馬のSさん。
2002年10月8日元職場は多分珍しいと思うが、
お母さん役員の組織とお父さん役員の組織がある。
その役員数もお父さん役員の方が多いし、
活動量も多い。
なにかあれば、打ち上げと称して
飲み会も多くあるので
お母さん方よりもお父さん方との方が
より近しい関係であった。
発表会ではお父さん達も劇の出し物をするので
(毎週1日、近くなったら毎日のように
夜7時から9時過ぎまで練習する。
私たちは交代で鍵当番でおつき合いする。
地元劇団員の脚本、演出付きの超大作で
衣装、メークも本格的。)
それの打ち上げ飲み会後からは
だいたい”役名”で呼ばれる事が多くなる。
(もちろん、飲み会の席での事だが)
んで、タイトルの”馬のSさん”
Sさんはシンデレラのかぼちゃの馬車を
引く馬の前足になったので
それ以後、”馬のSさん”と呼ばれている。
Sさんは世良正則似のいわゆる”遊んでますよパパ”
を絵に描いたような方で、
仕事もイベント関係なので顔も広い。
初めてお会いした時から
「ん?怪しい人だ・・」と一目置くような感じ。
ま、Sさんの子どもの担任を持っていなかったので
役員会や飲み会以外では話す機会もなかったが、
どの先生も「Sさん、軽いっすよね〜?」
と似たような印象だったようだ。
ある夏休みに私は友達と飲みに行った。
カウンターに座って話しながら飲んでいると、
カウンターの前がガラス張りになっていて
鏡化しているのだが、どうも誰かの視線を感じて
そこへ目をやると、同じカウンターの反対側に
”馬のSさん”が女の人と飲んでいた。
・・・マジかい。ヤバイところに遭遇しちゃったよ・・・
私が悪い事をしている訳でもないが、
ただニタニタ笑ってこっちを見ている馬のSさんが
不気味だった。
(普通、ヤバイ関係だったら「先生内緒にしてよ」
って言うんじゃないか?
もし、なんともないのなら、挨拶してくるだろうし。)
そんなことを思いつつも、馬のSさんがエスカルゴを食べていたのを私は見逃さなかった。
とりあえず、私はSさんの子どもの担任に
Sさんに飲み屋であったこと、
Sさんが女連れだったことを話した。
夏休み明け。
Sさんの子どもの担任のM先生が私のところへ
駆け込んできた。
「この太先生っっっ!これ、これみてくださいよ!」
差し出したそれは”夏休み帳”だった。
「これっ!この日。読んでみてくださいよ」
日記タイプの夏休み帳なので、
何日に何をした。。というような事が書いてあるのだが、M先生の指さしたその日には
「今日は東京のおばあちゃんちへママと行きました」
と書いてある。
「これがどしたの?」と私が言うとM先生は
「だ〜から〜っ!この日。この太先生がSさんに逢った日なんですよー」
「えーー!ってことは妻が居ない間にってことっ!?」
私たちは当時20代前半。
うら若き乙女である。かなりの衝撃を覚えつつ、
2人で「このことは内密にしよう」と手と手を握りしめたのであった。
それから後の役員会の飲み会で
私とM先生はSさんを少し警戒するように
遠巻きに見ていました。
するとSさんが
「この前、先生ど〜して声かけてくれなかったのよ〜」
と寄って来たので、
「私にもエスカルゴ、頂けるのかと思いましたよ」
と軽いジャブを与えてみた。
するとSさんは
「あっははは〜。オンナだと思ってるべ?
違うからっ。」
と聞いてもないことをペラペラと話し出した。
あ〜・・やっぱり軽い・・・。
しかも、後日、
S宅のお母さんから呼び止められた私。
「先生、エスカルゴ、私もちゃんと食べましたから〜」
はぁ〜?
こりゃ私の予想ですがね。
この手の男(もう父兄でもなんでもないので)は
「いっや〜俺、○▼と飲んでてよ〜(この辺。多分、奥さんも納得するようなオンナの名前でも言ったんでしょう)この太先生に見られてよ〜。
先生どうやら、俺が不倫でもしてるんじゃないかと
思ったんだぁ。(俺ってモテるからとでも言いた気)
それで〜エスカルゴ食べてたら、『私にはおごってくれないの?』みたいに後で言うんだよ〜♪
はっは〜参ったよ〜(俺みたいなモテる旦那持って
お前もうれしいだろ〜?)」
みたいな感じで。
いや。。。お母様もそんな感じです。
「モテる主人が自慢です」
「オンナの1人や2人居ても男の甲斐性だわ。
私が1番の座に座っているんだから」
みたいな事、お母様と飲み会ご一緒したとき、
はっきりおっしゃっておりました。
嗚呼。似たもの夫婦ここに有り。
と、長くなって来た。
Sさんから今日、電話が来たので
その話をしたかったのだが、
その前にSさんについてを話さないと
今日の私との会話が成り立たないんだもの・・・。
日記さぼっていたので、久々の長文に疲れたので
続きは明日にでも・・・。
お母さん役員の組織とお父さん役員の組織がある。
その役員数もお父さん役員の方が多いし、
活動量も多い。
なにかあれば、打ち上げと称して
飲み会も多くあるので
お母さん方よりもお父さん方との方が
より近しい関係であった。
発表会ではお父さん達も劇の出し物をするので
(毎週1日、近くなったら毎日のように
夜7時から9時過ぎまで練習する。
私たちは交代で鍵当番でおつき合いする。
地元劇団員の脚本、演出付きの超大作で
衣装、メークも本格的。)
それの打ち上げ飲み会後からは
だいたい”役名”で呼ばれる事が多くなる。
(もちろん、飲み会の席での事だが)
んで、タイトルの”馬のSさん”
Sさんはシンデレラのかぼちゃの馬車を
引く馬の前足になったので
それ以後、”馬のSさん”と呼ばれている。
Sさんは世良正則似のいわゆる”遊んでますよパパ”
を絵に描いたような方で、
仕事もイベント関係なので顔も広い。
初めてお会いした時から
「ん?怪しい人だ・・」と一目置くような感じ。
ま、Sさんの子どもの担任を持っていなかったので
役員会や飲み会以外では話す機会もなかったが、
どの先生も「Sさん、軽いっすよね〜?」
と似たような印象だったようだ。
ある夏休みに私は友達と飲みに行った。
カウンターに座って話しながら飲んでいると、
カウンターの前がガラス張りになっていて
鏡化しているのだが、どうも誰かの視線を感じて
そこへ目をやると、同じカウンターの反対側に
”馬のSさん”が女の人と飲んでいた。
・・・マジかい。ヤバイところに遭遇しちゃったよ・・・
私が悪い事をしている訳でもないが、
ただニタニタ笑ってこっちを見ている馬のSさんが
不気味だった。
(普通、ヤバイ関係だったら「先生内緒にしてよ」
って言うんじゃないか?
もし、なんともないのなら、挨拶してくるだろうし。)
そんなことを思いつつも、馬のSさんがエスカルゴを食べていたのを私は見逃さなかった。
とりあえず、私はSさんの子どもの担任に
Sさんに飲み屋であったこと、
Sさんが女連れだったことを話した。
夏休み明け。
Sさんの子どもの担任のM先生が私のところへ
駆け込んできた。
「この太先生っっっ!これ、これみてくださいよ!」
差し出したそれは”夏休み帳”だった。
「これっ!この日。読んでみてくださいよ」
日記タイプの夏休み帳なので、
何日に何をした。。というような事が書いてあるのだが、M先生の指さしたその日には
「今日は東京のおばあちゃんちへママと行きました」
と書いてある。
「これがどしたの?」と私が言うとM先生は
「だ〜から〜っ!この日。この太先生がSさんに逢った日なんですよー」
「えーー!ってことは妻が居ない間にってことっ!?」
私たちは当時20代前半。
うら若き乙女である。かなりの衝撃を覚えつつ、
2人で「このことは内密にしよう」と手と手を握りしめたのであった。
それから後の役員会の飲み会で
私とM先生はSさんを少し警戒するように
遠巻きに見ていました。
するとSさんが
「この前、先生ど〜して声かけてくれなかったのよ〜」
と寄って来たので、
「私にもエスカルゴ、頂けるのかと思いましたよ」
と軽いジャブを与えてみた。
するとSさんは
「あっははは〜。オンナだと思ってるべ?
違うからっ。」
と聞いてもないことをペラペラと話し出した。
あ〜・・やっぱり軽い・・・。
しかも、後日、
S宅のお母さんから呼び止められた私。
「先生、エスカルゴ、私もちゃんと食べましたから〜」
はぁ〜?
こりゃ私の予想ですがね。
この手の男(もう父兄でもなんでもないので)は
「いっや〜俺、○▼と飲んでてよ〜(この辺。多分、奥さんも納得するようなオンナの名前でも言ったんでしょう)この太先生に見られてよ〜。
先生どうやら、俺が不倫でもしてるんじゃないかと
思ったんだぁ。(俺ってモテるからとでも言いた気)
それで〜エスカルゴ食べてたら、『私にはおごってくれないの?』みたいに後で言うんだよ〜♪
はっは〜参ったよ〜(俺みたいなモテる旦那持って
お前もうれしいだろ〜?)」
みたいな感じで。
いや。。。お母様もそんな感じです。
「モテる主人が自慢です」
「オンナの1人や2人居ても男の甲斐性だわ。
私が1番の座に座っているんだから」
みたいな事、お母様と飲み会ご一緒したとき、
はっきりおっしゃっておりました。
嗚呼。似たもの夫婦ここに有り。
と、長くなって来た。
Sさんから今日、電話が来たので
その話をしたかったのだが、
その前にSさんについてを話さないと
今日の私との会話が成り立たないんだもの・・・。
日記さぼっていたので、久々の長文に疲れたので
続きは明日にでも・・・。
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