Yちゃんの死
2002年5月21日何気なく見た新聞のお悔やみ欄に
見覚えのある名前を見つける。
たしか。5年前に卒園したYちゃんじゃないか?
えっ?ええ?
アルバムを急いで引っ張りだし、名前や住所を
確認してみる。
集合写真のYちゃんの顔を見つけて
「やっぱりそうだ・・・」
寒気がした。
それから元同僚に連絡してみた。
元同僚は幼稚園の近くに住んでいるし、
情報網も多い。
私は久しぶりに開いたアルバムを
もう1度じっくり見ながらYちゃんのことを
思い出していた。
直接担任をしていた訳ではないが、
幼稚園では時々クラスをバラバラにして
遊んだりする行事があったので
よくYちゃんは私の担当の遊びに来ることが
あったし、発表会では私が教えた
「ソーラン節」チームに入っていたので
思い出せば、いろんな表情が浮かんで来る。
けんかしている友達のそばで心配そうに見ている
Yちゃん。
私が折り紙を折っていると「教えて」と
寄って来たYちゃん。
私は主任になって担任クラスを持たなかったので
事務所に居た。
大勢の子どもたちが1クラスにまとめられているから、どうしても先生を1人占めに出来なくて
時々、事務所の私のところへ「駆け込み寺」する
子どもが結構居た。
ただ、黙って入って来て、そばで私の仕事を
見ていたり、膝に乗って来たりするだけ。
Yちゃんも時々、1人でやって来て、
私がワープロをしたり、電卓をはじいたりするのを
黙って見に来たりしていたなぁ。
そんなことを思いながらも
「ど〜してYちゃんは死んじゃったんだろう」
と思った。
そして、もう1人、年長になる前に
風邪からの心筋梗塞で急死してしまったSちゃんの
コトも久しぶりに思い出したりしていた。
ほどなくして、元同僚から詳細がわかったと
電話が入る。
5年生になったYちゃんは4月から
バレー部に入って頑張っていたそう。
練習で随分青あざが出来るなぁ〜とは
思っていたんだけど、ぶつけたところ以外にも
出来ているので、念のため皮膚科へ行ったそう。
皮膚科から総合病院へ回され、精密検査後、
札幌の北大病院へ回された。
急性白血病だったらしい。
骨髄移植の準備を進めようとした矢先、
脳の方の血管がダメになってしまい、
異変に気づいてから半月で亡くなってしまったと
いうことだった。
ちょうど、日曜に旦那が友人の結婚式へ参加したのだが、その友人の甥っこさんも白血病だった。
友人は甥っ子の病気が落ち着くまでは・・と
結婚をのばしていた。
骨髄移植と抗ガン剤などが効いて、甥っ子は
とりあえず元気になり、結婚式では丸坊主の頭で
元気に走り回っていたと言う話を
旦那としたばかりだった。
「どうしてそんなコトになるんだろうな」
旦那と私は答えなんて出ないことを知りつつも
この太を見つめながら考えた。
「運命」と簡単に言ってしまえない
なんだかわからないこの心のモヤモヤと
うまく言葉に出来ないまどろっこしさで
気分はぐちゃぐちゃ。
(現にこの日記も日曜から何度も打っては消し
打っては消ししてるし・・・)
これから何度か、自分と関わり合いのあった人との
死に直面するだろう。
その度に私はこうして悩んだり、考えたりするんだろうな。
自分が死んだ時、もしかしたら
人間の生死の答えがぼんやりでも見えるんだろうか。
「小さいからかわいそう」
とかそう言う風に言う人がいるけど、
年老いてたからもういいとか、
そんなコトはないよね。
あぁ〜〜あ゛
ダメだ。うまく表現出来な〜いっ。
うちの幼稚園では
中学校へ上がる年に(小六の卒業式後)
同窓会がある。
今年の3月にもこの太を連れて参列した。
Yちゃんとは再来年に同窓会で再会するはずだった。
「先生〜バレー部に入ったんだよ〜。
中学でもやるんだ〜」って話しかけてくれたかも
しれなかったんだ。
合掌
見覚えのある名前を見つける。
たしか。5年前に卒園したYちゃんじゃないか?
えっ?ええ?
アルバムを急いで引っ張りだし、名前や住所を
確認してみる。
集合写真のYちゃんの顔を見つけて
「やっぱりそうだ・・・」
寒気がした。
それから元同僚に連絡してみた。
元同僚は幼稚園の近くに住んでいるし、
情報網も多い。
私は久しぶりに開いたアルバムを
もう1度じっくり見ながらYちゃんのことを
思い出していた。
直接担任をしていた訳ではないが、
幼稚園では時々クラスをバラバラにして
遊んだりする行事があったので
よくYちゃんは私の担当の遊びに来ることが
あったし、発表会では私が教えた
「ソーラン節」チームに入っていたので
思い出せば、いろんな表情が浮かんで来る。
けんかしている友達のそばで心配そうに見ている
Yちゃん。
私が折り紙を折っていると「教えて」と
寄って来たYちゃん。
私は主任になって担任クラスを持たなかったので
事務所に居た。
大勢の子どもたちが1クラスにまとめられているから、どうしても先生を1人占めに出来なくて
時々、事務所の私のところへ「駆け込み寺」する
子どもが結構居た。
ただ、黙って入って来て、そばで私の仕事を
見ていたり、膝に乗って来たりするだけ。
Yちゃんも時々、1人でやって来て、
私がワープロをしたり、電卓をはじいたりするのを
黙って見に来たりしていたなぁ。
そんなことを思いながらも
「ど〜してYちゃんは死んじゃったんだろう」
と思った。
そして、もう1人、年長になる前に
風邪からの心筋梗塞で急死してしまったSちゃんの
コトも久しぶりに思い出したりしていた。
ほどなくして、元同僚から詳細がわかったと
電話が入る。
5年生になったYちゃんは4月から
バレー部に入って頑張っていたそう。
練習で随分青あざが出来るなぁ〜とは
思っていたんだけど、ぶつけたところ以外にも
出来ているので、念のため皮膚科へ行ったそう。
皮膚科から総合病院へ回され、精密検査後、
札幌の北大病院へ回された。
急性白血病だったらしい。
骨髄移植の準備を進めようとした矢先、
脳の方の血管がダメになってしまい、
異変に気づいてから半月で亡くなってしまったと
いうことだった。
ちょうど、日曜に旦那が友人の結婚式へ参加したのだが、その友人の甥っこさんも白血病だった。
友人は甥っ子の病気が落ち着くまでは・・と
結婚をのばしていた。
骨髄移植と抗ガン剤などが効いて、甥っ子は
とりあえず元気になり、結婚式では丸坊主の頭で
元気に走り回っていたと言う話を
旦那としたばかりだった。
「どうしてそんなコトになるんだろうな」
旦那と私は答えなんて出ないことを知りつつも
この太を見つめながら考えた。
「運命」と簡単に言ってしまえない
なんだかわからないこの心のモヤモヤと
うまく言葉に出来ないまどろっこしさで
気分はぐちゃぐちゃ。
(現にこの日記も日曜から何度も打っては消し
打っては消ししてるし・・・)
これから何度か、自分と関わり合いのあった人との
死に直面するだろう。
その度に私はこうして悩んだり、考えたりするんだろうな。
自分が死んだ時、もしかしたら
人間の生死の答えがぼんやりでも見えるんだろうか。
「小さいからかわいそう」
とかそう言う風に言う人がいるけど、
年老いてたからもういいとか、
そんなコトはないよね。
あぁ〜〜あ゛
ダメだ。うまく表現出来な〜いっ。
うちの幼稚園では
中学校へ上がる年に(小六の卒業式後)
同窓会がある。
今年の3月にもこの太を連れて参列した。
Yちゃんとは再来年に同窓会で再会するはずだった。
「先生〜バレー部に入ったんだよ〜。
中学でもやるんだ〜」って話しかけてくれたかも
しれなかったんだ。
合掌
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