに来る。
なので、自由。
それに対してダーちん家は
日にち、時間帯はもちろん、
ダーちん実家集合のモト、一斉にスタートしなくて
はいけない。
一度、現地集合した叔父さんは
ダーちん父にエライ勢いで怒られていた。
別に貸し切りバスにでも乗って行く訳ではない。
その後、別にダーちん実家に寄って
酒盛りとかする訳でもない。
現地解散なのだ。
このしきたりの為、
ダーちんはこの時期
「お墓参りはいつなのよ?何時に行けばいいのよ?」
とお伺いを立てる。
これが決まらないと次の予定が立たないのである。
私にしたら、誰も入居者のいない墓へ行かないで
お寺直行がいいし、
都合のいい時に参っておけばいいようにも
思うんだけど。
そんなことは口が裂けても言えない。
(ダーちんには文句言うけど、どうにも出来んらしい)
”しきたり”で思い出したが、
時期ハズレだが、ダーちんちの正月のお雑煮。
グラニュー糖をパラパラとトッピングして
食うのにはビビった。
昨日、TVタックルで”奇食する若者、子どもが
増えている”とかで
ご飯にチョコ、プリン、アイスなんかをトッピングして
食べてるとかやってたけど、
それに匹敵するくらい、私にしたら”奇食”だった。
久しぶりの贅沢っぷり。
2002年8月12日ダーちんの出張も終わり、
平穏無事(?)な日々が戻って来た。
実はとうとうtotoが当たり、
(12万弱)
まだ、配当金も受け取ってないのに、
前祝いだと、
私とこの太は妹を誘って
日帰りの札幌ツアーへと金曜に出掛けた。
久しぶりの札幌でこの太の服を買い漁り、
リッチな気分を満喫した。
いやぁ・・・こんな買い物をしたのは
いつぶりだろうか・・・(しみじみ)
いつもは、”どうせすぐ大きくなるから”が
合い言葉で安いモノか貰い物で
済ませていた。
それはそれでこの太が成長しても、
なんでも買い与える母にはなるまい・・という
私なりの考えの上で、納得出来るモノであったけど
やっぱり買い物をするっていうのは
楽しいモンだね。
ありがとう、toto。そして、当ててくれた
ダーちん、デカシタぞ!
翌土曜日は
妹夫婦と改めて"toto1等当選祝賀会”を・・。(笑)
久しぶりに「さぁ、好きなモノを頼みなっ♪」
なんて言葉吐いてしまいました。(爆)
これが、何千万、何百万の当たりではなかったコトが
より”あぶく銭は使ってしまえ”という
感覚を引き起こさせたのであろう。
それでも、今まで投資した分は
こちらでプールさせて頂きまして、
当選当事者のダーちんに若干の臨時お小遣いもあげ
ることも出来ました。
でも、祝賀会の最中、
「ゼロがもう1個多ければなぁ〜」
などという欲タカリな意見も出ましたけどね。
それはそれですわな。
で、昨日は友人が遊びに来るというコトで
家でのんびりしていました。
あぁ、久しぶりにYからも電話有り。
どうして、Yと話すとまるで
母親レベルのおばさんと話しているような
感覚に陥るんだろうか・・・。
言い方がイヤなのよね、なんか
”上げて落とす””指示するなっ!”
みたいな。
少々気分悪くなりましたが、
忙しくて帰れないようなので
少しホッとしました。
という訳で週末はエライ散財だった我が家です。
これで良かったんだろうかと、
お盆前のつかの間の平常生活に戻り、
少々クビをかしげている私です。
平穏無事(?)な日々が戻って来た。
実はとうとうtotoが当たり、
(12万弱)
まだ、配当金も受け取ってないのに、
前祝いだと、
私とこの太は妹を誘って
日帰りの札幌ツアーへと金曜に出掛けた。
久しぶりの札幌でこの太の服を買い漁り、
リッチな気分を満喫した。
いやぁ・・・こんな買い物をしたのは
いつぶりだろうか・・・(しみじみ)
いつもは、”どうせすぐ大きくなるから”が
合い言葉で安いモノか貰い物で
済ませていた。
それはそれでこの太が成長しても、
なんでも買い与える母にはなるまい・・という
私なりの考えの上で、納得出来るモノであったけど
やっぱり買い物をするっていうのは
楽しいモンだね。
ありがとう、toto。そして、当ててくれた
ダーちん、デカシタぞ!
翌土曜日は
妹夫婦と改めて"toto1等当選祝賀会”を・・。(笑)
久しぶりに「さぁ、好きなモノを頼みなっ♪」
なんて言葉吐いてしまいました。(爆)
これが、何千万、何百万の当たりではなかったコトが
より”あぶく銭は使ってしまえ”という
感覚を引き起こさせたのであろう。
それでも、今まで投資した分は
こちらでプールさせて頂きまして、
当選当事者のダーちんに若干の臨時お小遣いもあげ
ることも出来ました。
でも、祝賀会の最中、
「ゼロがもう1個多ければなぁ〜」
などという欲タカリな意見も出ましたけどね。
それはそれですわな。
で、昨日は友人が遊びに来るというコトで
家でのんびりしていました。
あぁ、久しぶりにYからも電話有り。
どうして、Yと話すとまるで
母親レベルのおばさんと話しているような
感覚に陥るんだろうか・・・。
言い方がイヤなのよね、なんか
”上げて落とす””指示するなっ!”
みたいな。
少々気分悪くなりましたが、
忙しくて帰れないようなので
少しホッとしました。
という訳で週末はエライ散財だった我が家です。
これで良かったんだろうかと、
お盆前のつかの間の平常生活に戻り、
少々クビをかしげている私です。
そろばんの日か・・・?(本文関係なし)
2002年8月8日ダーちんの出張も
今晩1晩を乗り切れば終わり。
ホント、出張や残業の多い旦那様を持つ
主婦の方には頭が下がります。
「甘ったれメっ!」と叱咤されても
反論すら出来ませんデス。
しかし、ダーちんがいないと
ご飯の心配がいらないので
これはこれで大助かりですね。
でも、なかなか食べるタイミングがつかめず、
昨日は結局9時頃お茶漬けをやっと食べるコトが
出来たくらいです。
昼など、立ってパンかじるという
お行儀の悪さ。(汗
この太の寝ている隙に・・と思うけど、
まさか今(現在10時半過ぎ)昼ご飯を
食べる訳にも行かないしね・・・。
(やっぱり、お昼は12時過ぎが良いなぁ・・)
なんて思っていると、
この太が昼寝するタイミングを逃し、
3時頃まで食べれない・・なんてコトもある。
やっぱり、連携プレー大事ッス。
しかし食事の用意をしなくてもいいけど、
私の栄養面が心配だ。(自分大事な性格・汗)
料理好きな人は自分1人でも
手の込んだモノ作られるんでしょうか?
さすがにコッテリとして、暖かく、
品数豊富な料理が食べたいと思い始めた私です。
今日の夜はなんか作ろうっかな。
今晩1晩を乗り切れば終わり。
ホント、出張や残業の多い旦那様を持つ
主婦の方には頭が下がります。
「甘ったれメっ!」と叱咤されても
反論すら出来ませんデス。
しかし、ダーちんがいないと
ご飯の心配がいらないので
これはこれで大助かりですね。
でも、なかなか食べるタイミングがつかめず、
昨日は結局9時頃お茶漬けをやっと食べるコトが
出来たくらいです。
昼など、立ってパンかじるという
お行儀の悪さ。(汗
この太の寝ている隙に・・と思うけど、
まさか今(現在10時半過ぎ)昼ご飯を
食べる訳にも行かないしね・・・。
(やっぱり、お昼は12時過ぎが良いなぁ・・)
なんて思っていると、
この太が昼寝するタイミングを逃し、
3時頃まで食べれない・・なんてコトもある。
やっぱり、連携プレー大事ッス。
しかし食事の用意をしなくてもいいけど、
私の栄養面が心配だ。(自分大事な性格・汗)
料理好きな人は自分1人でも
手の込んだモノ作られるんでしょうか?
さすがにコッテリとして、暖かく、
品数豊富な料理が食べたいと思い始めた私です。
今日の夜はなんか作ろうっかな。
今日から出張。
2002年8月6日ダーちんが3泊4日の出張へ出掛けた。
あまり出張のない仕事で、
せいぜい年3回あるかないか、
それも1泊のモノばかりであったが、
この太が生まれて2ヶ月目に2週間という
長い出張があった。
私は恥ずかしながら、”夜1人”で
留守番出来ない肝っ玉の小さい人間だった。
今でも、本当はそうである。
なにが怖いって、すべて。
(俗に言うオバケから始まり、泥棒、物音、動物etc)
2人だった頃は友達の家に泊まりに行ったり、
実家へ帰ったりと1人で留守番など
した試しのない人間である。
それが、この太が生まれて2ヶ月目の
しかも2週間も・・・。
我ながらよくやったと思う。
今思えば、泣いて寝て飲んで泣いて寝て飲んでの
この太。
本当に1人で世話するのは大変だった。
里帰りせずやって来れたのは
ダーちんの協力もあってこそだったのが
身に染みてわかった。
初めての子育てで不安だし、
1人でなにか有ったらどうしたらいいんだろう・・
オバケなんかより、そっちの方が
よっぽど心配になったのが達成(大袈裟な・・)出来た
要因だろうと思う。
それに私は”1人”ではなかったし。
例え、生後2ヶ月の赤ちゃんであろうと、
”2人”なのであり、私の強い味方だもん。
という訳で2週間に比べたら、3日なんて
”屁”みたいなモンよ。
・・・となるハズだったのだが、
実は女の子限定日になってしもた。
風呂を入れるのも大変だが、
なにせ頭痛がヒドイ。
もともと頭痛持ちの私だが、
この周期には激しい奴がやってくる。
今日もはちまきでこめかみを押さえつつ、
なんとか”この太就寝”まで
持ちこたえた。
ふーーーっ・・・・。
明日、明後日は大量放出予定なので
(お気に入りされてる方は女性ばかりなので
書いちゃうゾ!恥)
厳しい留守番になりそうである。
そんなこともあって、
結局、同行計画はポシャってしまいましたわ。
でも、この太が寝てしまうと
やっぱり寂しいのよね・・・。
しかも、ウッドな我が家は
木のしなる音とでもいうのでしょうか、
時々「ミシっ」と言うのサ。コワッ。
このビビりはどうしたもんかと・・・。
決して”ブリっ子”(死語)ではないのです!!
(声を大にして)
ただ、父譲りの、デカイ口叩く割には
ノミの心臓なだけらしい。
逢えば納得してもらえますって。(笑・無理?)
あまり出張のない仕事で、
せいぜい年3回あるかないか、
それも1泊のモノばかりであったが、
この太が生まれて2ヶ月目に2週間という
長い出張があった。
私は恥ずかしながら、”夜1人”で
留守番出来ない肝っ玉の小さい人間だった。
今でも、本当はそうである。
なにが怖いって、すべて。
(俗に言うオバケから始まり、泥棒、物音、動物etc)
2人だった頃は友達の家に泊まりに行ったり、
実家へ帰ったりと1人で留守番など
した試しのない人間である。
それが、この太が生まれて2ヶ月目の
しかも2週間も・・・。
我ながらよくやったと思う。
今思えば、泣いて寝て飲んで泣いて寝て飲んでの
この太。
本当に1人で世話するのは大変だった。
里帰りせずやって来れたのは
ダーちんの協力もあってこそだったのが
身に染みてわかった。
初めての子育てで不安だし、
1人でなにか有ったらどうしたらいいんだろう・・
オバケなんかより、そっちの方が
よっぽど心配になったのが達成(大袈裟な・・)出来た
要因だろうと思う。
それに私は”1人”ではなかったし。
例え、生後2ヶ月の赤ちゃんであろうと、
”2人”なのであり、私の強い味方だもん。
という訳で2週間に比べたら、3日なんて
”屁”みたいなモンよ。
・・・となるハズだったのだが、
実は女の子限定日になってしもた。
風呂を入れるのも大変だが、
なにせ頭痛がヒドイ。
もともと頭痛持ちの私だが、
この周期には激しい奴がやってくる。
今日もはちまきでこめかみを押さえつつ、
なんとか”この太就寝”まで
持ちこたえた。
ふーーーっ・・・・。
明日、明後日は大量放出予定なので
(お気に入りされてる方は女性ばかりなので
書いちゃうゾ!恥)
厳しい留守番になりそうである。
そんなこともあって、
結局、同行計画はポシャってしまいましたわ。
でも、この太が寝てしまうと
やっぱり寂しいのよね・・・。
しかも、ウッドな我が家は
木のしなる音とでもいうのでしょうか、
時々「ミシっ」と言うのサ。コワッ。
このビビりはどうしたもんかと・・・。
決して”ブリっ子”(死語)ではないのです!!
(声を大にして)
ただ、父譲りの、デカイ口叩く割には
ノミの心臓なだけらしい。
逢えば納得してもらえますって。(笑・無理?)
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歌えた。
2002年8月5日まるで玉置宏に司会されてるような気分で。(笑)
歌というのは、本当に身近にあるもんですね。
学校で習った歌、明星、平凡の付録の歌本片手に
覚えたアイドルの歌、
思春期の頃、好きだったあの人を思って
「この曲ピッタリーーー」なんて言いながら
涙した歌、そして、働いてから歌って来た何百近い
童謡の数々・・・etc。
忘れてしまった歌もあるけれど、
聞けば「あぁ〜あ〜」と思い出せる歌ばかり。
夏休みに入り、我が家の向かいの公園では
ラジオ体操が始まっています。
この太の目覚めの早い時は窓を開けると
聞こえてくるあの6時半の歌・・・。
♪あ〜た〜らし〜い〜あ〜さがきったっ♪
全部歌えた・・・・。
きっと、私以外にも
「歌える!歌える!」
と言う人多数だと思います。
そんな歌ってスゴいんじゃないか。
毎週のオリコンで1位になる歌は
歌えなくっても、ラジオ体操の歌は
歌える人多くないか?
これこそが”ミリオンヒット”ではないか?(大袈裟?)
歌というのは、本当に身近にあるもんですね。
学校で習った歌、明星、平凡の付録の歌本片手に
覚えたアイドルの歌、
思春期の頃、好きだったあの人を思って
「この曲ピッタリーーー」なんて言いながら
涙した歌、そして、働いてから歌って来た何百近い
童謡の数々・・・etc。
忘れてしまった歌もあるけれど、
聞けば「あぁ〜あ〜」と思い出せる歌ばかり。
夏休みに入り、我が家の向かいの公園では
ラジオ体操が始まっています。
この太の目覚めの早い時は窓を開けると
聞こえてくるあの6時半の歌・・・。
♪あ〜た〜らし〜い〜あ〜さがきったっ♪
全部歌えた・・・・。
きっと、私以外にも
「歌える!歌える!」
と言う人多数だと思います。
そんな歌ってスゴいんじゃないか。
毎週のオリコンで1位になる歌は
歌えなくっても、ラジオ体操の歌は
歌える人多くないか?
これこそが”ミリオンヒット”ではないか?(大袈裟?)
七夕祭り
2002年8月4日私の住む地域では8月7日に
七夕祭りをします。
中心街の小路では今日から飾り付けられ、
出店が並び、ちょっとしたお祭り気分です。
仙台の七夕祭りを一昨年見て来たのですが、
規模が違いますね。
こっちはミニ・・プチですか。(笑)
何十年ぶりに行ったのですが、
子どもの頃はもっと迫力ある飾りが
アーケードの中じゅうにぶら下がっていたように
思うんだけど、今じゃ”貸店舗”なんていう
ビルも多くて、飾りもポツリポツリで
なんだか寂しい感じです。
それでも、この太は最近、紐を引っ張ったりするのに
興味があるので、飾りを触ったりして
喜んでいた・・・と思います。
(7ヶ月ではわかっちゃいないと思いますが・汗)
私とダーちんは随分前から
と〜〜っても楽しみにしていましてね。
「ねぇねぇ。”型抜き”とかした〜?」
「したした。アレってこっそり濡らすと
綺麗に取れるんだけど、おじさんが厳しいから
『出来た!』って見せても『ココ・・まだ
汚いよ』っておじさんがわざと折ったりしたん
だよねっ!」
「あんなのホントに換金してくれるもんなの?」
などなど、盛り上がる会話。
(BGMは井上陽水の”少年時代”あたり?笑)
で、飾りの中を一通り歩いた後、
いよいよ懐かしの(笑)出店巡りへ。
噂(?)の型抜き屋さんの前では
やはり、小中学生の男の子がメインに
黙々とホリホリやっています。
ちらっと価格表?を見るとなんとチューリップは
1万円・・・んな馬鹿な。
大人になってみると、
チョコバナナもリンゴ飴も、
グァバジュースも「身体に悪そーーーーー」
って感じですが、
あの頃はあの不思議な味がなんとも
お祭りチックで良かったんだよね。
すごいスピードで回るスーパーボールすくいも、
絶対当たりなど入ってなさそうなクジ屋も
大人気でした。
この太もエアーシューターの筒の中に
クジが舞っているのでつかめそうなので
クジ引き初挑戦させてみました。
案の定、「残念賞」のようなモノ。
小さなぬいぐるみでも当たるかな〜なんて
思った私はまだ、懐かしモードから
脱出出来ていないのだろうか・・・。
小さい子どもがお爺ちゃんに
「これ、やってみたらいいよ」
と言ってるのをみかけました。
これはきっと、子どもなりの
「やりたいっ!」の遠回し戦法なんでしょうね。
子:「これ、やってみたらいいよ」
爺:「お爺ちゃんはいいよ、○ちゃんやってみるかい?」
子:「うんっ!!」
みたいな流れでしょうか。(笑)
この太ももう少ししたら、
ねだったりするのかな〜。
次から次へと子ども達に買い与えたり、
クジ引かせたりしてるお母さんを見て
私はどうすべきなのか、どういう母親になるんだろうか、
と考えたりもしました。
でも、やっぱりあの胡散臭い出店があってこそ、
”お祭り”って感じだよねーー!
金魚すくいしたかった私でした。
七夕祭りをします。
中心街の小路では今日から飾り付けられ、
出店が並び、ちょっとしたお祭り気分です。
仙台の七夕祭りを一昨年見て来たのですが、
規模が違いますね。
こっちはミニ・・プチですか。(笑)
何十年ぶりに行ったのですが、
子どもの頃はもっと迫力ある飾りが
アーケードの中じゅうにぶら下がっていたように
思うんだけど、今じゃ”貸店舗”なんていう
ビルも多くて、飾りもポツリポツリで
なんだか寂しい感じです。
それでも、この太は最近、紐を引っ張ったりするのに
興味があるので、飾りを触ったりして
喜んでいた・・・と思います。
(7ヶ月ではわかっちゃいないと思いますが・汗)
私とダーちんは随分前から
と〜〜っても楽しみにしていましてね。
「ねぇねぇ。”型抜き”とかした〜?」
「したした。アレってこっそり濡らすと
綺麗に取れるんだけど、おじさんが厳しいから
『出来た!』って見せても『ココ・・まだ
汚いよ』っておじさんがわざと折ったりしたん
だよねっ!」
「あんなのホントに換金してくれるもんなの?」
などなど、盛り上がる会話。
(BGMは井上陽水の”少年時代”あたり?笑)
で、飾りの中を一通り歩いた後、
いよいよ懐かしの(笑)出店巡りへ。
噂(?)の型抜き屋さんの前では
やはり、小中学生の男の子がメインに
黙々とホリホリやっています。
ちらっと価格表?を見るとなんとチューリップは
1万円・・・んな馬鹿な。
大人になってみると、
チョコバナナもリンゴ飴も、
グァバジュースも「身体に悪そーーーーー」
って感じですが、
あの頃はあの不思議な味がなんとも
お祭りチックで良かったんだよね。
すごいスピードで回るスーパーボールすくいも、
絶対当たりなど入ってなさそうなクジ屋も
大人気でした。
この太もエアーシューターの筒の中に
クジが舞っているのでつかめそうなので
クジ引き初挑戦させてみました。
案の定、「残念賞」のようなモノ。
小さなぬいぐるみでも当たるかな〜なんて
思った私はまだ、懐かしモードから
脱出出来ていないのだろうか・・・。
小さい子どもがお爺ちゃんに
「これ、やってみたらいいよ」
と言ってるのをみかけました。
これはきっと、子どもなりの
「やりたいっ!」の遠回し戦法なんでしょうね。
子:「これ、やってみたらいいよ」
爺:「お爺ちゃんはいいよ、○ちゃんやってみるかい?」
子:「うんっ!!」
みたいな流れでしょうか。(笑)
この太ももう少ししたら、
ねだったりするのかな〜。
次から次へと子ども達に買い与えたり、
クジ引かせたりしてるお母さんを見て
私はどうすべきなのか、どういう母親になるんだろうか、
と考えたりもしました。
でも、やっぱりあの胡散臭い出店があってこそ、
”お祭り”って感じだよねーー!
金魚すくいしたかった私でした。
totoをやっています。
2002年8月3日実は、”toto”(サッカークジ)を
去年からやっています。
妹の勤め先が"toto”の販売をやっているので
「やってみようよ〜ん♪」
の誘いでどれイッチョー!とやっています。
購入額は1回1000円分。
2人でなので、500円5口ずつです。
前にも書きましたが、
私は宝くじとかより、ロト系、ナンバース系が
スキです。
”自力”っぽいところが好きだからです。
「運を天に任せる」ことには変わりないでしょうが、
「自分で選んだ」ことに満足感と負けても
”誰のせいでもない、自分のせい”
と思えるところがなんと■スポーツマン精神(笑)■
ぽくていいのです。
去年の結果はダーちん、私ともに3等1回ずつ。
この時は震えました。
■いくら当たったんだろう・・・■と。(笑)
でも、世の中そんなに甘くはありません。
私たちが当たるくらいですから、
いわゆる試合結果は順当でサッカー評論家達の
予想通りという訳です。
※私→270円
※ダーちん→230円
(注:だいたい20回くらい挑戦して)
でした。(苦笑)
でも、小心者の私たちは当選額が確定するまで
寝ることも出来ず、
ネットの速報や携帯の情報を逐一チェック。
結局、携帯のパケット代にもならないじゃん・・
って感じでした。
妹は少々小金持ち(笑)なので、
2000円くらい買っているみたいです。
ある日、実家にみんなで泊まった日が試合日で
結果が出るたびに一喜一憂しておりました。
すると、妹が
「あれ・・・全部当たってるよっ!?」
と残り2試合になったところで言い出しました。
「うっそ!マジでっ!3等確定じゃんっっ!!」
そして、また1試合終了の結果が出て、
「あ・・・当たってる」
「ぎょえ〜〜〜〜!すごいすごいっ!!」
もう我が家は大興奮です。
2等決定です。
それから我が家は例に漏れず、
「ナニ買う〜!?」とか
「家のローン返して〜ん」だの
「みんなでどこ旅行に行く」だの
「車買い換えよ〜!」とか。
おいおい・・・当たった妹はまだ”分配”するとは
言ってないんだぞ・・というくらい
人間の汚い部分丸出しでした。
で、結局妹は1等を当てたのでした。
(しかも、もう1つ2等が当たっていたコトも判明)
我が家は夜中にも関わらず、誰も寝ようとしません。
7時には床に入りたい母は一番意地汚く(汗)
「○ちゃ〜ぁん(ちゃんなんて滅多につけねぇくせに)お母さんにいくらくれるのぉ〜ぉ?」
なんて言い出す始末。
あとは当選金の発表を待つばかり。
「せめて、百万台?」とか
「いやぁ〜一千万は行くんじゃない?
私たち全滅なんだもん。(レベル低う・・)」
などと今度は金額が少しでも上であることを
願う我々。
で。気になる当選金は・・・・・・・・
■1等・・・一万何百円■
■2等・・・3000円くらい■
・・・・母、何も言わずに速攻で歯磨きして寝ました。
「こんなもんだよね〜〜!」
と大笑い。
でも、ちょっと期待しただけに残念だったけどね。
それから、みんなで
■人間とは大金をつかむと初めて本性を出すモノなのではないか■
について語りました。(笑・我が家の恥放出)
とまぁ、去年はこんな通りです。
で、今年はと言いますと、
まだ1度も当たってないのですわ。トホホ。
もし、当たったらここには書かないと思います。
これが私の”本性”だと思うから〜(笑)
乞うご期待っ!?
余談ですが、1000円ずつ賭けても
20回で2万円も使っていた・・・。
20000円−500円=19500円の損失・・。
ちょっと痛いお遊びでしょうか?・・ね?
去年からやっています。
妹の勤め先が"toto”の販売をやっているので
「やってみようよ〜ん♪」
の誘いでどれイッチョー!とやっています。
購入額は1回1000円分。
2人でなので、500円5口ずつです。
前にも書きましたが、
私は宝くじとかより、ロト系、ナンバース系が
スキです。
”自力”っぽいところが好きだからです。
「運を天に任せる」ことには変わりないでしょうが、
「自分で選んだ」ことに満足感と負けても
”誰のせいでもない、自分のせい”
と思えるところがなんと■スポーツマン精神(笑)■
ぽくていいのです。
去年の結果はダーちん、私ともに3等1回ずつ。
この時は震えました。
■いくら当たったんだろう・・・■と。(笑)
でも、世の中そんなに甘くはありません。
私たちが当たるくらいですから、
いわゆる試合結果は順当でサッカー評論家達の
予想通りという訳です。
※私→270円
※ダーちん→230円
(注:だいたい20回くらい挑戦して)
でした。(苦笑)
でも、小心者の私たちは当選額が確定するまで
寝ることも出来ず、
ネットの速報や携帯の情報を逐一チェック。
結局、携帯のパケット代にもならないじゃん・・
って感じでした。
妹は少々小金持ち(笑)なので、
2000円くらい買っているみたいです。
ある日、実家にみんなで泊まった日が試合日で
結果が出るたびに一喜一憂しておりました。
すると、妹が
「あれ・・・全部当たってるよっ!?」
と残り2試合になったところで言い出しました。
「うっそ!マジでっ!3等確定じゃんっっ!!」
そして、また1試合終了の結果が出て、
「あ・・・当たってる」
「ぎょえ〜〜〜〜!すごいすごいっ!!」
もう我が家は大興奮です。
2等決定です。
それから我が家は例に漏れず、
「ナニ買う〜!?」とか
「家のローン返して〜ん」だの
「みんなでどこ旅行に行く」だの
「車買い換えよ〜!」とか。
おいおい・・・当たった妹はまだ”分配”するとは
言ってないんだぞ・・というくらい
人間の汚い部分丸出しでした。
で、結局妹は1等を当てたのでした。
(しかも、もう1つ2等が当たっていたコトも判明)
我が家は夜中にも関わらず、誰も寝ようとしません。
7時には床に入りたい母は一番意地汚く(汗)
「○ちゃ〜ぁん(ちゃんなんて滅多につけねぇくせに)お母さんにいくらくれるのぉ〜ぉ?」
なんて言い出す始末。
あとは当選金の発表を待つばかり。
「せめて、百万台?」とか
「いやぁ〜一千万は行くんじゃない?
私たち全滅なんだもん。(レベル低う・・)」
などと今度は金額が少しでも上であることを
願う我々。
で。気になる当選金は・・・・・・・・
■1等・・・一万何百円■
■2等・・・3000円くらい■
・・・・母、何も言わずに速攻で歯磨きして寝ました。
「こんなもんだよね〜〜!」
と大笑い。
でも、ちょっと期待しただけに残念だったけどね。
それから、みんなで
■人間とは大金をつかむと初めて本性を出すモノなのではないか■
について語りました。(笑・我が家の恥放出)
とまぁ、去年はこんな通りです。
で、今年はと言いますと、
まだ1度も当たってないのですわ。トホホ。
もし、当たったらここには書かないと思います。
これが私の”本性”だと思うから〜(笑)
乞うご期待っ!?
余談ですが、1000円ずつ賭けても
20回で2万円も使っていた・・・。
20000円−500円=19500円の損失・・。
ちょっと痛いお遊びでしょうか?・・ね?
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夏休みだから(笑)Yのコト。
2002年8月2日昨日の日記に書いたように
この時期になると我が家では
帰省ラッシュの友人の話で盛り上がる。
(単に飲み会の予習・復習でもあるが・笑)
ちょっと前に書いた”キャンプにワンピのY”の
話も登場頻度を上げた。
そんな中で”そこまでするか・・・”と言う話が
あったことを思い出した。
Yの旦那が盲腸で入院した。
同じ病室に身寄りのないお婆ちゃんも入院していた。
(今考えると病室って男女別が主流だよね?
なんでだったんだろう・・)
きっかけはお婆ちゃんの目覚まし時計の電池が
切れたコトだった。
Yは親切心からだろう、
身寄りのないお婆ちゃんのために
「私が電池、買って来てあげますね」
と声をかけたそうだ。
それから、なにかとお婆ちゃんの用足しを
してあげるようになったY。
所詮、盲腸のY旦那は1週間で退院。
なのに、Yは足蹴に病院へ通い、
お婆ちゃんの身の回りのお世話、
そして、洗濯などをしたりしていた。
もう、この時点で私にはハテナだ。
たしかにボランティア精神旺盛なのはわかる。
でも、それはY旦那が入院してた故のおつき合いで
納めるモノではなかろうかと。
ましてや、Yはまだ幼稚園児と2歳児を抱えている身、
私は正直
「よくやるね〜・・・」としか言葉が出て来なかった。
その後、お婆ちゃんは無事退院したが、
毎週1回の通院、日々の買い物などの
アッシーとしてYは付き添い続けた。
ちなみにもちろん、お金など取ってはいない。
奉仕だ。
なにが彼女をそうさせたのか・・・。
ま、彼女の気の済むことだったんだろうけど。
実はお婆ちゃんは末期のガンだったのだ。
なので、退院は余生を自由に・・というコトだったんだろうか。
ほどなくして、また再入院したお婆ちゃん。
なんとYはお婆ちゃんの最期を見とった。
お婆ちゃんが亡くなって、
身寄りはないとはいえ、遠い親戚がポツリポツリと
やって来たらしい。
お葬式などの準備を始めるも、
そこまでつき合いのないお婆ちゃんに対して、
その親戚たちは段取りも悪く、
結局、Yはお通夜、お葬式まで先導切って
取り仕切ったそうだ。
そして、すべて終わった晩、
親戚にYはこう言われた。
「なにが目的だ」
と・・・・。
この話を一通り私に聞かせたYは、
「ねぇ!”ありがとう”の一言もないんだよ。
まるで私が財産目当てみたいな言い方して。
あんなにしてやったのに・・・っ!
形見分けとして、テレビだけもらって来たんだ」
と言ったのである。
私は開いた口がふさがらなかった。
■あんなにしてやったのに■
それ言っちゃおしまいじゃないかな。
その一言がもうボランティア、奉仕の精神ではなく、
ただの自己満足と恩を着せて自分の行動に見合った
報酬や見返りを期待してると取られてしまうと
思うのだが・・・。
美談ではなくなっちゃったではないのか?
しかも、テレビまで持ってくるし。
(お婆ちゃんは本当に質素な暮らしで
テレビが一番まともだったらしい・・・・)
私はちょっと冷たく、寒くなりました。
今年はどんな話を聞かされるのか、
帰って来れるのか・・・
(Yは今、チャイドル育成に勤めているので
非常に忙しいらしい)
私は少し、期待と不安で胸が騒いでいます。
この時期になると我が家では
帰省ラッシュの友人の話で盛り上がる。
(単に飲み会の予習・復習でもあるが・笑)
ちょっと前に書いた”キャンプにワンピのY”の
話も登場頻度を上げた。
そんな中で”そこまでするか・・・”と言う話が
あったことを思い出した。
Yの旦那が盲腸で入院した。
同じ病室に身寄りのないお婆ちゃんも入院していた。
(今考えると病室って男女別が主流だよね?
なんでだったんだろう・・)
きっかけはお婆ちゃんの目覚まし時計の電池が
切れたコトだった。
Yは親切心からだろう、
身寄りのないお婆ちゃんのために
「私が電池、買って来てあげますね」
と声をかけたそうだ。
それから、なにかとお婆ちゃんの用足しを
してあげるようになったY。
所詮、盲腸のY旦那は1週間で退院。
なのに、Yは足蹴に病院へ通い、
お婆ちゃんの身の回りのお世話、
そして、洗濯などをしたりしていた。
もう、この時点で私にはハテナだ。
たしかにボランティア精神旺盛なのはわかる。
でも、それはY旦那が入院してた故のおつき合いで
納めるモノではなかろうかと。
ましてや、Yはまだ幼稚園児と2歳児を抱えている身、
私は正直
「よくやるね〜・・・」としか言葉が出て来なかった。
その後、お婆ちゃんは無事退院したが、
毎週1回の通院、日々の買い物などの
アッシーとしてYは付き添い続けた。
ちなみにもちろん、お金など取ってはいない。
奉仕だ。
なにが彼女をそうさせたのか・・・。
ま、彼女の気の済むことだったんだろうけど。
実はお婆ちゃんは末期のガンだったのだ。
なので、退院は余生を自由に・・というコトだったんだろうか。
ほどなくして、また再入院したお婆ちゃん。
なんとYはお婆ちゃんの最期を見とった。
お婆ちゃんが亡くなって、
身寄りはないとはいえ、遠い親戚がポツリポツリと
やって来たらしい。
お葬式などの準備を始めるも、
そこまでつき合いのないお婆ちゃんに対して、
その親戚たちは段取りも悪く、
結局、Yはお通夜、お葬式まで先導切って
取り仕切ったそうだ。
そして、すべて終わった晩、
親戚にYはこう言われた。
「なにが目的だ」
と・・・・。
この話を一通り私に聞かせたYは、
「ねぇ!”ありがとう”の一言もないんだよ。
まるで私が財産目当てみたいな言い方して。
あんなにしてやったのに・・・っ!
形見分けとして、テレビだけもらって来たんだ」
と言ったのである。
私は開いた口がふさがらなかった。
■あんなにしてやったのに■
それ言っちゃおしまいじゃないかな。
その一言がもうボランティア、奉仕の精神ではなく、
ただの自己満足と恩を着せて自分の行動に見合った
報酬や見返りを期待してると取られてしまうと
思うのだが・・・。
美談ではなくなっちゃったではないのか?
しかも、テレビまで持ってくるし。
(お婆ちゃんは本当に質素な暮らしで
テレビが一番まともだったらしい・・・・)
私はちょっと冷たく、寒くなりました。
今年はどんな話を聞かされるのか、
帰って来れるのか・・・
(Yは今、チャイドル育成に勤めているので
非常に忙しいらしい)
私は少し、期待と不安で胸が騒いでいます。
8月になると思い出すコト。
2002年8月1日私たち夫婦は”Uターン”してきた人間。
一応、進学校だったので80%くらいは
みな、地方(って、ここが地方だっつ〜の・苦笑)
の大学へ進学して行き、
半分以上がその土地、もしくは別の土地に赴任して
今では地元に居る友人は自営業の人くらいだ。
今のご時世、地元に支店や営業所があっても
戻って来れる確立も少ないもんね。
私たちの仲間は盆、正月などに帰って来ると
地元Uターン組が幹事になって飲み会などをする。
イコール我々がほとんど幹事なのである。
だいたい、7月後半から8月に入ると
私たちの会話も
「○▼はいつ、帰って来るんだろうね〜」
とか、
「■×は今年は帰って来るのかね〜?」
とかいう話題があがる。
そして、そろそろポツリポツリと
帰省お知らせ、もしくは帰省出来ないお知らせの
電話やメールが入って来るのでもある。
電話を掛けて来る友人は必ずと言っていいほど、
「最近、なんか変わったコトないの?」
と聞いてくる。
これは誰それが離婚しただの、
誰それがやっと結婚しそうだの、
誰それが転勤になっただの、
友人たちの消息や近況を教えろと言うコトだ。
帰省する友人は飲み会での予備知識として、
帰省出来ない友人は「私だけ知らなかった」
という次回の不安解消のためのようなモノでもある。
(これは友人たちの性格を知り尽くした上での
解釈です。)
ま、帰省する友人も飲み会でいきなり
「俺離婚しちゃってよ〜!」
と言われた時のリアクションにも困るだろうし、
逆に「オマエ、ウマく(奥さんと)行ってるのか?」
なんてバツの悪い質問をしなくてもいいように
という配慮からなのだろうけど。
いくら、私たちが”地元密着型”とは言え、
そんなにアンテナ張り巡らせて生活してる訳ではない。
ましてや、自分たちの生活でイッパイイッパイで
例え友人であっても、そこまで関与して
日々生活してる訳でもない。
ただ、私たちには”共通の痛み”があるので、
少しでも友人の近況を知っておきたいような
衝動にかられているんだと私は思っているし、
みんなも心のどこかにそういう気持ちがあって、
そうしているんだと思う。
それは私の親友、私たちの大切な友人の突然の死が
あったからだ。
もうすぐ彼女の7回忌がある。
(この話は彼女の命日にまた書くと思う)
もう、私たちはいい大人で、
それぞれ独立して、もう悩み事だって
相談して解決するような歳でもないし、
相談自体、友人がどうこう出来るレベルでもない
だろうけど、
1人でも帰省する友人が居れば、
なぜか飲み会の場を設けている私たちを見て、
後輩先生とかは
「珍しいっすよね。クラス会でもないのに、
飲み会するなんて。
しかも、結構毎年っつ〜か、やってますよね。」
と言われるけれど、
私たちの間ではこれが当たり前のようなモノなので
ある。
一応、進学校だったので80%くらいは
みな、地方(って、ここが地方だっつ〜の・苦笑)
の大学へ進学して行き、
半分以上がその土地、もしくは別の土地に赴任して
今では地元に居る友人は自営業の人くらいだ。
今のご時世、地元に支店や営業所があっても
戻って来れる確立も少ないもんね。
私たちの仲間は盆、正月などに帰って来ると
地元Uターン組が幹事になって飲み会などをする。
イコール我々がほとんど幹事なのである。
だいたい、7月後半から8月に入ると
私たちの会話も
「○▼はいつ、帰って来るんだろうね〜」
とか、
「■×は今年は帰って来るのかね〜?」
とかいう話題があがる。
そして、そろそろポツリポツリと
帰省お知らせ、もしくは帰省出来ないお知らせの
電話やメールが入って来るのでもある。
電話を掛けて来る友人は必ずと言っていいほど、
「最近、なんか変わったコトないの?」
と聞いてくる。
これは誰それが離婚しただの、
誰それがやっと結婚しそうだの、
誰それが転勤になっただの、
友人たちの消息や近況を教えろと言うコトだ。
帰省する友人は飲み会での予備知識として、
帰省出来ない友人は「私だけ知らなかった」
という次回の不安解消のためのようなモノでもある。
(これは友人たちの性格を知り尽くした上での
解釈です。)
ま、帰省する友人も飲み会でいきなり
「俺離婚しちゃってよ〜!」
と言われた時のリアクションにも困るだろうし、
逆に「オマエ、ウマく(奥さんと)行ってるのか?」
なんてバツの悪い質問をしなくてもいいように
という配慮からなのだろうけど。
いくら、私たちが”地元密着型”とは言え、
そんなにアンテナ張り巡らせて生活してる訳ではない。
ましてや、自分たちの生活でイッパイイッパイで
例え友人であっても、そこまで関与して
日々生活してる訳でもない。
ただ、私たちには”共通の痛み”があるので、
少しでも友人の近況を知っておきたいような
衝動にかられているんだと私は思っているし、
みんなも心のどこかにそういう気持ちがあって、
そうしているんだと思う。
それは私の親友、私たちの大切な友人の突然の死が
あったからだ。
もうすぐ彼女の7回忌がある。
(この話は彼女の命日にまた書くと思う)
もう、私たちはいい大人で、
それぞれ独立して、もう悩み事だって
相談して解決するような歳でもないし、
相談自体、友人がどうこう出来るレベルでもない
だろうけど、
1人でも帰省する友人が居れば、
なぜか飲み会の場を設けている私たちを見て、
後輩先生とかは
「珍しいっすよね。クラス会でもないのに、
飲み会するなんて。
しかも、結構毎年っつ〜か、やってますよね。」
と言われるけれど、
私たちの間ではこれが当たり前のようなモノなので
ある。
満員御礼?!
2002年7月31日今日は朝こっ早くから母がやってきた。
ダーちんの実家にお中元を届けるついでらしい。
さんざん、「ここが汚い」「あそこにほこりが」
とピーコの辛口チェックして
帰って行った。
この太もその度にあっちガタガタこっちガタガタと
音を立てるために、
なかなか昼寝モードに入れず、
母が帰った後、死んだように3時間も寝た。
いつもなら、4時から4時半に
離乳食なのに、5時過ぎまで寝ていた。
そんなもんで、私たちの夕食準備も夕食も
後押しになってしまって、
やっとほっと一息ついていた頃、
今度はダーちんの父母がやって来た。
7時半の訪問は勘弁してくれ・・・。
義父とは約1ヶ月半ぶりの再会。
一通り、この太の芸?を見てもらう。
この太にしたら迷惑なのだが、
やれ、つかまり立ち、さぁ、次はチョチチョチ、
今度はハイハイでここまで!
と次から次へと要望が出る。
当然疲れて何度もあくびの出るこの太。
お風呂タイムもとうに過ぎてしまっているのに、
ソファに横になって「眠い」と言う義父。
(家帰って寝てください・・・私心の叫び)
なんとか9時にはならずに
お帰り願えて本日の営業終了。
なんだか示し合わせたみたいに来たぞ。
私も疲れた・・・・。
ダーちんの実家にお中元を届けるついでらしい。
さんざん、「ここが汚い」「あそこにほこりが」
とピーコの辛口チェックして
帰って行った。
この太もその度にあっちガタガタこっちガタガタと
音を立てるために、
なかなか昼寝モードに入れず、
母が帰った後、死んだように3時間も寝た。
いつもなら、4時から4時半に
離乳食なのに、5時過ぎまで寝ていた。
そんなもんで、私たちの夕食準備も夕食も
後押しになってしまって、
やっとほっと一息ついていた頃、
今度はダーちんの父母がやって来た。
7時半の訪問は勘弁してくれ・・・。
義父とは約1ヶ月半ぶりの再会。
一通り、この太の芸?を見てもらう。
この太にしたら迷惑なのだが、
やれ、つかまり立ち、さぁ、次はチョチチョチ、
今度はハイハイでここまで!
と次から次へと要望が出る。
当然疲れて何度もあくびの出るこの太。
お風呂タイムもとうに過ぎてしまっているのに、
ソファに横になって「眠い」と言う義父。
(家帰って寝てください・・・私心の叫び)
なんとか9時にはならずに
お帰り願えて本日の営業終了。
なんだか示し合わせたみたいに来たぞ。
私も疲れた・・・・。
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なんだか忙しかった&もう1人の我が家の仲間紹介。
2002年7月30日気づけば、すごく日記をおサボリしていたんだね。
土・日は久しぶりに実家へ泊まって来ました。
懲りない奴とお思いでしょうが、
”父”には罪はなし(苦笑)
1ヶ月ほど、この太を見ていなかったので
とっても会いたいと先週から電話が来ていた。
「会いたければ来ればいいじゃん」
くらい思ってたんだけど、
あんまり大人げないかな・・とも思い、
覚悟決めて行ってきました。
妹夫婦も来たので、そんなに母にばかり
気が行くコトもなかったのが救い。
ましてや、この太の成長っぷりのおかげで
こっちに話しかけるスキもなかったもんね。
ありがたい。
★★___________________★★
さて、我が家には実はもう1人
家族がいるんです。
全然、話題に上がらない奴・・・かわいそうに。
この太が生まれる前は話題の中心だったのに、
今じゃ〜会話に出て来ない日もあったりして。
愛犬(えぇっ!”愛”と書かせてもらうぞよ!)
「ボンボン♂」です。
昨日で7歳になりました。
ビーグルが少し入った雑種です。
幼稚園に勤めていた頃、園児の家で
たくさん生まれた子犬の1匹を譲り受けました。
ボンボンが来てから、我が家の会話は増えました。
ホント、動物も子どもみたいです。
”親馬鹿”になるし、”目の中に入れても痛くない”
と言い切れるくらいです。
2人とも働いていたので、
ボンボンは”鍵っ子”でした。
トイレをしつけたのだけど、
1人(匹)になると居間でやらかしたり、
トイレパットをムシャムシャにしたり、
ソファにかけているラグは引きずり回し、
テーブルクロスを落とし、
机を引っ張り、いすを引っ張り・・・・。
家に帰ると毎日、模様替えされていました。(笑)
必ず、私たちの寝室のドアの前で寝てるのも
可愛かったなぁ〜。
松の実一袋全部食べて、
ウンチがアーモンドチョコみたいになっていたのも
いじらしかったわぁ。
新居を建ててしまったと同時に
ボンボンは外での生活になってしまった。
(ゴメン・・・やはり、アンタを入れる訳には
行かなかったよ。)
1週間夜中じゅう、啼かれて。
何度も家に入れてやろうかと思ったコトか。
ご近所迷惑だから、夜中に何度も
顔見に行って、しっぽ振って大人しくなって、
また、家の中に入ると泣き出して。
こっちも泣きたくなるのを我慢してたっけねぇ。
私の日課だった散歩、餌やりは
妊娠を機にダーちんに任せたんだけど、
ダーちんはちっとも散歩行ってくれないし、
餌も「お座り、お手、おかわり、伏せ、よし!」
もさせないから、
1年後、私が久しぶりに餌をやると
勝手に食いやがった。
でも、徐々にまた出来るようになったけどね。
この太を見て、不思議そうにしたり、
来客に吠えるような行動もあるので
少し心配だけど、
この太が歩けるようになったら、
仲良しになってくれるといいな。
少し最近は「俺のコトなんか。。。フン」
って感じですねてる気もしないでもない。
スマヌ。ボンボン。
アンタも大好きだからね!
土・日は久しぶりに実家へ泊まって来ました。
懲りない奴とお思いでしょうが、
”父”には罪はなし(苦笑)
1ヶ月ほど、この太を見ていなかったので
とっても会いたいと先週から電話が来ていた。
「会いたければ来ればいいじゃん」
くらい思ってたんだけど、
あんまり大人げないかな・・とも思い、
覚悟決めて行ってきました。
妹夫婦も来たので、そんなに母にばかり
気が行くコトもなかったのが救い。
ましてや、この太の成長っぷりのおかげで
こっちに話しかけるスキもなかったもんね。
ありがたい。
★★___________________★★
さて、我が家には実はもう1人
家族がいるんです。
全然、話題に上がらない奴・・・かわいそうに。
この太が生まれる前は話題の中心だったのに、
今じゃ〜会話に出て来ない日もあったりして。
愛犬(えぇっ!”愛”と書かせてもらうぞよ!)
「ボンボン♂」です。
昨日で7歳になりました。
ビーグルが少し入った雑種です。
幼稚園に勤めていた頃、園児の家で
たくさん生まれた子犬の1匹を譲り受けました。
ボンボンが来てから、我が家の会話は増えました。
ホント、動物も子どもみたいです。
”親馬鹿”になるし、”目の中に入れても痛くない”
と言い切れるくらいです。
2人とも働いていたので、
ボンボンは”鍵っ子”でした。
トイレをしつけたのだけど、
1人(匹)になると居間でやらかしたり、
トイレパットをムシャムシャにしたり、
ソファにかけているラグは引きずり回し、
テーブルクロスを落とし、
机を引っ張り、いすを引っ張り・・・・。
家に帰ると毎日、模様替えされていました。(笑)
必ず、私たちの寝室のドアの前で寝てるのも
可愛かったなぁ〜。
松の実一袋全部食べて、
ウンチがアーモンドチョコみたいになっていたのも
いじらしかったわぁ。
新居を建ててしまったと同時に
ボンボンは外での生活になってしまった。
(ゴメン・・・やはり、アンタを入れる訳には
行かなかったよ。)
1週間夜中じゅう、啼かれて。
何度も家に入れてやろうかと思ったコトか。
ご近所迷惑だから、夜中に何度も
顔見に行って、しっぽ振って大人しくなって、
また、家の中に入ると泣き出して。
こっちも泣きたくなるのを我慢してたっけねぇ。
私の日課だった散歩、餌やりは
妊娠を機にダーちんに任せたんだけど、
ダーちんはちっとも散歩行ってくれないし、
餌も「お座り、お手、おかわり、伏せ、よし!」
もさせないから、
1年後、私が久しぶりに餌をやると
勝手に食いやがった。
でも、徐々にまた出来るようになったけどね。
この太を見て、不思議そうにしたり、
来客に吠えるような行動もあるので
少し心配だけど、
この太が歩けるようになったら、
仲良しになってくれるといいな。
少し最近は「俺のコトなんか。。。フン」
って感じですねてる気もしないでもない。
スマヌ。ボンボン。
アンタも大好きだからね!
色々雑記。
2002年7月25日■初ハイハイ■
昨日の晩、
ふと見るとこの太は”ズリハイ”から
”ハイハイ”をし始めていた。
まだ、3,4歩ってところでグッシャリと
崩れてズリハイに戻ったりするが、
確実に手足が前へ前へと出て行く。
すっごーーーーっ!
感動したっ!(小泉・・・?)
■昼ドラマ■
「この太さん、あろうお方が”真珠夫人”を
見てないとは・・」
と友人に言われ、
「いっや〜。なんか前半少し見たんだけど〜
イマイチだったからさ〜」
とクチでは言ったモノの実は非常に失敗したと
思っていた私。
再放送の「愛の嵐」や「華の嵐」などを
仕事を辞めた頃見て、ハマった経歴を持つ私は
「新・愛の嵐」はとっても期待大だった。
幼少時代の”ヒカル”は
♪しっとりちゃんとすべすべちゃん♪の子か?
ちょっと違う気もするな。
幼少時代の”猛”はあっぱれさんま大先生の子だよね?
とりあえず、ハマりつつある1時半。
この太の散歩は必然的に”2時以降”になった。
そして、今週からまた始まってしまった。
「大好き!五つ子4」(TBS系)
私は大家族モノや動物を飼ってる家族モノに弱い。
(あと、子どもの取り違えとか・・笑)
昼だからこそ見たくなる内容とでも言うか・・。
で、パート4になった五つ子。
子役はあくまでも五つ子じゃ〜ないから、
成長盛りゆえ、「本当に五つ子?っていうか、
同級生でも差有りすぎじゃないか?」
と思えるほど、それぞれの成長状況に差あり。
ノンちゃん・・・大きくなりすぎ。
ミホ・・・変わらないんだね・・。
タクヤ・・・太っちゃった?
一卵性ではないという設定にしても、
いささか無理が生じて来ているのではないか?
とは思えど、「ま、ドラマだし、いっか。
子役の成長に罪はないし」と思うコトにする。
そういえば、以前、お父さん役の”新井康弘”の
若い頃の写真をアルバムで見る・・というシーンが
あったが、あれは明らかに「ずーとるび」時代の
写真だったのには笑ったな。
という訳で私は1時から2時まで久しぶりに
TVに釘付けになってしまっているのだった。
■悩み■
来月の始め、ダーちんが3泊4日の札幌出張があり、
ちょうど、終了が週末のため、そのまま滞在して
私たちが合流し、
久しぶりに都会(ぷっ)でショッピングでも
しようじゃないか?という案が上がっている。
最初はノリ気だった私だったが、
この太の成長っぷりと1人でこの太と荷物を持って
電車に3時間近く乗ったり、降りたり、歩いたり
少々不安になって来た。
(もし、私が突然の下痢に車中で見舞われたら
どうしよう・・とかそういう馬鹿みたいな不安も
有り・・・)
ダーちんはすでに出張なので切符、ホテルなど
押さえたのだが、私たちは未だ保留。
夏休みシーズンなので、どんなに赤字路線とはいえ、
空席状況を見ると結構満席の時間帯もあるくらい。
毎日、「ど〜しよう」と悩んでいる。
私の決断1つなので、にんじんぶら下げてもらって
やる気が出ないと行けそうにもないです。
行きたいんだけど、行く勇気がない・・・
そんな感じです。
昨日の晩、
ふと見るとこの太は”ズリハイ”から
”ハイハイ”をし始めていた。
まだ、3,4歩ってところでグッシャリと
崩れてズリハイに戻ったりするが、
確実に手足が前へ前へと出て行く。
すっごーーーーっ!
感動したっ!(小泉・・・?)
■昼ドラマ■
「この太さん、あろうお方が”真珠夫人”を
見てないとは・・」
と友人に言われ、
「いっや〜。なんか前半少し見たんだけど〜
イマイチだったからさ〜」
とクチでは言ったモノの実は非常に失敗したと
思っていた私。
再放送の「愛の嵐」や「華の嵐」などを
仕事を辞めた頃見て、ハマった経歴を持つ私は
「新・愛の嵐」はとっても期待大だった。
幼少時代の”ヒカル”は
♪しっとりちゃんとすべすべちゃん♪の子か?
ちょっと違う気もするな。
幼少時代の”猛”はあっぱれさんま大先生の子だよね?
とりあえず、ハマりつつある1時半。
この太の散歩は必然的に”2時以降”になった。
そして、今週からまた始まってしまった。
「大好き!五つ子4」(TBS系)
私は大家族モノや動物を飼ってる家族モノに弱い。
(あと、子どもの取り違えとか・・笑)
昼だからこそ見たくなる内容とでも言うか・・。
で、パート4になった五つ子。
子役はあくまでも五つ子じゃ〜ないから、
成長盛りゆえ、「本当に五つ子?っていうか、
同級生でも差有りすぎじゃないか?」
と思えるほど、それぞれの成長状況に差あり。
ノンちゃん・・・大きくなりすぎ。
ミホ・・・変わらないんだね・・。
タクヤ・・・太っちゃった?
一卵性ではないという設定にしても、
いささか無理が生じて来ているのではないか?
とは思えど、「ま、ドラマだし、いっか。
子役の成長に罪はないし」と思うコトにする。
そういえば、以前、お父さん役の”新井康弘”の
若い頃の写真をアルバムで見る・・というシーンが
あったが、あれは明らかに「ずーとるび」時代の
写真だったのには笑ったな。
という訳で私は1時から2時まで久しぶりに
TVに釘付けになってしまっているのだった。
■悩み■
来月の始め、ダーちんが3泊4日の札幌出張があり、
ちょうど、終了が週末のため、そのまま滞在して
私たちが合流し、
久しぶりに都会(ぷっ)でショッピングでも
しようじゃないか?という案が上がっている。
最初はノリ気だった私だったが、
この太の成長っぷりと1人でこの太と荷物を持って
電車に3時間近く乗ったり、降りたり、歩いたり
少々不安になって来た。
(もし、私が突然の下痢に車中で見舞われたら
どうしよう・・とかそういう馬鹿みたいな不安も
有り・・・)
ダーちんはすでに出張なので切符、ホテルなど
押さえたのだが、私たちは未だ保留。
夏休みシーズンなので、どんなに赤字路線とはいえ、
空席状況を見ると結構満席の時間帯もあるくらい。
毎日、「ど〜しよう」と悩んでいる。
私の決断1つなので、にんじんぶら下げてもらって
やる気が出ないと行けそうにもないです。
行きたいんだけど、行く勇気がない・・・
そんな感じです。
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♪夏〜の元気なごあいさつ〜ぅぅ・・・
2002年7月24日皆さんはどの程度まで
”お中元””お歳暮”をされているのカナ?
私はとりあえず、ダーちん(働いていた時は私も)
の上司に当たる方、あと仲人さん。
仲人さんて、マナーの本なんかには
「結婚後5年くらいまで」って書いてあるのを
みたことあるけど、
我が家の仲人さんってそれそれは
”お世話好き”を絵に描いたような方で、
仲人した夫婦は3組だけなせいもあるんだけど
やれ、お食事会しましょ〜!とか、
やれ、おいなりさんをたくさん作ったから〜!とか
気に掛けて招集かけてくれたり、
この太が生まれてからも
「これ、可愛いのがあったから〜!
孫が男だけなので女の子のモノ見るの楽しくて〜!」って実の孫でもないのに、
ホントよくしてくれる方。
なので、5年どころか、そういったモノでしか
気持ちを表せないコトが多いので
今でも続けているんだけど。
ま、仲人さん話は余談ですが。
実はですね。
昨日、ダーちんの上司の奥さんが夕方来て、
なんと贈ったお中元を「頂けない」と
持って来たんですよ。
この上司、4月に異動でやって来た方で
ダーちんにとって3人目の上司です。
今までの方はすんなりと受け取ってもらっていたので、
(というか、私のお中元歴の中で
返却された経験がない)
すごくビックリして、なんだか困ってしまいました。
奥さんは
「気持ちだけ頂くから、これは受け取れない」の
一点張りで、
私もこんな状況のイメトレなんかしてないもんだからしどろもどろ。
(ダーちんは居間から出るに出れず、ジャージを
履いたり、脱いだりしてるし)
たしかに、「もうこんなことやめてね〜?
お互い、気遣いっこ無しにしましょうよ」
なんて言って下さる方もいるけど、
返却してくるヒトは居なかったし・・・。
とにかく、押し問答数分。
「今回だけは品物も用意してしまったので、なんとか受け取って頂いて、お歳暮からはご遠慮させて頂きますから、なんとか納めてください」
と私的には”決め台詞”を言ってみた。
奥さん、少し「うぐ・・・」と考え込んだので
■お?これはなんとかこの場は治まるか?■
と思ったが、
「やっぱり受け取れない。持って帰ったら
お父さんに叱られちゃうから」
が答えだった。
も〜どうして良いかわからなくなって、
なんだか悪者!?とまで思えて来たので、
私の方が根負けして
「わかりました。返って申し訳ないことしたと
お伝え下さい」
と謝りました。
はぁ〜。。。なんかカナシームナシー。
それから、私とダーちんは
戻って来たお中元をポンと置き、
言葉をしばらく失っていた。
「ねぇ・・・こういうコトってやっぱ有り?」
私がクチを開いたところで
ダーちんも
「ちょっと変わり者の上司だからな〜」
と言い出して。
ま、変わってようが、変わってなかろうが、
それは関係なさそうだけど。
「みんな贈ってないのかな〜?」と
さらにダーちんは不安になったようだ。
私は「そんなことないんじゃないかな〜?だったら
今までの上司さんだって返却こそしなくても
『誰からももらってないのよ〜』的な態度があったって不思議ないし。
現にお礼の電話だって来ない上司さんも居るじゃない?そういう人は”もらって当たり前”くらいに
思ってるんじゃないかな?ま、それは奥さんにも
問題有りだとは思うけど」
などと今までのコトなどを考えてみたりした。
なんとも後味の悪いお中元になってしまって。
自己満足だけど、一応私たちなりに
「あの方はお酒飲めないから〜」とか
「ワインが好きらしいよ」とか
「よく珈琲飲んでるぞ」とか
「高校生のお嬢さんもいるらしいから」とか
相手の嗜好も考えて、あまり高価にならない(恐縮しない)程度で考えていて、
デパート2軒ハシゴして、
2時間以上かかって選んだんだぞーーーー!!
あ〜・・・でも先方にとっては
”ありがた迷惑”だったんだよね。
ちょっと腑に落ちなかったりした面もあるけど
(正直、少しムッともしちゃった)
いい社会勉強になったと思って。
は〜しかし、この宅配伝票付きのお中元、
どうするべね。
うちで使うにしても嗜好が違うのよね。グスン(涙)
なんだか、近寄れず寂しげにポツンと
床に置かれたまんまです。
”お中元””お歳暮”をされているのカナ?
私はとりあえず、ダーちん(働いていた時は私も)
の上司に当たる方、あと仲人さん。
仲人さんて、マナーの本なんかには
「結婚後5年くらいまで」って書いてあるのを
みたことあるけど、
我が家の仲人さんってそれそれは
”お世話好き”を絵に描いたような方で、
仲人した夫婦は3組だけなせいもあるんだけど
やれ、お食事会しましょ〜!とか、
やれ、おいなりさんをたくさん作ったから〜!とか
気に掛けて招集かけてくれたり、
この太が生まれてからも
「これ、可愛いのがあったから〜!
孫が男だけなので女の子のモノ見るの楽しくて〜!」って実の孫でもないのに、
ホントよくしてくれる方。
なので、5年どころか、そういったモノでしか
気持ちを表せないコトが多いので
今でも続けているんだけど。
ま、仲人さん話は余談ですが。
実はですね。
昨日、ダーちんの上司の奥さんが夕方来て、
なんと贈ったお中元を「頂けない」と
持って来たんですよ。
この上司、4月に異動でやって来た方で
ダーちんにとって3人目の上司です。
今までの方はすんなりと受け取ってもらっていたので、
(というか、私のお中元歴の中で
返却された経験がない)
すごくビックリして、なんだか困ってしまいました。
奥さんは
「気持ちだけ頂くから、これは受け取れない」の
一点張りで、
私もこんな状況のイメトレなんかしてないもんだからしどろもどろ。
(ダーちんは居間から出るに出れず、ジャージを
履いたり、脱いだりしてるし)
たしかに、「もうこんなことやめてね〜?
お互い、気遣いっこ無しにしましょうよ」
なんて言って下さる方もいるけど、
返却してくるヒトは居なかったし・・・。
とにかく、押し問答数分。
「今回だけは品物も用意してしまったので、なんとか受け取って頂いて、お歳暮からはご遠慮させて頂きますから、なんとか納めてください」
と私的には”決め台詞”を言ってみた。
奥さん、少し「うぐ・・・」と考え込んだので
■お?これはなんとかこの場は治まるか?■
と思ったが、
「やっぱり受け取れない。持って帰ったら
お父さんに叱られちゃうから」
が答えだった。
も〜どうして良いかわからなくなって、
なんだか悪者!?とまで思えて来たので、
私の方が根負けして
「わかりました。返って申し訳ないことしたと
お伝え下さい」
と謝りました。
はぁ〜。。。なんかカナシームナシー。
それから、私とダーちんは
戻って来たお中元をポンと置き、
言葉をしばらく失っていた。
「ねぇ・・・こういうコトってやっぱ有り?」
私がクチを開いたところで
ダーちんも
「ちょっと変わり者の上司だからな〜」
と言い出して。
ま、変わってようが、変わってなかろうが、
それは関係なさそうだけど。
「みんな贈ってないのかな〜?」と
さらにダーちんは不安になったようだ。
私は「そんなことないんじゃないかな〜?だったら
今までの上司さんだって返却こそしなくても
『誰からももらってないのよ〜』的な態度があったって不思議ないし。
現にお礼の電話だって来ない上司さんも居るじゃない?そういう人は”もらって当たり前”くらいに
思ってるんじゃないかな?ま、それは奥さんにも
問題有りだとは思うけど」
などと今までのコトなどを考えてみたりした。
なんとも後味の悪いお中元になってしまって。
自己満足だけど、一応私たちなりに
「あの方はお酒飲めないから〜」とか
「ワインが好きらしいよ」とか
「よく珈琲飲んでるぞ」とか
「高校生のお嬢さんもいるらしいから」とか
相手の嗜好も考えて、あまり高価にならない(恐縮しない)程度で考えていて、
デパート2軒ハシゴして、
2時間以上かかって選んだんだぞーーーー!!
あ〜・・・でも先方にとっては
”ありがた迷惑”だったんだよね。
ちょっと腑に落ちなかったりした面もあるけど
(正直、少しムッともしちゃった)
いい社会勉強になったと思って。
は〜しかし、この宅配伝票付きのお中元、
どうするべね。
うちで使うにしても嗜好が違うのよね。グスン(涙)
なんだか、近寄れず寂しげにポツンと
床に置かれたまんまです。
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