公園でのヒトコマ。
2002年5月23日やっと散歩日和が続き、
雨さえ降らない限り、私はこの太と片道30分の
公園まで散歩する。
噴水があって、向かいがこの太が通う予定の
小学校で今は運動会の練習をしているみたい。
ベンチに座って30分くらいひなたぼっこをする。
公園には学校帰りの子どもたちも道草している。
私は職業柄か、その子ども達の関係なんかを
探るように見てしまうところがある。
その日も5人の女の子が鞄をベンチに置いて
遊んでいた。
1人の女の子はいわゆる仲間ではなく、
つかず離れずの距離で他の4人の行動するところに
付いて歩くような感じ。
■この子、仲間に入れないのかな■
4人で噴水に手を入れたり、足を入れたりし始めると1人の女の子が時間を気にして
帰り支度を始めた。
「バイバイ」
小さな声だった。
噴水の音で聞こえるかどうかだったので
遊びに夢中であろう3人には聞こえなかったみたい
だった。
彼女は更に5歩ほど近づいてもう一度
「バイバイ」と言った。
でも、返事はなかった。
■う〜ん。。この子も3人になんとか
くっついているって感じなのかな。。
じゃ〜3人のうちのリーダー格って誰だろ・・■
彼女は寂しそうに後ろを向いて
歩き出した。
少し経ってから3人の中の1人が
「バイバ〜イ」と彼女の後ろ姿にそんなに大きな声
でもなく、声をかけた。
■あ。聞こえてたんだ。■
彼女は振り返って「バイバイ」と手を振った。
すっごくうれしそうな表情だった。
彼女は歩きながら後ろの友達に神経を集中させて
いたに違いない。
でも、残りの2人はその光景に目を向けることなく
ただ没頭する訳でもなく噴水の水を
いじっているだけであった。
4人の周りをウロチョロしていたもう1人の
女の子は3人がベンチに引き上げた後、
1人で噴水にさっき3人がやっていたように
葉っぱを浮かべてみたりしていた。
時間差で同じ遊びをしている感じだった。
バイバイしなかったとか、1人で遊んでたとか
仲間はずれなんじゃないかとか、
そんなことではなく、こういう一幕でも
大事な子どもたちの位置関係がわかり、
今後の対応に十分役立つのである。
と、ここまでは仕事を辞める前までの私。
この太が生まれ、私は
■この5人の中で”この太”はどの子のポジション
であってほしいか・・■
ということを考えている自分がいるのだ。
先輩の先生に「先生やってると子育てもプロみたいに言われることあるけど、そんなことないない。
実際我が子を抱くと感情で育ててしまうもんだよ。」と言われた。
私はその時はそうかな〜?
ちょっとくらい擦り傷があったって
その子の親に殴り込むようなことはきっとしないだろうし、結構客観的に見れちゃうんじゃないかな?
なんてヌケヌケと思っていた。
障害に対してもそう。
たくさんの自閉症児や、身体に障害がある子どもも
見て来た。
例え、我が子がどんな状態で生まれて来ても
受け止めてあげられる”器”や心構えが
自分には出来ていると思っていた。
この太は生まれつき”副耳”といって
耳のそばにイボのようなモノを付けてきた。
なんの害もないし、病気でもなく、
ホントただのホクロだと思えばいいくらいのモノ
だけど、
私は「幼稚園にあがるまでには取ってあげたい」
と思っている。
そう。私はこの太と出会って
教えてもらった。
■貴方は私の”先生”ではなく、”お母さん”
なんだよ■って。
あのときの先輩先生の声とともに
私は胸に刻んだ。
雨さえ降らない限り、私はこの太と片道30分の
公園まで散歩する。
噴水があって、向かいがこの太が通う予定の
小学校で今は運動会の練習をしているみたい。
ベンチに座って30分くらいひなたぼっこをする。
公園には学校帰りの子どもたちも道草している。
私は職業柄か、その子ども達の関係なんかを
探るように見てしまうところがある。
その日も5人の女の子が鞄をベンチに置いて
遊んでいた。
1人の女の子はいわゆる仲間ではなく、
つかず離れずの距離で他の4人の行動するところに
付いて歩くような感じ。
■この子、仲間に入れないのかな■
4人で噴水に手を入れたり、足を入れたりし始めると1人の女の子が時間を気にして
帰り支度を始めた。
「バイバイ」
小さな声だった。
噴水の音で聞こえるかどうかだったので
遊びに夢中であろう3人には聞こえなかったみたい
だった。
彼女は更に5歩ほど近づいてもう一度
「バイバイ」と言った。
でも、返事はなかった。
■う〜ん。。この子も3人になんとか
くっついているって感じなのかな。。
じゃ〜3人のうちのリーダー格って誰だろ・・■
彼女は寂しそうに後ろを向いて
歩き出した。
少し経ってから3人の中の1人が
「バイバ〜イ」と彼女の後ろ姿にそんなに大きな声
でもなく、声をかけた。
■あ。聞こえてたんだ。■
彼女は振り返って「バイバイ」と手を振った。
すっごくうれしそうな表情だった。
彼女は歩きながら後ろの友達に神経を集中させて
いたに違いない。
でも、残りの2人はその光景に目を向けることなく
ただ没頭する訳でもなく噴水の水を
いじっているだけであった。
4人の周りをウロチョロしていたもう1人の
女の子は3人がベンチに引き上げた後、
1人で噴水にさっき3人がやっていたように
葉っぱを浮かべてみたりしていた。
時間差で同じ遊びをしている感じだった。
バイバイしなかったとか、1人で遊んでたとか
仲間はずれなんじゃないかとか、
そんなことではなく、こういう一幕でも
大事な子どもたちの位置関係がわかり、
今後の対応に十分役立つのである。
と、ここまでは仕事を辞める前までの私。
この太が生まれ、私は
■この5人の中で”この太”はどの子のポジション
であってほしいか・・■
ということを考えている自分がいるのだ。
先輩の先生に「先生やってると子育てもプロみたいに言われることあるけど、そんなことないない。
実際我が子を抱くと感情で育ててしまうもんだよ。」と言われた。
私はその時はそうかな〜?
ちょっとくらい擦り傷があったって
その子の親に殴り込むようなことはきっとしないだろうし、結構客観的に見れちゃうんじゃないかな?
なんてヌケヌケと思っていた。
障害に対してもそう。
たくさんの自閉症児や、身体に障害がある子どもも
見て来た。
例え、我が子がどんな状態で生まれて来ても
受け止めてあげられる”器”や心構えが
自分には出来ていると思っていた。
この太は生まれつき”副耳”といって
耳のそばにイボのようなモノを付けてきた。
なんの害もないし、病気でもなく、
ホントただのホクロだと思えばいいくらいのモノ
だけど、
私は「幼稚園にあがるまでには取ってあげたい」
と思っている。
そう。私はこの太と出会って
教えてもらった。
■貴方は私の”先生”ではなく、”お母さん”
なんだよ■って。
あのときの先輩先生の声とともに
私は胸に刻んだ。
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