今日はムーミンの日なのか?(本文とは関係なし)
2002年6月3日私とダーちんは高校の同級生。
同じクラスになったコトはなかったが、
1組がつき合い出すとそこから仲間が増殖し
グループ化し、一緒に遊んだりするようになって
いつしか我々もペアになっていたという感じか。
(簡略しすぎ・・ホントはもっと色々あったが
ここでは割愛)
その我々の母校が今年、新築し
旧校舎がこの度壊されることになった。
そこで”旧校舎惜別の会”が行われることになったと新聞で読んだ。
ダ:当日参加もOKだってさ。行ってみる?
私:ど〜せいつもの新年恒例会みたいに爺婆ばっか
じゃないの?浮くよ。うちら。
(すでに爺婆の域なのに)
ダ:でもさぁ〜この太に俺達の学校見せておきたい
じゃん?もし、この太が俺達の後輩になるとし
たら新校舎になる訳だし〜。
それに俺も見たいし。
私:そういえば、卒業してから高校なんて1回も
行ってないよね〜。
というコトで我々は土曜日に懐かしのおもひでの
高校へと足を踏み入れたのである。
すでに新校舎への引っ越しも済んだその旧校舎は
「廃棄」と張られたモノばかりが雑念と放置され
黒板には”さよなら旧校舎!”やお決まりの相合い傘などが書かれているだけですでに「廃墟」のような状態だった。
まず、私の1年の時のクラスへ入って見た。
当時、「新校舎」と呼ばれていたそこは
私たちが通っていた時に増築されたもので
とても綺麗だった。
今でも使えそうに感じた。
「新校舎」のクラスの窓から対面にある「旧校舎」
の窓が見え、そこが1年の時のダーちんのクラスが
ある。
1年の頃はつき合ってなかったので
私はこの窓から友人が旧校舎の彼と話をするのを
うらやましく見てた。(暗っ)
次に旧校舎へ行き、ダーちんの3年の時のクラスに
入る。
そこには地下というか、台所の下の収納のような
50センチ四方のふたがあり、
中には配管があって、ちょっとした隠れ家があった。
男子はそこに入ってよくタバコを吸っていた。
ダーちんが「あ〜あるある〜。俺ちょっと入って
タバコ吸って来ようかな」と言う。
でも、禁煙分煙が叫ばれ、肩身の狭い愛煙家のダーちんでも、タバコを吸ってとがめられることはない。
”あの時、あの年齢”だったからこそ、
地下でタバコを吸うことがドキドキしたのであって
今となっては味わえないタバコの味なんだろうと
思う。
床に学祭の写真が落ちていた。
年代は明らかに最近だけど、でも私たちが撮った写真と顔が違うだけで雰囲気はまるで一緒だった。
この太を抱っこして黒板の前で写真を撮って
今度は学食へ行く。
ダ:「おばちゃん小銭つかんだ手でそのまま
ラーメンにネギ入れてたよな」
私:「そうそう。んで、しっかり洗わないし
ゆすがないから、ラーメンなんていつも
ママレモン味だったしね」
O157だ、なんだと騒がれている今なら
営業停止にもなりかねないようなモノを出していた
学食にも、壁には
■衛生上、問題になるので調理場には関係者以外
立入禁止■
の張り紙がある。
うちらの頃は「おばちゃ〜ん、しなちくもう少し
入れてよ〜」ってよく厨房に入って行ったもんだ。
一通り、思い出の場所を回って
あ〜だこ〜だと話しながら
体育館へ足を運ぶ。
そこでは立食パーティーが行われる会場だった。
新聞や同窓会誌で取り上げられていたこの
「惜別の会」も参加者は若干60名ほどだろうか。
入り口でもらった名札には
「第●期 ▼■」と卒業期と名前を書いて
胸につけていたが、私たちの属する3×期台の
参加は若干5名くらいだろうか。
友人たちの顔ぶれはない。
校歌を歌い、実行委員会の代表の挨拶。
この校舎は20期の時に建てられたモノだということがわかり、出席者が20期以降で少ないのが
納得出来た。
そんなに愛校精神があった訳じゃないと思う。
ただ、新聞記事に目を通さなければ
来ることもなかったかもしれない。
ダーちんと同じ高校じゃなければ来なかったかも
しれない。
この太が生まれていなければ、来なかったかも
しれない。
いろんな思いを胸に私たちは
思い出の校舎にさよならをしてきた。
私たちと同じ境遇であろう42期卒の夫婦と
子ども。(この夫婦が参加者の中で
一番若いであろう)
「今日が誕生日なんです」というその男の子は
半年違いでこの太と同級生だった。
「この子たち、一緒に新校舎に通うかもしれないね」
「あ〜。そうですね。そうだといいですね!」
そんな会話をし、私たちのタイムスリップは
終わった。
同じクラスになったコトはなかったが、
1組がつき合い出すとそこから仲間が増殖し
グループ化し、一緒に遊んだりするようになって
いつしか我々もペアになっていたという感じか。
(簡略しすぎ・・ホントはもっと色々あったが
ここでは割愛)
その我々の母校が今年、新築し
旧校舎がこの度壊されることになった。
そこで”旧校舎惜別の会”が行われることになったと新聞で読んだ。
ダ:当日参加もOKだってさ。行ってみる?
私:ど〜せいつもの新年恒例会みたいに爺婆ばっか
じゃないの?浮くよ。うちら。
(すでに爺婆の域なのに)
ダ:でもさぁ〜この太に俺達の学校見せておきたい
じゃん?もし、この太が俺達の後輩になるとし
たら新校舎になる訳だし〜。
それに俺も見たいし。
私:そういえば、卒業してから高校なんて1回も
行ってないよね〜。
というコトで我々は土曜日に懐かしのおもひでの
高校へと足を踏み入れたのである。
すでに新校舎への引っ越しも済んだその旧校舎は
「廃棄」と張られたモノばかりが雑念と放置され
黒板には”さよなら旧校舎!”やお決まりの相合い傘などが書かれているだけですでに「廃墟」のような状態だった。
まず、私の1年の時のクラスへ入って見た。
当時、「新校舎」と呼ばれていたそこは
私たちが通っていた時に増築されたもので
とても綺麗だった。
今でも使えそうに感じた。
「新校舎」のクラスの窓から対面にある「旧校舎」
の窓が見え、そこが1年の時のダーちんのクラスが
ある。
1年の頃はつき合ってなかったので
私はこの窓から友人が旧校舎の彼と話をするのを
うらやましく見てた。(暗っ)
次に旧校舎へ行き、ダーちんの3年の時のクラスに
入る。
そこには地下というか、台所の下の収納のような
50センチ四方のふたがあり、
中には配管があって、ちょっとした隠れ家があった。
男子はそこに入ってよくタバコを吸っていた。
ダーちんが「あ〜あるある〜。俺ちょっと入って
タバコ吸って来ようかな」と言う。
でも、禁煙分煙が叫ばれ、肩身の狭い愛煙家のダーちんでも、タバコを吸ってとがめられることはない。
”あの時、あの年齢”だったからこそ、
地下でタバコを吸うことがドキドキしたのであって
今となっては味わえないタバコの味なんだろうと
思う。
床に学祭の写真が落ちていた。
年代は明らかに最近だけど、でも私たちが撮った写真と顔が違うだけで雰囲気はまるで一緒だった。
この太を抱っこして黒板の前で写真を撮って
今度は学食へ行く。
ダ:「おばちゃん小銭つかんだ手でそのまま
ラーメンにネギ入れてたよな」
私:「そうそう。んで、しっかり洗わないし
ゆすがないから、ラーメンなんていつも
ママレモン味だったしね」
O157だ、なんだと騒がれている今なら
営業停止にもなりかねないようなモノを出していた
学食にも、壁には
■衛生上、問題になるので調理場には関係者以外
立入禁止■
の張り紙がある。
うちらの頃は「おばちゃ〜ん、しなちくもう少し
入れてよ〜」ってよく厨房に入って行ったもんだ。
一通り、思い出の場所を回って
あ〜だこ〜だと話しながら
体育館へ足を運ぶ。
そこでは立食パーティーが行われる会場だった。
新聞や同窓会誌で取り上げられていたこの
「惜別の会」も参加者は若干60名ほどだろうか。
入り口でもらった名札には
「第●期 ▼■」と卒業期と名前を書いて
胸につけていたが、私たちの属する3×期台の
参加は若干5名くらいだろうか。
友人たちの顔ぶれはない。
校歌を歌い、実行委員会の代表の挨拶。
この校舎は20期の時に建てられたモノだということがわかり、出席者が20期以降で少ないのが
納得出来た。
そんなに愛校精神があった訳じゃないと思う。
ただ、新聞記事に目を通さなければ
来ることもなかったかもしれない。
ダーちんと同じ高校じゃなければ来なかったかも
しれない。
この太が生まれていなければ、来なかったかも
しれない。
いろんな思いを胸に私たちは
思い出の校舎にさよならをしてきた。
私たちと同じ境遇であろう42期卒の夫婦と
子ども。(この夫婦が参加者の中で
一番若いであろう)
「今日が誕生日なんです」というその男の子は
半年違いでこの太と同級生だった。
「この子たち、一緒に新校舎に通うかもしれないね」
「あ〜。そうですね。そうだといいですね!」
そんな会話をし、私たちのタイムスリップは
終わった。
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