昨日はすごくムシムシとして、
北海道にしては珍しく湿度高ぇ〜って感じで
身も心も(笑)ヤラレタ。
この太が産まれたのは冬だったので、
くっついてても(オッパイあげてても)”暑い”
なんて感じたコトなかったので、
”初暑い”だった。
くっつくなぁ〜っ!って感覚だわ。
ホント、本州の皆さんの授乳中の
暑さ、お見舞い申し上げます。(余計なお世話)

こんなに暑いと「飲みに行きてぇ〜〜っ!」と
叫びたくなる。
クーラーの効いたスナックで・・・
(イヤ、たいがい私が行っていた店はクーラーなぞなく、入り口のドアが全開の自然空調だったが)

そういえば、
私は学生の頃、少しだけ”スナック”でバイトした
コトがあった。
■スナック昴■・・・(笑)
名前の由来は知らない。
出来たてのホヤホヤの店で、
ママは・・・今顔を思い出そうとしたが、
”鈴木清美”しか思い浮かばないので(笑)
ロンリーチャップリン顔だったんだと思う。

その頃、友達の間で”夜のバイト”が流行っていた。
私もなんだかその流行りに身を任せてみたい衝動にかられ(若かったのね)、でも、ドップリつかる勇気もなく(友達の中では高級クラブに足をつっこんだ子もいたがね)、
週2回、友達2人と交代で週末は2人で一緒という
少なからず安全策で挑んだ。

一応ママから水商売のノウハウ(?)を学んだ。
せこいノウハウだったと思う、今思えば。
だって、お客さんのボトルが残りわずかになれば、
それを一緒に飲み「ニューボトル」を入れるように
し向ける、とか、
ボトルが結構ある時は「おビールいいかしら?(今言うのか?笑)」とビールでかせげ。ってコトだったもん。
私は結構飲めるクチだったけど、
やっぱりビールだとお腹もいっぱいになるし、
きつかったのでトマトジュースで割って
飲んでいたので、トマトジュース代もお客様持ちで
飲ませてもらった。

その”清美ママ”はたしか、どっかのスナックを経て独立したんだと思うが、
そんなに器のデカイ人ではなかった。

ある日のお通しは
■袋に汁も入って売ってるデキアイおでん■
だった。
私がなじみの店はだいたいママの手作りだったので
(ママはだいたい少し遅れて来るような店だったが
 いつも家の鍋とか、タッパーに入れて持って来てた)
「え!?デキアイでいいのかい!?」とビックリした。
それでも客が
「んっ!うまいな!このおでん!」と言うと
ママは
「そぉ〜!?昨日から煮込んだんだけど、味しみてる〜?」とイケシャ〜シャ〜と言ってた。
■すっげぇ〜ママ・・・そして、家で食わせて
 もらってねぇ〜な・・この親父■
と心の中で思ったりした。

ススキノのたくさんの飲み屋の中で
生き残るのはホントに大変なコトだったが、
ママはパトロンが居る様子もないのに、
危機感もさほど感じる様子もなく、
無計画な経営の仕方だったと思う。

結局、私はそろそろ就職活動という頃合いで
バイトを辞めるコトにした。
友達も順次辞めて行った。

1度就職が決まったので店に客として飲みに行ってみた。
結局ママ1人で切り盛りしても十分な客の入りで
私が行った時も親父さん1人しか居なかった。
(当時”花金”と呼ばれていた時期に)

就職してから行くともう”昴”は無かった。(苦笑)
ママ・・・いずこへ?
私がバイトしていた時も同じフロア内で
随分店が変わったもんなぁ。
1年持ったんだからママ、頑張った方だよ・・
と思ったけどね。

私はあまり飛び込みでは飲み屋には入らないので
”なじみ”の店が無くなるのは次の居心地のいい店を
見つけるのに焦ってしまう。
去年、17歳から通っていた店がママご老体のため
無くなった時は
”私の青春が終わった”と心底思った。
それ以来、”なじみ”の店は見つかっていない。
行けなくなったというのもあるんだけどね。

「飲みに行きてぇ〜っ!」
と叫んでみれど、例え行けたとしても
「ドコ行けばいいのっ!?」
と言うありさまなんだよね〜・・・。
はぁ〜。。。婆さんママに会いたいわ。
「スパゲッテー」「パーテー」って
聞きながら、笑いながら、おいしいお酒飲みたいワン。

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