友人Yのコト。

2002年7月23日
■ある方の日記を読んで、友人Yのコトを思い出した
 私・・・。そういえば、こんなコトもあったなと・・・■

高校時代からの友人Y。
彼女との出逢いは強烈だった。
彼女は新聞によく載っている子だった。
(ある趣味?でいつも全道一とか、全国レベルで
 活躍していたから)
同じクラスになった時、
「あ・・新聞によく出てる人だ」
とすぐわかった。
背がお互い高かったので、並ぶ時前後になり
軽く会話をしたくらいだったが、
最初の体育の授業の時、
2人組でストレッチをしているとき、
彼女は全筋肉にチカラを入れたせいか、
オナラを「ぷ〜〜っ」とした。

「アラ、失礼」
容姿はフランス人形のようで、白い肌。
いわゆるお嬢様タイプの彼女から放たれた屁。
そして、そのあっけらかんとした返答。
私たちはすぐに仲良くなった。

お互い、高校、大学、社会に出て
それぞれの道を歩んで来たが、
彼女が東京から地元へ戻って来たと同時に
今度は大人の家族ぐるみのつき合いになった。
(Yの旦那も高校の同級生なので余計カナ)

Yと大人になって接するようになり、
いささかしんどく疲れる存在と感じるようになって来た。

気を遣いすぎるのである。
恩着せがましいと言った方がいいのだろうか。
よく、接待(東京からの来客)した後に電話が来て
「食事へ連れて行ったんだけど、お金を払わずおごってやったけど、その後ナニも送って来ない」とか。
いわゆる、見返りを期待するタイプなのか?
つき合っていたらわかるけど、
彼女と一緒に食事をすると必ず
「ここは私が・・」と決して払わせようとしないのだ。
それはそれは強引に。。
結局、そのお客さんだってそうだったに違いないと
思うが、なら、割り勘にすればいいのに。
そういえば、ダーちんはある時、またYのその
「私が払う」攻撃にあった時、
3軒目という酔いも回った時期だったせいもあり、

「俺はそんなYが大嫌いなんだっっっ!!」

と叫び、私たちの分をテーブルにバンっ!
と叩き付けて店を飛び出したコトがあったな。

ある時、私たち夫婦2人とY夫婦&Yの子ども2人の6人で
キャンプへ行くコトになった。
我が家に来たY母子を見て私は目を疑った。
「今日ってお食事の予定じゃないよね?」
・・・・彼女達はワンピースだった。
(ちなみに私はジャージっす。笑)

キャンプ場で案の定、Y長女が汚して
パンツまで濡らしてしまった。
「この太ちゃん。ママに言わないで。
 私、このままで我慢するから・・・」
と嘆願する長女。
どうやら、話を聞くと着替えは持参してないらしい。
私は少し頭に来てた。
■だいたい、野外の活動にこんな小さい子(長女4歳、次女2歳)を連れて来るのに着替え1つ持って来てないなんて・・・。私のクラスのお母さんだったらマジで指導しちゃうぞ!しかも、ワンピースってアンタ・・・■
と思ったから。

私はどうしようか悩んだ。
長女に”言わないで”と言われたコトも
守ってあげたかったし、
でもパンツを替えてあげたかったし。
結局、後から合流する予定だったダーちんに
パンツを買って来てもらって、
長女が寝た後、Yに事情を話そうと思った。

長女が寝た後、事情を話すとYは少し怒っていて
私たちにパンツ代を渡した。
それはもらうべきだと思っていたので
「今度からは着替え持って来た方がいいよ」
と一言いわせてもらって。
次の日、長女はすごく叱られていた。
”汚した”コトに。。。
それは違うと思った。
(汚すのはある程度想定出来るコトだもん。子どもなんだから。叱るなら”黙ってた”コトだと思うけど、それも出来れば、私としてはストレートにしかって欲しくなかったな・・。しかも、着替えを持ってきていれば、隠すコトだってなかったんだし)

しかも、私が驚いたのは
自分はパンストの替えを持って来ていて、
朝着替えているではないかっ!!
(もち2日目もワンピース・・・)

なんともギャップの感じるキャンプを終え、
我が家に送ってもらい我が家で少し休むコトにしてもらった。
そこからまた私の脳ミソをかき乱す行動が始まった。

実は彼女は姓名判断の占い師を副業としている。
私はまったく信用しないタイプなのだが、
まぁ、話せば長くなるが彼女の性格上、
友人の名前や生まれる赤ちゃんの名前を見ては
色々イヤな思いがたくさんあった。

我が家の玄関に入るなり、
「ダメっ!この鏡!外に向けて置いたら
 幸せが逃げて行くんだよ」
とご指摘を受けた。(風水も取り入れてるらしい)
後で聞いたのだが、ダーちんも前日同じことを
言われたらしい。
が、ダーちんも私も「ふ〜ん」で済ませたため、
彼女はもう我慢の限界だったんだろう。
おもむろに鏡を西に向け、
「これでよし!」
と言った。
・・・・ヒトんちの模様替えしちゃうんかい?・・・・

それから、台所で一悶着してると
コップを割ってしまったのだ。
慌てて破片を拾ってあとは掃除機を・・と
掃除機を持って来てかけ出すと
「私が割ったから私がやるっ!」
と掃除機を私から取り上げた。
とりあえず、「じゃ・・いい?」
と頼んで、私は破片の始末をしていた。
すると彼女は掃除機を持って、
ドンドンドンドン居間の方へかけて行く。

「うそ・・・待ってって」
「いいから。ついでにかけてあげるって」
「いや。そういう問題でなくて」

そりゃ〜掃除は苦手さ。
でも、友達が来るかも・・と思っていたキャンプ前に
ちゃんとして出掛けたんだから、そんな汚れてないし。。。
もぉ〜頭来た。なんかキャンプで寝不足で
余計イライラして爆発しそうだった。
(というか、した?)
思いっきり、
「もういいからっ!!!」と言って
私は掃除機のコンセントをブッコ抜いた。
「あっら〜ん。ふふ」
と彼女はテレくさそうに笑った。

・・・しばらく、距離置こう・・・
そう思った瞬間だった。


土曜のゴルフが終わってからの
ダーちんの家族サービスタイムが始まった。
お中元&この太の甚平を買いにデパートへ行き、
夜は町内の花火大会へ。

去年、この花火大会を私は泣きながら見た。
妊婦特有のブルーモードまっただ中であった私は
この日、ぬぐってもぬぐっても涙の出る状態で
ダーちんが「気晴らしに花火を見に行こう」と
誘ってもらったのに同意出来ず、行けなかった。
そして、窓からチラっと見たその花火は
”ドラゴン”の少しデカイくらい??
というくらいチンケなショボイ花火で
時間も15分くらいと短く(もう終わり?)
というくらいの短さだった。
そのショボイ花火のお陰で私はやっと
ブルーモードから脱出し、
「しょぼい〜〜〜っ!しょぼすぎ〜!
 もっと金かけろよ〜!(大笑)」
と言えるようになっていたのだった。

その思い出の(?)花火大会に
今年はブルーモードの発祥源(?)のこの太と
親子3人で見に行けたことを
なんだかとってもうれしく思ったのでした。
そして、まるで去年の私のその声が
聞こえていたかのように
花火は質を上げ、金をかけ(笑)
大きく打ち上げられたのでした。
去年とは大違いだぞっ!

8時半まで花火を堪能し、
この太を風呂に入れて就寝。

日曜は朝早くから
仲良し3家族で”シーサイドパーク広尾”に
行く約束だったのでした。

企画発案は我が家(というか、私)
5月から毎月”さかなまつり”というイベントが有り、
今月は”イカまつり”。
(他にししゃもまつりとか、ほっきまつりとかある
 が、私はイカ好きなのでこれが目当てだった)
何週間も前からこの”イカマツリ”に目を付けていた私たち。
だって、イカの丸焼き無料配布だよ。

ちょうど、先々週まで仲良しR君(7ヶ月)、
S君(9ヶ月)がカワリバンコに突発性になっていた
ので、なかなか会うコトが出来なかった。
「元気になったので、おもしろいことしましょ〜よ」
と2人のママからメールも来てたので
「もしよければご一緒しませんか?」
とお誘いしたら、一発OK!
ということで、
9時我が家集合で3台のベビーインカーが
広尾目指して出発した。

「道中はメールでなにか有ったら連絡ね!」
と、先導指揮官の私。
”なにか”とはグズったので休憩したい、とか
そういったベビー事態なのだが、
真っ先に我が家のこの太、車中にてウンコ。

■この太、ウンコたれました。
 近々、休憩とります。
 密室殺人起きそうな臭いっす!■

などと後続車2台にメール。
およそ同じくらいに返信メル。
2軒とも題名、
■OKで〜す!■・・・・笑
本文見て、S君父(前日記に書いたコトあるSマン)
より
■許可する■

笑いながら、ダーちんと
「ま〜た!Sマン。高慢なっ!!
 オマエは審議会長なのかっ!?」
一文句垂れる。

この太の後、R君のウンコタイムがあり、
いざ広尾へ。
入り口でイカの引換券と、いも煮の引換券をもらって私は大喜び。
(先着みたいなコト書いてあったのでね)

この太をダーちんに任せて私は一目散にイカへ。
どのおじさん(お兄さん)が焼いているところが
一番早そうかチェックし、
前クールの月9ドラマのキムタクがかぶってた帽子の
兄ちゃんのところへ。
(あんちゃん、ケータリングの方かい?)
2ママは隣のおじさんのところへ。

2ママのおじさん、イカ焼きに相当自信がないようだ。
必ず、「もし焼けてなかったら持って来て。また焼き直すから」
と言っている。
Sママも言われていた。
Rママの番になった時、コゲてしまったイカがあり
おじさん「これはダメだ・・コゲ過ぎたよ」
すると他のおじさんが
「ナニ言ってるんだよ。それくらいがウマイんだよ」
と横からクチを挟む。
「そぉ・・?じゃ・・」とおじさん、そのイカを
Rママへ。
するとRママ、
「固くないですか?」と聞くと
横やりおじさん「いそいで食べたら固くないって」
イカ焼き自信無しおじさん
「固かったらまたおいで。焼き直してあげるから」
って、コゲてて焼いたらもっと固くなるぞ!

いもは2個にバター&塩から付き、
イカは丸焼き1枚で結構お腹いっぱいになった。
入場料800円も元を取ったかも!?
と思うくらいで大満足だった。

腹を満たして今度は私の第2の目的
”あしかのみみちゃん”に会うコト。
みみちゃん、結構売れっ子です。
TVで見たコト有る方もいるかもしれません。
”お絵かき”するあしかです。
お友達のともちゃんの顔を本当に上手に描き、
最後に「みみ」とサインまで。
生みみちゃん・・・惚れたゼ。

それからぶらっと園内を見ようとすると
ビンゴをするといってビンゴカードが配られた。
なぜか、3家族ベビー入れて9人なのに
14枚もビンゴカードをくれた。
さすが、浜っこは太っ腹。
賞品は「イカの一夜干し」とか「塩から」とか
「サンタランドの商品」とか。

「どの家族が一番に当てるか競争だな」
とウマスキのSマン。
とりあえず、ほっといて楽しむ。
先月職場のビンゴで自転車を当てたRパパが
やはりまず、リーチ。
そして、あっさりビンゴ。
■ビンゴ王命名■

遊具はまだ乗れないベビーだったので
100円入れて動くパンダとか熊に乗ってみることに。
そこに1匹得体の知れない生き物が。
どうやら、虫っぽい。
動物や乗り物の中で誰にも近寄られずに
柱のカゲでひっそり居るその緑色の物体。
もちろん、私とこの太はこれに乗るコトに。

100円入れると前ではなく、上下にシャク取りながら、動く。
これは青虫か、尺取り虫かなのだったようだ。
熊やパンダは場内を3周くらい出来た。
でも、シャク取ってる私たちは100円の電動力では
5メートルが限界だった。
シャクと笑いを取って終わった。

それから、離乳食がタダでもらえる焼肉屋へ行き、
晩ご飯を食べて解散した。
私もダーちんもヘロヘロになっていた。
企画発案者はやはり、添乗員的存在になる。
早々にこの太を風呂に入れて、2人ともバタンキューだった。
そして、忘れていたがダーちんは月曜日、
朝野球で4時起きだった。

さっき、昼ご飯に帰って来たダーちんは
目の下熊だった。
「もうダメかもしれない」
と言って午後の仕事へ出掛けて行った。

あ!大事なコト忘れてました。
土曜日にこの太に”初歯”が生えました。(下の右)
そして、今日、”つかまり立ち”しましたっ!

つまんねぇ・・・。

2002年7月20日
今日は朝早くからダーちんはゴルフ。
この太を妊娠中も、出産後も行く回数は
減ったモノのやめることは出来ないコトらしい。
ま、健康上は良いんでしょうけど、
高いし(と言っても本州に比べれば”屁”みたいな
もんなんだとか・・)
なんだか1人で出掛けるなんて
仕事じゃないと、ムカつくんだよね。
ちっ・・私なんさ、1人で出掛けるなんて
しばらく出来ないのにサ。

ダーちんなりに”ゴルフへ行く”って言うのは
後ろめたい気持ちがあるっていうのは
ありありとわかるんだけど
(行く前、行った後、それはそれは
 一生懸命この太の世話をするし、
 私の手伝いもしまくるし)
その気持ちは十分、痛いほどわかるんだけど、
常に私はその場に”常勤”させられる訳っしょ?
時々、”非常勤”になってみたいと思ったりね。
休みの日だと思う訳さ。
これが平日だとそうでもないんだけどね。

そんな訳で朝からつまらんのです。
この太も離乳食後、寝てしまったし、
寝ているとなんとなく大きな音を立てるのも
(起こしてしまうようで)イヤだし、
洗濯とかあまり音の出ないコトをするくらいで
今日はその洗濯もなし。
本来やりたい(やるべく)食器洗い洗浄機ぶち込み
作業がストップ状態で
パソコンに向かってるんだけど、
土日の午前中はネット内も静かよね〜?
(私が見てるサイトのみ?苦笑)

外は雨だし、ウツウツだよ。
(雨なのに、ゴルフ行くような奴も居るって〜のに)

つまんないので、今、ナニやりたいか考えて見た。
1.大声コンテストに出たい。
 (とりあえず、「馬鹿野郎〜」と叫んでみたい)
2.野菜とか飴とかの袋つめ放題をしたい。
 (やったコトあるのは飴だけ。でも、遠慮して
  普通に買った方が良かったくらいの量だった
  ので、袋の限界まで入れて見たい)
3.手繋ぎ鬼をしたい。
 (最近、全速力で走ってないので、年長児くらい
  の体力有り余る子どもら数十人で本気で鬼ご
  っこをしたい)
4.ジグソーパズル1000ピースをしたい。
 (部屋いっぱいに広げて、1日で完成させたい)

・・・これくらいしか思いつかないや。
ちぃせぇーーーーー。
やっぱり、つまんないわ。

足ピンチ!PART2

2002年7月19日
ダーちんが定時に帰宅してくれ、
この太の離乳食&授乳も終わっていたので、
私は隣の市の夜間診療の整形外科へ連れて行って
もらうコトにした。

道中、”どんなにつらい散歩だったか”について
再度、ダーちんに語ったが、
彼は「おい。アムロ離婚したぞ、知ってるか?」
とか「戸川京子自殺だってよ」と
相変わらず、キャッチボールの出来ない奴だった。
(こちとら、ワイドショーすら見ずに戦ってたのに、なんで仕事してるアンタが見てるんだよ!!)

病院は閑散としていた。
どうやら出来たばかりの病院と見えて、
「祝開院○▼」という観葉植物がたくさんあった。
なので、すぐ呼ばれた。

厳しい・・・先生がワキガだった。
私は”犬の鼻”と呼ばれるほど臭いに敏感な女で
いや、ワキガなら通常の方でも気づくだろうが
私の鼻は微量の臭いでもダメージが高い為、
”鼻がもげる”くらいのダメージを受けてしまう。
(汚い話だが、私はウンコの臭いもかぎ分けるので
 幼稚園に勤めていた時も、1度嗅いだウンコの臭
 いを覚えられるので、どの先生のウンコ後かも
 判断出来るくらいである。おならももちろん
 同様。)

とりあえず、鼻呼吸を止め、クチ呼吸に切り替える。
(注:ワキガの方ごめんなさい。
   でも、”ワキガの人”は悪くないです。
   ”ワキガ”と”私の鼻”が悪いのです。)
話が逸れた・・・。

問診票に書いたコトを元に少し足を触られ、
「最近靴変えてませんか?」
と聞かれる。
私の足には靴擦れだらけで、
今日の散歩で”つま先歩き”をしたために出来た
ニュー水ぶくれまであるので
先生はそう言ったんだろう。

「いえ、足を痛めた靴は毎日履いてる靴です」
「この水ぶくれは今日足をカバって”つま先歩き”
 で出来たんです」
と先生に告げた。
「そう・・じゃ〜」とレントゲンを撮ることに。
レントゲンが終わり、再度診察室へ呼ばれる。

もちろん、腫れてないので(何度もしつこいっちゅ〜の)
骨は骨折もヒビも入ってはいない。
小指の付け根の骨を痛めたのではないか?
と言うコトで終わった。
結果を聞くと「な〜んだ、やっぱりね」
となる。愚かなモノだ。
湿布だけ処方されるが、
「あんまり痛いんだったら、薬もあげるけど」
と言われるが、
問診票にも書いたが
「授乳中なんすけど」と言うと
「あ〜ダメダメ〜やめといた方がいいね〜!」
だってさ。
「ありがとうございました」
と言ってドアを出ようとすると、
「あ!なるべく”つま先”で歩くといいよ」
と先生が言った。

■だ〜か〜ら〜!
 歩いてたっつ〜のっ!
 だから、水ぶくれ出来たって
 さっき言ったじゃんっっっ!!
 人の話をちゃんと聞けっつ〜の!■

大ケガではないと診断された私は
すっかり開き直っていた。
湿布24枚もらい、2080円を払って、
自分が過ごしていた通りで良かっただなんて、
なんだか・・なんだか・・・むなしすぎる。
”一枚100円か〜・・”とぼんやり観察し、
”薬局でサロン○ス臭いなし、買うより安いか”
と言い聞かせる。

車で待っていたダーちんとこの太。
包帯すら巻いてない私の足を見て、ダーちんは
”ホラ、見ろ。大したことないんじゃないか”
と言う顔で迎え入れたのが、また悔しい。

帰って湿布を貼って寝たけど、
今日もやっぱりまだ痛いんだよね。グスン・・・。
しかも、つま先歩きで足の他の筋肉まで痛くなって
あきらかにこれは筋肉痛じゃんよ。トホホ。
散歩少し控えて治すサ。ふん。

■あとがき■
という訳で足騒動完結!!
読んだ皆さん、ごめんなさいね。
人のこういう話ってイライラしません?(苦笑)
私はダメです。
(ちっ、大したコトないのに、大げさなっ!と)
でも、ダメな分、自分が人には吐けない分、
言いたい!!という欲求もあります。
なので、ここで吐きました。
お見苦しいところをお見せしまして、
すいませんでした。



足ピンチ!PART1

2002年7月18日
私の足は一晩経った今日も相変わらず
鈍い痛みを感じていた。
つま先側を付けば、なんとか歩けているので
家の中を歩くくらいは持ちこたえていた。

やはり”腫れ”がポイントで
それがないのが、病院へ向かわせない理由であり、
ダーちんの同情すら買えない理由でもあるようだ。

で、午後からこの太が最高潮にグズり始め、
こりゃ〜散歩へ出なきゃダメだな・・って状態に
なり、私は足の状態も心配だったが、
「つま先歩きでなんとかなるだろう・・」
と思い直し、出発した。

片道2キロの公園を目指し歩き出す。
1キロくらいのところで、
つま先どころか、ドコの面を着いても
痛くて痛くてたまらなくなった。
公園が見えて来たので、なんとか頑張って
やっとの思いでベンチに腰を下ろした。

座って、靴を脱いで足を見ると
やっぱり、腫れなどもなく、
足さえ地面に着けなければ痛みすらない。
「少し休憩すれば、また歩けるよね」
そう思い、30分くらいベンチで休憩。
この太がやっとオネムになって来たようなので
帰るコトにした。

帰り道。私は蒸し暑さで吹き出る汗と、
痛みによる脂汗で気を失いそうになりながら
歩いた。
涙こそ出ないが、心と足は泣いていた。(号泣)
とにかく、3歩歩いて休んで、2歩歩いて休んで。
自己分析では、私は結構、我慢強い方だと思うが、
一度、くじけると坂道コロコロ状態になり、
あっという間に”赤いシリーズの百恵ちゃん”になってしまう。(古い)
自分のギブス姿を想像したり、松葉杖姿を想像したり、足を固定されベッドに横になっているところへ
この太を抱っこしたダーちんがお見舞いに来ているところを想像したりし始めた。(アホ)
しかし、本当に冗談ではなく、
通る車に声をかけて乗せてもらおうか、
すれ違った隣の家の子どもにこの太だけでも
先に涼しいところへ連れて行ってもらおうか、と
何度も思った。

そんなコトを思いながらやっとの思いで、
家に帰り着くと私はまず、寝ているこの太を
ベビーカーから布団へ移動させ、
病院へ電話した。
でも、4時までの受付で今は3時45分。
この太、爆睡。
起きたら、離乳食&授乳の時間だから、無理だよ。(半べそ)

私は思いのタケをすべて、ダーちんにメールした。
最大文字数いっぱいに打ちまくって
散歩へ行くところから病院へ電話したところまで
打って打って打ちまくった。
やっと、
「俺が明日午前中休んでこの太見ててやるから
 明日病院行ってきな」
という返事が来たところで私は百恵モードから
自分本来のモードへ戻って来た。
ありがとう。友和。

それから、タウンページで夜間診療をやってる
整形外科を探し始めた。

15日から待ちこがれていた町内会長様、
結局、本日早朝にやって参りました。
私は3日間も早起きスタンバイ。
明日は絶対、たっぷり寝倒すぞーーー!(誓い)

_______________________

ところで、連日の散歩&草むしりのせいで
私の足は虫さされでヒドイことになっている。
同じところを何度も刺された箇所もあるので、
まるで”ゾウの足””サリーちゃんの足”である。
かゆいし、痛いし、かゆいし、痛いし。
も〜〜〜〜っ!イライラ〜〜〜〜っ!

あげくに昨日、靴を履こうとした時に
着地に失敗?したのか、
鈍い痛みが足クビ付近にした。
腫れはないのだが、足を着くと痛い。
昨日からつま先で歩いている。
今日も痛い。
腫れてないので捻挫ではないと思うけど、
歩きにくくてやってられん。

この足で今日は迅速に町内会の配布物を
配って歩いた。
ピョッコタンピョッコタン・・・と
ベビーカーを押して・・・。
普通に歩けないに加えて、
虫さされのかゆみと痛みも加わって
もぉ〜〜〜〜っ!(怒)

昨日からずっとこの苦痛をダーちんに訴えている。
しかし、彼は無関心だ。
この太に少しでも異変(横向きで寝てたので頬に寝痕がついてるだけなのにっ!)があれば、
「ど〜〜したんだっっ!これは!病院かっ!?」
と大騒ぎになるクセに。

■エコヒイキ反対!■

今日の昼ご飯の時も訴えてみた。
私:「ダメだよ〜、やっぱり足痛いもん」
ダ:「・・・・(モグモグ)」
私:「病院行こうかな〜」
ダ:「・・・行けば?」
私:「でも、見て見て。(足を出して見せて)
   腫れてはいないんだよね」
ダ:「(外見て)晴れて来てんじゃん」

お〜〜いっ!誰が天気の話してんだよっ!
ちゃんと聞けよっ!
ふん。

明日も痛かったらマジで病院行こうカナ・・・。
※教訓:相談する相手を選ぼう。
    自分の身は自分で守れ。



来ない・・・

2002年7月16日
我が家は今年、町内会の1班の班長。
毎月1日、15日に配布される広報やお知らせを
9軒のご近所さんに配るのが主なお仕事。

1日、15日の朝には
町内会長さんが我が家に9軒分の配布物を
届けてくれることになっているんだが、
どうも朝早い訪問で今のところ、
”居留守”使っちゃう率が高いです。(笑)

だって、ピンポーン鳴って
まだ寝てる時皆さんって出ます?
頭はボサボサ、歯磨いてなけりゃ顔も洗ってない、
しかもパジャマ・・・・。
私にゃ〜出れない。

この太が産まれてからは
ちょうど、オッパイぼよよんの状態で授乳してたり
すると、インターフォンへの道のりは
かなり遠い気するし。

前回は、まだ私とこの太は夢の中で
ダーちんは朝野球だったので1人で起きて
帰って来てた。
なので、ピンポンに気づいたんだけど、
「ダーちん出てくれるな」
と思ってそのまま寝てた。
すると、もう1回ピンポーン・・・。
どうやら、ダーちん朝シャワー浴びてて
気づかない様子。
いや・・気づいてても、フルチンでは
出て行けなかろう・・。(まだ頭ボサボサ、パジャマの方がマシ?)
なので、結局間に合わず”居留守”っちゃいました。

前々回は土曜の朝だった。
この日はダーちんの仕事も休みなので
グ〜タラ寝腐っていた。
朝早く起きるコトもないし、この太も朝方の授乳後、
すっかり寝ていたのでこれ幸いと私たちも寝坊を
決め込んでいた。
そこに”ピンポ〜ン”

「はっ?今日何日?」
「あ・・町内会長だ」
「アンタ出てよ。いいよ。アンタならパジャマでも」
「え・・なに・・・身体動かないよ」
「早く〜居るってわかるって〜!」
■そんな押し問答しているなら出なさい■

きっと「居るクセに」とか思われてるんだろうな。
20分後、玄関を開けるとドアの前に
配布物が置いてあったし。

ごめんなせぇ〜町内会長様。
居留守は使うが、配布は迅速ですから
ご勘弁を。

そこで私は一大決心をした。
何のことはない、毎月1日、15日は
早く起きてスタンバイしてりゃ〜いいんだよ。
たかが、1ヶ月に2回。
やってやれないことはないさ。

そう思って、昨日は5時から起きてスタンバった。
が、来ない。

私:「ちょっとぉ。せっかく待ってるのに来なかったよ。町内会長さん」
だーちん:「明日じゃないの?」
私:「えぇ〜そぉ〜なの〜?1日15日に印刷されて16日配布だっけ?それが確定?」
ダーちん:「そうだよ。きっと。休日前とかだと前の日になるとかなんじゃないの?前土曜だったじゃん」
私:「じゃ、明日だね。あ〜ぁもったいない今日もう少し寝てれば良かったよぉ」

たかが、ちょっと早起きしただけだが、
私は非常に損をした気になる。
(この太と生活するようになって、この太が寝ていてくれる時間=私も寝れる時間だと認識するようになって、
せっかくこの太が寝てくれている時間なのに、
起きているのは”もったいない”と思うようになってしまっている。)

で、今朝だ。
来ないよ・・・町内会長さんよ・・・。
ど〜したんだよぉ。
2日もスタンバってるのもしらんと・・・。

はっ!?もしや敵(?町内会長様)も
なにか悟ったか?

■この太家はどうせ居留守使われるから
 夕方に行った方が確かだな・・・■

とか?!
今日の夕方を乞うご期待。



昨日はすごくムシムシとして、
北海道にしては珍しく湿度高ぇ〜って感じで
身も心も(笑)ヤラレタ。
この太が産まれたのは冬だったので、
くっついてても(オッパイあげてても)”暑い”
なんて感じたコトなかったので、
”初暑い”だった。
くっつくなぁ〜っ!って感覚だわ。
ホント、本州の皆さんの授乳中の
暑さ、お見舞い申し上げます。(余計なお世話)

こんなに暑いと「飲みに行きてぇ〜〜っ!」と
叫びたくなる。
クーラーの効いたスナックで・・・
(イヤ、たいがい私が行っていた店はクーラーなぞなく、入り口のドアが全開の自然空調だったが)

そういえば、
私は学生の頃、少しだけ”スナック”でバイトした
コトがあった。
■スナック昴■・・・(笑)
名前の由来は知らない。
出来たてのホヤホヤの店で、
ママは・・・今顔を思い出そうとしたが、
”鈴木清美”しか思い浮かばないので(笑)
ロンリーチャップリン顔だったんだと思う。

その頃、友達の間で”夜のバイト”が流行っていた。
私もなんだかその流行りに身を任せてみたい衝動にかられ(若かったのね)、でも、ドップリつかる勇気もなく(友達の中では高級クラブに足をつっこんだ子もいたがね)、
週2回、友達2人と交代で週末は2人で一緒という
少なからず安全策で挑んだ。

一応ママから水商売のノウハウ(?)を学んだ。
せこいノウハウだったと思う、今思えば。
だって、お客さんのボトルが残りわずかになれば、
それを一緒に飲み「ニューボトル」を入れるように
し向ける、とか、
ボトルが結構ある時は「おビールいいかしら?(今言うのか?笑)」とビールでかせげ。ってコトだったもん。
私は結構飲めるクチだったけど、
やっぱりビールだとお腹もいっぱいになるし、
きつかったのでトマトジュースで割って
飲んでいたので、トマトジュース代もお客様持ちで
飲ませてもらった。

その”清美ママ”はたしか、どっかのスナックを経て独立したんだと思うが、
そんなに器のデカイ人ではなかった。

ある日のお通しは
■袋に汁も入って売ってるデキアイおでん■
だった。
私がなじみの店はだいたいママの手作りだったので
(ママはだいたい少し遅れて来るような店だったが
 いつも家の鍋とか、タッパーに入れて持って来てた)
「え!?デキアイでいいのかい!?」とビックリした。
それでも客が
「んっ!うまいな!このおでん!」と言うと
ママは
「そぉ〜!?昨日から煮込んだんだけど、味しみてる〜?」とイケシャ〜シャ〜と言ってた。
■すっげぇ〜ママ・・・そして、家で食わせて
 もらってねぇ〜な・・この親父■
と心の中で思ったりした。

ススキノのたくさんの飲み屋の中で
生き残るのはホントに大変なコトだったが、
ママはパトロンが居る様子もないのに、
危機感もさほど感じる様子もなく、
無計画な経営の仕方だったと思う。

結局、私はそろそろ就職活動という頃合いで
バイトを辞めるコトにした。
友達も順次辞めて行った。

1度就職が決まったので店に客として飲みに行ってみた。
結局ママ1人で切り盛りしても十分な客の入りで
私が行った時も親父さん1人しか居なかった。
(当時”花金”と呼ばれていた時期に)

就職してから行くともう”昴”は無かった。(苦笑)
ママ・・・いずこへ?
私がバイトしていた時も同じフロア内で
随分店が変わったもんなぁ。
1年持ったんだからママ、頑張った方だよ・・
と思ったけどね。

私はあまり飛び込みでは飲み屋には入らないので
”なじみ”の店が無くなるのは次の居心地のいい店を
見つけるのに焦ってしまう。
去年、17歳から通っていた店がママご老体のため
無くなった時は
”私の青春が終わった”と心底思った。
それ以来、”なじみ”の店は見つかっていない。
行けなくなったというのもあるんだけどね。

「飲みに行きてぇ〜っ!」
と叫んでみれど、例え行けたとしても
「ドコ行けばいいのっ!?」
と言うありさまなんだよね〜・・・。
はぁ〜。。。婆さんママに会いたいわ。
「スパゲッテー」「パーテー」って
聞きながら、笑いながら、おいしいお酒飲みたいワン。

呼び方。

2002年7月12日
この日記を始めて最近ふと紛らわしかったと
思っていることがある。
それは
■私も”この太”で娘も”この太”■

やっちまった。
ま、今後の課題として(?)
保留にしておきます。

ところで、この日記に出てくるもう1人。
我が家の”ダーちん”こと、私の配偶者、旦那、主人。

私は結婚してから、第三者と話をするのに、
ダーちんのコトを
”うちの旦那が〜”とか”主人が〜”とか
言うのが、なんとも嫌でしかたがなかった。
理由はよくわかんないけど、
とにかく、拘って言うのを避ける日々だった。

結婚当初は携帯電話も普及していないので、
ダーちんに用事があって、職場に電話するのも
「○▼(名字)ですが、主人おりますでしょうか?」
などという言い方をするのも嫌で
(これが正しい聞き方かは不明・・)
「○▼ですが、○▼おりますでしょうか?」
と言うくらい”意識”して使わないように工夫してた。

幸い、あまりダーちん関係の町内の知り合いとの関わりが無かったので、
(町外に働いていたので、町内で買い物することもなかったし)
スーパーで会って
「いつも主人がお世話になっています〜」というような会話も
避けて通ることが出来ていたので
さほど、”旦那””主人”と連呼する場がなかったのは幸いだった。

さて、それが仕事を辞めて、
ネットをするようになったり、
ママ友が出来るようになるとこれが
使わずに居られない状態になって来たのである。

ええい!ままよ!
と使ってしまえばよいんだろうが、
クチから発する訳ではなし、
「だんな→変換→旦那」と打てばよいだけなのが、
なぜか、打てない。
気恥ずかしい。旦那じゃないもん、と思ってしまう。

普段はお互い、名前(高校時代からのあだ名)で
呼び合っているので、
本当はそういう風に打ちたい。
でも、みんな「旦那」だ、「主人」だ、
あげくに「ダーリン」だと打っている中で
名前を打って話すと
時々「誰?その人」みたいに言われるのも
説明するのが面倒だ。

それに、一工夫しとらんのも嫌な性格なので(なんじゃそりゃ)
”ダーちん”へ行き着くまで
”世帯主”だの”だんちゃん”だのという道を
辿ってきたのである。

(今の”ダーちん”という呼び方もホントは
 かゆいくらい嫌なんだけどね・・・本音)

なんてことはないコトでしょうが、
私には非常に気になるコトでした。


「カセットかけさせてもらってもいいですか?」

吉田君はおもむろに鞄の中から
カセットテープを出した。
それは、”松山千春”・・・・・
典型的に北海道=大空と大地の中で・・を
かぶせて酔っている青年、吉田君。

私たちは「しかたないな」と思い
一緒に松山を聞いた。

そうこうしているうちに
車は帯広、カニの家に到着。
当初の予定通り、吉田君を無事降ろし、
「じゃ!」
と何事もなく別れた。

そして数十メートル、車を走らせた時、

■なんだかこのままでいいんだろうか■
■もしかしたら、吉田君・・本当はこんなところに
 来るつもりもなかったんじゃないかな■

など、私たち3人の頭の中で、
吉田君との運命的な(?)出逢いと
そして、道中のやりとりの中で
彼がチチハハと別れ、爺ちゃん婆ちゃんに育てられたこと。
大学もバイトしながら行ってるコト。
北海道へもずっと憧れていて
やっと貧乏旅行が出来たコト・・などなど
話を聞いているうちに
私たちはとんだ”蝦夷オオカミ”だったんではないか?
と思って来たからかもしれない。

誰からともなく、
「名残惜しい・・」
「晩ご飯くらい一緒に食べてあげたら良かったかな」
などと話し出した。

すると、H先生が「よ〜しっ!」と
本日2度目のUターンをした。

カニの家へ戻ると彼が銭湯へ行こうとしている
ところに出くわした。
私たちの再登場にビックリしていた。

「どうしたんですか!?」

私たちは、彼にせっかく出会ったんだし、
地元だからこそ伝えられるコトをもっと知らせたい。
出来れば、おすすめの店で一緒に食事でもしないか?
と声を掛けた。
すると吉田君も「うれしいです!お供します!」
と言ってくれた。

それじゃ〜また後で(銭湯後)ということで
いったん別れ、私たちも一度家に帰り着替えて
また、夜の町へ集合した。

吉田君はカニの家で仲良くなったというお友達
を連れてきた。
H先生も彼氏を連れてきて、私は妹も誘った。

あっという間に”吉田君の輪”が出来、
おすすめの居酒屋で飲み、カラオケを歌い
(吉田君はあまりお上手ではなかった・余談・笑)
楽しい時間が過ぎていった。

もうここまで来たら
■友達だっ!■
という感じで
お互いの住所や電話番号も交換した。
(写真もたくさん撮ったし)

夜中の1時くらいだったろうか。
お名残惜しゅう時間となり、別れた。

私と妹は家に帰り着き、
早々に眠りに着いた。

すると、電話が鳴った。
(私と妹は同じ部屋に寝ていて、
 実家の電話とは別に自分たちの部屋に
 別回線で電話を引いていた)
「誰だろ、こんな夜中に。。ダーちんか?」
(この頃、私とダーちんは東京と北海道の遠恋中
 だったので仕事の関係で夜中に電話が来ることも
 多かった。なので、妹はあんまり出ず、
 私が出ることが多かった)

電話は
”さっきまで一緒だった吉田君”だった。
吉田君は私の妹を一目惚れしたので
もう1度明日会いたいという話を私にした。

「とりあえず、妹に変わるね」
と私は妹を起こすと、
妹は話を聞いて、自分にはつき合ってる人がいるので、
そういうのは無理と断っていた。

私は一気に酔いも醒めた。
■なんじゃい!それ!■
という心境だった。(笑)

妹かいっ!という気持ちもたしかにあったし(苦笑)
なんだか、吉田君を拾ってから
”もしかしたら悪い人かも”なんて思ったり、
疑ったりしたコトが
意外とすんなりそうでもなく”好印象”だったりしてたもんだから、
■私の見る目も捨てたもんじゃない■
 (H先生の目が多大&相当疑ってたクセに)

なんておごり高く思っていたことが
一気に裏切られた思いだったのだ。
〜なんだ。純粋に旅を楽しんでるんじゃなくて
 あわよくば、その土地の女と・・・なんて
 思ってるんだ。〜

しかも、それが自分の妹だったので
妹に申し訳ない気持ちもあったし(私が引き合わせたせいだし)
なんだか、住所や電話番号を安易に教えた自分の方がよっぽど、「怪しい」奴だった。
調子に乗りすぎたと思った。

次の日、吉田君はH先生に連絡を入れて、
また次の目的地へ行ったらしい。
どうやら、何日か後に折り返してまた舞い戻り、
H先生宅に泊まらせてもらって、
今度はH先生の友達たちと飲んだらしい。

私はそれは「ふ〜ん・・」って感じで聞いた。
K先生は札幌の彼にこの一連の話をするべきか、
しないべきか、真剣に悩んでいた。(笑)
※K先生はロマンス(笑)はなかったものの、
 K先生の許容範囲を超える彼氏以外との関わりで
 「彼氏に悪い」「軽い女だと思われたんじゃない
 か」と泣きながら悩んでいたが、
 K先生と彼氏はナンパで知り合っていた。
 今思えばキャラの濃い先生達ばかりだったなぁ。

で、何週間かして、
東京に戻った吉田君から写真が届いた。
妹の”い”の字も書いてない手紙には
「よい旅になった」ようなコトが書いてあった。

それから、最後まで面倒を見ていたH先生は
時々、吉田君の寮にパンやらお菓子やらを
送ってあげたりして繋がっていたらしい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、数年が経ったある日。
何年たったんだろう。
私たちH先生、K先生と結婚した後だから、
3年か、4年経った頃だったろうか。

H先生の家に遊びに行った時、
「そういえば、そうそう!聞いてくれる〜!?」
と鼻息荒くH先生が言い出した。
「吉田君って居たじゃん。富良野で拾った」

すっごい久しぶりに吉田君を思いだした。
私:「なに?先生ってまだ吉田君と繋がってるの?」
H:「うん。年賀状だってずっとしてるんだけどさ〜」
私:「うっそ!律儀〜っていうか、スゴイね!
   そんなに気に入ってたんだ(笑)」
H:「それがさぁ〜、聞いてよ。
   この前、彼女連れて北海道旅行へ来るってん
   てんで、泊めてくれって言われて、
   泊めたのよ〜!」
私:「え?ここに?来たの?彼女連れて?」
H:「そうそう。でさぁ〜それはいいんだけど!
   まず、風呂さ。風呂をね、2人で入った訳。
   それからさ、夜寝たらおっ始まったのよ」
私:「始まったって・・・まさか、ナニ?」
H:「そうなのよぉ〜!!見ての通り、
   我が家は各部屋に戸がないじゃない?
   だから、私たち(H先生と旦那)と頭合わせ
   に寝てるのによ。スポスポスポって(失礼)
   聞こえて来るのよ〜!もぉ〜勘弁って感じ」
私:「・・・・・ぎょえ・・・」
H:「んでね、どうやらフィニッシュ後、
  リュックのジッパーを”ジジジジジ・・・”と
  下ろす音が聞こえる訳。で、ポケットティッ
  シュ出してんのまでわかるのよ〜!!」
私:「・・・(絶句)」
H:「もうがっかり。ホテル行けっちゅ〜の。
   っていうか、我慢すれよ、人んち泊まるなら
   って感じ。もう最悪〜。
   お陰で寝れなかったよ。私」

という話だ。
H先生は”飼い犬に手を噛まれた”とか
”恩を仇で返された”とか言ってたが(笑)
ちょっと違う気も。

結局、爽やか北海道大好き青年吉田君も
今じゃ発情盛りの♂だったという訳。
しかも、ブラウン管の中の栄作も
どこか外国へ行ったっきり見なくなったしね。

で、それ以来、H先生は吉田君とは音信不通なんだと。

とまぁ。
富良野へ行って久しぶりに吉田君を
思い出してしまった私。
そういえば、どういういきさつだったっけ?
ってところから思い出してみましたらば、
こんなに長くなりました。
おしまい。

富良野行きを引きずっている私です。
富良野に行く道を通ると私はいつも
”富良野で拾った若者”のことを思い出します。

私がまだ22歳くらいだった頃の夏休み、
幼稚園の夏の研修で旭川に行った帰り、
私とH先生とK先生とで富良野経由で
自宅を目指していました。

ちょうど、ラベンダー真っ盛りの季節だったので
ラベンダー畑を横目に走っていますと、
H先生が
「ちょっとっっっ!あの子!可愛いっっっ!!」
と叫びました。
私とK先生は気づかなかったので
「え?どこどこ?どれどれ?(人に向かって”どれ”って・・苦笑)」
と必死に(笑)H先生の指定の子を探しました。

「ホラ!あの自転車の子!
 吉田栄作にそっくり〜〜〜〜〜〜っっっ!」
 ※当時、吉田栄作はドラマづいていて
  旬だったんだね。

しかし、私たちは車。
運転するH先生はスピードを緩めるも
私たちにはその”吉田栄作似”を確認することも
出来ません。

そこはH先生。
(彼女は私の1つ上の先生で、遊びに関しては
 フットワークの軽いナンパ女です・笑)
「戻るよっっっ!」
と車をUターンさせたのでした。
(そこまでするH先生と止めない私たち・・若かったのね・・くす)

私たちは”吉田栄作似”の近くへ車を戻すと
「ホントだっっ!きゃわいいいい〜〜〜!」
と私とK先生も”吉田栄作似”を確認出来たので
H先生は
「行くよっっ!」
と無造作に車を乗り捨て、
一番年下のK先生に
「いいかい!?私たちが彼を引き留めておくから
 アンタは使い捨てカメラを買っておいで!」
と指示した。
(彼女は本当にこういう時だけはリーダーシップな
 女です・笑)

そして、私とH先生は”吉田栄作似”に近づき、
「写真一緒に撮ってもらえますか〜?」
と(初対面なのにいきなりかい。。。)
と接近したのである。

彼”吉田栄作似”君は、(以後仮名吉田君とする)
東京の大学1年生らしく、
夏休みを利用して北海道を自転車で回っていた。
大学の駅伝部に所属しているらしく
(正月の駅伝中継に出て来る大学らしい)
身体もよく出来ていた。(生々しい・・)

吉田君は北海道に憧れているらしく、
私たち北海道人(?)と直に話すのが楽しいらしく、
すぐにうち解けてくれた。

そうこうしているとK先生が使い捨てカメラを
買ってやってきたので、
私たちは写真を一緒に何枚か撮った。

それから、吉田君を囲みオオカミ女たちは
ラベンダー畑をバックに会話を楽しんだ。

吉田君はきままな自転車の旅。
今日はもう少し先に進もうかと思っていると
話している。
私たちの住む帯広方面に向かうという話を聞いて、
H先生はオオカミ女の本性を丸出しにし、
「よぉ〜し!帯広まで乗せて行ってあげるっ!」
と小心者オオカミの私たちの意見も聞かず、
発言した。

吉田君は「いいんですか?」
と少し遠慮してたが、H先生の強引な押しに
私たち同様、圧倒され、半強制的に
車へ押し込められた。

私とK先生は少し不安になり、
「大丈夫?こんな得体も知れない人乗せて・・・
 突然”ウォォ〜〜〜”とか叫んで豹変したり
 するんじゃ・・(ドラマとオーバーラップ
 しまくってます)」
とトイレで商談。
でも、H先生は
「大丈夫だって!カニの家(夏に旅する人たちが
 寝たり出来る場所で夏だけオープン)
 に届けたらバイバイだって」
とまったく危機感すらない。

結局、H先生の押しの一手で私たちも
しかたなく了承するしかなかったのだ。
あとは吉田君が見た目通りの”好青年”で
あってくれることを願うしかないと思った。

そして、私たちは富良野駅に預けてあるという
吉田君の荷物を取りに行き積み込み、
助手席に吉田君を乗せて
一路帯広目指して走り出したのであった。

・・・しかし、この旅は決して”カニの家”で
   終わることはなかったのである。・・・

っと、予想外に長くなってしまったので
続きはまた後日に・・・。

まさか大ボケ?

2002年7月8日
日曜の朝、何気にフジの”27時間テレビ”を見て
私たちは絶句した。

「え?昨日(土曜)行った石の家じゃん・・・」

そこではカンちゃん(UHBアナ・今年はトラックドミノ辞めたのね・ぷっ)が草刈りをし、
家の中には倉本聡さん始め、ゴロウ、純、蛍も居た。

■私たちの見たあの撮影らしきモンは
 27時間のためのモンだったのね■

なにが、”この季節の画”だ。
ただ単に、数時間後から行われる草刈りの為に
準備だったんではないか。

少々ミーハー気のある私は
「いやんっ!なんで今日、そして今!たった今!
 行かなかったのぉんっっっ!」

とダーちんに怒りをぶつけたが、
ダーちんは冷静に
「だって、今日雨じゃん」
と・・・(外は大雨。ごもっとも)

ま、行ったところで草を刈るお手伝いも出来ない
だろうし、純と蛍を見れた保証もないんだけどね。
なんだか、悔しい。
(これが1ヶ月前に行ったとかだと許せるかも。
 1週間以内前・・しかも前日だなんて、
 なんだか自分がマヌケのようで嫌っ!)

ま、ご縁がなかったということで、諦めました。

_______________________

この太が「尺取り虫」のような動きをするように
なった。
いわゆる”ハイハイ”の前フリなんだろうが、
今までは寝返り→目標物、だったのが、
昨日からは直進尺取り虫→目標物となった。
お尻を高く上げて反動を付けるとより前に出ると
わかったらしく、それはまるで「立ち上がる」
んではないかと思うほどの「尺」具合である。

なので、居間の横の和室から居間の方へも
どんどんやってくるので、
和室と居間との境目は段差になっていて
アゴなどを切りそうなくらいで怖い。

そこで、やはり”柵”が必要なのではと思ったが、
高いのね・・(涙)
しかも、幅が我が家にマッチするのがない。
なので、前にちらっとどこかの育児サイトで
見かけたような気のする”つっぱり棒(棚タイプ)”で柵の代用をしてみようとホームセンターで
買って来てみた。
(やってみて危険だったり、使い方がそぐわない
 ようなら、ちょうど脱衣所に棚も欲しかったので
 そっちで使えば良いや。と思い)

早速、今日取り付けて見た。
柵の間隔も危険はなさそうだし、
今のこの太が多少もたれかかっても倒れないくらいに突っ張ってくれてるようだ。

だが、さっき、やはり尺取りこの太が突進し、
頭突きしていた、そして、彼女の鼻がちょうど
棒の3段目に当たり、「豚っ鼻(ガラスに顔を
押しつけた時の鼻)」のまま呆然としていた。
マヌケ顔だった。

笑ってしまったコトはさておき、
あまり強く突進すると痛いかなぁ?と思った。
(ちょうど頭のまだ柔らかいヘコヘコのところにも
 当たる気がするし)

一応、クッションでカバーしてもう少し様子を
見てみることにする。

「痛い思い」をして身につけて欲しいこともあるけど、取り返しの付かないようなコトは避けたいし。

このなんちゃって柵はいつ、
本来の棚として脱衣所へ持って行かれるのか?
そんなに遠い未来ではないように思います。
♪あ〜あ〜あああああ〜あ♪

↑”北の国から”のテーマ曲です。
(これじゃ、著作権に引っかからないっすよね?)

今日はダーちんが今週の私の落ち込み具合を察してか、
昨日から「明日はどっか行くぞ!」と
張り切って計画を立ててくれていた
富良野へドライブへ行って来ました。

車で1時間半くらいだが、この太にとっては
初めての長いドライブになるので
途中で何度か休憩を入れて走った。

富良野へ向かう途中に
映画”鉄道員(ぽっぽや)”のロケ地にも寄る。
ロケセットの駅、床屋、食堂などがあった。

駅に入ると、すぐ右手に駅員室があるのだが、
そこに駅員さんが新聞を広げて立っている”蝋人形”があった。

「なんだ。健さん(高倉)じゃないんだ」

と思いながら見ていると
突然その”蝋人形”の手が動いた!!

「へっっっ!?」

そう・・”蝋人形”ではなく、
ちょっと顔色の悪い”本物の駅員さん”でした。
(いや。しっかし、微動だにしなかった姿は
 まさに”蝋人形”だった・・・)
駅だけはそのまま利用されてるのね。(汗)

それから、富良野の”北の国から”のロケ地。
麓郷の森へ。

何度か行っているんだが、
ロケが始まったりすると新しいモノが出来たり、
放送が終わると五郎の家が公開されたりと
ちょっとずつ見るところが増えるので
結構楽しい。

(ここで五郎がクマに会った)とか
(シュウと純が歩いた林)とか
解説の付いた看板があったりして、
今まで見てないようなところを見て歩いた。

もう”2002’遺書”のロケは終わったと
思っていたけど、今日は「石の家」の前で
ロケ班が撮影をしていた。
(俳優は見あたらなかったから、この季節の画でも
欲しかったんじゃないかな?)

この太の授乳は良い感じに終えながら
見て回ったんだけど、
私たちの食事は2時を過ぎても摂れなくて
私はいささか、バテ気味になっていた。
(というかキレ始めていた)

ダーちんもそんな気配を察して
”石の家”がある場所で食べるモノを売ってそうな
ところを探して車を駐車場に入れようとしていた。

「ホラ!あそこに書いてあるぞ。
 ”ハーブリーソーセージ”だって。
 なんだろぉ。うまそうな感じだな」

と私にもう一踏ん張りとばかりに言って来た。

がだ。
なんじゃその”ハーブリーソーセージ”とは。

またやっているじゃないか。ダーちんよ。
アンタも腹ペコで(いや、腹ペコは関係ないかも)
どうやら、2重に見えるようじゃのぉ。
しかし、私にゃ〜
■ハーブソーセージ■
と見えるぞよ。

”ソー”を”リー”と読み、
なおかつ”ソーセージ”もしっかり読んでおる。

そんなハブリの良さそうなソーセージ、
有るわけないだろ。

腹ペコだったけど、
久しぶりに大笑いした。
これが”狙い”ではないところが
うちのダーちんだ。

また、行こう!
なんだか、読み返すとハズカシイ文だね。
伝えたいコトが上手に表せてないと言うか・・。
でも、この話ってホント、言葉や文章にするのって
初めてなので、しょうがないかなと。
ホント、読んでくれた方で
不快に思わせたりしてたら、ごめんなさい。

さて、冷静というか一夜明けても
私の気持ちは少々ブルーのままであります。
この時々やってくる”母親嫌悪症”とでも
言うのでしょうか。
これはジワジワとフェイドアウトするまで
待つしかないようです。
だって、後から後から
「あ・・あの時も。。」なんて
思い出すもんだから、
無くなりそうで、無くならないし。

でも、これからも少しこうやって
文にして吐き出してみれば、
ちょっとは楽になるのかな〜なんて
漠然と思ってます。
読んでくれてる方にはお見苦しいとは思いますが、
現在実生活では日記は育児日記だけしか
つけてないし、
私って日記つけてもその日記にすら
格好つけるというへそ曲がりな性格らしいので(笑)
というか、証拠に残すのが(自分の本当の気持ちを
認める?)のが、苦手なのか??
とも思うけど。
昨日、ここで吐いちゃったおカゲで
少しだけはっきりと(すっきりではなく)
出来たようにも思っています。
”きっかけ”が出来たかなと。

あ〜〜〜〜〜あ。
今日も暗いね。
ヤバイヤバイ。
アップだ!私っっ!!

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日、この太の6ヶ月検診へ行って来た。
異常なし。
異常なし過ぎて、先生に
「お金がもったいないので、これからは
町の方で受けてもよいよ」と言われた。
(懐事情まで察してくれて先生ありがとう・笑)
でも、町は10ヶ月までないので、
ちょっとそれまで計測だけで終わらすってのは
どうかな〜?と思ったので
(母子手帳にも「6.7ヶ月」の欄あるしね?)
行ってみたんだが、親馬鹿に見えたかしらん?(照)
1ヶ月検診の赤ちゃんばかりの中で、
この太はめちゃくちゃデカいベビーに見えた。
いや、もうベビーにはとうてい見えなかった。(笑)
そして、たった6ヶ月前なのに、
あんな頃があったんだなぁ〜と
なんだか遠い昔のように懐かしくなってしまった。
だって、あんなにスッポリと納まってたかな?
腕の中に。
今じゃ、はみ出してるっつ〜の。(笑)
ちょっとホノボノじんわりモードになって
行って良かったと思った。

自分で客観的に見ても、
ド〜ンと深いところで今もがいているので
きっと暗い内容(第三者から見れば愚痴でしょうし)であろうことを先に謝っておきます。
でも・・書いて(吐き出して)しまわないと
しばらく暗さが続きそうなので・・・。

私がこの太を産んで・・正確には身ごもってから
”つわり”の症状のように受け入れられなくなった
コトがある。
それは
■自分の母親■

思い起こせば、幼少期から言われ続けたコトが
今、母親になって「なんでそんなこと、子どもの私に言ったんだろう」と思うコトも思い出されて来て
もう何を言われても純粋に受け取れなくなっている
のかもしれない。

私はこの太の前に1人子どもを流産している。
このコトは私とダーちんと母しか知らない。
私は人に弱いところを見せるのが苦手だし、
いわゆる、”ケイリュウ流産”と言って
人に言えば「あ〜私もそうだったよ」と言う人に
何人かぶち当たるコトなのだから、
サラっと言えば良いのかも知れないけど、
私はへそ曲がりなので”傷の舐め合い”や
”ありきたりの慰め、励ましの言葉”を
受けるのが苦手だったし、なにより私たち夫婦に
とっては2人が初めて一緒に受けた傷だったので
誰にも触られたくもなかった。
そのことは母にも言った。

それから1年半が経ち、私はこの太を授かった。
大事にしたいと思った。
生まれ変わりだなどとは思ってなかったし、
この子はこの子として2番目に私たちのところへ
来てくれて、その生命力の強さを見せてくれた。
(途中で切迫流産も乗り越えてくれた)

妊娠中、母には悲観的な言葉をよく言われた。
出血したといえば、「ダメかもね」
「アンタは身体が弱いから、丈夫な子は産まれない」
「ダーちんの親戚には障害のある子が多いから
 アンタも心配」
などなど。
私は”つわり”の苦しさと、切迫流産の不安で
いっぱいの上、妊婦特有のブルーの中、
その言葉を聞き流すコトは出来なかった。
■どうしてそんなことを娘に言えるんだろう■

私は里帰りをせず、産む直前まで自分の家で過ごし
産んでからも自分の家に帰る決心をしていた。
親が居ない人なら当たり前だと思うが、
周りからみたら「なんで実家に帰らないの?」
と言われたが、
私はこの太を最初っからダーちんと二人で
関わって行きたかったし、
もう1つ母と1ヶ月近くウマくやっていく自信が
なかったからだ。

母には「なんで来ないの!」と言われたが
2人で頑張りたいコトを言うと
「じゃ〜お父さんはどうするのっ!?」
と怒られた。
「別にお母さんに来てくれとは言ってないよ。
 それにお母さんがそういうなら、私だって
 ダーちんをどうするの(ダーちんの方が
 昼帰って来るし、お父さんは夜も遅く晩ご飯も
 お母さんが寝てるから自分でよそったりして
 食べてる)って言いたいよ!」と反撃した。

結局、母には「2日泊まって1日帰る」という
手段で納得してもらった。
が、結局、それも合計6日泊まっただけに過ぎず、
その間も”8時には就寝”という自分の生活スタイルを変えるコトもなく、
私は退院後、すぐからこの太の洗濯や、
ダーちんの昼飯作りなどしていたし、
夜中の授乳も1人でやっていた。
あげくに「全然寝れなかったから頭痛い」
と1日不機嫌だったり、ソファに頭を押さえて
横たわってるだけだったりもした。

マタニティーブルーも一人前にやってきて、
「なんのために来てもらってるのか」
と涙を流した日もあった。

話は支離滅裂になりつつあるが、
↑に書いた私の流産話がこの太を産んでから
随分いろんなところで耳に入って来た。
「流産乗り越えての出産だったんだってね」
「流産したことある人は安産なんだよ」
すべて、母の関係の人だった。

ある日、母の友人が
「お母さんは口が堅いんだよ。
 この太(この場合私)ちゃんが妊娠したこと
 ずっと黙ってたんだから」
と言った。
すると母はこう言った。
「そうだよ。だって、変な子産まれてきたら
 困るしょ。言えないしょ。そんなこと」
と。
母は私が出産後、入院してる時にもそのコトを
言っていた。
「障害のある子なんか産まれたら困るから
 誰にも言わなかったの。言ったらやだったしょ?」と。
■なにが、クチが固いだ。流産のこと、
 ぺらぺらと話したクセに。
 それに、もしこの太に障害があったら、
 この太が産まれたことすら隠したと言うのか?■
と思った。

この太は吸うチカラが弱かったのと
私の乳首の形が悪かったのか(扁平ではないんだけど)最初、おっぱいが直吸い出来なかった。
なので、私は必死に搾乳してこの太に
おっぱいをあげていた。
でも、吸われないおっぱいはだんだん出なくなると
言われていたので、懲りずに機嫌のいいときは
続けていた。(3ヶ月までは諦めなくても
大丈夫とも言われたし)
なのに、母は搾乳してる私に向かって
「アンタ、おっぱい止まるね」
と言った。
私は
■その言葉で止まりそう■
と思った。

この太の肌の白いのを見ては
「白いから、身体弱いわ・・この子」
と言われたこともあったな。

北海道の冬は厳しいので
まだ3月くらいまではこの太を外に連れ出すのは
忍びなくって、私は買い物の時は
母に預かってもらうことにした。
母も”最初”は快く預かってくれるようになったが、1度大泣きをされたのを機会に
拒否されるようになった。

■もういい。■
と思った。
そう。最初っからアテにする気なんかなかったじゃないか。
産後だってそうしてきたんじゃなかったのか。
私はそれから預けるのを辞めた。
本当にダーちんと2人で頑張って行かなくちゃ
いけないんだと再認識した。

今日、こんなことを書いているのは
夕方、母から電話で
自分から疎遠になった友人からこの太への
お祝いを頂いたという話だったのだが、
「何考えて今更もって来てるんだかっ!」って
怒ってるし、
その人の子どもも2月に子どもが産まれたらしくって、そのお祝いをそのまま「お互いお返しなしで」
って返したいっ!って話だった。
なんだか、訳のわからん話だった。

私があまりいい反応じゃなかったので
(だって、せっかく遅くなったってこの太へって
くれた善意をそんな風に言うなんて・・・)
逆切れして電話を切られた。

それ以降、ドップリまた過去の母の言葉&行動が
走馬燈のように回って私は最悪にブルーなのだ。

普通、姑の言葉や行動に愚痴る人が多いのだろうが、それは生活習慣や生活環境が違うんだから
当たり前だと思う。
所詮”他人”なんだから。
でも、実母にこんなに嫌悪感を抱く私って
おかしいのかな。
でも、自分が母親になって、
■あ〜私がこういう風になったのって
 母の言葉の暗示にもあるなぁ〜■
と思うこと大なのである。

それにね。姑の話って言いやすいだろうけど
(「そうそう!」とか「うちなんかもっと!」
とか多いよね)
実母の話なんて、「うちの母にだけはなついてるよ〜」とか言ってるママ友さんにゃ〜愚痴れんがな・・・。(というか、やっぱりへそ曲がりの私は
愚痴すら言えないのである)
なので、ダーちんだけが唯一、私のこの心の叫びを
聞いてくれているんだけど、
今日はど〜にもココで吐き出さないと
ダメダメな精神状態だったんで、
思いっきり、読み返すコトもなく、
そして、文脈もなにも考えず、打って打って打ちまくってしまいました。
おしまいっっっっっっっっっ!
昨日、今までためにため続けたこの太のデジカメ
画像をプリントアウトした。
なぜか、あるハズの写真がないのに気づき、
どうやらパソコンにデータ保存したつもりが
消去してしまったようだ。(涙)

その無くなった画像はなんだったのか?
と考えていると(どれも大事だが、
貴重な初ショットものじゃないかと思い・・
いや、それが有ったとしてももう取り返しはつかないが・・・)

どうやら、実家で撮ったおもちゃのベンツに
乗った写真だったようだ。
”これならまた取り直せるな・・”と
少しホッとしたと同時に
この写真に関わるある出来事も鮮明に
思い出してきた。

その出来事とは、
先日、ダーちんの実家へ遊びに行った時のコト。
久しぶりにジイジやバアバと写真でも撮ろうか、
とデジカメを出して来た私。

”再生”で今まで撮った写真を確認していると
従姉妹からのお下がりのシルバーのベンツに
乗ったこの太の写真を見つけたので、
「そうそう・・」と私は義母と義姉に話しかけた。

私:「そうそう。この太ねぇ〜ベンツもらったんだよ」
義母&義姉:「ベンツ〜〜!?」
私:「うん。従姉妹の子がね、もういらないからって、ホラ」
___と画像を義姉・義母に見せる___
義姉:「あははは。ホントだ。かっこいい〜!
    いいねぇ〜!この太〜〜!」
義母:「そんなのもらって。
    税金高いっしょっっ!!!」

へ???
私と義姉、しばし絶句した後、笑う。

とまぁ、こんな出来事だったんだけど、
その時は笑って終わったんだけど。

昨日よみがえって思い出して見ると少しムッとしてきたのよね。
だって、人の話、適当にしか聞いてなくないっ?
義母ってそういうところがある。
でも、自分の両親も含め、年を取って来ると
何度も同じコト聞いたりするので、
それはそれでしかたないなぁ〜とかは思うから、
■何回でも同じコト話してあげるけど、
 1回1回真剣に聞けよ■
と思うコトがある。

どんな内容の話だって、
例え、結末が読めようと(うちのダーちんのように)最後までちゃんと聞いてあげるっていうのは
私の価値観の1つにある。
(話を聞くという意思表示をしたんだから、
 最後まで礼を尽くすべき)

子どもだって、一生懸命話しているのに、
途中で
「あ〜もうわかったって。言い訳するんじゃない」
で片づけられるのはかわいそうだよね。
もしかしたら、”起承転結”の”結”まで聞けば
「そうだったのか。ならしかたないね」
という感想かもしれないしね。
もし、本当に言い訳だったとしても
その言い訳を長文にしていくのも、
その子の語学力に一役かってるのかもしれんしね。

聞き上手は話し上手だと思うしね。
たしかに義母は話し下手だ。

という訳でその場では、笑ってやり過ごしたコト
なのに、ナゼか今になって、
無性に「失礼っっ!!」と思ってしまった私。
健康的だが、カルシウム不足かもしれない。

∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝
今日でこの太、6ヶ月になりました。
今日、ボーナスが無事出ました。
ダーちん、この太、ありがとう!

健康的すぎる毎日。

2002年6月27日
ここのところ、毎日晴天に恵まれ
(と言ってもこの季節に”霜”なんか降りて農作物は大変なコトになってるというが)
毎日日課の散歩へ繰り出す日々。
お陰で私は健康的(ヘトヘト)で早寝(バタンキュー)・早起き(ダーちんの爺さん化により)・快食(食べなきゃ身体が持たん)・快便(食事中の方失礼)・・・である。

まさに健康的(だと思う)。
風邪すら寄って来ないと思う。

ところで最近”横ッパラ”など痛くなったコト
ありますかね?
私の記憶だと、中学生の頃のマラソン以来だと思う。
ベビーカーを押していると横ッパラが痛くなるのだ。
これは運動不足?それとも歩く前に食べた(飲んだ)モノのせい?
でも、これがなんだか”運動”している証っぽくて
「おおっ。今日も痛くなって来たぞ!」
などと思ってしまう。

土曜日に髪をカットしたが(↓の日記参照)
さほど、”帽子からはみ出る髪の毛”は
おしゃれに見えないコトに気づいた。
もちろん、帽子を脱いだ後も以前より
若干押さえつけが少なくなった(髪が少なくなったので当たり前)くらいで変わりはない。
やっぱり”失敗カット”だったのかなぁ。
でもマスターが「大丈夫。伸びていく過程まで
考慮してありますからっ!」と言ってたので
もしかしたら、あと1.2週間すれば
おっしゃれ〜になるのかも。(期待)

なんだか、健康的(ヘトヘト)過ぎて
なにも浮かばない、思考能力が働かない。


これはまさかっ!?

2002年6月22日
今日2ヶ月ぶりに髪をカットしに行った。
ホントはパーマもカラーリングもしたかったが、
この太を実家で預かってもらえないので
連れて行かなくてはいけなかった為、
カットだけにした。

私はいわゆる美容院ではなく、
床屋でカットしている。
ダーちんと同じところ。
(今日もダーちんも一緒にカットした。
 なので、この太をカワリバンコに見てた)
昔と違って今の床屋は女のお客さんも多いそう。
私もその1人なのだが、
私は美容院が苦手。
今まで行ったところが悪かったのかもしれないが、
予約なのに、待たされたり、
やっと順番が来たと思ったら、
やれ、この雑誌を今読め、
さぁ、読むのを辞めろ、
ほれ、この珈琲を飲め、
さっ、珈琲おしまいっ!
というような気ぜわしい接客に
うんざりしてしまうからだ。
せっかく
■髪でも切ってさっぱりしようっ♪■
という言ってみればリラックス、気分転換のために
行ったのに、ドッと疲れてしまうのである。
あと、前座の人間が入れ替わり立ち替わり
シャンプーだ、マッサージだとやって来て
やっと”カット名人”にたどり着くまで
私は会話疲れしているコトがある。
(あげくに人が違うけど、話の中身が一緒だったり
すると余計うんざり)

そんな美容院に疲れ果てた頃、
ダーちんの通っている床屋は女の人も結構
来てるよ、という話を聞いて通って見るコトに
したのだ。
予約時間はほぼ正確なので行けばすぐ出来るし、
マスターと助手のみで会話は1本、
値段も手頃と来て、すっかり通いつめている。
すっかり、仲良くなったので
わがままも聞いてくれるし、
(妊婦の時、腹がしんどいのでシャンプー1回
減らしてくれ!とか、座ってるのもしんどいので
30分以内!とか・笑)
この太を連れて行っても(家が店なので)
ホント嫌な顔もせず接してくれ、
気を利かせてくれ、ありがたい限りなのである。

話は少し逸れてしまったが、
今日の私の注文はこうだ。
■この太と最近、散歩へ行くようになり、
 私は帽子をよくかぶるようになった。
 帽子からはみ出る髪の毛がおしゃれ、
 なおかつ、帽子を脱いでも「髪、ペッチャンコ
 じゃないかなっ!?」などと慌てないカット■

「任せてくださいっ!」

そう言ってマスターはカットカット!
そして、まゆげまで丁寧に仕上げて頂き、
鏡に映った私は言った。
(私は超ド近眼なので眼鏡orコンタクトで今日は
 眼鏡だった為、カット途中は一切見えません)

「マスター・・これは私の幼少時代に流行った
 オオカミカットではないのね?」

最近、ファッション系にうとい私ですが、
今ってオオカミカットは
どうなんでしょうかね?
(名前を変えてるのかい?・・急に老け込む)

ま・・打倒っ!ベッカムカット!!
っていうコトで。

難しい〜〜〜〜っ!

2002年6月21日
ここで日記を書き始めて、
”三日坊主”の異名を持つ私も
なんとか休む日もあれど続いている方だと思う。

週末はダーちんがしっかり休みなので
あんまり1人でパソコンに向かうコトも
出来ないし、ネットやってると
「何してんの〜?」
とのぞき込まれるので、
日記を付けてるなど気恥ずかしく言えないので
なかなか出来ないコトを除けば
今までにないくらいの出来映えだ。(自画自賛)

これはこのサイトのシステム
(お気に入り)のおかげもあるかも。
ホント、みんなすごく読み応えあるし、
時に共感を受け、時にそうかな?って思ったり
続き読みたいぞと思ったり、
刺激バンバン受ける。

そうすると
文章力もさながら、視覚で訴えかけるモノも
大事だと思い知らされる。

自分でタグを使って自分のHPに公開している人とは違って、
ここは”器”は皆一緒。
例えば、壁紙で個性を付けるとか、
文字色、フォントでアレンジするとか
出来ない訳である。
だから余計、
「読みやすい改行や段落」も大事だな〜と思う。

私はいまいち理解していないらしく(アホ)
■◎書き込む■
をクリックし、
■日記に戻る■
とベックリこきまくる時がある。

自分ではこの辺で改行したハズなのに
長〜〜〜〜くなってたり、
改行&1文段落付けたつもりが
長〜〜い文の途中でポッカリ穴が開いていたり。
ドッヒャ〜〜〜〜ッ!
こっちがその穴に入りたいくらいだ。

「編集」機能を使って直そうと試みるも
余計ヒドイことになり、あげくに
本来の性格上「もういいやっ!」
と投げやりになってしまい、
「今日の日記はどうかみんな素通りしますように」
とまで思ってしまったりもします。
(そんなに嫌なら書き直せよ)

そんな訳で読みづらい日記でホントごめんなさい。
これからも日々精進いたしまする。

さてさて、今日はうまく行ってるかどうか・・・。
乞うご期待。

覚えのない郵便物。

2002年6月19日
今日、覚えのない封筒が届けられた。
なんだろ・・と思い、封を開けると中から
■中山美穂のマウスパット2枚と手紙■

どうやら、随分前に応募した(時々懸賞などに手を出す私)懸賞の賞品らしい。
優秀賞300人のうちの1人らしい。
ちなみに優勝は100万円。(苦笑)

普通の懸賞もスキだけど、この懸賞はちょっと頭を使う懸賞なので、運よりは自力っぽくてスキなので応募したのだった。

”100万円あったら何に使いますか?”

という質問に答えて審査員の心を動かす使い道ならその資金100万円をあげましょう。というモノだった。

私はこの町の公園が嫌い。
理由は環境作りに全くチカラを入れてくれていないから。
アスレチック系の木の遊具や芝・小高い山などは維持管理が大変。
砂場は犬・ネコ・キツネのフンで荒らされるので極力なし。
そんな理由で
どこの公園もさび付かない鉄棒・滑り台・ブランコだけで面白みのかけらもない。

子どもって有るモノをそのモノとして使うだけじゃなく、ビックリするくらい創造性を持って使いこなす。
ブランコ1つとっても、家になったり車になったり、そこに縄跳びがあったり、フラフープがあればそれと組み合わせて違うモノに”見立て”て遊び出したりする。

高価な遊具じゃなくたっていい。
廃品だって、立派な子どものおもちゃになる。

私は「ここから帰りたくない!」「明日はなにして遊ぼうかな」「明日はこの続きをしたい」
と思えるような公園を作って欲しかったし、
この太にそういう公園でボロボロになるほど遊んでもらいたいと思う。
そんな公園になるようなモノを購入、搬入出来る資金にしたい。

というような切なる思い(笑)を書いたコトを思い出した。
それが、マウスパットに化けた。(笑)

ま、正直、”残ったら私のポケットマネーになるのかしら?”などと腹黒い面もあったけど(苦笑)
でも、実現したかったなぁ〜。
もうちょっと頑張って町に意見してみよっかな。

< 10 11 12 13 14 15 16 17 18

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索