いろんな偶然。
2002年8月18日お盆のイベントがやっと
一通り終わって、
今日はダーちんは1人でゴルフへ出掛けた。
私は1人で・・・もとい、この太と2人で
のんびり家でくつろいでいる。
今、この太も食後の眠りに入り、
私は1人でこの日記を打っている。
14日の日、
7年前に亡くなった親友の実家へ
お参りに行って来た。
彼女の本当の命日は17日。
7年前の17日、Y代は海に消えた。
当時、夫婦共働き子ども無しの私たちは
共通点も多く、よく話をしていた。
お互い、管理職になり後輩育成と上司との関係に
悩んでいたり、
子どもがいないことで受ける傷つき、
そして、もしこのまま夫婦2人で生きていくとしたら・・という展望についてなど、
よく話をした。
お互い忙しかったので、電話(当時はメールも
そんなに普及したなかったしね)や手紙で
だったが、ちょうど家を新築した我が家に
7月に出張でこっちへ来れたので・・と
寄ってくれたのが彼女と会った最期だった。
彼女が海に行ったその日、
私とダーちんは本当に不思議な行動をしていた。
ちょうど、サザンのコンサートがあって
私たちは札幌へ出掛けていた。
コンサートまで予定があった私たちは
その予定をクリアするために札幌市内を
走り回っていた。
最初は”看板”だったと思う。
彼女の旦那さんの会社の看板を見つけて
「今日、Y代居るのかな〜?」
とその看板を漠然と見ながら私はダーちんに
話しかけた。
ダーちんも
「どうかね〜?寄ってみる?」
と答えた。
次に”不二家”のレストランの前を通った。
私「そういえば、ここでY代がG(当時の彼氏)との
仲が冷めてきて、泣きながら話したんだよね。
その後、うちに来て2人で夜通し飲んだんだわ。
懐かしいなぁ〜」
それから、3回引越しした彼女の1番最初の家の前を通った。
ダーちん「ここってどれくらい住んでたんだっけ?」
私「Gと同棲してた頃だから1年半くらい?」
2番目に住んだ家の前も通った。
私「お姉ちゃんが来たからこっちへ引越たんだよ。
ここって入り口が店舗になってるから
なんか少し入りにくかったんだよね」
それからワンピYの家へ寄った。
Yはナゼかいらついている。
Y「いやさ。昨日からY代に電話してるんだけど、
留守電なのさ。せっかくこの太たち来るからっ
て思ってさ。」
私「いいよ。突然だし、それにここにだって30分
もいれないスケジュールなんだから。」
と言ったけど、Yは
「もう1回かけてみる!」
と言って聞かない。結局30分中、5回も
電話を掛けていた。
これで最後の1回と言い掛ける。
・・・やはり留守電。
私「いいって。どうせ今連絡取れても逢えそうにないし」
Y「ほれ、(ダーちんに受話器を渡して)
留守電に入れてあげて」
ダーちん「あ〜、Y代?今、Yのところに来てます。
これからサザンのコンサに行くんだ。
逢えるかな〜?と思ったけど、いないん
だね。どこ行ったんだーーーー!?
・・・・ピーーー」
30分してY宅を出て、
コンサ前に寄ってみたかった絵本屋さんへ向かう。
Y代の家の前を通る。
ダーちん「寄ってみる?」
私「いいって!今さっき電話して留守だったばっか
だよ?いる訳ないよ。居てもゆっくりもしてら
れないし、行こう!行こ!」
まっすぐ絵本屋へ向かい、
コンサを見に行った。
会場を出て、車に乗り込むと渋滞だったので
私はYに電話をかけて暇をつぶすことにした。
私「今終わった〜。最高だったよ。渋滞中なんだ」
Y「気を付けてね。事故にだけはホントに。
愛してるよん〜♪」
後でわかったコト。
ちょうど、この電話の最中にY代は息を引き取った。
夜中車を走らせ、4時間かけて帰宅した私とダーちんは
次の日、今度は喪服を着て同じ道をまた
走るなんてその時思いもしなかった。
私とダーちんはよく考えても不思議でしかたなかった。
■どーしてあの日はあんなにY代に関わる出来事が
多かったんだろうか■
と。
まるで思い出巡りをしているように
Y代との思い出の場所やゆかりの場所を通過し、
留守なのに、しつこくこだわるYと留守録なんて
残したこともないダーちんが言葉を残す。
道中、何度Y代の話が出たことか。
これは本当に単に”偶然”?
いや。私たちはそう思っていない。
きっと、Y代の仕業だよ。絶対そう。
今でもそう思ってるモノ。
そういう奴だった、あの子は。
・・・そして14日夜
前日の花火大会が延期になったその日、
私たち親子3人は花火を見に出掛けた。
すごく大きな花火が打ち上げられた。
私はビビりなので、心臓が痛くてたまらないくらいの
迫力で本当にチビりそうだった。(恥
この太は音の後に見るので、すでに大輪は散った後・・というコトがほとんどだった。
2尺玉が打ち上げられた頃には、もう集中力も
限界、睡魔にも襲われているこの太だったので
「帰ろう」
と歩き出した。
少し歩くと救急車が到着した。
「なんだろうね。具合悪くなった人?喧嘩?」
なんて話しながら歩いていた。
1キロ先に車を停めていたんだけど、
そこまで花火の破片が飛んで来てて
「あんなにデカイからこんなところまで?怖いー」
なんて話した。
次の日、ニュースで私たちが見ていた100メートルも
離れていないところで女の子に破片がぶつかり
意識不明の重体になっていると知った。
17日、ダーちんの大学時代の友人ファミリー
5家族でキャンプ場のある湖で
焼肉などを楽しんでいた。
管理棟から放送である車の所持者を探すアナウンスが入った。
「大変な事故です」と。
「なんだろうね。」
と話しているところで救急車が到着し、警察も。
坂の上が駐車場、坂の下がキャンプ地。
駐車してあった車はマニュアル車で
ニュートラルにしてあったよう、サイドブレーキは
かけてなかった。
その車が坂を転げ落ちてきて、
キャンプ中の人たちのところへ直撃した。
2人が救急車で運ばれた。
何万・・何十万、何千万?何億?分の1の
確率でその場に居て、被害に遭う人、
難を逃れる人。
「運命」「偶然」・・・そんな言葉で
片づけられないほど、この世の中には
こんなコトが起きる。
神様など信じないと思っている私だが、
いるのかな?と思ったりする瞬間だ。
※事故に遭われた方の一日も早い回復を
心からお祈りしています。
一通り終わって、
今日はダーちんは1人でゴルフへ出掛けた。
私は1人で・・・もとい、この太と2人で
のんびり家でくつろいでいる。
今、この太も食後の眠りに入り、
私は1人でこの日記を打っている。
14日の日、
7年前に亡くなった親友の実家へ
お参りに行って来た。
彼女の本当の命日は17日。
7年前の17日、Y代は海に消えた。
当時、夫婦共働き子ども無しの私たちは
共通点も多く、よく話をしていた。
お互い、管理職になり後輩育成と上司との関係に
悩んでいたり、
子どもがいないことで受ける傷つき、
そして、もしこのまま夫婦2人で生きていくとしたら・・という展望についてなど、
よく話をした。
お互い忙しかったので、電話(当時はメールも
そんなに普及したなかったしね)や手紙で
だったが、ちょうど家を新築した我が家に
7月に出張でこっちへ来れたので・・と
寄ってくれたのが彼女と会った最期だった。
彼女が海に行ったその日、
私とダーちんは本当に不思議な行動をしていた。
ちょうど、サザンのコンサートがあって
私たちは札幌へ出掛けていた。
コンサートまで予定があった私たちは
その予定をクリアするために札幌市内を
走り回っていた。
最初は”看板”だったと思う。
彼女の旦那さんの会社の看板を見つけて
「今日、Y代居るのかな〜?」
とその看板を漠然と見ながら私はダーちんに
話しかけた。
ダーちんも
「どうかね〜?寄ってみる?」
と答えた。
次に”不二家”のレストランの前を通った。
私「そういえば、ここでY代がG(当時の彼氏)との
仲が冷めてきて、泣きながら話したんだよね。
その後、うちに来て2人で夜通し飲んだんだわ。
懐かしいなぁ〜」
それから、3回引越しした彼女の1番最初の家の前を通った。
ダーちん「ここってどれくらい住んでたんだっけ?」
私「Gと同棲してた頃だから1年半くらい?」
2番目に住んだ家の前も通った。
私「お姉ちゃんが来たからこっちへ引越たんだよ。
ここって入り口が店舗になってるから
なんか少し入りにくかったんだよね」
それからワンピYの家へ寄った。
Yはナゼかいらついている。
Y「いやさ。昨日からY代に電話してるんだけど、
留守電なのさ。せっかくこの太たち来るからっ
て思ってさ。」
私「いいよ。突然だし、それにここにだって30分
もいれないスケジュールなんだから。」
と言ったけど、Yは
「もう1回かけてみる!」
と言って聞かない。結局30分中、5回も
電話を掛けていた。
これで最後の1回と言い掛ける。
・・・やはり留守電。
私「いいって。どうせ今連絡取れても逢えそうにないし」
Y「ほれ、(ダーちんに受話器を渡して)
留守電に入れてあげて」
ダーちん「あ〜、Y代?今、Yのところに来てます。
これからサザンのコンサに行くんだ。
逢えるかな〜?と思ったけど、いないん
だね。どこ行ったんだーーーー!?
・・・・ピーーー」
30分してY宅を出て、
コンサ前に寄ってみたかった絵本屋さんへ向かう。
Y代の家の前を通る。
ダーちん「寄ってみる?」
私「いいって!今さっき電話して留守だったばっか
だよ?いる訳ないよ。居てもゆっくりもしてら
れないし、行こう!行こ!」
まっすぐ絵本屋へ向かい、
コンサを見に行った。
会場を出て、車に乗り込むと渋滞だったので
私はYに電話をかけて暇をつぶすことにした。
私「今終わった〜。最高だったよ。渋滞中なんだ」
Y「気を付けてね。事故にだけはホントに。
愛してるよん〜♪」
後でわかったコト。
ちょうど、この電話の最中にY代は息を引き取った。
夜中車を走らせ、4時間かけて帰宅した私とダーちんは
次の日、今度は喪服を着て同じ道をまた
走るなんてその時思いもしなかった。
私とダーちんはよく考えても不思議でしかたなかった。
■どーしてあの日はあんなにY代に関わる出来事が
多かったんだろうか■
と。
まるで思い出巡りをしているように
Y代との思い出の場所やゆかりの場所を通過し、
留守なのに、しつこくこだわるYと留守録なんて
残したこともないダーちんが言葉を残す。
道中、何度Y代の話が出たことか。
これは本当に単に”偶然”?
いや。私たちはそう思っていない。
きっと、Y代の仕業だよ。絶対そう。
今でもそう思ってるモノ。
そういう奴だった、あの子は。
・・・そして14日夜
前日の花火大会が延期になったその日、
私たち親子3人は花火を見に出掛けた。
すごく大きな花火が打ち上げられた。
私はビビりなので、心臓が痛くてたまらないくらいの
迫力で本当にチビりそうだった。(恥
この太は音の後に見るので、すでに大輪は散った後・・というコトがほとんどだった。
2尺玉が打ち上げられた頃には、もう集中力も
限界、睡魔にも襲われているこの太だったので
「帰ろう」
と歩き出した。
少し歩くと救急車が到着した。
「なんだろうね。具合悪くなった人?喧嘩?」
なんて話しながら歩いていた。
1キロ先に車を停めていたんだけど、
そこまで花火の破片が飛んで来てて
「あんなにデカイからこんなところまで?怖いー」
なんて話した。
次の日、ニュースで私たちが見ていた100メートルも
離れていないところで女の子に破片がぶつかり
意識不明の重体になっていると知った。
17日、ダーちんの大学時代の友人ファミリー
5家族でキャンプ場のある湖で
焼肉などを楽しんでいた。
管理棟から放送である車の所持者を探すアナウンスが入った。
「大変な事故です」と。
「なんだろうね。」
と話しているところで救急車が到着し、警察も。
坂の上が駐車場、坂の下がキャンプ地。
駐車してあった車はマニュアル車で
ニュートラルにしてあったよう、サイドブレーキは
かけてなかった。
その車が坂を転げ落ちてきて、
キャンプ中の人たちのところへ直撃した。
2人が救急車で運ばれた。
何万・・何十万、何千万?何億?分の1の
確率でその場に居て、被害に遭う人、
難を逃れる人。
「運命」「偶然」・・・そんな言葉で
片づけられないほど、この世の中には
こんなコトが起きる。
神様など信じないと思っている私だが、
いるのかな?と思ったりする瞬間だ。
※事故に遭われた方の一日も早い回復を
心からお祈りしています。
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